第109話呻吟

12月尾張末森城:鷹司義信視点


「若様、何を御考えなのですか? 随分と難しい御顔をなされておられますよ?」


 今日の夜伽(よとぎ)をしてくれる、嬢子軍の娘が心配してくれる。


 戦場での欲求不満が高じて苛立ち、判断を誤らないように、多くの娘を連れてきている。


 将兵のためにも、陣女郎や白拍子を積極的に集めさせた。


 だがその悪影響として、敵のくノ一も多く入り込んでいるだろう。


 だがまあ影衆や近江猿楽が、臨時の遊郭を仕切ってくれているから、大過無く無事に運営できているようだ。


 本来なら紅ちゃんと緑ちゃんが仕切るはずだったのだが、諏訪での日々で2人とも妊娠してくれた。


 諏訪で後方支援に徹していた時に、俺は家内繁栄の為に、愛欲の日々を送った。


 ハプスブルク家の「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」では無いが、5000騎の嬢子軍の中から、妊娠の可能性が1番高い排卵日前後の子を夜伽に選んだ。


 俺のそんな身勝手を、茜ちゃん・楓ちゃん・桔梗ちゃんは、常に一緒にいてくれ協力してくれた。


 御家騒動を防ぐために、九条に3人の男子が生まれるまで待っていてくれていた3人は、子作りには積極的に協力してくれた。


 今妊娠が分かっている子は37人だが、もう少し増えるかもしれない。


 一応全員産み分け法を使っているが、全て成功して女の子ばかりとはいかないだろう。


 まあこれだけ多ければ、逆に御家騒動には繋がらないかもしれない。


 養子先や嫁入り先での争いはあるかもしれないが、北海道や樺太を押さえれば、分家を立てる領地はいくらでも確保できるだろう。


「うん、信長の処分を考えていてね」


 俺にとって信長は特別な存在だった。


 前世では、戦国時代の武将の中で一番の憧れだった。


 信長が生き延び明国を攻め取り、東南アジアに覇権を確立していれば、日本の未来はどうなっていただろうと、よく夢想したものだ。


 生まれ変わってからは信長を常に警戒していた、殺してしまう事や勢力を抑え込むことに腐心していた。


 桔梗ちゃんに味方にすることを示唆されてから、ずっと考え続けていた。


 どうすれば織田信長を、忠臣として迎えることができるだろうと。


 怖かったのは、史実で信長が多くの家臣に叛かれた事だ。


 信長が才能を認め重用していた、荒木村重・松永久秀・明智光秀などの事例を考えると、下手に戦力を与えて権限を委譲してしまうと、謀叛を誘発してしまうかもしれない。


 信長に領地や戦力を残して、方面軍司令長官として迎えたほうがいいのか?


 それとも丸裸にしてから、軍師や謀臣として迎えたほうがいいのか?


 前世で信長に憧れ、好きだっただけに呻吟の日々だ。


 殺してしまうことも含めてだ!


「左様でございましたか、御考えは纏まられましたか?」


「未だ迷いがある、今暫く熟考いたす」






12月信濃諏訪城:第3者視点


「直虎ちゃん、あんまり動いちゃだめよ、今は御互い大事な身体なのだから」


 妊娠中なのに鉄砲の修練に励む直虎ちゃんの事を、茜ちゃんは真心から心配していた。


「はい、ありがとうございます。しかしながら女の身で、井伊家の当主と認めていただけたのです。御任せ頂いた嬢子軍の差配を、疎かには出来ません」


 直虎ちゃんは真摯な態度を崩さない。


「大丈夫だよ、今回妊娠できなかった子らが頑張ってくれるよ。皆幼い頃からくノ一になる修行もしてるし、嬢子軍の設立が決まってからは、弓鉄砲に乗馬まで学んだから」


 桔梗ちゃんが愛おしそうに御腹を撫でながら、直虎ちゃんが安心できるように話しかける。


「そうですよ、私たちは若様が安心して戦えるように、御役を全うする事です。今の私たちの御役は、御子を産むことです」


 楓ちゃんもいつになく穏やかな表情で諭している。






12月尾張津島:津島神官


 熱田も我らも鷹司に下って、ようやく安心できた。


 一向衆が尾張に入り込んで以来、夜も碌に眠れぬ日々だった。


 信長がいかに強く命じても、末端の一向衆の乱暴狼藉が止むことはなかった。


 常に一向衆の夜討ち朝駆けを警戒しなければならない。


 津島を焼き払われた後で犯人を処罰し謝られても、取り返しはつかない。


 一向衆なら平気で焼き討ちさせておいて、仲間を処罰して知らぬ顔を決め込むだろう。


 それに一向衆との揉め事を嫌った商人の船は、津島湊を避けて河内湊を使った。


 そのほうが、尾張国内での商いが、安心して行えるからだ。


 それに幾つかの城砦が、一向衆の寺として信長から与えられ、家臣に取り立てられた一向衆も多かったから、物の流れが明らかに変わってしまっていたのだ。


 そこに鷹司卿の水軍が、津島湊を封鎖してしまったのだ。


 船が入らず荷が動かない湊など、惨めなものだ。


 日雇いの者などは、その日の食にも困り、明日からの生活の道も立たない有様だった。


 その状態で、倭寇の大艦隊が海を圧してて現れたのだ。


 150もの大安宅船が現れては、もはや信長に勝ち目などない。


 尾張の海に倭寇が現れるということは、大友・大内・三好・北畠などが、鷹司卿の味方になったということだ。


 少なくとも西国の諸大名が、中立に成っていなければ、倭寇の大艦隊が津島湊に来れるはずがないのだ。


 何より問題なのは、味方であるはずの一向衆・雑賀・根来の船では、倭寇の大艦隊を阻むことが出来なかったことだ。


 味方の水軍は撃破されたか、倭寇の大艦隊を見て、尻尾を巻いて逃げたのだ。


 これが厳然たる現実で、事ここに至っては、鷹司卿に下る以外に道はなかった。


 鷹司卿に下ってからは、まるで地獄から天国だ。


 倭寇の船や鷹司卿の船だけでなく、今まで河内や桑名の湊に入っていた船が、全て津島湊に戻ってきた。


 いや、信長が支配していた頃より、津島湊に入る船が増えている。


 それに倭寇の船が持って来た荷は、目を見張るほど莫大な量で、物不足で困窮していたのが嘘のようだ。


 遊興にやって来る鷹司卿の将兵は、一向衆に比べれば大人しいものだ。


 全く問題がないわけではないが、向こうが悪い場合は全て鷹司卿が賠償してくれるし、なにより将兵が豊かで銭を持っており、支払いがきれいだ。


 噂では、組頭から鷹司卿の恥になる行いをした場合は、死罪だと威し付けれているらしい。


 中には貧相な者もいるが、話を聞いた者から伝え聞くところによると、三河と尾張の者だそうだ。


 これは仕方ないことだろう、ほんの1月前に降伏した者まで銭を持ってるはずがない。


 それでも鷹司卿に仕える全ての将兵の顔が、とても明るいそうだ。


 だがそれは当然だろう。


 我らもそうだが、負け組から勝ち組に無事に移れたのだ。


 目の前には豊かな古参兵が、笑顔で闊歩(かっぽ)しているのだ。


 生き残り手柄さえ立てれば、自分たちも同じように豊かになれる。


 伊勢長嶋には、手柄首がごまんといるのだ、自分達の未来も明るく思えるだろう。


 噂では日々の兵糧も、織田や一向衆とは比較にならぬという。


 時折酒や煙草に菓子までが、鷹司卿から下賜されるとまで言われている。


「頭! 御頭! 鷹司卿から御使者が来られました!」

 

「なに?! 何故だ? どう言うことだ?」


「分かりません、どういたしやしょう?」


「直ぐに行く、客間に御通ししておいてくれ、決して粗相があってはならんぞ!」


 御使者の御話は、代官と税の問題であった。


 他の代表の者たちと話し合っておくようにとの御達しであったが、全てを御受けする以外の道などない。


 断れば今湊に入っている船と荷は、鷹司卿の命を御受けした湊に取られるだろう、それ位の事は馬鹿でもわかる。


 我らの代表の中に馬鹿がいなければいいのだが、もしどうしても反対する馬鹿がいたら、秘かに殺してやる!


 この繁栄を失うくらいなら、鬼となってやる!

 





12月尾張清州城:第3者視点


 信長はしぶとく抵抗しようとした。


 何度も何度も、主要な城砦を結んで防衛線を構築しようとしたが、鷹司海軍による後方上陸作戦が展開され、その度に裏切る国衆や地侍が出て、防衛戦が崩壊した。


 木曽三川の防衛線の一部が突破された事で、美濃衆が尾張に攻め込み、どうにも手の打ちようがなくなってきた。


 それでも信長は諦めず、鉄砲隊を手元の集めて、漸減撤退を図った。


 籠城すれば包囲殲滅されることが明白な為、常に野戦で鉄砲・盾・槍・騎馬隊を機動的に連携させ、鷹司軍に後方を取られる前に河内方面に撤退した。


 その時も決して兵には背中を向けさせず、常に鷹司軍に正対したまま撤退させた。


 敵に背中を向ければ、言いようのない恐怖感で、撤退が潰走になってしまうからだ。


 撤退を可能にしたのは、鷹司軍から取り入れた大竹盾と槍衾の防御力と、鉄砲隊の逆撃力、そして騎馬隊の機動力による遊撃だった。


 今の信長に残されているのは、清州城を中核に青木川・五条川・新川と名前の変わる右岸と、木曽三川の間の僅かな地域しまない。


 しかも津島を含む海岸線が全て奪われたため、勝幡城を防衛線とする川上だけとなっていた。


 皮肉なことだが、支配領域が狭まり、忠誠心の無い国衆や地侍が離反することで、信長勢の防衛線は厚く強くなった。


 だがどうしようもない事がある。


 信長の力の源泉である津島と熱田を失った事で、一向衆の支援無しでは、軍資金も兵糧も手に入らなくなった。


 自力で津島と熱田を取り返さなければ、信長は一向衆の傀儡でしかなくなる。


 だが津島と熱田を武力で取り返そうとして、灰燼に帰すようなことになっては、資金源として役に立たなくなる。


 それに鷹司海軍に海上を封鎖させれてしまうと、取り返しても役に立たない。


 そして何よりの問題は、一向衆の支援が当てにならなくなっていることだ。


 海上を封鎖されているために、河内にも陸路からしか支援物資が入らなくなっている。


 海路と陸路では、運送能力が格段に違ってくる。


 三好が六角の南近江と甲賀を攻め、北近江を鷹司が占領した状態で、南伊勢の北畠が鷹司についたと言う噂まである。


 その噂が本当なら、本願寺が使える陸路は、紀伊から伊賀を抜けて北伊勢に入り尾張至るものだけだろう。


 この状態で、織田と河内一向宗が必要とする、全てを軍需物資を輸送できるとは思えない。


 いや、そもそも無事に河内につけるのだろうか?


 鷹司方の大名や国衆はもちろん、山賊や反一向宗農民の襲撃があって当然なのだ。


 少ない支援物資が、一向衆に優先的されるのが当然だ、つまり織田家に送られる支援物資は無い。


 この状態で信長が一向宗に支援を求めたら、傀儡どころか客将、いや属将や家来としての礼を取らねばならぬ事になる。


 だからと言って、この状況の信長が、一向衆以外に支援を仰げる勢力が在るだろうか?


 一向衆が籠る河内を通過できれば、北伊勢衆がいるにはいる。


 だが北伊勢衆は、南伊勢の北畠勢に必死で抵抗している最中だ、頼みの綱だった六角が風前の灯火なのだ、今の六角に北伊勢に援軍を送る余裕など全くない。


 当然織田に送る余裕もない。






12月尾張清州城:織田信長視点


「殿! 鷹司からの使者が来ました!」


 気が立っているのだろう、長秀も何の敬意も礼も無い言葉だ。


「誰が来た?」


「従七位下・真田将曹幸隆と名乗っております。正二位・前右大臣・近衛大将・鷹司義信卿のからの正式な使者と申しております」


 随分と仰々しいな、義信めどう言う心算だ?


 事ここに至っては、我らには滅ぶか逃げるしか道はない。


 北伊勢が持ちこたえている間なら、摂津石山まで引くことは可能だが、表面だけ義信に降伏臣従する道もある。


 奴の今までの行いを見れば、城地召し上げの上で半知分近衛府出仕だろう。


 まあ会って損することだけは無い。


「御無礼の無いように御迎え致せ、我は衣装を改めてくる」

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