第24話眼瞼下垂

躑躅ヶ崎館の諏訪御寮人私室:善信視点


「頼菊姉様、美味しいね」


「千代宮丸殿、本当に美味しいですね。二郎様も美味しそうですね?」


「うん、兄上が作ってくれる料理はみんな美味しいよ」


「そうですね、善信様が毎日届けてくださる料理はとても美味しく、日々感謝しております」


 頼菊殿が心から感謝している風情で頭を下げてくれる、ちょっと照れるが、素直に言葉を受け止めよう。


「今日のお菓子は特に好きなのです、このような食べ物は物語にすら書かれておりません」


「頼菊殿、物語にも出てこないの?」


「そうですよ二郎様」


「善信様、本当ですか?」


「本当だよ、千代宮丸」


「善信様、やはりご自分でお考えになられたのですか? 何とも言えないふわふわした食べ物、ほんのり甘くて、それだけでも美味しいのに、蜂蜜や果物を煮詰めた物や醍醐(バター)を付けるとさらに美味しくなります」


「はい、子供たちに美味しいものを食べて欲しくて考えました」


 俺はパンやクレープには全く興味がなかったから、その作り方を知らない。だがお好み焼きやたこ焼きは、自宅でよく作っていた。お好み焼きソースや鰹節がなく、その作り方もわからない以上、お好み焼きやたこ焼きを再現する気は全くなかった。だがホットケーキの代用品として、子供たちに作ってやる気になった。


 領民でも食べられるように、小麦粉と長芋と水を混ぜて生地を作り、陶板や川石を熱したものに流して焼き上げる。焼きあがったら、水飴・ジャム・蜂蜜・醍醐(バター)をかけて食べるのだ。


 小麦は安価に大量に手に入るようになったし、長芋は高価な商品作物だけど、売り物にならない傷物は必ず出てしまう。


 水飴なら各家庭で作れるし、蜂蜜も売り物にならない少量を、山で手に入れる子供も多い。少々蜂に刺されようが、甘い物を欲する食欲には逆らえない。だから山野の果物を集めて食べるのは、子供たちの楽しみなのだ。まあ俺の領地だからできることなんだが。


「まあ、善信様は本当にお優しい」


「武田は甲斐の守護、民の父のようなものです。我の力の及ぶ限り、死力を尽くして守ります」


「武田の民は幸せですね、諏訪の民はどう暮らしているのでしょう・・・・・」


 頼菊殿は故郷の民のことが気懸りなのだろうな、自分が幸せになれば、人のことを思いやる余裕もできると言うが?


 それならば安心なのだが。


「安心なされよ、福与城は諏訪の隣、板垣信方も無体な統治はできなくなったようです」


「真でございますか? でもどうしてなのです?」


「武田の規定より多い無体な年貢をかけて、村民そろって我が領内に逃げられたのです。御屋形様に文句も言えず、仕方なく規定の年貢に戻したようです」


「まぁまぁまぁ、板垣信方様は甘利虎泰様と並ぶ武田家の両職、善信様といえども大丈夫なのですか?」


 この時代の大名は家臣に気を使わねば、謀反や離反は当たり前だし、油断したり甘すぎたりしても破滅の道をたどる事になる。諏訪家も一門や家臣に裏切られての滅亡だから、俺の事も心配してくれるのだろう。まあ一番の裏切り者は、義弟の信玄だが。


「大丈夫ですよ、最初に御屋形様の規定を違反したのは信方です」


「それでも人は逆恨みするものです・・・・・」


 哀しそうだな、経験があるのだろう。


「そうですね、何か民以外の事で信方に報いてやりましょう。そうだ、信方が大好きな麦焼酎でも送ってやりましょう」


「そうなさってください。御屋形様と善信様のご好意だけが、私と千代宮丸の頼りなのです」


 千代宮丸のことが心配なのだな、自分の事は女故(おんなゆえ)に大事には至らないが、男は何時殺されてもおかしくないからな。


「二郎様どうしたの? 目が痛いの?」


「目が開かない! 兄上、二郎の目が開かなくなりました!」


 ついに来たか!


 最近少しずつ、瞼(まぶた)が下がって来ていたが、そろそろ処方せねばならない!


「大丈夫だ、兄に任せておけ! 二郎の病は分かっていたのだ、これをつけてやろう」


 俺は瞼(まぶた)を吊り上げるバネのついた、伊達眼鏡(だてめがね)を二郎つけてやった。クラッチグラスとも言うのだが、早くから研究開発させていたのだ。松脂(まつやに)などを使って、持ち上げた瞼(まぶた)を固めることも考えたのだが、瞳が乾いて本当に失明してしまっては大変だ。


 だから簡単に取り外せる、眼鏡の上フレームに柔らかいバネをつけた、瞼(まぶた)を押し上げる道具を開発していたのだ。同時にこれと同じ仕組みの眼鏡を、商品として市場に出す時期だな。もちろん普通の眼鏡も一緒に売り出すのだが。


 レンズ部分が水晶を研磨した物だから、それこそ目玉が飛び出るくらい高価になってしまうが、まずは京の公卿で目の悪い人に献上して、朝廷に眼鏡を広めよう。何れは三条家を継ぐ二郎の眼鏡姿が、朝廷で受け入れられる下地を作らなくてはならない!


「あ! 目が開きました! 兄上目が開きました!」


「他にもこのような物がある」


 俺は小さなクリップを懐から取り出し、眼鏡をいったん外して、下がった瞼(ひとみ)を適度に摘み上げてクリップで挟んでやる。


「どうだ? 痛くないか? 目は見えるか?」


「兄上大丈夫です! 痛くもないです! 目も開きます!」


「だが二郎、目を開け続けると目がつぶれてしまうのだ! 適度に目を瞑(つむ)らなければならん。最初の物は眼鏡というのだが、頻繁(ひんぱん)に外すのだぞ。」


「はい兄上! めがねですね、外します」


「2つ目は目玉クリップと言う」


「はい兄上、めだまくりっぷ、ですね」


「おね、見ておれ。そなたには、二郎の目に薬水を注ぐ役を命じる」


 俺は室内で静かに控えていた、二郎付の女中に話しかけた。


「はい、承ります」


 俺は小さく細い竹筒を懐から取り出した。


「これは竹を煮立て毒抜きしたものじゃが、この中にも煮立てて毒抜きした水を入れてある。この水で二郎の両眼を頻繁に洗うのじゃ」


「どれくらいの間で洗うのでございますか?」


「最低でも四半時(30分)に6度じゃ」


「それほど頻繁で薬水が足りますでしょうか?」


「ほんの数滴でもよいのじゃ、目が乾かなければよい。ただし薬水も竹筒も毎日煮立てて、毒抜きせねばならん」


「承りました」


「大変重要な役じゃ、それゆえ特権を与えよう。4人の女中を部下として、一門縁者から選んでよい。扶持は全て我が与える」


「有り難き幸せ、よき女中を探してまいります」


「ただし、二郎はいずれ朝廷に仕える三条家を継ぐ事になる。だから二郎付きの女中も、京に付いて行く事になる。だから日々の習練を怠るではない、我が直々に検分する」

 

「はい、日々の習練を怠りません」


「善信様、もしや二郎様の病に前々からお気付きだったのですか?」


 頼菊が心底驚いた顔で聞いてくる。

 

「医薬の知識も多少学んでいますよ」


「多少などではございません! 眼病を治す道具など、聞いたこともございません! 善信様の富裕は、漢方薬の開発と販売と噂(うわさ)されておりますが、どれほどの修練をなされたのですか?」


「先ほども申したが、武田は甲斐の民の父です。父が子の病を治す努力をするのは、当たり前の事です」


「本当に甲斐の民がうらやましい!」


「頼菊殿、頼菊殿や千代宮丸、それに二郎も同じ武田一門です。武田家に敵対することがない限り、我が必ず守ります」


「有り難い! 千代宮丸、決して善信様を裏切るのではありませんよ!」


「はい、姉上。善信様についていきます」


「私に万が一のことがあったら、千代宮丸殿が四郎に言い聞かせるのです」


「承りました」


「二郎も兄上についていきます」


「そうか、付いてきてくれるか。だがな、我が忠誠は御屋形様にある。まずは御屋形様に付いていくのだ! わかったな?」


「「「はい!」」」


 クワバラクワバラ、壁に耳あり障子に目ありだ。万が一こんな話が信玄の耳に入り、謀反の準備と取られては切腹街道だよ!






躑躅ヶ崎館の信玄私室:善信視点


「二郎が眼病と聞いたが真か?」


「残念ながら真でございます」


「以前から分かっていたのか! それゆえに二郎の三条家の養子話を進めたのか?」


「確信はござませんでしたが、疑ってはおりましたので、無駄に成ればよいと願いながら、道具を作らせておりました」


「どのような道具じゃ?」


「これでございます」


 俺は眼鏡を自分でかけて、その姿を見せる。


「そのような珍奇な姿では、とても公卿にはなれまい」


 信玄は心底落胆した様子で話したが、二郎の事を思っているのだろうな?


 そうだよ!


 三条家が欲しいだけなら三郎もいるんだ。


「それは善信にお任せください。公卿の中で目の悪い者を調べて、その方に眼鏡を献上します」


「朝廷内で、眼鏡を在り来たりのものにするのか?」


「左様でございます、さらに朝廷で広まれば商品になります」


「ほう、甲斐の産物になるのか?」


「この球の透明な部分は水晶でございます。水晶は甲斐の産物、非常に高値で商いできます」


「確かにな、眼病となり盲いてしまうより、どれほど高価でも道具を手に入れようとするな」


「もはや決断の時でございます、二郎には公卿になるための修練を始めさせましょう。今から三条家に相応しい付き人も選び、どこに出しても恥ずかしくないように、習練させねばなりません」


「母親の三条に任せればよい、必要なら京から人を呼び寄せよう」


「善信も、秋山虎繁に朝廷工作を命じます」


「儂もできる限りの手を打つ!」

 

「お願いいたします」

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