第18話 なんだか見えない
ゴールドの捻挫以降、あげはは一層ゴールドに入れ込むようになった。ゴールドの足に巻かれていた保冷剤入り包帯はとっくに外れている。ゴールドはまだ足を引きずっているくせに、そのままでキャットタワーに登ろうとしたり落ちそうになったりするので目が離せない。幸い、少し動くと疲れるのか眠ってしまうことも多く、あげはの膝はゴールドの仮眠ベッドになっていた。眠るゴールドを、あげはは母親のように優しくなでる。窓から差し込む夕方の陽に輝く金色の毛並みをじっと見ているうちに、あげははヘレナとずっと喋っていない事を思い出した。
なんでやろ。あ、そうか。ウチがきつく言うたから、それでヘレナからは来れへんようになったんや。だって、あんな噂流すからやん。ウチとヘレナが好き同士って、あんなこと言われたら意識してしまうやん。女の子同士やのに変なんちゃうん。あかん、ドキドキしてきた。
でも、ヘレナが自分から誰かにそう言うたんかな。唯にも言うたんかな。ふつうそんな事を自分から言うやろか。本人同士が認めてるんやったら解るけど、ヘレナから告られたことないし、ウチかてそんなん恥ずかしいわ。あーあ、なんでこんな事になったんや。一度考え出すとなかなか頭からそのことが離れないあげはだ。わざわざ唯に電話して、こっそり聞いてみた。
「あのな、ちょっと前のことやねんけど、唯、ウチとヘレナがどうのって話してくれたやろ」
「あー、あれね、ごめんごめん、もう忘れて」
「そうやなくて、ヘレナが唯にそう言うたん?ウチのこと好きって」
「そうじゃないんだ。私が勝手に思い込んじゃっただけで、裏を取らなかった私がいけないの」
「ウチらはそんな風に見える?」
「いや、私は気づかなかったんだけどさ、そんな風に感じた子が私に言ってくれてね、そのまま信じちゃったんだ。小さな学校だから噂広まっちゃうと駄目なんじゃないかって。でもさ、ヘレナにはこの話、してないから心配しないで」
「え?ヘレナは知らんってこと?」
「そういうこと」
あげはの頭は回転し始めた。そんな風に感じた子って誰やろ。ほんでまたわざわざ唯に言う子って・・・、夏芽か?それはあり得る。そもそもウチに関心ある子って夏芽位やし、ヘレナが近づいてきた時かて、『あげは、ちょっと
「ごめん、ありがと唯」
「ううん。もう忘れてね、本当に」
「うん」
唯に罪はないことは解ったが、もしウチが思うてる通りやったとしたら、ウチが怒鳴った時、ヘレナは何のことか解らんかったって事やろ。ヘレナもなんでその時に『噂って何なん?』とか聞かへんかったんやろ。そのまんま、すーっと行ってしもたし、その後もずっと黙ってるってどういうことやろ。もしかして、ほんまにウチのこと、好きなんかな。もしそうやったらウチどうしよう…。あげははヘレナの顔を思い浮かべようとしたが、あげはの頭の中のヘレナは金髪がさらっと風に流れ、その表情を隠した。
♪ チョリーン
「いらっしゃいま、あ、ジョー」
「こんにちは。ゴールドの具合はどうかなと思って、寄ってみたよ」
入って来たのは獣医の岩城医師だった。
「有難う、まだ足は引きずってるけど、極めて元気よ」
「そっか。ま、実はあんまり心配はしてないんだけどね」
「えー、それで往診に来てくれたの? あ、ホットでいい?」
「うん、ホットで。ほらシャニーを押し付けちゃったからちょっと気が引けてるってか」
「ううん、いいのよ、お蔭で店の名前が決まったようなもんだし」
「そう?でも本当に助かったんだよ。ネコにとってああいうトラウマってなかなか克服できないからね」
岩城医師はちらっとくっついて昼寝しているシャニーとゴールドを見て言った。
「カナちゃんが毎日一緒に抱いて寝てくれたからだよ。人間恐怖症が治ったのは」
「初めは大変だったけどねー。丁度寒い時期で良かったのよ。シャニーも一人じゃ寒かったみたいだから」
「シャニーは本当に幸せになったよ。子どもまで産めるとは思わなかった」
「でもね、目はやっぱりあんまり見えてないみたいなの。時々ぶつかってる」
「あれだけ酷くやられるとね、仕方ないよ。人間みたいに角膜移植って訳にもいかないし」
「酷いよね、猫目が気味が悪いからって潰そうとするなんて」
「ま、いろんな人がいるんだ。命の重さに軽重があるみたいで」
カウンターの上で組んだ岩城医師の手に、コーヒーカップを置いた香苗さんの手が微かに触れた。ふたりとも一瞬のときめきを表に出さない。心の
「ネコカフェにするんだったら、ネコ、もっと飼うのかな」
「ううん。今で充分なの。私とあげはちゃん達とシャニーとゴールドが丁度釣り合ってる。ネコが増えるとお客さんも変わりそうでちょっと恐いの」
「そっか。カナちゃんもトラウマあるんだよ、人に対する」
「そんなことないよ、前の仕事では折れちゃったけど、人に対するトラウマじゃない」
「カナちゃんがそう思ってるなら、その方がいいんだけど、無理にねじ伏せちゃ駄目だよ。また再発する」
「大丈夫。今はお客さんもいいのよ。中学生まで来てくれて、まっすぐで眩しいよ。悩んだり凹んだりしてるけど、それでも若いっていいなあって思っちゃう」
「人を傷つけるのも人だけど、人を癒すのも人なんだ」
岩城医師はコーヒーカップを口に運びながら言った。
それを聞いて、香苗さんは心の中でそっと呟いた。
『その人こそあなたよ。あなたからじゃなきゃシャニーも引き受けなかった。だって、二人の子どもみたいな気がしたんだもの。あなたといるだけで私はホッとできる。あなたはちっとも解ってないみたいだけど』
しばらく沈黙が続き、岩城医師はちらっと腕時計を見た。
「そろそろ戻るわ。ワンとかニャンが待ってる」
「うん、有難う」
「また往診に来るよ。キミのことも心配だから」
そう言って岩城医師はカウンターに小銭を置くと、ゴールドの足を触って何やら確かめている。ゴールドは目を閉じて、されるがままだった。
「ふーむ」
岩城医師は一声唸ると、今度はシャニーの頭を撫でた。
シャニーはむっくりと頭を上げ、『解ってるよ』と言わんばかりに岩城医師を見上げると、また丸まって目を閉じた。
「じゃ」
立ち上がった岩城医師は振り返って手を挙げると、静かに店を出て行った。
香苗さんはカウンターでしばし立ち尽くした。ジョーの匂いがまだ残っている。
キミのことも心配…。『カナちゃん』じゃなくてキミって言った。それはどういう意味?心配ってどう言う意味?
医者としての言葉…だよね。それ以外はないよね、ジョー。
香苗さんはカウンターを出るとシャニーを抱きしめた。シャニー、シャニーはジョーが言った意味、判った? 期待しちゃいけない。でもどこかで期待している私がいるのも知っている。なんだかよく見えない。ジョーも私自身も。
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