第71話徳川家の衰退

 好機到来と判断した羽柴軍は、四方面から軍を進めた。

 尾張方面の軍勢はそのまま兵を進めたが、抵抗する国衆地侍はいなかった。

 信濃と三河の国境線にいた羽柴秀長は、一万三千兵を率いて三河に侵攻した。

 当然事前に十分な調略を行っていたので、全く抵抗されることなく軍を進めた。

 信濃と遠江の国境線にいた池田恒興も、十分な調略を行っていたので、抵抗されることなく八千兵を率いて遠江に侵攻した。

 伊那郡領主に返り咲いた毛利秀頼は、領内を慰撫する為に三千兵を率いて残ることになった。

 甲斐と駿河の国境線にいた木下与一郎も、当然十分な調略を行った上で、一万四千兵を率いて駿河に侵攻した。

 だが与一郎には、他の三方面軍と違って、他にも重要な役割があった。

 後北条軍に備えなければいけなかったのだ。

 だから調略主体で、三河方面には侵攻せず、後北条家との国境に布陣した。

「殿、どうなされるのですか」

「うぬぬぬ」

「討って出るにしても、降伏するにしても、早く決断されねば、何もかも手遅れになりますぞ」

「うぬぬぬ」

 苛立ち決断出来ない家康は、血が滲むほど爪を噛んでいた。

 幾つかの城は、家康に忠誠を尽くして籠城したが、羽柴軍はそういう城には抑えの兵を置き、家康の居城・遠江浜松城を目指していた。

 多くの城が抵抗出来なかったのは、尾張に攻勢防御をしかけるために、国衆地侍に動員令を出していたことも原因だった。

 家康に忠実な国衆地侍ほど、無理に無理を重ねて将兵を集め、浜松城・岡崎城・吉田城に集結していたのだ。

 ここで家康の心を折る大事件が起こった。

 家康の片腕とも言える、石川数正が羽柴軍に降伏臣従したのだ。

 徳川家の元の居城・岡崎城の城代を務め、西三河の旗頭として、三河西部の諸松平家・国衆を統御する役割を与えられるほど、家康の信頼厚い重臣中の重臣だった。

 いや、石川数正は、家柄だけで取り立てられた、単なる譜代家臣ではないのだ。

 家康が今川義元の人質として駿河にいた時代から、近侍として側近くにいてくれたのだ。

 桶狭間の戦いの後は、今川氏真と交渉して、人質にされていた家康の正室・築山殿と嫡男・信康を取り返してくれたのだ。

 三河一向一揆が起こった時には、父親の康正が一揆方に味方したにもかかわらず、改宗して家康に味方し、父親と戦ってくれたのだ。

 そんな家臣が寝返らざる負えないほど、自分が失政を行ったのだと、家康は打ちのめされた。

 まだ酒井忠次は籠城してくれている。

 だが酒井忠次は、家康の嫡男・信康を見殺しにした男だった。

 東三河の旗頭として、三河東部の諸松平家・国衆を統御する役割を与えられるが、何時寝返るか分かったモノではない。

「羽柴に下る。使者に立ってくれ」

「承りました」

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