3-11 危機からの脱出

 小春日和の昼下がり。

 杉並署の中では、事件捜査で騒がしい中、刑事の宇都宮はイヤホンでラジオを聴きながら、スマートフォンで競馬サイトを見続けていた。


「おしっ、スーパーグローブ、来い!トンガリジュニアも来た!この二頭でワンツーだ!そしたら五万円入るぞ!よし!ラストスパートだ、え?アグリギャップ先頭?あ~あ、スーパーグローブ、四位かあ。残念。今日も大損だなあ」


 がっくりと肩を落とし頭を抱える宇都宮に、部下の婦警が近づいてきた。


「宇都宮刑事、お客さんです。刑事とお話がしたいそうです」

「え?私に?今気持ちが乗らないんだよ、後にしてもらえる?」

「田崎若菜さんという女性です」

「ん?聴いたことがあるな。今、ここに来てるのかい?」

「はい。窓口におりますよ」


 婦警に先導され、宇都宮は窓口にたどり着いた。

 そこには、髪の長い若い女性が、神妙な顔つきでポツンと立っていた。


「あなたが、田崎さん?」

「はい。今日はどうしても、お話したいことがありまして」

「『メロス』のことですかな?」

「その通りです。刑事さんが捜査していると聞きましたので」

「私どもも、あなたのこと、探してましたよ。色々お聞きしたいことがありましたのでね」

「実は私、その件だけでなく、色々な事件に関わってまして……ここで包み隠さず、すべてお話したいと思いまして」

「ほお、いいでしょう。じゃあ、中にお入りください」


 □□□□


 どの位、車で乗せられただろうか?

 箱崎にある「ウイングインターナショナル」で、屈強な男たちに連れられて手足を縛られた祥次郎を乗せた車は、そのまま行く先も告げられず小一時間ぐらい走り続けた。

 やがて車は、海に面したコンテナ倉庫にたどり着き、祥次郎はそこで降ろされると、二人組の男たちに引きずられながら、倉庫の中に放り込まれた。


「ひ、ひどいなお前たち、この世界のチャンピオンにこんな酷い仕打ちをして、ただで済まされると思うなよ!」


 すると、男たちはクスクスと笑うと、一人の男が、祥次郎の上着に手をかけた。

 そして、身に着けていたジャケットやシャツを両手で無理やり脱がせ、上半身を裸にすると、ポケットからライターを取り出し、火を灯した。


「そ、それで何をするというんだね?」

「簡単です。こうするんですよ」


 男は、ライターの火を祥次郎の黒々とした胸毛に近づけると、少しずつ火をつけた。

「ギャアアアアア!俺の自慢の胸毛に何てことを!あ、熱い!焼け死んじまうだろうが!ぐあああ~」


 燃える胸毛から伝わる熱で、体中がちりちりと焼けただれるような感触に苦しむ祥次郎を見て、男たちは倉庫中に響き渡る位の声で笑い続けた。


「お、俺はお前らの見せ物じゃねえんだ!さっさとこの縄を解け!じゃないと、お前たちもボスと一緒に、警察の世話になるだけだぞ」

「面白いですね。でもそれは、あなたを始末してから、の話ですね」


 そう言うと、一人の男が悶絶する祥次郎の体を起こし、うつぶせの姿勢にすると、倉庫にあった角材を持ち出し、思い切り殴打した。


「ギャアアア!痛い、痛いっ、ママ、助けてちょんまげ~!」


 背中が赤く腫れあがり、痛みが全身に伝わると、祥次郎は左右に転がり、もだえ苦しんだ。

 その姿を見て、男たちはさらに大声で笑った。

 祥次郎は、ゼエゼエと息をし、やがて地面に突っ伏し、倒れ込んだ。

 やがて、笑いが収まった男たちは、祥次郎の背後から近づくと、不敵な笑みを浮かべた。


「さあ、そろそろショーは終わりにしますか。主役であるあなたには、永遠の眠りについてもらいましょう」


 男たちは、高さ二メートルぐらいの木箱を持ち出すと、その中に祥次郎を放り投げた。木箱の下部には、黒色の大きな土嚢袋が吊り下げてあった。おそらく男たちはこの箱ごと、祥次郎を海水に沈めるつもりなのだろう。

 男たちは、コンベアーに木箱を載せると、そのまま倉庫を出て港へ向かって運転し、やがて港に浮かべた船にゆっくりと降ろした。

 船は大きなモーター音を上げ、水しぶきをあげて港を出発した。

 十分程度湾内を航行した後、男たちがヒソヒソと話し、やがて木箱を動かし、そのまま海中へと放り投げた。


「good luck!」


 一言、英語で男たちがそう叫んでいるのだけが祥次郎の耳に伝わった。

 箱の外からはブクブクという音が伝わり、箱がどんどんと海中奥深くへと沈んでいくのが分かった。

 このまま、海の中に沈んでしまうのだろうか?ここで、自分の人生は終わってしまうんだろうか?秋音は単身で「メロス」をやっていけるのだろうか?長年バーに通ってくれた親友たちを悲しませてしまうのではないか?……色々なことが、祥次郎の頭の中を駆け巡った。

 出来れば、この箱を突き破り、海を泳ぎ切って、皆に会いたい。でも、手足を縛られ、箱も頑丈で、最早どうすることもできない。

 祥次郎は、ぐったりとした。そして、酸素が薄いせいか、次第に意識が遠のき始めた。


 □□□□


「おい!起きろ!ショウちゃん!起きろ!」


 祥次郎は、ゆっくりと目を開けた。

 目の前に見えるのは、木箱の茶色い蓋ではない。

 真っ白い天井、細長く白い電灯、そして、宇都宮の脂ぎった笑顔であった。


「うわっ、宇都宮刑事!一体、ここは…どこ?私は…誰?」

「アハハハ、病院だよ。それと、最後の一言は余計だな!」


 そう言って、宇都宮は祥次郎を後ろから羽交い絞めした。


「ギャアア!痛い!痛い!」

「こんな時にギャグ言ってんじゃねえよ。みんなに心配かけやがって。本当に大変だったんだぞ、ショウちゃんを海中から救出するの」

「海中?」

「そうさ。ショウちゃん、千葉の市川で、木箱ごと海中に沈められてたんだぞ。千葉県警の協力も得て、海の底から引き揚げたんだ。あと一歩遅かったら、ショウちゃん酸欠で命がヤバかったんだからな」


 祥次郎は宇都宮の言葉を聞き、ようやく事態を飲み込めた様子だった。

 ベッドには酸素吸入器が置かれ、背中や胸は包帯でしっかり固定されていた。

 自分は助かった……奇跡のような出来事に驚かされたと同時に、どうして警察が祥次郎の行方を察知したのか、その理由が分からなかった。


「宇都宮刑事、どうして、俺の居場所が分かったんですか?」

「あの子が自首してくれたからさ」

「あの子?」

「若菜って女の子だよ。色々、洗いざらい話してくれてね。ショウちゃんの店でアルコール中毒が続出した理由も話してくれた。彼女、殺人容疑で今は留置場にいるよ」

「そうですか……でも、その件と、俺が海に沈められたことが、どう繋がったんですか?」

「若菜さんの証言の裏付けを取るため、『メロス』に捜査しに行ったら、秋音ちゃんが居てね。ショウちゃんがウイングインターナショナルの東京本社に行ったことを教えてくれたんだ。若菜さんからの証言で、東京本社の社長がこの件に絡んでいることを聞いていたんで、早速捜査員を向かわせたんだ。そこで、ショウちゃんが連れ去られたことが判明したってわけ」

「そうですか……で、社長のケインズさんは?」

「社長は今、警察に任意同行して取り調べしてるけど、自分は手を下してない、関係ないの一点張りでね。ただ、部下を使ってショウちゃんを海に沈めて、隠蔽を図ろうとしたのは事実だから、逃げられないと思うけどね」


 祥次郎は、目を閉じながらじっと宇都宮の言葉を聞き入った。


「若菜ちゃんが証言しなければ、俺は今頃……ゴートゥヘブンか」

「何カッコつけてんだよ。ショウちゃんは周りに迷惑ばっかかけてたから、ゴートゥヘルだろ?」

「いや、世界のチャンピオンがゴートゥヘルじゃ、カッコつきませんよ」


 祥次郎は苦笑いすると、宇都宮のスマートフォンから、着信音がけたたましく鳴り響いた。


「なんだよ、せっかくショウちゃんとの話が盛り上がってたのに。ハイ、杉並署の宇都宮だけど。え?容疑者が自殺未遂?どこで……留置場?わかった、今すぐ行く!」


 宇都宮は、相当焦った様子でスマートフォンをポケットに収めると、椅子から立ち上がった。


「どうしたんですか?急に呼び出しかかったんですか?」

「ああ、田崎若菜さんが、留置場で自殺未遂したようだ。持っていたタオルを使って、首つりしようとしたらしい」

「え!?」


 祥次郎は、ベッドから跳ね上がるかのように飛び起き、目を大きく見開いて、うつむいて焦燥する宇都宮の横顔を凝視した。


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