第4話1559年・1560年・桶狭間の戦い?

 一五五七年・『駿河・今川館・おとわ私室』


「佐名大叔母様、この度は瀬名姫と松平次郎三郎元康様との婚姻、おめでとうございます」

「おとわ殿、瀬名だけではなく、元康様にも祝いの品々を送ってくれてありがとう。これで井伊家と松平家の縁が出来ましたね」

「はい大叔母様。井伊家と松平家の絆が深くなり、関口家と新野家も同調してくれれば、本願成就も不可能では有りません」

「その為には、瀬名にしっかり元康様の心を掴んで貰わねばならぬが、その点は幼き頃より躾ているから大丈夫です」

「はい。瀬名姫の常日頃の行いは、私も拝見しております。姫ならば、必ず元康様の御心を鷲掴みに致しましょう」

「問題は元康様の才気ですが、太原雪斎(たいげんせっさい)様が折々に指導されておられるから、大丈夫でしょう」

「雪斎様の御加減は大丈夫なのでしょうか」

「体調が優れぬようです。」

「四郎や五郎、六郎も雪斎様に師事させたいと思っていたのですが」

「それは難しいと思います。ただ雪斎様は御屋形様の為に、『御屋形対諸宗礼之事』と言う書を書いておられるとか。それを手に入れる事が出来れば、御子達の為になりましょう」

「御屋形様に残される秘書でしたら、御屋形様と氏真様しか見られないかもしれませんね」

「だからこそ手に入れなければなりません」

「白拍子達を動かします」

「そうして下さい」

 七年の歳月を掛けて育て上げた白拍子達は、美しく嫋やかな踊り子に育った。

 その魅力を存分に使い、今川家の男達の中に入り込んだ。

 我が娘のように育て上げた娘達は、孤児や浮民から救い出した私に忠誠を誓い、身体を張って務めを果たしてくれている。

 最初は容姿に優れた娘を、白拍子として育てたので、詩や和歌、踊りを中心に仕込んだ。

 だが資金に余裕が出てからは、容姿の劣る女の子も養育する事にした。

 彼女達にも生きる技を教えるために、祈祷・託宣・口寄せ(霊媒)・巫女舞いなど、徐々に技も増えていった。

 今では歩き巫女として各地を巡る者も出て来始めた。


 『駿河・今川館・おとわ私室』


「この団子と文を、元康様に届けておくれ。家臣の者達の分も有ります。家臣達にも上手く伝えておくれ」

「承りました」

 瀬名殿と元康が夫婦になってから、毎日文と菓子などを届けさせている。

 大叔母様と相談したが、幼い頃に母親と無理矢理離れ離れにさせられた元信は、母性を前面に押し出して接する事で篭絡する事にした。

 ありふれた物だが、母が子を思って日々作るような菓子と惣菜を、毎日届ける事が大切だ。

 どうせ育てている幼い女の子達の為に、姉格の娘達と一緒に作る料理のついでだ。

 何の手間もない。

「おとわ様、只今戻りました。元信様から文を預かっております」

「そうありがとう」

 元康は必ず御礼の文を返してくれる。

 この毎日の積み重ねが、元信を味方に取り込む大切な策だ。

 動く時に、精強な井伊兵に松平兵が加われば、義元と氏真を殺して四郎が今川を継ぐ事も可能となる。

 後は白拍子が篭絡した今川家の男共が加われば、この作戦は完璧だ。


一五五八年・『駿河・今川館・おとわ私室』


「これを松平元康様に御届してくれ」

「承りました」

 元康がいよいよ初陣に出陣する。

 義元に叛いた、三河国加茂郡寺部城主・鈴木重辰を討伐に行くのだ。

 信康にこのような場所で討ち死になどされては困る。

 白拍子や歩き巫女達が集めた情報を、さりげなく教えてやるしかない。

「この御祝いの品を松平元康様に御届してくれ」

「承りました」

 元康は岡崎衆を率いて出陣し、寺部城を攻略した。

 更に救援に駆けつけた織田勢の水野信元を敗走させ、転じて附近の広瀬・挙母・梅坪・伊保を攻めた。この戦功により、義元から旧領のうち山中三百貫文の地を返してもらったようだ。

「おとわ殿、大変な事になりましたね」

「御屋形様は、いよいよ尾張に攻め入る御心算のようですね」

「おとわ殿もそう思いますか」

「尾張を攻める軍勢を、御屋形様自ら指揮する御心算かと思われます。その為に駿河と遠江の政(まつりごと)と守りを氏真様に任せられ、御自身は御隠居なされたのでしょう」

「四郎殿達には危険です。氏真様は猜疑心の強い御気性です。御屋形様に何かあれば、躊躇うことなく刺客を送り込むでしょう」

「織田信長との戦で、御屋形様に万が一の事が有ってはなりませんね」

「白拍子と歩き巫女を使って、出来るだけ多くの情報を集めて下さい。出来る事なら、御屋形様には御自重して頂かないといけません」

「太原雪斎様がお亡くなりになられたのが全てですね。今まででしたら御屋形様が駿河に残られ、雪斎様が軍を率いておられました。今ではそうはいかなくなりました」

「そうですね。私達としては、氏真様が軍を率いて下さるのが最善なのですが」

 大叔母様の言いたいことは私も同じだ。

 氏真が戦場で死んでくれれば、四郎が今川家の跡を継げる確率が高くなる。

 だが氏真が軍の指揮を取るように仕向けるのは、余りに露骨すぎる。

 最善よりは次善の策を採るしかない。

「井伊家や松平家が、今川勢の全軍を指揮する事など許されないです。関口様や新野様でも、それは難しいと思われます」

「そうですね。家中の勢力争いがありますから、それは難しいですね。ここは御屋形様を護る事に全力を尽くしましょう」

「はい、大叔母様」

 私は白拍子と歩き巫女を総動員して織田信長の情報を集めたが、その行動力と政治力に驚かされた。各地の大名が導入した策を、何のためらいもなく自らも取り入れている。

 義元の知多半島攻略にも着実に対抗策を採り、幾つかの城は奪われたままだが、水野信元などは信長への従属が強くなっている。

 義元は水野信元を決して許さないだろう。

 氏真と同じく、義元も猜疑心が強い。

 自分を裏切って織田家に付き、松平元康の母を離縁させ、久松俊勝に再嫁させた水野信元を決して許さないだろう。

 私としては、元康の縁で味方に引き込みたいが、信頼など絶対できない男だろう。

 味方に引き込むとしたら、元康の母・たいの方だろう。

 私と同じで、男の所為で人生を翻弄されている。

 女の繋がりを使って、共にこの戦国の世を勝ち抜いていかねばならない。

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