第12話甲斐犬

 稲刈りが終わり、裏作に麦を撒(ま)いた。俺の民(小人衆)に少しでも豊かな食生活を送らせたやりたいので、冬に向けて食料の確保を急いだのだ。農業溜池(のうぎょうためいけ)の維持管理と食用魚の確保のために、今年も天然湖沼を含めて掻(か)い掘りを行った。その時に発見した大きな二枚貝は、全部俺が真珠養殖のために徴発した。


 鰻(うなぎ)・大鯉(おおごい)・スッポン・モズクガニ・手長海老(てながえび)など、信玄の好物は全部、躑躅ヶ崎館内に俺が新たに設けさせた、泥抜き用の養殖池に放した。養殖池では、共食いなどを防ぐため、大小多数の区分けをしてある。


 小人たちには、鮒(ふな)・石亀(いしがめ)など、信玄が望まない魚を全て与えた。彼らは、大型魚は自分たちで新たに掘った水濠や井戸に放し、小型魚は大鍋で煮て軒先で寒干しした。俺の基準では決して美味いものではないが、冬季の貴重な蛋白源にはなる。だが一度に全員が淡水魚を水煮するため、独特の臭気が一帯に立ち込める!


 前世で、岡山出身の古老が話していた農村そのものの風景だ。


 それと果物やナッツ類も集めさせた。甲斐中の武士を動員した山狩りは、あの後もたびたび行われたが、武士たちが山を登って行った後を子供たちが続き、団栗(どんぐり)・山栗(やまぐり)・栃(とち)の実・菱(ひし)の実・山胡桃(やまぐるみ)など集められるだけ集めていく。渋柿は普通に干し柿にされ、一度に食べきれない葡萄も干し葡萄にされた、


 さて、今年新たに挑戦したい食材がある。高野豆腐こと氷豆腐だ!


 躑躅ヶ崎館の料理人に大量の豆腐を作らせ、寒干しして作る。前世でも、安売りの豆腐を冷凍した後、出汁と共に茹でてよく食べたものだ。出し汁に、一口大の高野豆腐と戻した干し椎茸(しいたけ)を入れて煮る。そして最後に卵を落としてとじる、俺の大好物だ!






躑躅ヶ崎館:信玄私室


「御屋形様、料理をお持ちしました」


 俺は何時も通り二郎と母上の部屋を回った後、最後にここに来る。家族が結束しなければ戦国の世は生き残れないし、まして俺は信玄に自害させられる歴史的事実がある。嫁可愛さに駿河侵攻を反対したりしないし、普段から信玄の歓心(かんしん)を買うよう努力しているし、きっと大丈夫だ!


 大丈夫だよな?


「塩鯖です、今日越後から届きました」


 荷役が越後から背負ってきてくれた、塩鯖を焼いたもの1切れを差し出した。他にはいつもの酒の肴(さかな)、漬物を炙(あぶ)ったもの、猪ベーコンを炙(あぶ)ったもの、青菜を煮て砕いた胡桃(くるみ)と豆腐で和(あ)えたもの。


「海の魚が喰えるか!」


「塩が強く効いております、塩味が強すぎましたら次回より塩抜きを長くさせましょう」


 信玄は一口食べた後で濁酒(どぶろく)をあおった。


「美味い! これでよい、次もこれくらいで出せ!」


「承りました」


 部屋の外で控えていた料理長が返事をした、これでこの料理は料理長に任せられる。


「御屋形様、明日から塩鯖を市で売り出します」


「日持ちがするのだな? だったら家族用と重臣どもへの贈答用は、売り物にせずに残して置け」


 荷は雪で完全に道が閉ざされるまでは入る、信玄用に多目(おおめ)に残した塩鯖も、古くなったら順に市で売ろう。


「承りました」


 塩漬けは気に入ったようだな、次は糠(ぬか)を加えて「へしこ」に進化させてみよう。






5日後:躑躅ヶ崎館の善信私室


「若殿! 捕(と)らまえましたぞ!」


 朝から騒々しい!


 この声は虎昌だな、こんな早朝に館に来るなら、高遠から夜駆けしてきか?


「何事だ?」


「若殿! 山犬を捕(と)らまえましたぞ!」


 ほう、あれほど何度も山狩りして、一度も捕(つか)まえる事ができなかった山犬を捕まえたのか、やはり虎昌は優秀だし運もあるのかな?


「そうか! さすが虎昌じゃ。誰一人捕らえられなかった山犬を捕(と)らえるとは、天晴(あっぱれ)じゃ!」


「お褒めに預かり、恐悦至極にございます」


 嬉しそうだなぁ~、喜色満面とはこのことだな。さて、この時代の山犬は狼の亜種なのか?


 それとも野犬の群れなのか?


 はたまた、狼と犬の雑種を狼・犬と区別していたのか?


 前世ではいろんな説があったよな。俺はいろいろ考えながら部屋を出た、庭には丈夫な竹と鉄で補強された籠(かご)に、妊娠した動物が入っていた。


 なんと見事な虎毛!


 昔読んだ犬漫画の甲斐犬そのものだな!


「何と見事な犬じゃ、よく捕(と)らえたものじゃ」


「は!」


 虎昌ニヤニヤするんじゃない、褒められて嬉しいのだろうが、武士なら表情を読まれるんじゃない!


 うん?


 左の後ろ脚がない!


 そうか、そうれで逃げ切れなかったか・・・・・哀れだな。傷が古いな、今回の傷ではないか、それがせめてもの慰(なぐさ)めだが・・・・・人に害する山犬だから情けは無用なのだが、やはり胸が痛むな。腹が大きい、妊娠してるのか?


「狗賓善狼を呼んで参れ!」


 近習の1人が急いで呼びに走った。


 半ば諦めていた犬が手に入った、それも憧れの甲斐犬だ!


 何としてでも手懐けたい、だが、日本犬は基本獰猛(きほんどうもう)だ、ちゃんと躾(しつ)けられるだろうか?


 前世では、家で飼っていた犬すら躾(しつ)けることができなかった。産まれた子犬の一匹は、死ぬまで一度も触ることができなかった。裏庭で野犬化してしまっていた。家族が裏庭に出たら、縁の下に隠れて絶対に何があっても出てこない。家族がいなくなれば、父犬や母犬と楽しそうに遊び暮らしていたな。


 だめだ! 


 また前世の思い出に浸ってしまった、気を引き締めなければ。


「若殿遅くなりました!」


「善狼かよくぞ参った、虎昌が山犬を捕(と)らえてくれた、妊娠した雌じゃ、どう扱うべきじゃ」


 善狼は鋭い眼(まなこ)で甲斐犬を観察している。10分ほど観察していただろうか。


「若殿、早晩(そうばん)子を産む頃合いですので、早急に小屋を作らねばなりません。それに、後脚をなくしているとはいえ、山犬は1間(1・8m)以上跳ぶことができます。ですから高い塀で囲わねばなりません。営気(えいき)を養い元気にさせねば満足な子は産めませのでん、直ちに餌をご用意ください。」


「猪と鹿の生肉を持って参れ! あれば肝の臓か腸がよい」


 俺の指示を聞いた近習の1人が、急いで台所に駆けて行った。


「若殿の犬になさいますか?」


「なぜ聞く?」


「山犬は、飼えば一代一主の犬でございます。この後新たな犬や狼が手に入っても、共に飼うことはできません」


 困ったな、できればウルフパックの様に群れで飼いたいのだが。


「山犬も狼も群れで襲うと聞いたが、人が群れで飼うのは無理なのか?」


「我らの一族は、一人一獣でございます。多頭の技はありません」


「左様か、ならば産まれた子の数によって主を決めねばならぬな」


「一頭目は某(それがし)が!」


 善狼は断言した。


「二頭目は某(それがし)にお任せ下さい!」


 近習の1人、相良友和が願い出たが、どうする?


 甲斐犬は憧れだが、狼も捨てがたい。一瞬で決めろ、迷えば家臣の忠誠が下がる。


「任す!」


「有り難き幸せ!」


「三頭目は某(それがし)に!」


 秋山虎繁が進み出る、近習衆の中では新参だが、俺が信玄に願い出てもらい受けたのだ、許さねば信を失いかねない。


「任せる、頼んだぞ!」


「有り難き幸せ!」


 4頭目以降、次々に近習衆が願い出てきた。適不適もあろうが、この甲斐犬の子を育てる過程を見て、改めて希望者を募る約束をして、ひとまず6頭目まで飼い主を決めた。

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