第46話中山競馬場 換金 帯広で宝くじ換金 帯広競馬場へ 日本在来馬

12月17日(日):中山競馬場パドック


 今日も4人で、中山競馬場開催の時に定宿にしている製パン会社の企業年金基金会館で、朝食バイキングをお腹一杯食べた。それからタクシーを呼んで中山競馬場まで行き、9時の開門と同時にパドックに向かった。


 昨日で共通入場回数券を使い切っていたので、新たの10枚つづりの共通入場回数券を1000円で買った。


タクシー代  :2710円

共通入場回数券:1000円


 電車で中山競馬場に行くときは、船橋法典駅を使うので法典門から入るのだが、タクシーで来るときは正門か南門を使う事にしている。


 開門と同時に入場したが、今回はお腹が満腹な上に、昨日朝に買ったパンとお菓子があるので、キッチンカーで買い物はしなかった。最初に太郎君と花子ちゃんがお気に入りの、グランプリロードからウイナーズサークルで行われる、馬のお出迎えを見に行ったのだ。


 第1競走のパドック周回が始まる頃には戻り、太郎君と花子ちゃんを頼りに馬に元気さを確認した。午前中は競馬に専念し、午後からは今日も馬と触れあえる行事に参加してもらった。太郎君と花子ちゃんは、昨日とは逆の行事に交代で参加してもらった。


 本当は2人一緒に参加させてあげたいけれど、養老馬の資金を稼ぐ為には、どちらか1人にはパドックで馬を見てもらう必要がある。今後も宝くじが当選出来るのなら、平日の地方競馬は1日2日休んでも構わない。だが稼げるJRAの競馬だけは、馬券を買う事を止める訳にはいかない。


 今回の帯広行きでは、現地で宝くじを換金する心算だから、帯広競馬で馬券を買う事は出来ないかもしれない。夜には先週のように、厩舎地区で歓迎してくれると言う話だから、その時には多くの輓馬を買う事にしよう。


 午後からの食事も、夜食に田舎しるこなどを買う事を考えれば、コンビニパンとコンビニスィーツを食べて終わりだった。


 今日の中山競馬場では、ネット投票と現金投票ともに3788万9000円づつ勝つことが出来た。昨日に比べて平穏な結果が多く、金額的にはいつもより稼ぐ事は出来なかった。だがそれでも、税金を引いて3000万円残るなら、2頭の輓馬を生涯養う事が出来る。


ネット投票:3788万9000円

現金投票 :3788万9000円


 昨日と全く同じ和スィーツとたこ焼きなどを買い、クリスマスイルミネーションを愉しんでから、定宿にしている製パン会社の企業年金基金会館に戻った。


和スィーツ :6060円

たこ焼きなど:6690円


タクシー代:2710円






12月18日(月):宝くじ取り扱い都銀の帯広支店


 今日も先週と同じように、取引銀行を通じて馬券の換金がスムーズに行くようにしてもらった。今週の勝ち分では、先週のように7億4500万円の3カ月定期を作る事は出来ず、3億円の1カ月定期だけだった。


 帯広での養老輓馬購入の為に現金も必要だったから、4200万円以上の現金を持っての移動となった。


「予約していた空路」

羽田空港:11時35分発

日本航空 JAL575便 帯広空港行

大人4万5400円×2=9万0800円

幼児2万2700円×2=4万5400円

帯広空港:13時10分着

    :13時25分発

連絡バス 帯広行

大人1000円×2=2000円

帯広競馬場:14時15分


電車代  :1760円

コンビニ代:5000円

タクシー代:1万4370円

航空機代 :大人2人9万0800円

     :小児2人4万5400円

     :小計13万6200円

バス代  :2000円


 俺達4人は、高額当選者として別室に案内され、予想通り色々と説明された。支店長と自己紹介した人からは、定期預金にするように勧められた。だが、俺と同じ銀行に口座を作っておいた方が色々便利なので、朝の馬券換金時に綾香さん名義の口座を開設し、普通貯金通帳を作っていたのだ。


 だから今回は勧誘を断り、朝作った綾香さん名義の普通預金口座に全額振込んでもらった。


ロト7:10億3583万5600円





帯広競馬場:ふれあい動物村


「お馬さん~」


「花子お馬さん大好きぃ~」


「大きい輓馬も可愛いですが、小さいポニーなら家で飼えそうですね」


「昔は日本でも普通に買っていましたよ。今でも好事家は、世界最小のアルゼンチン産純潔ファベラや、アメリカ経由のアメリカンミニチュアホースを飼っていますよ」


「最小ってどれくらいの大きさなんですか?」


「確か体高が40cm台だったはずですから、大きい柴犬位でしょうね」


「そんなに小さな馬がいるんですか?!」


「小ささを競って繁殖された馬ですからね。体高40cm台ならかなり高額で取引されるでしょうね。ここにいるポニーの基準より厳しくて、もっと小さい馬だと思って下さい。細かな基準は、後でスマホで調べてみてください」


「そのファベラを日本でも飼っておられるのですね」


「正規ルートからのアルゼンチン純血種を飼っている方は極少数で、ほとんではアメリカで増やされた、アメリカンミニチュアホースを飼っている人ですね」


「そうなんですね、勝也さんは色々しっておられるんですね」


「昔自分も飼いたくて、調べた事があるんですよ」


「そうなんですか、それと、最初に日本でも昔から家で馬を飼っていたと言われていましたが、その頃からサラブレッドや輓馬が輸入されていたのですか?」


「え~と、源義経が一の谷の合戦で、裏手の断崖絶壁を馬で駆け下りる話は知っていますか?」


「聞いた事があります」


「じゃあ、武田信玄の騎馬軍団の話は聞いた事がありますか?」


「それも聞いた事があります!」


「明治維新の前までは、日本には在来の小型馬がいたんですよ。いや、今でも僅かに残ってはいますが」


「え? 日本在来の馬がいたんですか? 明治維新で変わったのですか?」


「ええ、まず日本には南部駒とか三河馬とか言われる馬がいたのですが、ペリー来航で海外からの侵略に直面した江戸幕府や明治新政府は、軍馬の改良に乗り出したんです」


「そうなんですか」


「本格的に取り組んだのは、日露戦争で日本の軍馬が世界基準から大きく劣っている事をしったからです」


「それで外国の馬を輸入して、日本に元々いた馬を殺したんですか?!」


「いえ、殺しはしませんでした。外国から入れた馬と繁殖させて、日本人の体格にあった軍馬にしなければいけませんから」


「体格ですか?」


「日本人の体格が飛躍的によくなった今でも、欧米人に比べれば小さいでしょ」


「はい」


「まして長年仏教を信じて、表向き肉食を禁止していた明治維新直後の日本人です。欧米の軍馬をそのまま使ったら、とてもではないが大きすぎて御すことが出来ません」


「それで日本古来の馬と繁殖させて、日本人にあった馬を作り出そうとしなのですか?」


「そうです、その代表的なのが天皇賞やその前身である帝室御賞典です」


「どういうことですか?」


「第二次大戦に負けて、建前上軍隊がいなくなり、騎兵隊の必要性もなくなったので、色々ルール改正されました。でも元々は、優秀な種馬を選ぶための競走だったんです」


「どういうことですか?」


「今では秋の天皇賞は距離も2000mに短縮され、牝馬や外国産馬の出走を認めるようになり、遂には去勢された騸馬の出走を認めるようになりました。ですが本来の目的は、長距離を短時間に走れる優秀な内国産場の育成の為に、好い種馬候補を探す事だったんです。だから元々は、3200mの長距離を走れる牡馬しか出走出来なかったんです」


「そうだったんですね、そんな事があって、日本古来の馬は絶滅寸前なんですね」


「まあ直ぐにそうなった訳では無くて、日本が豊かになって、モータリゼーションが進んで、馬に頼らなくなったからなんですが」


「どういうことですか?」


「武士の馬や軍馬を繁殖していた地域は、一気に輸入した馬との混血が進みました。ですが、離島や山間部で農業を手助けする馬は、道路が整備され自動車が日本中の隅々まで行き渡るまでは、それなりに人間と共存していたのです」


「なぜですか? 外国産馬との混血の方が、体格がよくなって重い物を運べたのではありませんか?」


「日本在来の馬は、蹄が丈夫で蹄鉄の必要がなかったり、体格差を補う荷物量を運べたりしたんです。特に対州馬などは性格が穏やかで、女でも扱えるくらい大人しかったそうです」


「そうだったんですね、でも、馬でなければ入れなかった山にも道路が通り、農家でも普通にトラックやトラクターが買えるようになって、馬を飼わなくなったと言う事なんですね」


「そう言う事です。だから多くの日本在来馬が滅んでしまい、今では僅かな馬しか残っっていないのです」


「そうなんですか」


「昔一時期、財政的に保護しきれなくなった馬を、民間有志に預ける事があるって聞いて、自分でも飼えないかと考えた事があるんですよ」


「もうやられないのですか?」


「あ! そうですよね、俺は馬鹿ですね! 競走馬や輓馬の養老事業をするよりも、日本の在来馬の繁殖と保護をすべきですよね!」


「今更輓馬を見捨てる訳にはいかないと思いますが、日本古来からの馬の保護育成にも手を貸される方がいいと思います」


「綾香さん、直ぐに日本在来馬をスマホで検索してもらえますか?」


「分かりました」


「ポニー」

ファベラ         :体高70cm程度(最小40cm台)

アメリカンミニチュアホース:体高34インチ(86・36cm)以下

シェトランドポニー    :体高100cm程度

ポニー          :体高147cm以下

木曽馬          :体高130cm程度

蒙古馬          :体高130cm程度


「日本の在来馬」

馬 種 :地 域   :体 高(肩までの高さ):1990年:2011年:

北海道和種:北海道   :125~135cm:2561頭:1085頭: 

(俗称:道産子)

木曽馬:長野県木曽地域 :125~135cm:  68頭: 162頭:

   :岐阜県飛騨地方 :

御崎馬:宮崎県都井岬  :100~120cm:  93頭:  80頭:

対州馬:長崎県対馬   :125~135cm:  75頭:  29頭:

野間馬:愛媛県今治市野間:110~120cm:  34頭:  66頭:

宮古馬:沖縄県宮古島  :110~120cm:  15頭:  30頭:

与那国馬:沖縄県与那国島:110~120cm: 115頭: 141頭:

トカラ馬:鹿児島県トカラ列島:100~120cm:104頭:128頭:


 俺もノートパソコンを取り出して、昔調べた事をまた調べ直した。


 北海道和種馬とは、松前藩の藩士たちが蝦夷地防衛任務の為に持ち込んだ南部駒を、帰る時に放した馬が野生化した馬で、今残っている日本古来の馬で最も多く残っている。急に絶滅する事はないだろうから、直ぐに保護繁殖を手助けする必要はないだろう。


 木曽馬は、堅く丈夫な蹄を持ち、起伏の多い傾斜地での生活に順応した胴長の輓馬タイプだが、1度純血種が滅んでいる。だから木曽馬保存会が、木曽馬の血が濃い馬どうしを繁殖される戻し交配を行い、一応純血系として木曽馬を復活せている。ここも保存会がしっかりしているから、急いで手助けする必要はないだろう。


 御崎馬は「日本の野生馬」として親しまれていて、宮崎県都井岬に100頭前後が自然放牧されている。ここも昔調べた時は安心な所と思っていたのだが、今調べると、2011年3月に宮崎県の日本中央競馬会宮崎育成牧場で、都井岬生まれの乗用馬から馬伝染性貧血が発見されると言う事件があった。


 その時に色々議論があったものの、結局感染馬薬殺処分にする事になり、台帳に記載のされていた114頭の馬が85頭に減ってしまっていた。この事実を重く見るのなら、リスクヘッジの観点から、複数個所で分散で繁殖させる方がいだろう。


 対州馬は、俺が最も興味を引かれた馬だ!


 半農・半漁の対馬では、男が漁に行き女が農業を行ったが、そんな女を助けたのが対州馬だ。馬銜(はみ)を使わない頭絡(無口頭絡の一種)と1本手綱(左の口元に付ける)を使って馬を御し、調教の母親の仕事を仔馬が見て覚えると言う方法だったそうだ。


 何て賢く可愛い馬なんだ!


 対州馬振興会が保存事業を行ってはいるものの、1997年には財政上の問題で、47頭にまで増した対州馬の里親を募集しなければいけなくなっているようだ。


 1989年には、農林水産省の「ジーンバンク事業」により、対州馬の精液を凍結保存したようだし、3頭の対州馬を北海道の家畜改良センター十勝牧場に送っているようだ。十勝牧場で増殖に成功し、次世代の対州馬数頭が生まれているそうだが、今後世代を重ねると場内の個体だけでは近親交配になる不安があるようだ。


 だが、俺が駒田牧場や景浦牧場で対州馬を繁殖させれば、十勝牧場と連携して行けるかもしれない!


 2006年8月の地元紙記事によれば、対馬島内での飼育されている対州馬は、振興会8頭、対馬市12頭、個人6頭の総計26頭に過ぎないとある。2016年までには馬事公園を拠点として繁殖に取り組み、島内の飼育数を38頭にまで増やしたものの、今度も財政上の問題で厩舎が足りないとあった。早急に対馬市に連絡を入れて、十勝牧場の馬とは血統の遠い馬を送ってもらわなければならない。


 野間馬だが、越智駒や土佐駒など、かつて四国に存在した在来馬の一種として考えられているそうだ。直接の由来は、江戸時代に伊予松山藩藩主・松平定行が、来島海峡にある小島に馬を放牧したが失敗し、今治藩領内の野間郷一帯の農家に繁殖を委託した事だそうだ。


 その時に4尺(約121cm)を定尺とし、定尺より大きい馬は藩公から飼育費のほかに報奨金が与えられて増産を進められた。だが同時に、定尺より小さい馬は飼育費を払わない代わりに農家に無償で払い下げられた事で、馬が欲しい農家では、定尺以下同士の繁殖が行われ、日本最小の在来馬「野間馬」が誕生したそうだ。


 だが四国でも農耕馬の需要が無くなり、一時は絶滅したと思われていた。だが1978年に松山市の篤志家が、自身が所有していた野間馬(牡1頭、牝3頭)を今治市に寄贈した事を契機に、野間馬保存会が設立されたそうだ。その後地方自治体の協力によって、市内に野間馬ハイランドが建設され、地域住民や農業高校生たちが施設の造園や環境整備に協力し、2003年には78頭にまで増加したそうだ。


 ここも保存活動がしっかりしているから、馬伝染性貧血よるリスク回避さえ出来れば大丈夫だろう。


 宮古馬は宮古島で飼われていた馬だが、サトウキビ畑の機械化で一気に需要が無くなり、1975年には11頭にまで減少したそうだ。1980年に宮古馬保存会が結成され、1985年には増産運動が本格始動し、粟国島から宮古馬を買い取って飼育を始めたそうだ。1992年には20頭に増加し、2007年に30頭まで増加させたそうだが。事故死などの死亡が相次ぎ、仔馬は産まれるものの、増減を繰り返していたそうだが、2013年には何とか40頭にまで増やす事に成功したようだ。


 今上天皇陛下が皇太子殿下時代に、将来の乗馬訓練用に宮古馬が選ばれていると言うので、何としても保存に成功してもらいたい。俺も出来るだけ早く連絡を入れて、リスク回避の観点から北海道でに飼育繁殖を始めたい。


 与那国馬は、日本最西端の離島である与那国島に生息するため、他品種との交配や品種改良が行われることがなく、その系統がよく保たれてきた。しかも1939年(昭和14年)に試行された種馬統制法の施行区域から除外された為、洋種馬の混血が免れている。


 1975年には、農機具や自動車の普及などによりその役割を失い、59頭にまで減少したが、同年に与那国馬保存会が設立され、2012年には120頭前後にまで増産回復されている。ここは俺が直ぐに手を差し伸べなくても大丈夫だろう。


 トカラ馬は、喜界島より宝島へ十数頭の馬が導入されたのが起源だと言われており、1952年に鹿児島大学の林田重幸教授によって、トカラ列島南端の宝島で確認されて「トカラ馬」と命名されたそうだ。

 

 宝島でも農家の機械化が進みトカラ馬は減少し、1960年代には宝島内での繁殖が困難となり、数頭を残して鹿児島県本土の開聞山麓自然公園と鹿児島大学農学部付属入来牧場に移され、保護・繁殖が行われたそうだ。


 そのお陰もあって、2002年には107頭にまで増産繁殖に成功したそうだ。だがトカラ馬の運用の方針が立たないので、保存に苦労しているとどの記事にもあるので、帯広競馬場と連携して、ふれあい動物園での目玉に出来ないだろうか?


 俺は急いで家畜改良センター十勝牧場で飼育されている在来馬を確認してみた。


「平成27年1月30日現在」

北海道和種:1頭

木曽馬  :3頭

対州馬  :1頭

トカラ馬 :2頭

宮古馬  :4頭

与那国馬 :1頭


「参考参照」


ウィキペディア

馬を知ろう

https://www.crypter.jp/

畜産ZOO鑑

http://zookan.lin.gr.jp/kototen/uma/u324_2.htm

みんなの乗馬

http://www.minnano-jouba.com/mame_chishiki02.html

日本馬事協会の公式サイト

https://www.bajikyo.or.jp/native_horse_01.php

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