1-12 悲しき宿命

 坂口は、ウエストサイドホテルから急いで「メロス」まで来た様子であった。

 少し咳き込んだ後に呼吸を整え、気分を落ち着かせた後、再び語りだした。


「探偵さんのお名刺に書いてある住所を探したら、ここにたどり着いたので。あの防犯カメラに映った映像のことが分かったので、早く教えてあげたいと思いまして」

「え?あれは、理香さんだったんじゃ?」

「いえ、総務の佐久間です」

「佐久間さん?事件のあった日、私しかシフトに入っていなかったのに?何で佐久間さんが?」

「それは知りません。ただ、ちらりと映った横顔、最初は池沢さんと思っていましたが、パソコンでさらに拡大してみたら、佐久間さんに違いないと思いました。今、ここに連れてきたんで、ちょっと待ってください」

 そういうと、坂口はドアを開けると、一人の女性を店の中に入れた。


「あれ?あなたは、こないだ私たちを迎えてくれた……」


 そこに居たのは、先日ホテルの入口で祥次郎達を迎え入れてくれた佐久間だった。理香と同じショートボブの髪型、同じ位の背丈……確かに佐久間ならば、理香と間違えられても合点が行くと祥次郎は察した。


「池沢さん、佐久間です。ごめんなさい!私、何て言ったらいいのか」

 

佐久間は、入るなり理香に近づき、涙声で理香に謝った。


「どうして佐久間さんが?」


 理香は椅子から立ち上がり、二、三歩歩み寄って、佐久間の顔を見つめた。


「社長の命令です。私が池沢さんに身長も雰囲気も髪型も似てるから、ちょうどいいんだって言われたんです」

「ちょうどいい?」

「控室にある社長のコレクションのうち、アズレージョを持ち出して来いって言われて。池沢さんが館内を見回りに行ってる間に、持ち出してきたんです」

「つまり、佐久間さんは社長に盗みを指示されたってこと?」

「そうです。私は池沢さんに雰囲気が似ているし、その日は池沢さんだけがシフトに入っているから、警察沙汰になっても防犯カメラに映ってるのは池沢さんしかありえないってなるだろうから、と言われました」

「じゃあ、トイレにアズレージョを置いたのも佐久間さん?」

「はい、その日の朝、アズレージョ盗難の件で探偵さんが来るっていう連絡が、新宿の重田支配人から社長に入ったので、慌てて私に戻してくるよう言われたんです」


 理香も秋音も、衝撃的な告白にひたすら驚いた。


「ふーん、話は分かった」

 宇都宮が立ち上がった。そして、泣きじゃくる佐久間の肩にポンと手を載せ、耳元でささやくように語りだした。


「佐久間さんとやら、これから一緒に署に来てくれるかな?今までの我々の見立てとは話が違うみたいだからね」

「すみません。何でもお話します」

「池沢さんも、もう少しだけお付き合いできますかな?逮捕は保留しますが、完全に疑いが解けたわけじゃあないんでね」

「は、はい」


 理香の顔から、わずかではあるが、安堵した様子が見て取れた。


「理香さん、やったね!」

 秋音は、理香の耳元で囁くように話した。


「うん。ありがとう、秋音さん。もうちょっとだけ、心配かけちゃうけどね」

「がんばれ、帰ってきたら、また私の部屋でパーッと飲もうね」


 秋音は微笑みながら、そっと理香の背中を叩いた

 坂口は、宇都宮と理香が立ち去って空いた椅子に腰かけると、ホッとした表情を浮かべた。祥次郎は、冷えたおしぼりを坂口に差し出した。


「ありがとうございました。何とお礼を言ってよいやら。何か飲んでいきますか?」

「いえ、今日はこれから夜勤なので、またホテルに戻るんです。その前に、どうしても、防犯カメラのことだけは早めに探偵さん達に言わないといけないな、と思って」


 坂口は、おしぼりで顔中を拭いながら答えた。


「じゃあ、ノンアルコールのカクテルを出しましょうか。私からのお礼の気持ちです。どうぞ、飲んでいって」


 秋音はそう言うと、搾りたてのグレープフルーツにカシスを混ぜて、ノンアルコールのカクテルを作り始めた。


「そんな、お気になさらないでください。私だって、ここまで一緒に働いてきた同僚が逮捕されるのは、正直嫌でしたから。それに彼女、支配人からこれまでも、かなり嫌がらせを受けてきましたから」

「やっぱり池沢さんは、支配人から不当な扱いをされていたんですか?」

「そうですね。でも、支配人も本心からやってるわけじゃないと思うんですよね」

「本心からじゃない?どういうことですか?」

「うちの会社は、社長の事実上のワンマン経営ですからね。社長の意向に少しでも反すると、地方に飛ばされたり、閑職に追われたり、精神的な嫌がらせをされるんです。でも、社長の実家のホテルがうちの会社の面倒を見てくれている以上、誰も文句は言えなくて」

「だから、支配人も、社長に文句を言えなかったんですね」

「だと思います。こないだも、池沢さんを些細なことで酷く叱った後、トイレでしばらくの間、嗚咽していました。支配人は、根は凄く優しい人だから、相当辛かったと思いますよ」


寂しそうな表情で語る坂口に、祥次郎はカウンター越しにグラスを差し出した。


「はい、出来ましたよ。これで少し喉を潤して、またお仕事頑張ってくださいね」


 坂口は軽く一礼すると、ノンアルコールのカクテルを少しずつ飲み干した。


「美味しい!さわやかで、フルーティで。これでアルコール入ってたら、多分一気に飲んじゃうかも」

 坂口は、笑顔を浮かべてさらに一口飲んだ。

 そして、グラスをテーブルにそっと置くと、口を開いた。


「私は、ホテルの仕事が好きでこの世界に入りました。でも、思った以上に現場は硬直していて、みんな上の人達の顔色ばかり気にしているんですよね。ホテルマンも、所詮はサラリーマンなんだなって」


 坂口は、グラスのカクテルを飲み干すと、ため息をついた。


「でも、ほんのわずかだけど、あなたは今、ホテルマンの心意気を見せてくれたと思いますよ。そのことは、誇りに思っていいんじゃないですか?」

 小野田は、グラスを傾けて、目を細めて笑いかけた。


「それは僕も同じ意見ですね。あなたみたいな人が増えれば、良いホテルになっていくと思いますよ。あなたの行動が、支配人さんの気持ち、そしてほかの従業員の皆さんの気持ちを動かすと良いですね」

 飯塚は坂口の行動を讃え、手を伸ばし、坂口の手を握りしめた。


「皆さん、ありがとうございます。それじゃ、私はこれで。」

 坂口は立ち上がり、祥次郎や秋音、そしてカウンター前に座る客に向かって一礼した。


「あなた、きっといいホテルマンになるよ。お姉さんもずっと応援してるからね。」

 まりなはそう言うと、親指を立てて、坂口を見つめながらウインクした。

 坂口は照れくさそうな笑顔を浮かべながら、重いドアを開け、そそくさと店を立ち去っていった。

 秋音は、理香の逮捕を当面回避できたことで、ホッと胸を撫でおろした。しかし、内心ではどうしても拭いきれないものがあった。


「支配人である重田さんが私に見せてくれた防犯カメラの映像には、アズレージョの盗難場面が出てこなかったのに、今日、重田さんの代わりに対応した坂口さんが見せてくれた映像にはしっかりとその場面が出ていたの。そして、重田さんは男子トイレには防犯カメラが無いと言っていたけど、実際には一台仕込んであり、佐久間さんがアズレージョを戻した場面が映し出されていたでしょ。それに、盗まれたアズレージョって、オークションに出されたんじゃなかったかしら?それなのに、何であの場に、盗まれたものと同じものが戻ってきたのかなって」


 祥次郎は、顎の辺りを押さえながら、しばらく考え込んだ。


「良く分からないな。仮に重田さんが社長の思惑通り、理香さんの有罪を証明したいのであれば、盗難の現場が映った映像を我々にも見せてくれると思うんだがね。それに、オークションで第三者に落札されたのに、またあの場所に戻ってきた理由もわからんな」

「じゃ、盗難したアズレージョをどこの誰が落札したのか、ちょっと調べてみるか?」


 二人の会話を聞いて、美術商の遠藤がタブレットを操作し、今回盗難にあったとされるアズレージョ『農夫』の落札者について調べてくれた。


「ん?誰だ?この『essel2020』っていうアカウントは。」

 遠藤は、この謎めいたアカウントの入札及び落札の経歴を調べた。

 やがて遠藤は目を細め、うーん……と唸りながら、何度か首をひねった。


「こいつ、画家の酒井恵介さかいけいすけかな?自分の作品も何度かオークションに入れてるから、多分、酒井だと思う。知ってる奴だから、後で聞いて連絡するよ」

「すみませんね。遠藤さん。よろしくお願いします」


 祥次郎は遠藤に頭を下げると、にこやかに笑みを浮かべ、カウンターの前に座った客達の顔を一人一人眺めながら、語りだした。


「皆さんの協力、ありがとうございます。皆さんへのささやかなお礼に、これから私が心を込めて、歌でも唄いましょうか」


 祥次郎はそう言うと、早速唄う準備を始めようとしたが、その時突然、遠藤が立ち上がった。


「あ、俺はいいよ。小野田さんもこれから仕事なんでしょ?一緒に戻りましょうよ」

 その言葉を聞いて、小野田も立ち上がった。


「祥次郎君、ありがとう。俺もこれで帰るからさ。このお店、すごくいい雰囲気だね。大事にしなよ。また来るからね。その時は事件捜査の話抜きで、楽しく飲もうね」

 小野田は、祥次郎の手を両手でしっかり握ると、笑みを浮かべて遠藤と共に店を出て行った。


「あの~。俺、これからみんなのために歌を……」

「え?マスター、今から歌ってくれるの?久しぶりに聴きたいかも」


 店内に集まっていた人達が次々と帰宅する中、まりなだけがようやく祥次郎の言葉に反応してくれた。その時、ポルトガル料理店長の飯塚はまりなの背中を叩き、もう行くぞ、と言わんばかりの表情で睨みつけた。


「あ、はいはい、そうよね。これから私もステージがあるのよね。大丈夫、忘れてませんから!じゃあねマスター、今度は一人でぶらっと飲みに来るからね」

 そう言うと、まりなは投げキッスをして飯塚と共にドアの外へ出て行った。


 誰も自分の歌を聞くことなく帰ってしまった後、一人カウンターの前に立ち尽くす祥次郎は、すっかり肩を落としてしまった。


「俺は嬉しくて嬉しくて、唄いたい気持ちで一杯だったのに……」

「大丈夫よ。マスターが歌上手いことは、みんな知ってますから」


 秋音は、肩を落とす祥次郎を励ましつつも、片手で口元を押さえて、必死に笑いをこらえていた。


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