84話目 マンドリン領地の変〜後編

「何だお前は!!見ない顔だな、いつ雇われたのだ!……何とも腑抜けた面しておるな。」



「ミシェル・アンダーソンと申します。昨日からお世話になっております。どうぞミシェルに何なりとお申し付けください。」



 陽だまりのように微笑んだ。



 この娘もその内、能面のような顔になっていくんだろう。この屋敷の召使いは揃いも揃って使えない上に、常に人の顔色を伺うか、能面のように無表情な者ばかりだ。


 パッサムのように常に明るく応えてくれるものはいなかった。


 クランクワインは王都での仕打ちを思い出しては支える者達に、憂さ晴らしのように八つ当たりをしているのだから当たり前である。


 最近はそんなクランクワインを嫌って寄り付きもしない。



 昼間からパッサムが昨年出来たというマンドリンワインを飲みながら、サイドボードを丁寧に磨くミシェルを見つつ、王都での貴族達のクランクワインへの蔑むような態度の愚痴をグダグダと零していた。



「まぁ!ご主人様は王都に住んでいらっしゃったのですね!凄いです!貴族の世界って大変なのですね。きっとご主人様を妬む者が多いのでしょう。」



「うむ、そうだとも。貴族社会など足の引っ張り合いだよ。人の失敗を喜ぶような者しか居ない。だから慎重に罠にかからないよう、気を張っていなくてはならないのだ。お前のような下賤の者には想像もつかない世界だろうよ。」



 すると翡翠のような瞳をキラッキラさせながら、ミシェルはクランクワインの顔を真っ直ぐに見た。



「はい!まるで最近読んだ小説に出てくるような世界で、胸がドキドキします!もっと沢山聞かせてくださいませ。ご主人様!」



 最近ハマっている小説「愛としがらみ」王宮編(※春音のペンネーム〝ハル〟のBL系小説。新作。)に感化されているミシェルであった。



 ミシェルの勢いに思わず引き気味に真顔になるクランクワイン。な、何だこの生き物は。


 ………か、可愛いではないか。






(……で、どうだった?外部からの接触は?)


(今の所、ありません。ですが、植木職人のダンの動きが素人とは思えません。恐らく、敵国の間者か同盟国の監視人のようです。)


(どこの国なのかはこちらで調べよう。引き続き、クランクワインの監視を頼む。)


(は!畏まりました。)



 ミハイルは食料品市場の野菜を選ぶフリをしながら、ミシェルの報告を聞くと継続の指示を与えた。


 そして、姫りんごのような小さな形のクワルトという果物を購入すると、ミハイルは何事もなかったように、裏通りの暗闇に消えていった。





 そんな時に突然、クランクワインが襲われた。


 その日クランクワインは執事のパッサムの視察について行きたかったが余りにも多くを回る為、クランクワインでは疲れてしまうと心配され一旦引き下がったものの、やはり一緒に回って現場の話を聞いてみたいと思い、パッサムを探しに屋敷を出たのだ。


 マンドリン麦を自分の目で見てみたかったのだ。ワインは確かにパッサムの言う通り、頗る美味で堪能した。これは小麦や大麦もパッサムが熱弁したようなブランド麦なのか、どんな風に育てている物なのか興味が出てきたのだ。そして自分の領地が本当にただの田舎ではないのか確かめてみたくなったからだった。


 しかし、屋敷を出たは良いが視察のスケジュールが解らず、領地をとにかく歩いて回ってみる事にしたのだ。


 何故、馬車を使わなかったのか、この日の出来事を思い出す度、クランクワインは砂を噛むようなザリザリとした感触を心の中で感じるのだった。そう、初めて後悔したのかもしれない。


 それは普段歩く事をしない貴族にとって、剣を振るわず運動もしないクランクワインにとって無茶で無謀な試みであった。


 ほんの30分程歩いただけだというのに、運動不足の40を過ぎた男は足の皮が薄く直ぐに豆が出来てしまい、動けなくなってしまったのだ。


 侍女のミシェルが丸太の切株に柔らかな膝掛け布を被せクランクワインを座らせると、靴をそうっと脱がして足の親指の豆の治療をした。



「……申し訳ございません。私は魔力があまり高くないもので、治療にちょっと時間がかかってしまいます。」



 足の裏のマッサージをしながら、癒しの光魔法で治療を開始する。ミシェルの指先が自分の足の肌に直接触れた時、胸の奥がギュっと反応するのを感じた。


 それはかつて自分の妻にさえ、感じた事はない感覚だった。



「…いや、何、時間はまだたっぷりある。」



 な、何故私が自分の娘のようなこんな小娘に狼狽たりしているのだ!10代の若者ではあるまいし!心の中で自分を罵ったが、だからといってミシェルを止めようとは思わなかった。足は痛むし、治療してもらわなければ歩けないのだから仕方がないのだ。だが、癒しは心地良かった。このままいつまでも労って欲しかった。



 そんな無防備な状態の時に其奴らは現れた。



 辺りを闇の気配がしたかと思ったら、黒い雷に突然に襲われた。


 辺りを青白く照らし、黒い雷が枝のように伸びていく。ミシェルに腕を引かれ躱すも、今度は爆発のような衝撃が起き、黒い煙に包まれる。



 男の一人が無詠唱でカマイタチの風魔法を使う。どう考えても素人ではない。


……そうか、色々知り過ぎてしまったからか。〝消される〟脳裏に浮かぶのはかの国の冷たい眼光の男の顔だった。


もう駄目だと思ったが、気がついた時はミシェルに抱えられ、空を高くジャンプしていた。


 いくら私がガリガリとは言え、ミシェルは私の肩程しかない小柄な娘だ。どこからそんな力が出てくるのか。



「すみません。飛空魔法は使えないので、反動が来ます。ちょっと我慢していてくださいね。」



 襲撃した犯人は5人。

 黒いフードコートを着て、黒い面を被った長身の男達だ。そして丸い形の刃物を何本も投げてきた。


 ミシェルは刃物をかわしながら、私を抱えて反動という衝撃とともに着地すると、今まで味わった事のないスピードで走り出した。腹の中を殴られたような衝撃や圧力を感じながら、私はミシェルに抱えられ、何も出来ずにいた。



「誰か!助けて!!」



 ミシェルは屋敷近くまで走って来ると、大声で護衛を呼んだ。


 何ごとかと屋敷の護衛が出てくると、襲撃犯達は直ぐに姿を消してしまった。犯人達を追うのは護衛達に任せると安心したのか、ミシェルは私を降ろすと地面に倒れ、そのまま意識がなくなってしまった。



「パッサム!ミシェルが!ミシェルが!大変だ。…わ、私はどうしたら。」


「旦那様しっかりなさってください。直ぐに光魔法の治療師を呼びましょう。」


 体中におびただしい切傷があり、大量の出血があった。私は無傷だったが、ミシェルはよく私を抱えてここまで逃げられたものだと感心するほど傷が深かった。私は背中をゾクっとする悪寒に襲われた。このままではミシェルを失ってしまう。


 私は大金を使い、癒しの光魔法使いを呼んだ。しかし、命は取り止めたものの、ミシェルは身体中に痛ましい傷跡を残し、足を引きずるようになってしまったのだ。


 何という事だ!あの素朴な笑顔に癒された、エクボがあった右頬にも、斜めにえぐられたような傷跡を残してしまった。


 そのあまりの痛々しさに私もパッサムも召使い達もまともに見る事が出来なかった。



 その後、一週間後の春祭りを待たずに、父方の親族が迎えに来た。オールの山を東に行った小さな農村地帯にあるガザ村といっていた。



「…こんな不自由な身体になってしまったのだから、もうここでお世話になるわけにいきません。親族から畑を借りて、なんとかやっていこうと思います。」



「そんな駄目だ!お前は私を庇い守った為にそんな体になってしまったのだ!うら若き身で周りに何と言われるか分からないではないか、そなたが背負うには重過ぎる。私が不自由なく面倒を見る。見縊るな、私とてそれ位の甲斐性はもっているのだぞ。」



 そうだとも、私を庇い守った為なのだから、誰に文句を付けられようか!これからは堂々と世話になっておれば良いと、何度となく言って引き止めたが、涙を溜めた笑顔でご主人様のお役に立てないのは辛いんです。と断られてしまった。



「あの日、どうやってあんなに早く動けたのか自分でもわかりません。きっとああいうのが火事場の馬鹿力とか言うんでしょうね。」



 傷跡の引き攣る笑顔で尚も真っ直ぐに見つめてくる娘を、私はこの日を境に失ってしまったのだ。



 クランクワインは何故かズキズキと痛む胸を押さえ、屋敷の窓から遠ざかる馬車をその姿が見えなくなっても眺めていた。あり得ない事に目から涙が一筋溢れ落ちた。きっと娘の将来が心配だからだ。そうに決まっている。


 いつまでも後悔する私を思い、パッサムに王都に戻って、またミシェルが好きだった小説のような貴族の戦いに参加していらっしゃいませと背中を押され、王都に送り出された。


 領地はパッサムが居れば何とかなろう。ここに居ても私のやる事はない。そうか、ミシェルの好きだった小説か。



 こうして、40過ぎて初めて味わう初恋らしきものをそれと気がつかず、失ってしまったクランクワインは王都にある屋敷に戻って行った。






「…で?アイツらは何なんですか?人の体、ボロボロにして!うら若き乙女のお肌を何の容赦なく切り刻むなんて、許せません。女の敵です。」



 顔をさすりながらミシェルは呟いた。



「逃げた後を追った者の報告だと、リゼルバーグの方角らしい。まぁ、恐らくリゼルバーグの手の者達だろうな。黒い雷なんて禍々しい魔法を使うのは。

 いやぁ、しかしお前よくもまあ見事に治療できたよな。流石、癒しの光魔法使いだな。しかし、どうやって魔力を抑えたんだ?ソコソコの中途半端な魔力に抑えるのってかえって難しいだろ?」


 呆れた顔のミハイルはミシェルの肌をチェックし、シミ一つない顔を感心したように眺めた。



「うふふん。そうなんですよ!微妙な魔力に制限させるのって、本当に大変なんですよ!解っていただけます!?」


 ニマニマと笑うミシェル。

 あの癒しの笑顔ではない。ちょい残念な笑顔だ。



「……それにしても、よくもあんなツワモノ色物のあのオッさんを上手く垂らし込んだよな。本当に女は怖い。」


「はぁ!?何言ってくれちゃってるんですか?隠密部隊としてはこんなん手口は序の口ですよ。大した事じゃないじゃないですか!?こんなので落ちるチョロいオジ様の方が悪いんですよ。」



 まったく、深くため息を吐いたミハイルはさっさと次の任務に行くよう、ミシェルにしっしと手をはらうのだった。

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