30.シーン2-18(空白)

 その時、私はひどくへこんでいた。 両手で抱えた見舞いの品をただぼんやりと見つめながら、その奥に取り残された寂しげな顔を思い返しては、己の不甲斐なさにいじけていた。

 贈答人と入れ違うようにして、友人のひとりが見舞いに顔をのぞかせる。

「なんだよー、あれが噂の彼氏かよー」

 冗談めかして笑いながら、友人は手荷物を椅子の上にばさりと乗せた。

「彼氏……ではないと思うけどなあ」

 冷やかしてくる悪友へ口をとがらせながら、私はもう一度見舞いの品へと視線を落とす。

 出先で少し困っていたとき、通りがけについと手を貸してくれたのが、そもそも知り合うきっかけだった。そして、去り際にちらりと、小学生時代から私のことは知っていた、と言うのだ。なんでも、学校が同じだったらしい。ただ、一度も同じクラスになったことはなかったのだとか。それから学校が変われども、何度か私を見かけることがあったという。

 世の中いったい何があるのか分からないもので、それを機に、奇遇にも顔を合わせることがしばしばあった。たまたま立ち寄った本屋でばったり出くわすこともあれば、デパートでたこ焼きを頬張っているところを目撃されてしまったり、といった具合だ。意外と世の中は狭かった。そんなこんなで、私が独り身であるとばれてしまったなんていう、少し恥ずかしい思いまでしてしまう始末だ。

 そのつど気が向けば軽くお茶をしたり、時には私が演劇サークル所属員の義務たるノルマ配布の公演チケットを、押し付けたりしたこともある。

 何度か体育館や小ホールなどでサークルが行った舞台の公演を見に来てくれた彼は、笑って私の演技を誉めた。特に、彼が上手いと評価したのは、私が演じる殺陣だった。小中高と一貫して剣道を続けていたからなのか、確かに私の殺陣は周囲から評判が良い。高校卒業を機に辞めてしまっていたのだが、こうして意味が出てきたことは、私自身、喜ばしい。

 もちろん、お世辞も混じっているのだろう。しかし、そう言われて、わずかでも嬉しくない者がいるだろうか。

 ある時、彼は笑って言った。君は芝居が似合って似合わない人であると。平素あまり表情の変わらないらしい私が、舞台の上でころころと豹変するところが可笑しいらしい。ふらふらしているようでいて、妙にぶれないその姿勢が可笑しいと、貶しているのか誉めているのか彼はなんとも楽しそうに話すのだ。

 打ち明けよう。自慢じゃないが、当時これでも華の乙女の端くれであった私は、若干浮かれはじめていた。 なんとなしに未来のあれこれを期待しては頬が弛んでしまうのだって、仕方のない話と言えよう。デートらしいデートなどをしたことはないままだったが、いつからか別れるたびに「次また会ったら運命かもね」なんて言って笑いあった。

 だからこそ今、あえて言おう。運命なんて幻想だ。

 運命も偶然も、喜びも悲しみも、全ての現実があっけのないまま幻想へと散って消えた。神様は残酷だ。

 私が歩んでいくはずだった未来の舞台は、病床を最後にあっさりと打ち切られた。

「ねえ、あなた。悲しそうな顔をして、どうしたの?」

 ふいに背後からかかった声に、私ははっとした。背後、いや、横だろうか。それともまさか、前方からか。

「悲しそう?」

 自分で自分に問いただすように発した小さな声に、またどこかから「うん」なんて返事が聞こえてくる。どこかからというよりも、空間全体に響き渡っているかのようだ。

 気がつけば、辺り一面、否、全方位が見事なまで真っ白に染まっていた。何もない、光のみが煌々と満ち溢れる白だけの世界に、私ひとりがぽつんと浮いているのだ。

 まさか無重力かな、なんていう好奇心で飛び跳ねてみた時点で、私はうっかりしょんぼりとしてしまう。飛び跳ねられる時点で無重力ではないではないか。上下の法則と見えない床くらいはあるらしい。微妙に残念である。しかし、歩いても跳んでみても景色が変わらないという感覚は、なんだか酔ってしまいそうだ。

 飛んだり跳ねたり落胆したり歩き回ったりする私が面白いのか、不思議な声はくすくすと笑っている。

「ごめんなさい。なんとなく、悲しそうに見えたの。気のせいだったのかも」

 それが気のせいなのかどうかは、私自身、よく分からない。怒りに燃え悲しみに暮れるには、あまりにも突然で、あまりにも不可解で、あまりにも不条理だった。気がつけば、晴れない霧の中の世界に、落ち着いて座ることも前後に向かって踏み出すことも出来ぬままで力なく立っていたのだ。

 声の主を探してぐるぐると辺りを見回し、上を見上げて念のために足元も覗き込んでみたところで、明確に前の方から声がした。

「こっちこっち」

 前を向けば、何もないはずの白い空間に、ぽつりとひとりの若い女性が立っているではないか。

「わたしの名前はアリアよ」

 目の前の女性は私の不意をついて現れ、そして突如として自ら名乗りをあげた。なにゆえか。

 聞かれてもいないのに自らの名を名乗るというのは、すなわち自らの存在を周囲へ示し、世に名を売り、残したいのである。一般的に、セールスとか、営業とか言われている。世が世なら、名乗りをあげて名を示し、敵の将にすらその勇姿を語り継いでもらうのである。

 我こそはどこどこの何々なり。その方、どこどこの誰々とお見受けした。一騎、交えようではないか。いざ、尋常に勝負。

「我こそはアリエなり。むざむざ命を落とすような真似は不本意であるが、挑まれた勝負とあらば、受けてたたねばこの名が廃る……」

 ちなみにアリエは愛称である。私はこの愛称が気に入っている。

「その申し出、受けて立とう!」

 いざ尋常に勝負である。私はこんなわけの分からないところで仕舞いになるのは御免である。

 多分ここは三途の手前、私は恐らくマナに中てられ境界を彷徨っているのだろう。彼女はきっと審判である。生きて帰りたくば、我が試練を乗り越えたまえ!

 ついに召されてしまったなんて残念無念も甚だしいが、その後にこんなドッキリが待ち受けているとは幻想世界おそるべし。なぜこんなことになったのか。

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