第10話食料確保

躑躅ヶ崎館:善信私室


「うぁっ!」


 へ?


 また夢かよ!


 何でいまさら、親父にジベ漬けをさせられてる夢を見るんだ?


 葡萄(ぶどう)の種を抜くためのジベラリン?


 ホルモン剤を使って、まだ小さな葡萄(ぶどう)の実を手で漬けるんだよな。


 葡萄の開花時期に限定されるから、短期間に漬けないといけない。葡萄棚(ぶどうだな)に生った小さな小さな葡萄の房を、ジベラリンを入れた容器に漬ける。1日中腕を上げっぱなしでつらかった!


 種(たね)を抜くために1回、粒(つぶ)を太らすために1回。乾燥や雨で効果が無効になるから、不安な時は3回漬ける人もいるけど、残留ホルモンが問題なんだよな!


 3回漬けるな!


 そうJAは指導していたし、少しでも漬け損ねると、葡萄の枝に近いほうだけ種が残ってしまう。


 デラウエアやマスカットベリーAを漬けさせられたけど、俺個人は大粒な巨峰、香りのよいカメことキャンベラ、家で親戚が作ってなかった本葡萄が好きだったな。地元の土壌では、巨峰は美味しい味になるけど、皮の色が薄くて売り物にならないと作らなくなった。本来は本葡萄が土壌にあい絶品のできなんだけど、晩生(おくて)のため蜜柑(みかん)の時期に重なり売れにくいし、台風で全滅した事もあって、廃(すた)れちまったんだよな。また喰いたいよな!


 でも最近見る夢は、俺の深層心理でこの時代に役立つ物が反映してるんだよな。葡萄か・・・・・葡萄・・・・・本葡萄・・・・・甲州葡萄か!


 よっしゃ~、葡萄ならワインが作れるから、濁酒(どぶろく)用の米を民に食べさせてやれる。水田にできないような急斜面でも、葡萄棚を作ることもできる。庭に植えて屋根の部分に蔦(つた)を伸ばせば、屋敷地全体を無駄なく生産地にできる。懐かしいな! 


 子供の頃は、家の屋根を覆うほどの葡萄棚だった。小学校に通う通学路も、葡萄畑から伸びた蔦(つた)に覆(おお)われていた。一度だけ蛇が降って来たのは恐怖だったが!


 躑躅ヶ崎館に籠っていては、思い違いや無知を正すことはできない!


 水腫の病を知ることができたのも、福与城攻めに館を出たお陰だ、これからは積極的に各地を回り、味噌蔵や酒造も見学しないとな、先ずは甲州葡萄を探し出すことだ。






躑躅ヶ崎館:厩


「与兵衛、また来たぞ」


「お待ちしておりました、今日はこれだけ搾(しぼ)れました」


 与兵衛は、自分で桶(おけ)に絞った乳を見せてくれた。乳量が分かる様に、甲州桝・せんじ桝・なからせんじ桝・小なからせんじ桝を用意してくれていた。甲州桝は俺の知っている一升桝(1・8リットル)よりはるかにデカイ!


 どうやら3升桝(5・4リットル)の事を甲州桝と言うようだ。せんじ桝は2・7リットル。なからせんじ桝は1・35リットル。こなからせんじ桝は0・625リットル程度だろう。戦国時代は地方によって桝の大きさが違うようだ。


「馬一頭当たりどれくらいの乳が搾(しぼ)れた?」


 俺は牝馬の搾乳量(さくにゅうりょう)を尋ねた。母上や信玄に蘇(そ)や醍醐(だいご)を食べさしてあげるため、厩(うまや)に授乳中の牛馬を5頭ずつ預けていたのだ。


「大体、小なからせんじ3分目です、若様の仰るように、日に何度も搾ってみましたが、全部でなからせんじ一杯でした」


 そうか、一日で1350cc程度か、仔馬の分も必要だから600cc程度、年中搾乳できないが、四頭の牝馬で大人一人くらいは栄養学的に養える計算だな。


「牛の方はどうだ?」


「牛も日に何度も搾りましたが、こっちはもっと少なかったです。牛ごとに差はありましたが、1日で少ない奴で小なからせんじ3分目、多い奴で小なからせんじ5分目です」


 駄目だ、俺の感覚の乳牛と違いすぎる。品種改良なんてしていたら、気の長くなるような年月がかかってしまう。俺自身が大好きな乳製品を楽しむのと、農作業使役の合間に、少しだけの栄養補給程度に搾乳できたら儲けものだな。


「ありがとう、今日も台所に運んでおいてくれ。」


「承りました」






躑躅ヶ崎館:味噌蔵


「味噌の検分をいたす、開けよ」


 俺は近習と料理人たちを率いて味噌蔵に来ていた。俺は味噌を自作したことがない。祖母が壺で白味噌を造っていたのを、わずかに覚えているだけだ。百聞は一見に如(しか)かずの方針で、実際に見てみることにした。


 デカイ!


 館で使用する分だけじゃなく、出陣や籠城も考慮してるのか?


 祖母が造ってた壺とは比較にならない巨大さだ。覗いてみたら、俺の記憶と違いえらく水分が多い?


 これって、絞ったら醤油が採れないかな?


「かわらけを持て!」


「は!」


 俺の突飛(とっぴ)な行動に慣れている料理人の弟子は、素焼きの皿を取りに台所に走った。


 味噌を皿で押し、わずかな液体を掬(すく)い台所に向かう。生醤油で味見したいのは山々だが、水腫の病を知った以上生食は厳禁だ。火で加熱した僅かな液体を舐めると、うん、醤油だ。量は少ないが、これで醤油は確保できた!






躑躅ヶ崎館:台所


 さて、今日は何を作るかだが、牛乳から蘇を作るより、全部を使えるホワイトソース擬(もど)きを作るか?


 小麦粉に牛乳を加えて、1時間程度放置する、時々混ぜて球に成らないようにする。バターを作ると乳清がもったいないから、バター作りは封印。牛乳をそのまま使うから、俺が前世で食べてたホワイトソースよりは乳脂肪分は低い。あくまでも、民の食生活を少しでも豊かにする試作料理!


 その間に、料理人たちを指揮して具材を準備させる。戦国時代に手に入る夏野菜は限られているようで、今ある冬瓜(とうがん)と茄子(なす)を一口大に切りそろえさせる。難民たちの常用食にするのだがら、粟餅(あわもち)と黍団子(きびだんご)を主食分として試してみる。美味しくするためには、淡白な鹿肉を加える試作分も作ろう。生肉を使うのは当然だが、山桜で燻製した鹿肉の入ったものも試作してみる。


 信玄の耳に試作料理の話が入れば、持って行かなかったら嫌みを言われるかもしれない。だが信玄に試食してもらうとなれば、かなり吟味しなければならないな。岩魚の燻製や、各種味噌漬け肉など加えた試作シチューを作ってみる。塩味の利いた各種燻製と、味噌味の利いた肉は、食べる直前に炙ってシチューに加えてみる。






躑躅ヶ崎館:最外縁難民小屋


「みんな~差し入れだよ~」


 俺は近習衆に大鍋を持たせて難民小屋を訪問した。


「若様~、何持って来てくれたの!?」


「牛の乳と小麦粉を煮たものだよ、甘くておいしよ!」


「「「「「わぁ~い、早く頂戴!」」」」」

 

 子供たちは、木の椀(わん)を持って集まって来た。近習たちは俺に感化されて、身分に関係なく子供たちにシチューを振る舞ってくれた。


「「「「「美味しい~」」」」」


 うん、大丈夫だな。具は粟餅と黍団子がほとんどで、風味付けに鹿の味噌漬けを炙って削った物を少量だけ加えている。


 確か沖縄では山羊が飼育されていたよな?

 沖縄まで素破を派遣できるかな?

 南蛮貿易で乳牛や乳山羊を手に入れられるか?

 もう一度民のために考えてみよう!


 俺は信玄に、秋山虎繁を近習の1人に欲しいと願い出た。かなり駆け引きが必要かと思ったが、意外とあっさり認めてくれた。飯縄坊の息子も近習として仕えることになったが、流石に「飯綱使い」の子供と言う訳にはいけないので、飯富虎昌の猶子(ゆうし)とした。名前は狼使いにする以上、あの名前を授(さず)けたかったが、我慢して狗賓善狼とした。まあこの方が、山岳信仰を大切にしている彼らには喜ばれるだろう。もちろん善の字は諱を与えたのだ。






躑躅ヶ崎館:難民小屋改め小人小屋


「どうだ、分からないことはあるか?」


「へい、あの~その~何が何だか」


「まあ良い、儂の言うようにこの箱を管理すればよい、分からぬ事や異常があれば館に聞きに来い」


「そんな、お館に行くのは恐ろしいです」


「門番にはよく言い聞かせて置く、大丈夫だ」


「でもやっぱり恐ろしいです」


「分かった、なら儂か使いの者が毎日必ず確認に来よう」


「分かりました、若様」


 俺は養蜂の技術を難民に指導した。テレビで男性アイドルが農業をする番組を観ただけの知識だが、巣箱を使い女王蜂の世代交代と健康管理、巣箱の量産を試行錯誤させる心算だ。今回に関しては指導だけにして、俺は絶対携わらない!


 万が一、蜜蜂を餌にしている雀蜂(すずめばち)に刺されて、アナフィラキシーで死ぬような事があったら洒落(しゃれ)にならない。いや、正直になろう。俺は蜜蜂でも恐ろしいのだ、あれは前世で幼稚園児だった頃だ、幼稚園児の集団登園では、農道を1時間も掛かった登園だったな。


 寝惚け眼でタイツを履いた直後、感電したような激痛に襲われたのだ。自然豊かな地元では、洗濯物に虫が混じるのは当たり前だったが、蜂がタイツの中に入り込んでいたのは不幸だった。あの幼児体験は忘れられない、だから蜂は大嫌いだ!


 そう言うトラウマがあるので、養蜂は食料として当たり前の様に蜂を取っていた、河原者や山窩に託した。伊那方面の福与城・荒神山城・竜ケ崎城・高遠城へは、狼狩りが終わってから指導に行く心算だ。







甲斐武田家領内の農家


「百姓、この葡萄の木を増やしたい、やれるか?」


「へい、種をお分けすればよろしいのでしょうか?」


「それも欲しいが、春に枝を切らせてもらう」


「枝でございますか? 木全部を堀起こして、持って行ってしまわれる訳ではないのですよね!」


「うむ、枝だけじゃ! 安心せよ」


 俺は甲州葡萄の木を持つ家を全て訪ねてた。そして来春に種と枝を徴発すると宣言した。上手くやれるかどうかは分からないが、挿し木と接ぎ木を試してみる。知識はあるが、実際にやったことはない。だが何としても、甲斐の山々を果樹園に変えていく。すでに養蚕に必要な桑の木の植樹は大量に行ったし、桃・梨・柿・林檎(りんご)・栗(くり)・石榴(ざくろ)・銀杏(ぎんなん)・胡桃(くるみ)なども植樹した。だが林檎は俺の知る大きなものではなく、サクランボと同じ大きさの小さいものだった。






躑躅ヶ崎館:小人小屋


「若様~、ご馳走だよ~、一緒に食べよ~」


「おお~分かったよ~」


 桔梗ちゃんが、嬉しそうに両手に何かを持ってかけてくる。危なっかしいな、こけるなよ。


「おんじぃたちがとって来てくれたの~」


「そうか~、よかったね~」


 無邪気なものだな、心が洗われる。しかし、お爺さんが捕って来たご馳走てなんだ?


 木の枝に刺してるようだが?


 え・・・・・まさか・・・・・まさか!


 う、う、う、う嘘だろ?


 来るな、止めてくれ、助けてくれ、だれか!


「若様! 見て見て見て、美味しそうな蛙(かえる)だよ!」


 駄目だ、冷汗が出てきた、勘弁して!


 爬虫類と両生類は生理的に駄目なんだ!


 記憶深くに沈めたはずの、おぞましい過去が沸き上がって来た。小学生の頃、俺の一番楽しみはザリガニ捕りだった。自宅の前は、砂利道を挟んで葡萄畑だった。毎日学校から帰ったら、ランドセルを投げ捨てて葡萄畑に直行した。畑の周囲は全て水路で、その水路ではたくさんのザリガニが住んでいた。手を挟まれ出血するのも厭(いと)わず、手掴みでバケツ一杯集めたものだ。


 親父の時代の様に、茹でて食べたりはしなかったが・・・・・。あの日は、大きなザリガニを掴み損ねてしまい、そのせいで泥が舞い水が濁ってしまった。だがぼんやりと水底の泥が盛り上がり、その膨らみでザリガニが泥の中に逃げ潜んだのが分かった。素早く手を入れ、挟まれるのも厭(いと)わず握りしめると「ぶにゅ」と、絶対ザリガニではあり得ない手応え。恐る恐る泥から手を出すと・・・・・蟇蛙(いぼがえる)が手の中にいたのだ! 


 あの気持ち悪い手の感触!


 心臓が口から飛び出すかのような恐怖感!


 い・い・い・い・嫌だ~!


「はい、若様の分!」


 あ~、何の疑問も悪気もない満面の笑み・・・・・

 大切な大切な食料を分けてくれる優しさ・・・・・

 逃げる訳にはいけない!

 拒むこともできない!

 だが神様、せめて足だけを焼いてくれていたら、これほど恐怖しなかっただろう。

 あああああ、思い出した。

 中学校の頃、同級生の1人が弁当箱に蛙の姿揚げを入れていたな。

 あれも恐怖だった!

 桔梗ちゃんの両手に握られているのも、尻から口に枝を突き刺し姿のまま焼き上げられている!


「桔梗ちゃん、もう少し焼こうね。ちゃんと焼かないと病に成るからね」


「え~これくらいが美味しいのに!」


「でもね、ちゃんと焼かないと、御腹が膨らむ病に成るんだよ! 大好きな桔梗ちゃんが病気に成ってしまうと、儂はとても悲しいよ」


「分かった、じゃあもう少し焼きに行こう!」


 俺と桔梗ちゃんは手を繋(つな)いで小屋の方に向かった。せっかくの「お手つないで」だが、全く感覚がない。蛙を食べなければならない恐怖感で、手の感覚がなくなっているのだろう。永遠に小屋に辿(たど)り着かなければいいのにと思うが、だがそんなことは不可能だ。小屋の外では大勢の人が焚火(たきび)を囲んでいた、皆が手に蛙や鮒(ふな)を枝に刺したものを持って、火でそれを炙(あぶ)っていた。


「若様が来たよ~」


 桔梗ちゃんが嬉しそうに皆に声を掛けた、もはや逃げようがない。


「しっかり焼かないと、お腹が出る病に成るんだって、若様もっと焼きたいって!」


 皆がさっと火の周りを開けてくれた、もう観念するしかない。せめて粘膜だけでもしっかり焼いて食べよう!


 神様!


「若殿!御屋形様がお呼びです! ささ、急いでください」


 飛影!?


 ありがとう、この働きは一生忘れん!


「桔梗ちゃん、僕の分も食べて!」


 俺は蛙の串刺しを桔梗ちゃんに渡し、脱兎のごとく逃げ帰った。

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