第4話 ブランコ

『あげはサンのこと、ちゃんと見るよ』


 ヘレナは母から言われた言葉に自覚があった。あたしがみたらなあかん。妹みたいなもんや。だからヘレナはあげはと一緒に遊ぶときは、姉らしくあげはの我儘も聞いてやったし、譲ってあげた。あげはの方はそれをどう感じているのか、今一つ判らなかったが、とにかくヘレナは努力したのだ。あげははとっつきは悪いものの、嵌ると人懐っこいことも判ってきた。ほんまに妹みたいやな、ヘレナはちょっと上から目線だった。


 公園でのブランコもヘレナが介助してあげはを乗せた。最初は怖がっていたあげはだったが、何回か通ううちに座ってなら少々揺らしても平気になっていた。この頃は10回ずつ漕いで交代する。交代する時、ヘレナはピョンとブランコから飛んで降りるのだが、あげはは靴の底を地面にずずーっと擦りつけて停止しないと降りられない。あげはの頭の中の飛び降りるイメージはまだ実現していなかった。しかし、あげはには決意があった。今日こそ飛んでみる!


「ヘレナ、ウチも飛んでみたい」

「えー、あげはに出来るかなあ。気ぃつけんと尻もちついて、そこへブランコ来て頭打つねんでぇ」

「うん。でも飛んでみる」


 あげはは宣言すると、ブランコを靴の底でずずーっとブレーキを掛けてから思い切ってひょいと降りてみた。直後に小さく揺れたブランコの座板があげはの背中を直撃し、あげはは前によろけ、やはり尻もちついた。その時のあげはの照れた表情がヘレナには可笑しく、ちょっと笑ってしまった。

「もう、ヘレナ、笑わんといてや」

「ごめーん。でもあげは出来たやん。それでええねん。降りたらすぐに逃げなあかんけどな」

「もっかいやってみる」

今度もあげははずずーっとブランコの速度を落とし、ひょいと降りた。すぐに走って逃げたので、ブランコに当たる事はなかった。ヘレナは拍手した。

「もう出来るなあ、今度はあたしがやってみるわ。お手本やで」


 ヘレナは姉貴の意地とばかりに大きく漕ぎ、ぴょーんと飛び降り軽やかに逃げる。そして揺れるブランコを横から捕まえるとまた同じことをする。今度は飛び降りる前に『魔法』をかけた。


「Fly! Helena!」


 ヘレナは叫ぶと同時にぴょ-んと飛んだ。あげはは目をみはった。


「なに言うたん?」

「魔法やで」

「マホウ?」

「うん。あたし、魔法使いになるねん。せやから飛ぶ練習してんねん」

「とぶん?」

「うん。もっとな、アラジンみたいに飛ぶねんけどな、まだそんなには出来へんねん」


 ヘレナも興奮していた。今までで一番上手くできた。こんなに飛べるんや。魔法出来てるやん。妹分の前で披露できたことで、ヘレナも得意気だった。しかしそれはその妹分たるあげはにも強烈な印象をもたらせた。マホウで飛べるんや。マホウやったらヘレナみたいにぴょーんって飛べるんや。


「ウチもしたい」


あげはは希望を口に出した。


「そんなカンタンちゃうで。あたしもずっと練習しててんから」

「してみたい」


ヘレナは戸惑った。そんな簡単に出来てたまるかと言う気持ちもある。しかし無下に却下するのも姉貴分らしくない。


「ほんならやってみたらええけど、ここで練習しよか」

「うん。なんて言うたらええのん?」

「英語やで。あげは、解るかな」

「えーご?」

「そう。日本語違うねん。英語で飛べっ!て魔法かけるねん」

「うん」

「あんな、あげはやったら、ふらい!あげは って唱えるねん」

「ふらい あげは?」

「そう。飛ぶ瞬間にな、そう言うねん」


あげはは頷くと、ブランコに座った。足で蹴ってブランコを揺らす。あげははまだ少し逡巡していた。このまま飛び出すのはやはり怖い。しかしマホウでヘレナも飛んでた。マホウをかけたら飛べるとヘレナも言うてた。『ふらい あげは』や。

3回,4回 ブランコはあげはの気持ちのように躊躇いがちに揺れている。

「もっと揺らさなあかん」

ヘレナが叫ぶ。5回,6回。たまりかねてヘレナが言った。

「背中、押したげるわ」

「うん」

「飛ぶときに、『ふらい あげは』言うねんで」

「うん」

8回,9回 次第に揺れは大きくなる。10回目、あげははブランコが後ろに引かれる時、遂に声をあげた。


「ふらい あげは」

ヘレナは力を込めてあげはの肩を押し、叫んだ。

「Fly! AGEHA!」

 あげはは手を離し、そして…


どーん! そのままブランコから落ちた。手はまだ上手くつけない歳だ。ほぼ頭から地面に突っ込んでいた。



 あれ?あげは。ヘレナは焦った。あげはの上をブランコが揺れている。ヘレナはブランコのチェーンを掴んで停止させ、あげはの脇にしゃがんだ。あげは? だいじょーぶ? あげはは答えない。顔をしょぼしょぼ生えた雑草にくっつけたままだ。あかん、これはあかん。あげは、転んで起きひん。ヘレナは団地へ駈け出した。誰もいなくなった公園で、あげはは動かなかった。


 数分後、スマホを握った千夏と、その後ろからヘレナを抱っこしたソフィアが駈けてきた。


「あげは!どうしたんあげは!」


 千夏はあげはを抱き起した。血がおでこから口にかけてべっとりついている。目が薄く開いているが、反応がない。どうしよ。背後でヘレナが泣きじゃくりながら『あげは、落ちてん』と繰り返している。そうや、ブランコから落ちたんや。せやけど頭打ってるかも知れん、血はおでこやからいっぱい出る。ソフィアが声を掛けた。


「沢井サン、Call ambulance!」


 千夏は頷いた。そのために持ってきたスマホだ。千夏は震える指で 119 をタップした。

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