第77話九条兼子輿入れ

1538年3月『大隅国・国分清水城』種子島少弐時堯・10歳


「少弐、これが我が妹・九条兼子じゃ」


「お初に御目にかかります、種子島恵時の嫡男・時堯と申します。以後お見知りおき願います」


「何を堅苦しことを申しておるのじゃ、2人はもう夫婦ではないか」


 俺の予想の遥か斜め上を行って、九条禅定太閤殿下は後奈良天皇陛下を説得して、妹・九条兼子(13)の種子島家への嫁入りを実現された。


 俺からの資金を十二分に活用されたのだが、その遣り口は見事と言うしかなかった。九条家は祖父と父が家司・唐橋在数を借金問題から殺害したことで、勅勘を受け朝廷への出仕を止められた時期もあった。また九条家は家礼を持つことを禁じられ、九条家の求心力・影響力は著しく低下してたのだ。


 そこで京で困窮する公卿はもちろん地下家に、九条家の門流になれば種子島家の支援を受けて九州に下向できる。しかも能力次第で大宰府役人に任官可能だと言葉巧みに誘ったのだ!


 この誘いを受けるほか生きる道のない公卿や地下家、自分や嫡男はともかく次男三男の生末を心配していた者たちは、九条家の門流に加わり父上様が大宰帥に任じられるように運動した。一条家も九条兼子の輿入れはともかく、父上様の大宰帥任官を応援しない訳にはいかず、資金援助をしてもらっている足利将軍・義晴も後押しをした。


 結局のところ莫大な献金献納は必要としたものの、九条兼子が俺に輿入れすることが決定した上に、大宰府政務に必要な読み書きの出来る公家の次男三男や、九条兼子の侍女として公家の娘たちが大量に下向してきた。


 しかもそれだけではなく、俺の資金と戦力を背景に押領された荘園を奪い返すことが出来た。更に売り払ったり借金の形に取られていた荘園も、買い戻すことができた。そしてその全てを九条兼子の化粧料(3000石)とし、種子島家が上京させた家臣を代官として護らせ、国衆や地侍が手出しできないようにした。しかも着々と築城までさせているのだから、その手際の良さには舌を巻く。


 だが今回の婚儀に関しては、五摂家はもちろん大内家からも京の公家衆からも参加を希望する方が多く、その準備と費用は膨大なものとなってしまった。費用などは種子島家には毛ほどの負担でもないのだが、俺に掛かる精神的な負担は大きかった。


 何よりも負担だったのは、一条於富と一条本家・土佐一条家へのフォローだった。これを怠れば背後から襲われたり毒を盛られたりする事すらあり得るのだ。実際にフォローを行うのは、婚礼に参加している一条房通卿・土佐一条家の重臣そして何より一条於富姫付きの乳母と侍女達だ。


種子島時堯(10)・

一条於富(11)・種子島時堯正室

九条兼子(13)・種子島時堯正室

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