第3章 冷徹な紳士

3-1 友情と真心

 昼過ぎの東京都中央区・箱崎界隈。

 成田空港へのバスが発着し、大きなスーツケースを持った人達がビジネスマンに混じって行き来するこの街の中に、ひときわ大きなガラス張りのビルがある。

 近代的なデザインのこのビルの十二階に、「ウイングリゾート」の東京本社がある。

 エレベーターを降りると、ジャズ風のBGMが流れる洒落た内装のエントランスに到着した。案内の女性が祥次郎・秋音・寺下の三人の姿を見つけると、近寄り、奥の部屋に案内してくれた。奥の部屋には、ガラス張りのテーブルを囲むようにソファーが置かれ、その正面には、大きな椅子が置かれていた。

 やがて、長身のスラリとした男性が現れ、大きな椅子に腰掛けた。細身のスリーピースのスーツをさらりと着こなし、やや赤毛の混じった髪の毛、そして蒼い瞳を輝かせ、日本人というより、欧米系の雰囲気があった。


「いらっしゃいませ。ようこそウイングリゾートへ」


 男性は、笑みを浮かべて立ち上がり、三人をソファーの所へ手招きで誘導した。

 そして、ソファーの手前で、名刺を1枚ずつ手渡した。

 表面には「ウイングリゾート 東京本社CEO 篠田ケインズ」と書かれ、裏面には、名前と役職が英語表記で書かれてあった。


「どうぞおかけになってください」


 三人がソファーに腰を下ろすと、ふわっとした生地で、座り心地の良さに驚かされた。

「すごい、こんな柔らかいソファー、初めて座ったかも……」


 秋音は、感動のあまり思わず感想を口に出してしまった。


「あはは、フランスのメーカーから取り寄せているんですよ。ヨーロッパ各国の王室とかにも納品している業者ですから」

「す、すごい!」

「オフィスだけじゃなく、うちの会社のホテルは備品すべてにこだわりを持っています。ヨーロッパの実績のある業者を選定し、備品を調達してもらっているのです」

「すばらしいですな。さすがは世界各国で評価を受けているだけありますね」

「世界各国で評価を受けた我々のホテルを、ぜひ日本でも展開していきたい。そのために、ただいま、様々な計画を練っている所です」


 祥次郎は、ケインズの話を聞くやいなや、かばんの中からファイルを取り出し、付箋を貼ったページをめくりながら尋ねた。


「ケインズ様……あなたが経営者として創意工夫を凝らしながら、この日本でも積極的に展開を図ろうとしていることは良く分かりました。ただ、日本でこれから展開を図ろうとしているシティホテルの部門は、すでにエクセレントグループ様のシェアが大きく、なかなか入り込めないという話も聞いております」

「よくご存じですね。おっしゃる通り、我々はリゾート部門ではすでに国内では伊豆や軽井沢、沖縄などに施設を持ち、実績がありますが、シティホテルではエクセレントグループ様に後塵を拝しております。あまりにも入り込む余地が無くて、ここにいらっしゃる寺下様にも、何度か愚痴ったこともありますね」


 そう言うと、ケインズは苦笑いしながら寺下の方を見つめた。寺下はケインズの視線を受け、苦笑いを浮かべつつも、出された紅茶をゆっくりと飲み干していた。


「ケインズ様のお友達に、江坂裕恒という方がいらっしゃるようですが、ご存知かと思いますが、この方は、エクセレントグループの……」

「ああ、知っていますよ。社長の息子で、事業開発部長で、次期CEOだったんですよね。そして、私の学生時代の大親友でしたね」

「やはり、ご存じで……」

「裕恒……ヒロは、帰国子女で日本での友人が少なかったこの私に声をかけてくれて、積極的に遊びに連れてってくれたんですよ。ヒロはいつも友達思いで、私のことを気遣ってくれた。今でも彼には本当に心から感謝しています」

「社会人になってからも、飲み歩いていたと伺っていますが?」

「あはは、そうですね。飲み歩いてました。私が酒好きなんです。ヒロは私にずっとお付き合いさせてしまったような記憶があります。ヒロは酒が苦手だったようで、最初の頃は、嫌々言う彼を私が連れ回してしまったので」

「失礼ですが……ケインズ様は、裕恒様の死因をご存じですよね」


 そう言うと、ケインズは膝に手を置き、目を瞑って、過去のことを色々回想しながら語りだした。


「知っております。ヒロの死因は食道がんだったようですね。そのことを聞いた時、私は血の気が引きましてね。自分は何でヒロにあんなに無理やり飲ませてしまったんだろうか、もっと彼のことを気遣ってやれなかったんだろうか、と、とにかく反省しきりで、夜も眠れないくらいでした」


 そう言うと、ケインズは少しうなだれた姿勢で、言葉も次第に元気を失っていったように感じた。


「こちらが裕恒様のボトルです。エクセリアスホテル浜松町のバー『フロイデ』に置いてあったものです」


 そう言うと、祥次郎はかばんから裕恒のボトルを取り出し、ガラス張りの机の上にコトリと音を立てて据え置いた。


「このお酒、スコッチの中でも強い種類のものです。ケインズ様が裕恒様に勧めていたと聞きましたが、どうなんでしょうか?」


 すると、ケインズはボトルを手に取り、ふたを開けて臭いを嗅ぐと、ボトルを机の上に置きなおした。


「そうですね……このお酒、かなり強いでしょうね。私でも飲むのをちょっとためらいますね」

「え?ど、どういう、ことでしょうか?」


 祥次郎は、目を丸くし、ケインズの方に目を遣った。


「ヒロはこんな強い酒を毎回飲んでいたんだな……と、正直驚きました。私も酒好きですが、これほどのお酒を、毎回飲むのはさすがに辛いですね。私が普段飲むのは、カティサークとかマッカランとか、すっきりとした柔らかい味のもので、こんな臭いのキツイ種類のものは嗜みませんね」

「私がこのボトルを置いてあったバーのマスターに聞いた話では、裕恒様はケインズ様にこの種類のボトルを勧められて飲んでいた、と聞きましたけど?」

「そこまでは言いませんよ。私はさすがに、飲む酒の種類まで注文を入れた記憶はないですね」

「じゃあ、どうしてこの種類を?」

「ヒロは、どちらかというと、ワイルドターキーのようなバーボンが好きでした。私はスコッチが好きなので、スコッチばかり飲んでいました。もちろん、ヒロにもスコッチを勧めたことはあります。けど、それもグラス一杯程度です」

「……」


 祥次郎はボトルを手に取ると、まさかと言わんばかりの表情で固まったままだったが、軽く深呼吸し、気持ちを落ち着かせると、ようやく次の言葉を口にした。


「飲み仲間は、裕恒様だけですよね?」

「そうですね」

「あなたが酔って記憶を失ったまま、自分のお酒を裕恒様に勧めたりとか、強いお酒を無理強いしたりとかした記憶は?」

「ちょっと待ってください、それはありえないです。なぜ私がそんなことを?」

「このボトルが置いてあったバーのマスターがそう言ってたみたいですよ」

「そんなわけありません!彼は私にとって、友人であり恩人なんです。私の会社は元々日本でリゾート事業を展開していたんですが、シティホテルも展開したら?と助言してくれたのは、ヒロだったんですよ」


 やや冷静さを失い、声を上げながら説明するケインズの言葉で、室内は静まり返った。


「失礼。つい、熱くなってしまいましたね。でも、ヒロが私に、国内展開のノウハウを色々と助言してくれたんです。『企業秘密だけどね』とか言ってね。確かにヒロのいたエクセレントグループは私どもにとって強力なライバルですが、蹴落とそうなんて気持ちはありません。むしろ、肩を並べて共存共栄していければ、と考えていました」


 祥次郎は、ファイルを読み返し、もう一度頭の中を整理し直した。


「じゃあ、裕恒様の死亡について、何か思い当たることはありませんか?我々は、裕恒様の死亡が病死でなく、他殺とかの可能性もあるのではないか、と思っているのですが」

「他殺はありえないですね。ヒロは性格が良く、人付き合いもとても良かったです。思い当たるのは、先程も話が出ましたが、飲めないお酒を飲み過ぎた、位でしょうかね。まあ、これに関しては、私も責任を痛感しているんですけどね」


 ケインズからはこれ以上聞きこんでも難しいと判断した祥次郎は、ファイルとボトルをかばんにしまい込み、立ち上がった。


「わかりました。すみませんね、貴重なお時間をありがとうございました」

「お役に立てずすみません。ヒロのお父様にもよろしくお伝えください。あと、バーのマスターの小野田さんと、よく話し相手になってくれたアルバイトのユキさんにも」

「ユキ?」


 ケインズの最後の言葉に、祥次郎は体の動きが突然止まった。

 小野田は基本的に一人で「フロイデ」を切り盛りしていたが、不定期でアシスタントの女性が入ることがあった。

 小野田と共にケインズと裕恒の相手をしていたというユキちゃんという女性……いったい何者なのか?

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