83話目 マンドリン領地の変〜前編
王都から西に約500kmにあるシャンタナ中立都市の南にある小さな領地。そこにマンドリン領地があった。
そう、問題ばかり起こす、かのクランクワイン・マンドリン侯爵の領地だ。さらに南下すればラオスク領地があり、そこにブリンという大型船も停まれる入江に貿易に栄えた港町がある。
マンデリン領地は周りを山脈に囲まれた盆地なので、豊富な湧水に恵まれ作物が豊かに稔るような大地だ。
風も穏やかなので領主が上手く治めれば領地の発展も容易い場所であった。北には隣のバルシャ国との界に両国が出資したシャンタナ中立都市があり、作物の買取はシャンタナに送られる事が多い。更に南には別の領地とはいえ港町がある為、この領地と友好を結ぶ事で貿易をするにも恵まれている場所であった。
シャンタナ程寒くもなく、ラオスクより暑くもない。雨が降らないとか振りすぎるというような特に災害が起きやすいという問題もなく、それなりには治っていた。
領主のクランクワインは王都に居る事が殆どで、自分の領地経営にはさして興味がなかった。
かといって金を払ってまで代行官を立てるのも金が勿体ない!と考える強欲でケチな性格な為、領地を管理する役目はもっぱら領主の執事にその役目を押し付けていた。
その代行官代わりの執事、名をパッサムというが長年クランクワインの相手をしているせいか、実は中々強かな性格をしており決定権を領主に委ねるフリをしつつ、上手く立ち回って領地を自由に切り盛りしていた。
領地経営が大変だと常にクランクワインに訴える割に、領地は大変潤っていた。
否、むしろ最近は領地経営が段々とと楽しくなってきてしまって、これはもしや天職なのではないかとさえ思ってきている程だった。
最初こそ、無理矢理押し付けられた事を恨みはしたが、やってみると何もかもが上手く回っていく。自分の思い通りに仕事をこなす内に、やり甲斐というものまで芽生えてきていたのだ。
これは領主に下手に口を出され、回るはずのものが滞るよりはマシと早目に気持ちを切り替え、執事のそんながむしゃらな姿を見た同じ領地の仲間との信頼関係を確実に築いていった事が大きな勝因だったのかもしれない。
そんな穏やかで平和なマンドリン領地に新たな問題が起きたのだ。
それは領主のクランクワインが王都から戻り、いつまで経っても王都に一向に帰らない事だった。
年に何回か戻る事はあっても、田舎暮らしは肌に合わないらしく、ほんの数日で王都に戻る程であった。
(それなのに、今回は既に1ヶ月が経っているではないか!いったいどうした事か!愚痴の内容から推測すると、何やらマリーヌお嬢様が王太子妃に対してやらかしてしまい王族から反感を買ったとの事だが、どうもそれだけの事とは思えない。それ位で王都暮らしを諦めるような旦那様ではないからだ。これは旦那様自身も何かやらかしてしまったのでは?)
パッサムはどうしたものかと思案するのだった。
「おぉ、パッサム、パッサム!どこに行っておったのだ!何!?春祭りの招待客だと?そんな事は他の者にやらせればいいのだ!お前は私を一番に見なくてならないのに、側を離れては面倒も見られないではないか!」
(……誰のせいだと!?貴方が私に強引に領地代行役を任せたのでしょうが!領地経営しろ!利益を上げるのはお前の仕事だと命令したから忙しくなったんですからね。)
パッサムは理性で心の声を強引に閉じ込め、笑顔で返事した。
「旦那様!今回の春祭りで隣のシャンタナやブリンの貴族をご招待するのは大変な名誉な事でございます。」
その言葉を聞いた途端に目を大きく見開くクランクワイン。
「は?……な、何がそんなに名誉なのだ?たかだか田舎の貴族を呼ぶだけではないか。そんな事が重要な事とは思えんが。」
そこで自信ありげにドヤ顔のパッサムは眼鏡をぐいっと押し上げると説明を始めた。
「旦那様、いいですか!?シャンタナは中立都市です。隣のバルシャ王国と我がブーケット王国が共同で出資した街でございます。つまり我が国として重要な街である事は周知の事実です。
そして、ブリンは大型船が我が国で唯一、そのまま停船出来る程の大きな港町。これはブーケット一栄えていると言われているブルーライト港町よりも将来的には貿易において、重要な街になる事は間違いありません。
そんな都市の間に挟まれているのは我がマンドリン領地ではありませんか!それ程重要な両都市と友好関係を築く事はマンドリン領地としてもブーケット王国にとっても最も優先すべき重要な仕事にございます。」
「な、何!我が領地はそんな重要な場所だったのか!?」
クランクワインはこの田舎の領地が王都にとってそんな重要な場所だとは思ってもみなかった。そして、パッサムの言葉によって大変に気を良くした。
「はい!ただでさえ、シャンタナが貿易の為にブリンを利用する際には必ずこの領地を通ります。何もしなくても商人が我が街を利用するでしょうが、ただ通すのでは勿体ない事でございます。マンドリン領地の麦や大豆は清らかで豊富な水に育てられたもの。他の領地にはない甘味が強いブランド品種です。
更に最近特に力を入れているマンドリンぶどうから作った赤ワインは昨年の気候が良かったせいか、かなり上質な物が出来上がりました!ブリンのような大型船で運ぶ事が出来れば、かなりの利益が見込まれる事が予想出来ます。上手くいけばマンドリン領地の名が上がり、きっと王都でもマンドリン領主である旦那様の発言権に影響力が増す事でしょう。」
これには流石のクランクワインも悪い気はしなかった。パッサムの魔法のような一言一言に心が癒されていくのだ。
マンドリン侯爵は実はパッサムが大好きであった。元々、乳母の子という事もあり、幼い頃から共に学び育ったせいか口には出さないが家族のように思っていた。両親は平民であり、その子であるパッサムは父からは貴族として共に遊ぶ事を禁止されていた。上手く扱えと指導されてもいた。だがクランクワイン自身は認めていないもののクランクワインにとってパッサムは唯一心の許せる友であり、兄弟のようだと考えていた。
むしろ金ばかりを食う娘達に対する態度より、遥かに良好といえよう。
まぁ、それもパッサムがクランクワインの懐を十分に潤すよう、日々努力しているのだから、当たり前の事と言えよう。
ただし、クランクワインは何をするにもパッサムが居ないと不安になるらしく、ビッタリと側から離れてくれない。
他の者ではクランクワインが求める対応が解らず、毎回最後には怒鳴り散らす事の方が多い。
その為、毎日、毎日、王都での愚痴を聞かされ、その為に貴重な時間をとられてしまう。領地視察でパッサムの姿がほんのちょっと見えないだけでクランクワインは不機嫌になってしまい、その度に何かとあたられて仕事が出来ない何とかしてくれと皆に訴えられる始末。
領地を上手く回していくというのはとても大変な仕事で、いくら穏やか気候といっても、毎日何かしら問題は起こる。
新しい試みを試す時は特に慎重にあたらなければならない。問題が起こる前に未然に防ぐ必要がある。
それ程大きな領地では無いといっても領主がケチで人手が圧倒的に足りない為、領地視察は毎日何処かしら行き、対処しなくてはならなかった。
マンドリンぶどうは渋みは少ないものの、糖度が高くて実のまま食べても大変美味だ。更に葡萄酒にした時は芳醇でしかも癖が無いので、女性にも好まれる赤ワインが出来た。
ただ、カビに弱く手入れを怠るとたちまち枯れてしまう為、常に気を配る必要がある。
昨日もサムの葡萄畑の一部がカビにやられたらしく、土に水はけの良い砂を混ぜる等、施策を施している最中だ。
マンドリン大麦は茎が太く穂が大きい。彼方の世界にも大麦があるが、向こうの大麦に比べてほんのり甘い。グルテンが多く、粘りの強い滑らかな強力粉が出来る。
パンにしても美味しいがパスタやピザにも合う。
マンドリン小麦は繊細で雨に弱く、強い日差しには強い。夜の間の雨露でしなれて弱くなる事もある。
こちらはグルテンが少なく薄力粉のようにケーキやクッキーやパイに使える。
先週は水車小屋の水車が上手く回らなくなり、修理に時間がとられた。修理する職人を呼び修理の間、麦の脱穀が止まってしまうという事態が起きた。
パッサムも常に側でクランクワインの相手をするのでは領地経営を思い通りに運べず、このままでは毎日の対応にも対処出来ず、やがて立ちいかなくなってしまうだろうとイライラがピークになった。いくらクランクワインの扱いに慣れているとはいえ、これは困った事だと早々に対策を立てることにした。
そこで頭の回転の早いパッサムはクランクワイン・マンドリン侯爵の相手をする、面倒な愚痴にも文句を言わない聞き上手な役を募集する事にした。
再婚を唆しても良いが、下手な貴族と結ばれては金食い虫が増えるだけである。また、クランクワインは美意識が強く、好みが煩い。亡くなった奥方もそれは美しい麗人だった。クランクワイン自身もたっぷりとした艶やかな金髪は健在で、筋肉は無いが彫りの深い中々の美中年だ。その気になれば奥方をもらう事も容易だとは考えられるが、面倒な貴族が増えるよりは手軽に話し相手の方が良策であろう。
領地の動きが止まってしまう事に比べたら、多少高い賃金を与える事など些末な事だ。
「では貴方の名前をおっしゃってください。」
翡翠の瞳に焦げ茶色の髪。やや伏し目がちにこちらを伺う少女は年は18だという。
「はい。ミシェル・アンダーソンと申します。ビタクラスの出身です。雑貨屋を営んでいた祖母が亡くなり、経営を引き継ごうと思いましたが残念ながら私には商才はありませんでした。税が払えなくなり結局、店を売るしかありませんでした。叔父を頼ろうとマンドリン領地に来たのですが、叔父も既に事故で亡くなったようです。息子である従兄弟も生活に余裕があるわけではなく働き口を探していた所、こちらのお話を伺いました。」
中々、穏やかそうな娘だった。
「気難しい祖母の側にずっと居たので、愚痴を聞く事は苦痛ではありません。」
ニコッと微笑む姿を見て、パッサムはピンときた。
これは中々良い物件だぞ!素朴なそばかす混じりの笑顔は癒しの光のオーラを感じる。多分、それ程強い魔力は無いが、それがかえって貴族達に利用されるような事態にも陥らず、程々に好感を持たれるかもしれない。
この程々が大事なのだ。
クランクワインは魔力が強くない。魔力の高い父から何度も残念だと言われて育った。若い頃はその所為で魔力の強い者に対して、
それは自分の妻に対してもだった。魔力が高く、プライドも高い美しい妻が魔力の少ない自分を馬鹿にしているのではないかと疑心暗鬼だった。そして妻が病床に居ても、亡くなった時でさえ、特に心が動く事はなかった。
息子や娘に対しては自分より魔力が強いといってもそれ程ではなかった為、疎む事はなかったが、特に愛情は感じていなかった。
出世の為の手段になれば良い。
マンドリン家は元々そんな一族だったからだ。
そんなクランクワインには強い魔力持ちは必要ない。全く無い場合は価値を認めないのだから、始末が悪い。その為、程々でなければならないのだ。
早速、クランクワイン付きの侍女として対応させてみる。上手くいくようであれば、採用となろう。
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