第9話山狩り

躑躅ヶ崎館:善信私室


 飛影が来るまで戦略でも練るか。まず一番重きを置くのは民を喰わせていくこと、餓死はあり得ない。祖母から叩き込まれた、「お天道様に恥じない生き方をしろ」は守らないといけない。後は「高価なものを食べるのは贅沢(ぜいたく)じゃない、食べ残すことが贅沢(ぜいたく)なんだ」だな、子供の頃は皿に残った醤油やマヨネーズ舐(な)めさせられたな。あ~マヨネーズ食べたい!


 醤油は我慢できるけど、マヨネーズないのはつらいよ。


 思考が逸(そ)れてしまった、いかんいかん、真面目(まじめ)に考えなきゃ。次に考えておくべきはバタフライ効果だよな。俺が何かすればするほど、周辺に影響が出てしまう。下手に武田が強くなりすぎると、武田、今川、北条で組む、三国同盟が締結できなくなってしまう。


 そうなれば、一気に歴史が変わってしまい、俺の歴史を知っているという有利がなくなってしまう。歴史を変革するなら乾坤一擲(けんこんいってき)、最重要点で一気に変えなきゃな。そこを何時にするか、これが難問だ。だが、一気に変革できる地力は蓄えて置かないといけない!


 天竜川流域は俺に一任されたが、川筋を下れば遠江と三河に出てしまう。遠江に出て今川と争えば、この時点で歴史が大きく変わってしまうから駄目だ。三河に出れば松平と争うことになる、直接今川や織田と戦端を開くわけではないが、両者に警戒はされてしまう。いや、争いに成るのは時間の問題だな、ならば平野部まで攻め下るのは禁じ手だ。太平洋側の海を手に入れるのは、乾坤一擲の勝負を掛けた後だ。


 甲斐と信濃の攻略だが、これも下手に手を出せば大きく歴史が変わってしまい、俺が歴史を知っている有利がなくなってしまう。内政で地力を高めるが、信玄の家臣団には手を付けない、しばらくは我慢だな。


 問題があるとすれば、本来伊那方面の責任者に成るはずだった秋山虎繁の処遇だ。秋山虎繁が他の場所で活躍すると問題だ、俺の家臣にもらうか?


 次は俺の良心の問題だ、諏訪頼重の嫡男、千代宮丸をどう処遇するかを信玄に献策するかどうか。諏訪御寮人と共に暮らさせて、愛情を注ぎ武田の一翼に成るよう育てたいのだが、この献策が信玄にどう取られるか?


「若殿、入ってよろしいですか?」


「飛影か、丁度よかった、尋ねたい事があったのだ、入ってくれ」


「は、失礼します」


 飛影は部屋に入って居住(いず)まいを正して答える。


「お尋ねの儀、伺(うかが)わせていただきます」


「山に住む民の中に、小動物を使役する「飯綱使い」はいるか?」


「はい、居りますが何か?」


「彼らは俺に力を貸してくれるだろうか?」


「すでに荷役として働いております」


「なに! そうか、すでに働いてくれておるか! ならば彼らに犬や狼を使役できるか確認してくれ。いや、今使役していなくても、時間を掛ければ使役できるようになるか尋ねてくれ」


「承りました、のちほど使いの者を出しましょう」


「そうだ! 伝書鳩もいた!」


「は? でんしょばと? 何のことでございますか?」


「ああ、伝書鳩とは、鳩が巣に帰る習性を利用して、遠くから手紙を届ける訓練をさせた、特殊な鳩の事だ」


「それも「飯綱使い」にやらせるのですか?」


「誰でもよいのだが、彼らが一番慣れておるのではないか?」


「多くの難民の子供たちが居ります、子供らにも役目を与えてやってください」


「そうだな、犬や狼だと食い殺される恐れがあるが、鳩ならば子供でも扱えるか、任せる」


「は、承りました」


「算盤を教えに行く、付いて参れ」


「は!」


 俺は子供達と算盤を勉強するために小屋に向かっていたが、途中子供たちの集団に出会った。


「茜ちゃん、楓ちゃん、桔梗ちゃん、皆もどこに行くの? 今から算盤の勉強だよ」


「泥鰌(どじょう)を掬(すく)いに行くの!」


「駄目じゃないか! 病に成るから川や田に入っちゃだめだと言ったろ!」


「でも、お爺ちゃんたちは入ってるよ! お爺ちゃんたちは病に成ってもいいの?」


 胸が痛む、やむを得ず老人は目をつむって田仕事させてる。皆を餓えさせないため、多くの民を助けるため、老人を使い潰す覚悟を決めた。その反面、子供たちが虫に刺されないように、田や川への立ち入りを禁止した。すでに虫に刺され、感染している子もいるかもしれない、でもこれ以上の犠牲者は出したくない。


「お爺ちゃんたちは、大人だからね。子供は他の仕事ができるからね」


「でも、でも、お魚も食べたいの」


 その気持ちはわかるけど、皆には健康でいて欲しい。


「肉や虫じゃダメなの?」


「若様のお陰で、ちゃんと食べられるようになったけど、皆またお魚が食べたくなったの。若様が作ってくれた泥鰌汁(どうじょうじる)が食べたいの」


 気持ちはわかる、あれは美味い。泥鰌自体は癖があり、食感が苦手な人も入るだろうけど、汁が絶品だ。


「わかさま~、儂らが採るから子供らとかえってくだせ~」


 田の中から老人が大声で話しかけてきた。


「老人、泥鰌を捕ってくれるのか?」


「おまかせくだせ~、泥鰌(どじょう)も田螺(たにし)も鮒(ふな)も、なんでも捕って帰りますんで、安心して下せ~」


 御免、御免なさい!


 俺の力不足のせいで、もっと勉強していたら、治療できたかもしれないかったのに。


「若様~気にしないで下せ~、若様に助けてもらえなきゃとっくに死んでたんでさ~、今は美味しい物を食べて生きていられます~。それに儂らも泥鰌汁が食べたいんでさ~」


「わかった~、館の泥抜きした泥鰌を持ってくるから、新しく掬った泥鰌を館に持っていき捕(おぎな)っておいてくれ~、晩飯は泥鰌汁に蕎麦切りを入れた物を作って置くぞ~」


「「「「「お~楽しみにしております~」」」」」






躑躅ヶ崎館近くの難民小屋


 俺の近習が、慣れない手つきで蕎麦粉を練る。中には棒で延ばしている者もいれば、刀で細く切っている者もいる。俺の側近くで仕えるうちに、色んな料理を食べ、その美味しさに魅かれてしまった者たちだ。今日は特に大好きな、蕎麦切りと泥鰌汁を作るから、食べたいなら手伝うしかない。近習の1人は、皆と相談して密かに酒を取りに行っている。非番の近習にも声を掛けておかねば、彼らに恨まれてしまうのだろう。


 さて、近習衆が料理してくれてる間に、新しい料理を試作するか!


「相賀光重、鰻の目を小柄(こつか)で俎板(まないた)に突き刺して動けなくしてくれ」


 俺は料理頭に命じた。


 信玄は俺の料理がお気に入りで、再現できなければ厳罰に処せられることをよく知っている相賀は、プライドを捨てて指示通りにしてくれる。部下や弟子たちも、眼を皿のようにして見学している。


「鰻の背中から包丁を入れて開いてくれ」


「はい」


「よし、上手くできたね。後は味噌に漬けて一晩待つ、他の者も同じようにさばいてくれ」


「「「「「はい!」」」」」


 醤油も味醂も砂糖もないから、鰻の蒲焼きは夢のまた夢だけど、白焼きじゃ物足らない。それに白焼きは美味しいけど、味が繊細で信玄が満足しないかもしれない。そこでだ、西京漬けの様に味噌漬けにしてみた。塩分濃度の違う、米・麦・豆味噌を12種揃えて、どれが一番美味しいか試してみる。試食して美味しければ、信玄に献上する。今後のためにも、弟妹を量産してくれよ!






 この馬鹿者どもが!


 いい気に成って酒など持ち込みおって!


 俺は前世で下戸(げこ)だったんだよ。酔った友達と寝てて、布団にゲロ吐かれて以来、酔っぱらいは天敵なんだよ!


 大切な米を酔うために無駄に使いやがって、濁酒(どぶろく)なんぞに使うくらいなら、難民に銀シャリ喰わせてやりたいんだよ。


 第一この時代の技術では、度々腐れを出して、米を無駄にしたと漫画で描いてたぞ!


 事実かな?


 事実だよな?


 フン、絶対に清酒は造ってやらないからな!


 どうしても飲みたいなら、蕎麦焼酎を飲め、焼酎をよ!


 うん?


 焼酎?


 焼酎~!


 この時代に焼酎の製造法は完成してるのか?


 清酒はまだだし、味醂(みりん)は夢のまた夢。薩摩芋もじゃが芋も南蛮から伝わったばかり、あるとしても麦か蕎麦だよな?


「飛影!」


「は!」


「南蛮から九州に、麦や蕎麦で酒を造る技術が伝わってきているかもしれない、探ってくれ!」


「承りました」


「若様、ありがとう。泥鰌汁美味しい!」


「うん、美味しいね茜ちゃん。明日も何か美味しいもの考えるね」


「ほんと? 嬉しい!」


 さて、躑躅ヶ崎館にこの泥鰌汁を持って帰るか。母上も最初は毛嫌いしてたけど、泥鰌を取り除いて汁だけ出したら美味そうに食べたし。信玄は最初から泥鰌も平気で食べてたな。






2日後:躑躅ヶ崎館の善信私室


「若殿、「飯綱使い」の飯縄坊(いいなわぼう)でございます」


 飛影が如何にも山伏と言う格好をした男を紹介した。


「飯縄坊と申します、この度ご下問を受け参上いたしました」


「よく来てくれた、それで率直に聞くが犬や狼を手懐(てなず)けることはできるか?」


「できますが、それは食べるために肥育することでございますか?」

 

「へ? 食べるの!」


「はい、河原者はもちろん、甲斐の武士の皆様も、犬追い物の後で食(しょく)されておられますが?」


 お~の~、忘れてた!


 この時代の武士は犬喰ってたんだ!


 極貧の甲斐で犬喰わない訳がね~、道理で城下で1匹の犬も見なかったわけだ、すでに犬は喰い尽していたか?


「食用犬とは別だ、猟の助けや合戦に役立てるために、教育訓練させたいのだ」


「可能ですが時がかかります、3年は頂きたい」


「分かった、3年待とう」


「有り難き幸せでございます、しかしながら一つ問題があります」


「なんだ、何でも言うがよい」


「山犬や狼のせいで、関所破りの密交易に支障が出ております」


 うん?


 何のことだ?


 あ!


 ウルフパックによる荷役への襲撃か!


 関所破りを取り締まる武士が、入り込めないような奥地を行く荷役だ。荷役自体を獲物として襲ったり、荷の中の食料を奪うため群れで襲撃するのか!


「山犬や狼が、荷役を襲うのか?」


「左様でございます。今は手練れの者と若者を組ませ、集団で運ばせておりますが、それでも山犬と狼の群れに襲撃を受ける事があります。せめて武田の御領地内だけでも、山犬と狼を殲滅(せんめつ)していただけないでしょうか?」


 仕方ないな、狼を飼うロマンより密交易路の安全確保だ。


「分かった、俺の動かせる全兵力を投じて山狩りを行う」


「その際お願いがあるのですが、妊娠している雌や子供は生け捕りにしてお渡しください。大人は手懐けるのは難しいので、子供から手懐け訓練いたします」


「分かった、今日にでも御屋形様に兵の動員許可をいただく。それと、肥育で疑問に思っていたのだが、食料難の甲斐でどうやって餌を確保する心算なのだ?」


「人が食べられぬ物を与えます。魚の頭や骨を叩き団子にしたもの、獣の骨や臓物、沢蟹や貝を叩き潰したもの、そんなものを与えます」


 なるほどな、しかし魚の頭はじっくり煮て、骨質以外は難民の食料にしてるが、少しは食料事情が好転しているから、食べて不味い部位は餌にするか。


「俺自身も狼を飼いならしてみたい、指導してくれる者を身近に置きたいのだが」


「では息子をお側仕えさせていただきます」


「頼み置くぞ」






躑躅ヶ崎館:信玄私室


「山犬と狼を狩るための兵の動員許可か・・・・・犬は長らく食べておらんな」


「上手く狩れたらお持ちいたしましょうか?」


「お前の料理を食べて口が奢(おご)ったかもしれん、美味しく食べられるかはわからんが、また食べてみたい」


「承りました」


「だが何故じゃ? 今まで通り鹿、猪、熊などを狩ればいいものを」


「御屋形様は、善信が密かに国衆や他国の関所を破って、交易していることはご存知ですね?」


「ああ、儂の素破から報告は受けておる」


「山犬や狼の襲撃で、交易が妨害される恐れが出てきたようです。恐らく善信が鹿や猪を刈り過ぎたせいで、餌が減少しておるのでしょう。交易の安全確保のため、里に下りてきて人を襲わせないようにするため、山犬と狼を殲滅(せんめつ)する必要が出てまいりました」


本当は飯縄坊が教えてくれるまで、全然気づかなかったんだけどね。


「国衆を動員しないのは、国衆の関所を破っているのが露見(ろけん)しないようにか?」


「左様でございます。」


「それでは不十分だろう、日にちを決めて、甲斐中の武士を動員して山狩りをいたせ。秘密を守りたいのなら、その日は荷役を休ませればよかろう。さすれば逃げた群れは他国に行く、他国で里に下り人を襲えば一石二鳥じゃ!」


 ひでぇ~、鬼畜だよ信玄!


 山犬と狼の群れを敵国の里に誘導させる気か?


「ふむ、それがよい善信、群れを殺すでない、他国に誘導いたせ」


「承りました」


「それで今日は何を喰わせてくれる! 昨日の鰻の味噌漬けは美味かった、今日は何を食わせてくれる」


 これこれ、食い意地張りすぎ!


 2度も今日は何を喰わせると言うんじゃない。


「猪と鹿の味噌漬けはよい頃合いですが?」


「味噌味(みそあじ)以外はあるか?」


 難しいことを言う、俺は家庭料理に毛が生えた程度しか作れないんだよ!


「沢に派遣した者次第ですが、岩魚(いわな)か鰍(かじか)が手に入ったら、唐揚げにいたしましょうか?」


「小麦を粉にしたものを振って、油で揚げたものか!」


「手に入らなければ、鯉(こい)か鮎(あゆ)を揚げましょう」


「鮎といえば、最近うるかを食べておらんが、鮎を使うのであれば料理人に作らすか?」


「お止めください! 生は危険です、人に湧く虫の中には、塩では殺せない物もおります。御屋形様に万が一の事があれば、甲斐は滅んでしまいます。どうか火を通した物以外お食べになりませんように!」


「それでか! 最近漬物すら炙っておるのは!」


「どうか御身大切に!」


「分かった、生ものは食さん!」

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