第73話帰城

出羽山上城:義信視点


 卑怯(ひきょう)だが、俺の行った謀略の汚名は、飯富虎昌に被ってもらった。だがその成果は直ぐに現れた。


 山形城攻略戦の無残な結末は、同じく籠城していた城館の領主と一族を、ほとんど全て逃げ出させると言う事になった。


 中には細川直元と直茂の兄弟の様に、当主親子の切腹を条件に、降伏臣従を打診して来る者もいた。


 まあ当然だろう、誰だって最上一族のように、家臣領民に攻め殺されたくはないだろう。


 俺と戦う者は、攻勢中ならともかく、少しでも守勢になれば何時味方に裏切られるか分からない。いや攻勢中であろうと、5000貫文ももえるなら、暗殺を謀る者は後を絶たないだろう。


 降伏臣従の条件は、細川兄弟と同じにした。一旦城地を召し上げ、検地後同等の扶持で近衛府兵として各地に常駐させると言うものだ。とにかく本貫地から切り離し、領民と一緒に反乱できないようにする。


 結果として、昨年の討伐時に俺が出した私戦禁止に応じながら、今回伊達の味方をした鮎川等の国衆が城地を明け渡し切腹した。


 また小桜城の片倉景親や正福寺館の大町頼明などの、伊達方国衆は米沢城に逃げ込んだ。拮抗する戦力で野戦するしか、俺に対抗する術(すべ)はないと判断したのだろう。


 今回の合戦で最上一門と八盾は、ほとんど全滅に近かったが、無理やり探せば最上や天童を名乗れる者を探し出すことはできる。いや、でっちあげる事は簡単だろう。


 史実でよくある、落城時に忠臣に助けられた懐妊中の愛妾が産んだ、御落胤による御家再興だ。皆信じている訳ではなく、敗戦前と同じ条件で再仕官が叶い、兵・兵糧・軍資金を支援してもらえるから、信じている振りをするのだ。


 だから俺が少しでも守勢に回れば、そこら中で最上・天童・小笠原・長尾を名乗る者が湧いて出てきて、反乱を起こすだろう。


 山形の盆地は全て制圧して、米沢に出る街道も押さえた。


 これで伊達は、街道の城館を全て攻略してからでないと、山形に出てこれなくなった。


 一方俺は、何時でも米沢に攻め込める体制を築いた。


 後の仕置きは、総大将の飯富虎昌に任せることにして、俺は諏訪への帰国を急いだ。


 近衛武士団1000兵・信濃武士団1500兵・近衛足軽弓隊1000兵を残したから、飯富虎昌なら何があっても山形城を守りきってくれるだろう。


 後やるべき事は、降伏して来た将兵を陸奥や出羽から連れ帰り、軍を再編制して戦力化する事だが、これが結構難しい。


 1度主家を裏切った者たちなどは、絶対に信用できない。


 特に山形城で最上一族を皆殺しにした奴らを、諏訪城に入れるなどできる訳がない。


 信用度の低い者たちは、最前線の越中に送り、一向宗の相手をさせる事にした。


 信用度が中程度の者は、越後で訓練と再編制を行う事にした。


 諏訪に連れて帰れるような、信用の高い者は皆無(かいむ)だった。


 次に民から新兵の募集を行った。


 こんな乱世で、しかも自然災害も多い時代だから、決まった実りが毎年取れるわけではない。


 食い扶持が確実に支給され、多少は自由になる銭も支給される、近衛府足軽を望む者が多く集まった。


 信用できるかどうかは未知数だが、彼らを諏訪に連れて行き訓練を施す事にした。


 最後に、即戦力を無理やりにでも引き抜く事にした。


 俺は長年に渡って山窩支援を行っていたので、修験者にはとても受けがよかった。


 そこで出羽三山に働きかけ、慈恩寺が焼失した時に再建できていない、本堂を含む仏閣坊舎の再建を約束して、僧兵8000を諏訪に帯同する事を認めさせた。


 これは出羽三山別当寺である慈恩寺を、長年に渡り支援して来た寒河江家の合戦に、慈恩寺を巻き込まないための措置だ。


 永正元年(1504年)に、山形城主の最上義定が寒河江領に攻め込んだ際に、兵火により一山仏閣、坊舎を全て焼亡してしまっていた。


 寒河江家でも一族の独立傾向が強まっており、その状況下で伊達や最上と度々合戦が起こったため、寒河江家に慈恩寺を再建する力がなかったのだ。


 これで寒河江家の出羽三山への影響力を削ぐ事ができたが、羽黒山の別当職は代々大宝寺家が世襲して来た。


 現在羽黒山の別当職は、大宝寺家の重臣である土佐林禅棟が就任している。


 俺は政教分離を推し進める上でも、大宝寺家はもちろん土佐林禅棟の影響力も削ぐ事が大切と考えた。


 そこで飛影の下で働いている、出羽三山系の影衆や生産衆を、慈恩寺の本堂を含む仏閣坊舎の再建に送り込んだ。これで何(いず)れは、出羽三山を俺の影響下に置くことができるだろう。


 出羽三山にしても、平安期には寒河江荘は摂関家(藤原氏)の荘園であり、摂関家との関係が深いと伝えられていた。


 だから出羽三山からしても、大宝寺家や寒河江家が大旦那よりは、鷹司家を継ぎ九条の姫を正室に迎えた俺が大旦那になる方が、朝廷にも直結できる上に格が上がるから、内外に対して体裁がよかったのだろう。


 同時に出羽三山の羽黒山・月山・葉山と、総奥の院である湯殿山の山岳信仰を強め、世俗の影響力を低下させる心算だ。


 政教分離は俺の基本方針だから、まずは出羽三山で実験的に色々やってみよう。






大和興福寺一乗院:覚慶視点


「覚慶様、共に参りましょう」


 こやつ何を言っておる?


 余を罠(わな)に嵌(は)めようとしているのか?


「されど藤孝、三好の軍勢に見つかれば、我が命も儚(はかな)きものではないのか?」


「お任せ下さい、興福寺の僧兵が、近江まで付き従うと約束してくれました」


 何を馬鹿な事を言っている、近江は危険だろうが。


「だが近江で兄上は討ち取られたのであろう? 余が近江に行っても同じ事になるのではないか?」


「細川晴元管領が、1万の兵で必ずお守りすると約束されておられます。義藤様は一向宗の寺にいたために、不意を突かれてしまいました。ですが覚慶様には、一旦近江で将軍就任を行った後で、中尾城にお入り頂きます」


 兄上も馬鹿なことをなされたものだ、一向宗など狂人の集まりではないか、だが本当に安全なのか?


 だが余が将軍か、悪くはない、悪くはないが、本当に信じてよいのか?


「う~む、ここにいた方が安全だと思うのだがな。だが近江に行けば将軍に成れるのじゃな? 義維や 周暠ではないのじゃな?」


「細川晴元管領、六角義賢様、武田信豊様がお力添えを約束しております。大丈夫でございます」


 巧言を労しておるのではないのか?


「そうじゃ! 近江で将軍就任を待つ間はどうするのじゃ、危険であろうが?」


「朽木稙綱が、朽木城内に御所を整える用意をしております。朽木谷は難攻不落の地、何の心配もございません」


 朽木だと?


 あのような弱小領主に頼れと言うのか?


「なぜ六角の観音寺に入れぬのじゃ?」


「後々の事を考えますと、余りに六角だけを頼られるのはよくありません。管領殿、六角殿、武田殿を公平に頼られませ」


 そう言う事か、直接頼るのは余の力で支配できる弱小領主にして、大名に支配されるなと言う事だな。


「あい分かった、藤孝に任す故よきに計らえ」


 余が将軍になるのだ、兄の後継者は余だ、義維や周暠に将軍職を奪われてなるものか!






相国寺塔頭の鹿苑院:第3者視点


「近衛卿、私を興福寺一乗院に送ると言う事ですが、大丈夫なのですか?」


「細川や六角とは、覚慶を将軍にするこ事で話は付いたが、三好の動きが心配なのだ。もうこれ以上、将軍家と近衛の血を引く公子を失う訳にはいかん。何としても、近衛の血を広めねばならんのだ。成り上がりの鷹司や九条に、朝廷を意のままに操らせるわけにはいかん。まして鷹司家は近衛の分家ではないか、我が近衛から嗣養子を出すべきところを、三条の母系を盾に九条の娘を妻に迎えて乗っ取りおったわ!」


「近衛卿?」


「ああ済まぬな、公子には一旦一乗院門跡に成ってもらう、あそこならば三好も手出しできんから安全じゃ。覚慶に万が一の事があれば、其方が将軍家を継ぐのじゃ」


「承りました、伯父上。」






京の一条邸:一条房通視点

 

 さてどうすべきか?


 陶晴賢の提案は、一条家にとっては悪いものではない。


 大内の珠光姫を我が嫡子の兼冬の妻に迎え、一条と大友の血を引く、土佐一条家の一条兼定を一時的に大内の当主とする。


 行く行くは、土佐一条家を我が次子の一条内基に継がせる。


 将来は、兼冬と珠光の間にできた男子に大内を継がせる。


 だが果たして大内義隆や、息子の大内義尊や問田亀鶴丸が、このような無理な話を飲んで、大人しく隠居させられるのか?


 いや、何より家臣団は納得するのか?


 確かに以前は、一条と大内の血を継いだ、土佐一条出身の大内晴持が嗣養子となっていた。


 だがそれは、大内義隆に実子の義尊が産まれる前の事だ。


 それに大内の血を引いていると言う事で、大内義興の娘を正室にしている、豊後大友家の八郎晴英を、実子の義尊が産まれるまで猶子としていたはずだ。


 一条兼定が大内家を継ぐと聞いて、同じく大内の血を引き、豊後大友家20代当主となっている大友義鑑が、大人しくしているだろうか? 


 上手くやれば、大友と大内を合わせた当主に成れると思うのではないか?


 大内義興の娘を正室にしている者なら、他にも吉見正頼がいたはずだ。しかも広頼と広正と言う、男子もいたはずだ。


 吉見家と陶家は応仁の乱以来の仇敵で、陶晴賢の従弟である益田藤兼と、領地を巡って争っていると聞いている。


 陶晴賢が兼定を擁して反乱すれば、吉見正頼は必ず大内義隆の味方をして立つだろう。


 これでは成算が高いとは、とてもではないが言えぬな。


 まずは人質も兼ねて、珠光姫の輿入れを要求しよう。しかし大内家から一条摂関家に正妻を迎えるのは、家格の問題で少々無理がある。


 珠光姫を伏見宮貞敦親王の養女にできるのなら、一条家への輿入れなら認める事にしよう。


 その上で陶晴賢には、義隆・義尊・亀鶴丸の毒殺を匂わせるか?


 大切な一門を下向させるのは、全てが上手く運んだ後だ。


『一条家と大内・大友家の血縁』

父 :一条房冬 

正室:伏見宮邦高親王の娘:父・一条房基

             母・大友義鑑娘:一条兼定


側室・大内義興娘    :大内晴持(大内義隆の養嗣子だったが死亡)

            :真海






9月信濃諏訪城:義信視点


 俺がようやく諏訪に戻て来た時には、九条簾中が次男の次郎を産んでいた。


 これで一安心だ、茜ちゃんたちとの間にも、子供を作ることができる。


 娘が産まれる様に手間をかけなばならないが、子供は多い方が後々のためだ。


 俺の子なら養子を欲しがる公家や武家は多いだろう。


 さすがに帰還して直ぐに、遠征に加わった将兵に遠江侵攻を命じられない。


 だから出羽三山から連れてきた僧兵8000を青崩城砦群に送り、何時でも今川に反撃できる準備を整えた。


 信濃から遠江を望む街道を、厳冬期でも行き来できる様に、農閑期に銭を投じて街道整備の人夫を確保することにした。

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