第120話 生きるは死・死は生きる

吉沢健。


彼は幼少期の記憶はない、いや少し語弊がある。


記憶を片隅に、追いやり忘れてしまった。


彼は僅か3歳の時に、父親を殺された。


その時、犯人の顔をはっきり見たが、3歳の自分では何が起こったかも分からず、父が赤い液体が流れているとしか思わなかった。


後に、母から父の知らせを聞いた。


幼少期故かも知れないが、父が今にも自分を抱きしめてくれると思っていた。


正しく生きた人間が殺された。


でも、人間は弔う名目でその父も焼いた。


母は涙を流した。


僕には、父の死を聞きつけやって来た人達が、父を焼き殺そうとしてると思い殴りかかった。


棺に納められ、焼かれた父は骨になった。


面影すらない。


父と疑いたくなる程だ。


1つの箱に、泣きながら骨を詰める母。


この時の重さを、僕は13歳の頃思い出す。


頭が割れるようだった。


犯人の顔を鮮明に覚えていた。


醜くい顔で、目は蛇のように細く鋭く、声は鳴り響く程の怒号で、赤ちゃんなら喰い殺せる位の腹、しかも高齢の女で推定年齢は60歳位だった。


何故、父がそんなのに殺される?。


母から聞いた話では、警察は犯人を特定されてなく、今ものうのうと生きている。


僕は母に話してしまった。


この事実を。


母は自分の顔を焼いた。


自分の焼いた顔を見て犯人に似てる?と聞いて来た。


僕には、母が苦しんでる姿を見て、耐えられなくなった。


気を紛らわす為に、学校には毎日行った。


近所には、気味悪がれ、嫌がらせを受け、何回も引っ越した。


その度に、学校は変わった。


13度目の転校を迎えた時には、15歳になっていた。


この時の担任の先生は、僕の事情を知り、家族同様の接し方をしてくれた。


先生は、その時まだ26歳。


僕にはお姉さん的存在だった。


母の面倒もよく見てくれた。


いつか僕も、先生みたいな人と一緒になれたらいいな、そんな気持ちが溢れた。


僕が高校に入ると同時に、先生の婚約者が僕達に挨拶に来た。


その人は、どちらかと言うと顔は良い方ではなかった。


でも先生は嬉しそうに紹介した。


僕は正直寂しかったけど、先生の幸せなら良いと思った。


僕が17歳の時、先生は結婚した。


けれど、旦那の方も面倒を見てくれた。


旦那が僕の父と母の写真を手に、母をの方をじっと見つめてた。


僕は嫌な予感がした。


次の日、学校から帰宅すると、家の前に複数のパトカーと警察官がいた。


僕は群がっている人を押し退け、家に入った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る