第26話 羽化
期末テストも終わり、春休みを待つだけのほっとした日、あげははCatsを訪れた。ドアの前にヘレナがしゃがみこみ唸っている。
「ヘレナ、どうしたん?」
「あー、あげは。蛹、なんか透明になって来てる」
「え?トウメイ?」
「うん、ほら中が透けて見えるねん。あれって
「うわ、ほんまや。模様が見える」
「冬眠から覚めてきたんちゃう?」
春になり、蛹は追い込みに入っていた。ヘレナはスマホで写真を撮る。
「これから毎日来なあかんのちゃう?」
「せやな。いつチョウチョになるか判らんもんな」
「これが本物の、いきものががりや」
その日は意外に早くやって来た。翌日にアゲハチョウは羽化し始めたのである。香苗さんからのLINEを受けて、あげはとヘレナは慌ててCatsに駈けつけた。
「うわ、出て来てる」
アゲハチョウは空っぽの蛹に掴まってくしゃくしゃの翅を拡げようとしていた。大きな目が切なく感じる。ヘレナは去年の秋に翅が伸びず、とうとう飛べなかったアゲハチョウを思い出していた。あんなの二度と見たくない…。隣であげはは夢中だった。
「これがあの青虫やったって信じられへん」
「Oh My God!」
「がんばれー」
香苗さんが店から椅子を2脚持って来た。
「観客席持って来たよ。多分1時間はかかると思うから」
「えーそんなに?」
ヘレナはスマホで写真を撮りまくる。
「あげは、これって重力で翅を拡げるんやて」
「へえ、そうなん?」
「うん。だからこうやって縦に蛹くっつけるんやて」
「あーなるほど。よう知ってるなあ」
「調べてん。って言うか、あげは自分の名前なんやからもうちょっと知っとかなあかんやん」
「あーなるほど」
「なんか、呑気やなあ」
喋ってるうちに翅は少しずつ伸びてきた。
「きれいな目、してるなあ」
「うん。美人や」
「模様もきれい。いろんな色が入ってる」
香苗さんが持って来てくれたメロンソーダを飲んでいるうちに翅はまっすぐ伸びた。アゲハチョウはゆっくり翅をパタパタ動かし始めた。
「飛ぶ練習かな」
あげはが覗き込む。
「乾かしてんねん、翅」
「へえ」
羽ばたく回数が増えて来る。大丈夫かな、ちゃんと飛べるようになるんかな。あんな変な奴やったのに、長い冬の間じっと我慢して、それでこんなにきれいに生まれ変わったんや。偉かったなあ。
ヘレナも固唾をのんで見守る。去年の子を思い浮かべながら、心の中で、頑張れーを繰り返した。
するとそれに応えるように、アゲハチョウは2,3回翅をパタパタさせると、蛹の殻を蹴って一気に飛び上がった。
「うわ!! 飛んだ!」
二人は仰け反る。後で香苗さんも軒下を見上げた。アゲハチョウはゆっくりと二人の上を周回するように飛んでいる。
あげはが拍手をする。するとそれを待っていたかのようにアゲハチョウは軒下を出て、Catsの前の植え込みの上へ舞い上がった。
あげはの目には涙がこみ上げた。ヘレナはあげはの肩を抱く。あげはは小さい声で呟いた。
「あんなに嬉しそうに飛べるんやね…」
「長い間モゾモゾして、蛹でじーっと我慢してた甲斐があったなあ」
「ウチも、ウチもがんばろう…。足が悪いばっかり言うてたら恥ずかしいわ」
「うん…」
二人はアゲハチョウを見上げる。アゲハチョウは更に高く上がって前の道路を横断しようとしていた。ヘレナはあげはの肩を抱いた手に力を込め、もう一方の手を口に添えて、そして叫んだ。
「Fly!AGEHA!」
その瞬間、あげはの頭を稲妻が走った。
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