1-11  証人達

 夜のとばりが裏通りを包み込み、わずかな街灯のみが照らされる中、人影が次々と「メロス」へ続く階段を降りていった。

 ギギギ……と重いドアが開く音を、この夜だけで何度耳にしただろうか。


 狭いカウンター席には、肘がぶつかりそうな位多くの客が座っていた。

 彼らは、シャンデリアが放つほの明るい灯りの下、BGMの激しくも美しいブリティッシュロックに聞き惚れながら、お気に入りのお酒を口にし、混雑や狭さなどほとんど気にもしていない様子だった。

 客としてやってきたのは、エクセリアスホテル浜松町のバーテンダーであり、祥次郎の修業時代の仲間である小野田千博と、小野田の知人である美術商の男性、かつてメロスで働き、今はポルトガル料理店「ナザレ」でファドを唄っている渋谷まりなと、店長である飯塚清司。

 彼らは、祥次郎に請われてこの店にやってきた。

 彼らはお酒と雰囲気を楽しんでいたが、カウンターの前に立つ祥次郎と秋音は、仕事のために手を動かしつつも、終始無表情であった。

 しばらくして騒がしい雰囲気が少し落ち着いてきたところで、祥次郎が口を開いた。


「皆さん、お忙しい所集まって下さり、ありがとうございました。お酒が入って気持ちいい中で物騒な話をするのも何ですが、まもなくここに警視庁の宇都宮刑事が、依頼人でありこの事件の犯人と目されている池沢理香さんと一緒にいらっしゃいます。依頼人の疑いを晴らすには、皆さんの力が必要です」


 祥次郎は、普段のマイペースでひょうひょうとした雰囲気ではなく、悲壮感ただよう表情で、まるで訴えかけるように客たちの前で声を上げた。


「な、なんだよ!祥次郎君らしくないな。今にも死にそうな顔で訴えられると、こっちまで気が滅入っちゃうよ」


 小野田は祥次郎のいつもとは違う雰囲気に違和感を感じ、なだめるように話した。


「そうよ、マスターだったらどんなに状況が悪くても一切表情変えないで、くだらないギャグを言って周りを和ませていたでしょ?」


 まりなが笑いながらグラスを傾け、どうしちゃったのと言いたげな表情で、斜め横から祥次郎を眺めた。


「大きな声では言えないけど、今回はこれまでにない位のピンチなんだな」

「ええ?ピンチ?何よそれ、マスターからそんな言葉が出るなんて、一体どうしちゃったの?」

 まりなは驚いた表情で祥次郎肩を掴み、何度もゆすった。

 しかし、祥次郎はすっかり体が固まってしまったようで、揺すっても微動だにしなかった。


 その時、ギギギと重い音を開けてドアが開き、宇都宮が肩で風を切るかのような堂々とした様子で、店内に入ってきた。

 その後ろを、理香がうつむきがちな姿勢で、トボトボと歩いてきた。


「理香さん」

 秋音は、寂し気な表情を浮かべながら、宇都宮と共にカウンター前の椅子に腰かけた。


「ショウちゃん、何なんだい?俺たちだって仕事で忙しいんだよ」

「宇都宮さん、今日は池沢理香さんのことで」

「また池沢さんを匿うつもりか?もうどんなにあがいても証拠はでてこないよ。いい加減諦めなさいよ」

「私も、証拠らしい証拠は出せません」

「ほう、ようやく観念したか。最初から彼女を匿おうとか、支えようなんて考えなきゃよかったんだよ。な?ショウちゃん。当分店を閉めななくちゃならないぞ、これは」


 宇都宮は微笑みを浮かべながら祥次郎を下から見つめ、参ったかと言わんばかりの口調でまくしたてた。


「あの、刑事さん。ちょっと聞いていいですか?この店を当分閉めなくちゃならないとは」

 小野田が、慌てて宇都宮に聞き返してきた。


「この人は窃盗犯を匿ったうえ、我々警察の目をくらまそうと逃走を手助けした。犯人隠避は、立派な犯罪です。当面は、留置場に行っていただくことになるかもしれない、ということです」

「はあ?犯人?うちのマスターがそんなことするわけないじゃん」

 まりなは、宇都宮の言葉に驚きつつも、必死の形相で宇都宮を問い詰めた。


「おや、渋谷さんかな?久しぶりだね。歌手活動の方は順調なの?あ、ショウちゃんのことは大丈夫だよ、すぐ釈放されると思うから。心配しないで、ショウちゃんのことは俺に任せて、歌の方がんばって、な?」


 理香は、ずっとうつむいたままだった。その顔からは、すっかり正気が失せていた。


「理香さん、って言いましたっけ?」

 その時小野田は、うつむき加減の理香にそっとささやくように声をかけた。


「はい」

「ここに、盗まれたものと同じ図柄のアズレージョを持ってきた。見覚えは、あるかい?」

「はい」


 小野田の隣に座っている美術商の男が、かばんの中から、丁寧に梱包されたアズレージョを取り出し、理香の目の前に置いた。


「え?どうして、盗まれた作品がここに?」

 余計なことは言うまいとずっと口をつぐんでいた秋音が、驚いたはずみで口を開いた。


「ここからは、僕の隣に座っている美術商の遠藤えんどう君に話してもらおう。いいかい?遠藤君」

「ああ、いいよ」


 小野田の隣に座っていた遠藤と言われた美術商の男は、名刺を取り出すと、祥次郎の前に置いた。名刺には『美術商・鑑定士 遠藤隆蔵りゅうぞう』と書かれてあった。


「僕は横浜で美術鑑定士やってる遠藤というんだ。よろしくね。今日お持ちしたアズレージョ『農夫』だけど、ポルトガルの画家マルケス・アウグストゥスが最初に描いて、その完成度が評価されて政府から表彰された。しかし、その後世界中に多くの贋作が出回っている。国内にも、本国から持ち込まれた相当数の贋作が出回ってると聞いている。オークションでも、贋作にも関わらず普通に取引されているし」


「じゃ、社長がニセモノだと話したトイレのアズレージョだけでなく、控室にあったアズレージョも、みんなニセモノなんですか?」

「うん。日本で出回ってるのは、全てニセモノだな」

「じゃあ、社長が言ってたニセモノっていう言葉は、どう解釈すればいいの?」

「国内に出回っているものを本物かニセモノか識別する術はないんだ。所詮、全てニセモノなんだし。そもそも本物はポルトガル本国で保管されているはずだから」

「じゃ、社長は、何であんなことを?」

「おそらく、あなたが何も知らないことをいいことに、貶めようとしているようにも思えますね」


 その時、まりなと共に来店した飯塚が、小野田が持ち込んだアズレージョ『農夫』を眺めながら口を開いた。


「これ、こないだまりなから見せてもらった写真と同じですよね。どこが違うというんですかね。ポルトガルでは、著名な作家のアズレージョは簡単に市場に出回らないはずですから、出回っているものは、多少違いはあれど、贋作でしかないんですよね」

「じゃあ、店長は贋作だと分かって、現地でアズレージョを買い付けてきてるの?」

 まりなは、頬杖を突きながら、冷めた目で飯塚を見つめた。


「まあ、うちは異国情緒を盛り上げたいというだけだから、別に贋作でも構わないよ。あ、これはお客さんにはナイショだぞ」

 飯塚は焦って口に人差し指を立てて、まりなに口止めしようとした。


「まあ、芸術にお詳しいみなさんが言うんだから、その通りなんだと思いますがね。ただ、本物かニセモノかという論議は置いといて、盗んだという事実と、オークションに流したという事実を否定する証拠は何もないですよね。その辺はどうなんですか?ん?」

 宇都宮は、店に入って来た時と変わらず余裕の表情のままであった。


 秋音は、宇都宮に返す言葉が何も無かった。

 あの防犯カメラを証拠品として出されたら、ますます不利になることは明白だった。


「オークションについては、調べてありますよ」

 遠藤は、バッグからタブレットを取り出した。


「うちは仕事上、ネットオークションや公開オークションの情報は逐一チェックしているんでね。で、この『農夫』だけど、ここ一ヶ月の入札状況は一件だけだな。『ウエストサイドホテル』さん。ネットオークションで売りに出してるね」

「ほら見ろ!ウエストサイドホテルだってよ。ね、理香さん」

 宇都宮は、どうだと言わんばかりの表情で、理香の方を振り向いた。


「すみません。ウエストサイドホテルのアカウントは、我々社員で勝手にいじることはできません」

 理香は、冷静に答えた。


「はあ?じゃあ、誰がやったというのだ?それを証明できなければ、あんたがやったとみなされても仕方ないんだぞ」

 宇都宮は、怪訝そうな表情を浮かべた。


「ちなみにこのアカウント、過去にいろんな美術品を落札してるんですよね。黄金のシャーレやウエストウッドの皿とか、一社員の立場で、会社のアカウント使ってここまでやりますかね?」

 遠藤は、タブレットを操作しながら、頭をかしげていた。


「それ、すべてうちのホテルの控室に置いてありますよ。社長が買い付けてきたって言ってた作品ですね」

 理香は、顔を上げながら、遠藤の操作するタブレットに目を遣った。


「じゃあ、ホテルの誰がそんなことをやったというのかね?」

「アカウントを管理できる立場の人間だと思います。そうなると、支配人から、その上のクラスの社員ですね」

 理香は、落ち着いた表情で、淡々と答えた。


「まあ、百歩譲って、オークションに出したのは池沢さん以外の人間だとしよう。じゃあ、盗んだのは誰なんだ?盗難事件があった日は、池沢さんしかシフトに入っていなかったと言うじゃないか。それに、うちはウエストサイドホテルさんから、防犯カメラの映像を証拠として出してもらっているんだ。そこに映っていたのは、他ならぬ池沢さんだったんでね!」


 秋音は、まさかと言わんばかりの表情で、宇都宮を見つめた。

 秋音がホテルで確認したあの映像は、警察にも提出されていたようであった。


「もはや、これまでか」


 秋音も、そして祥次郎も肩を落とした。秋音は理香を守ってあげることが出来なかった悔しさから、次第に両方の目から涙があふれてきた。

 その時、入り口のドアが音を立て、一人の若い男性が中に入って来た。


「さ、坂口君?」

 理香が後ろを振り向いた。

 そこにいたのは、捜査に立ち会ってくれたウエストサイドホテル新宿の坂口だった。

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