第34話反撃

「秀吉だ。秀吉が戻ってきやがった」

 全軍が阿波に渡ったはずの秀吉軍が、忽然と近江に現れた。

 派手な馬印をはためかせ、山科方面から続々と軍勢が現れたのだ。

 信孝軍は、羽柴長秀が援軍として入った瀬田城を攻めていたが、曲輪一つ落とす事が出来なかった。

 瀬田川の対岸に、続々と秀吉の大軍が現れるのを見て、信孝軍は浮足立ってしまった。

 この頃の雑兵は逃げ足が早い。

 いつでもどこかで戦いがあるので、働き場所に困らないのだ。

 大名や国衆も、兵糧や軍資金に限りがあるので、領地を与える家臣は勿論、常時扶持を与える足軽の人数も限られる。

 それでも合戦前に無理矢理徴兵する農民兵はまだましだ。

 合戦後に村に戻って生活しないといけないから、最低限は踏ん張ってくれる。

 だが合戦前に一日五合の玄米で集めた足軽は、不利だと見ればすぐ逃げ出してしまう。

 今回の信孝軍には、そう言う雑兵も数多く集まっていた。

 軍装も煌びやかな秀吉軍七万が現れたことで、信孝軍の雑兵達に勝てないと思わせることに成功した。

 秀吉軍は陣立ても鮮やかで、キビキビと瀬田大橋に近づいていった。

 信孝も馬鹿ではないし、歴戦の家臣も揃っている。

 瀬田城に抑えの兵を残し、渡河して来る秀吉軍を叩こうとした。

 しかし秀吉軍は渡河を始める前に、昔から大声で評判だった秀吉が直々に対岸から調略を仕掛けた。

「逃げる者は家臣に取り立てて本領を安堵するぞ」

「雑兵は逃げ出したら見逃してやるぞ」

「神戸家は下総守殿に家督を継がせてやるぞ」

 秀吉が次々と発する言葉に、信孝軍は激しく動揺した。

 その後秀吉は右手に勝栗を持ち、左手に扇子を開きあおぎながら勝鬨をあげた。

「えい、えい、えい」

 秀吉は発声の後に、法螺貝を吹かせ、太鼓を鳴らした。

「うぉぉぉぉ」

「えい、えい、えい」

「うぉぉぉぉ」

「えい、えい、えい」

「うぉぉぉぉ」

七万の将兵が一斉に。応じた。

「えい、えい、えい」

「うぉぉぉぉ」

 瀬田城からも勝鬨があがった。

 信孝軍の後方にいた雑兵が一斉に逃げ出した。

 一人逃げ出してしまうと、もう軍を支える事など出来ない。

 無理矢理集められた農民兵が逃げ出し、裏崩れが始まり、友崩れに発展しまった。

 信孝が四国に渡河する前に、本能寺の変の知らせを受けた時の再来だった。

「三七郎様、我らが殿を務めますので、ここは岐阜まで御逃げ下さい」

「何を言うか。余に剥げ鼠から逃げろと申すか」

「三法師を御助け出来たのです。三七郎様の勝ちでございます」

「ここで三法師様に何かあれば、光秀同様逆臣の汚名を受けますぞ」

 与力の稲葉良通と氏家行広が、それぞれ信孝を諫めた。

「分かった。後は頼んだぞ」

 信孝は逃げ出した。

 秀吉軍は、ゆっくりと瀬田の大橋を渡ってきたが、殿を務めるはずの稲葉良通と氏家行広は、まるで主君を迎えるような態度で秀吉軍を迎えた。

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