第282話越前国の現状
1548年5月:京・種子島屋敷
「真に見事でおじゃったの」
「家臣達が見事な働きをしてくれました」
「何を言っておじゃる、全ては権大納言殿の働きでおじゃるよ」
「有り難き御言葉を賜り、恐悦至極でございます」
「しかし越前の将軍は何も出来なかったでおじゃるな」
「戸次丹後守鑑連(勇将・立花道雪)が10万の兵を率い若狭に陣取っております、若干16歳の朝倉延景では身動きできますまい。まして3月に前当主の父・孝景を失ったばかりでございます」
「だが権大納言殿が支援していた朝倉景高は、京に逃げ込んで来てしまったでおじゃるな」
「はい、銭の支援しかしなかったですから、しかたございません」
そうなのだ、畿内の基盤を固め、中国地方を攻めとることを優先したため、越前は内部抗争に火をつけ油を注ぐ事しかしなかった。もっとも将軍に直接手を出すと、余計な敵を作ってしまうから、あえて後回しにしたと言うのが実情だ。
それでも朝倉宗滴さえいなければ、朝倉景高を越前の太守に据え、将軍・足利義晴を殺す汚名も朝倉景高に背負わせる事が出来ただろう。いや、朝倉宗滴がいなければ、独立意識の強い国衆の誰かが越前守護になっていたかもしれないし、加賀に逃げ込んだ本願寺証如が越前も支配下に置いていた可能性もある。
史実と大きく変わっているのは、朝倉景高だけでなく嫡男・景鏡まで越前から逃げ出す事になり、大野郡司として朝倉一族衆で筆頭的地位を維持することが出来なかった。これでは後々朝倉景高を使って、越前国内の国衆・地侍を調略したり、内紛を起こさせるのが難しくなってしまった。
だが一方で有利になった点もある。それは元々独立意識の強い越前の国衆が、足利義晴将軍と直結しようとした事だ。朝倉家が越前国内で強い指導力を発揮するには、足利将軍家を担ぎ続けなければいけない状況になってしまっている。
だがこれは仕方がないだろう、元々越前国は斯波家が守護を務めており、朝倉家は甲斐家・織田家に次ぐ斯波三守護代の第三席でしかなかったのだ。だが度重なる足利将軍家と細川管領家の継承争いを経て、守護職は得たものの、越前の国衆には主君と言う意識はなかったのだろう。
「そうでおじゃるな、だが各地の大名国衆に多くの使者を送っていると聞いたでおじゃるが?」
「はい、朝倉宗滴が後見している賜物かもしれませんが、美濃遠藤家・越後上杉家・出羽国大宝寺家・出羽安東家・常陸土岐家などに頻繁に使者を送り、我が種子島家の侵攻に備えております」
足利将軍家・一向衆と組むことで、何とか越前国内を統一し、若狭の国境線だけに兵力を集中するだけで国防を済ませている。加賀方面は一向衆が支配し、越中にまで攻め込み西越中を切り取ると言う状況にまでなっていた。
ただ俺が大陸貿易を独占しているから、今まで行っていた中継貿易が出来なくなっており、史実で朝倉義景が手掛けた、大陸との直接貿易など夢のまた夢である。つまり交易による利益がない事で、越前1国の国内生産力だけで軍備を整えなければならなくなっている。
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