14.シーン2-2(聖都)

 巡礼者の多い聖都には、安価な宿、裕福層御用達の宿から、大部屋に知らない他人何人かと雑魚寝必須の避難所みたいな宿まで、幅広い宿泊施設がひととおり揃っている。

 これは識字率の低さが関係しているのだが、宿屋に限らず高級施設の看板は文字が入ったものが多く、庶民向けのものほど図や絵などの視覚的に訴えた看板が多い。極端な話、衣服や布、剣や食材など分かりやすいマークを使った店ならいざ知らず、あまり特徴のないものである場合、入ってみたら予想とは違った店であった、なんていうこともある。

 通りの両側に掲げられたさまざまな看板を眺めながら歩いていた私は、急に立ち止まったカインに見事にぶつかった。私は軽く詫びたのだが、カインは何も反応しない。はっきり言って、肝が冷えるので不愉快でも気にしていなくても何か一言くらいは欲しい。

 オルカとカインは、三日月と星の図が描かれたレリーフを掲げた建物の前に立ち止まっている。宿泊施設は月や星を使った看板が多かった。

 私はゴリオさんに、まよわず庶民派の巡礼者が利用している雑魚寝必須の宿の場所を尋ねていた。なんと言っても安い。懐かしきは青年の家、ほぼ雨風しのげる屋根と壁の貸し出しだ。

 私が勝手に場所を決めてしまったようなものだが、オルカは特に異論なく、終始無言のカインもおそらく異論ないのだと思われる。旅人に金銭の悩みは付き物である。その辺の魔物を頑張って倒したところで金貨を落としていくわけでもなし、当然と言えるだろう。

 利用手配を済ませるついでに、私は宿の亭主に道を尋ねた。

 三人ともこれといった預けるほどの大荷物は持っていないため、そのまま部屋を指示される。オルカもカインも貴重品は自分で管理する気らしい。

「あれ、どうかした?」

 出入り口へ向かう私に、オルカが声をかける。

「急に押し掛けたって迷惑だから、明日会いに行くって伝えてもらってくる。適当に仲良く休んでて」

 しゃっと片手を上げてしばしの暇を告げ、私は宿を後にした。家を出る際にあらかじめ用意しておいた「明日会いに行く」といった文面の書簡を手近な兵に預けてから、宿で聞いた道をたどる。

 夕暮れ時、それでも様々な巡礼者たちが足を運ぶ広い建物がある。聖都が聖都たる由縁のひとつがこれ、すなわち温泉である。

 マナが宿ったありがたい水や湯に浸かる、または半身浴ないし足湯、さらに飲用したりすることで健やかなる命が育まれるとされ、恩恵を求めて訪れる人々へと、共同資源として広く開放している。いわゆる公衆浴場である。

 番台役に利用を告げると、番台役は私を少々眺めて「ふむ」と呟いた。

「あなたはそうですね、できるだけ弱めの湯がよろしいでしょう。あまり浸かりすぎないように注意してくださいね」

 聖都へ来た魔術修練者は、当然と言うべきか、そのほとんどがマナを祀る教団側に抱え込まれている。魔術士会として、街と提携し、資金面を援助される代わりに警護やその他の要魔力仕事面を補っているというわけだ。

 この番台役もそんな魔術士会から遣わされた人物なのだ。人の魔力を見極める力に長けた者が派遣され、温泉利用に際し手引きを行ってくれている。

「わかりました。ありがとうございます」

 私は礼を述べて、鉄銭を支払った。もちろん、有料である。

 中に入った私は、番台役が教えてくれた通りの一番弱めの湯に足だけ浸し、ため息をついた。薄めているのかしらないが、ぬるい。暖を逃がさぬ屋内の作りで十分暖かいのだが、なんて寂しい温泉利用なのだろう。

 同じ湯内には、子供や年寄りなんかが多い。抵抗力のない大半の幼い子供や年寄りも、あまりマナが多すぎる湯の利用は勧められないのだ。

 離れた位置にある、少々熱めの温度がうらやましくなる湯の方からは、湯けむりのごとくマナがもうもうと立ちのぼっている。

 温泉とくれば癒しを期待したくもなるが、このあたりは温泉や鉱泉、他は湧き水や湖、微量ながら河川にいたるまで、さまざまな水資源が土地に宿った豊かなマナの影響以下略で、私はあまり好みではない。私が例えるならば、納豆とオクラとなめこを煮込んで片栗粉を加え、熟成発酵させた湯や水に浸かっているようなものだ。

 確かに湯治効果に加えてマナの促進療法効果まで期待できるとなれば、それはそれは体に良いのかもしれない。ネバネバ製品は体に良いのかもしれないが、しかし限度ってもんがある。

 もし仮に、この苦行に耐えた先で「この芳しいねばねばどろどろがクセになるの」なんてハートマークを散りばめながら行き着く場所まで行ってしまった台詞を私が語り出してしまったら、私は私をどうしたら良い。それにと言ってはなんだが、やはり通常より濃いマナに浸かるので、普通の人は大のおとなであっても利用しすぎると逆に体調を崩してしまう。

 叶うならば、私は普通の温泉に入りたいのだ。どこに行ってもマナなんていう正体不明の存在でがんじがらめにされてしまって、この界隈に家族が暮らしていなければ、私は別の土地へと移ってしまいたいところである。

 窓から差し込む夕日と屋内を照らす火の朱に染まった湯の表面に、心なしかげっそりとしたアリエの顔が映り込む。幸か不幸か、周りにろくな鏡が存在しないため、しっかりとアリエの顔を眺める機会はそれほどない。あまり姿を確認できないお陰で、私は未だに自分を見つめ返している少女の姿を見慣れなかった。

 おぼろ気に揺らぐはっきりとしないアリエの姿に、ふと懐かしい影が重なる。むしろ今は、鏡などほいほい無くて良かったのだろう。銀に輝く精巧な鏡は、時として残酷な現実までも映し出す。

 向かい合った世界の全てを色鮮やかに映し出すガラスの鏡を最後に見たとき、そこに映った私の姿は、青白く削げた頬でがっくりと肩を落としていた。

 病院のベッドで安静を余儀なくされていた私は、通院措置まで回復したかと思いきや、次の日にはまた具合が悪化し病院へととんぼがえりさせられた。入院中も回復しては悪化しての繰り返しで、謎の病魔は嫌がらせのようなしつこさだった。

 体力低下と合わせて襲いくる風邪やなんやらを、驚異の生命力と不屈の精神で退けたかと思いきや、次の瞬間にはまた寝込んでいる。そんな状態が、何週間と続いていた。みるみるうちに血色の悪くなっていく自分の顔をながめるたび、ますます気力を削がれてしまう。

 体力も異常に落ちてしまい、衰弱した私は出歩くこともままならなくなっていった。もはや病院の庭で散歩くらいが精一杯で、無理をすると熱を出したり寝込んだりなんていう始末だ。しまいには肺炎になってしまったのだからやるせない。

 不調の根元たる免疫力および体力低下の原因は不明。同室のベッドや隣室などに入院している噂好きのおばちゃん方からは、呪いだとか悪霊にとり憑かれたのだとか、そんなことまでまことしやかに囁かれた。

 全くもって心外だった。これでも、小さな頃から体力づくり程度ながら剣道なんかを続けてきた、ちょっとした体育少女だったのだ。

 これは診察時のことだ。ほかに何かおかしいなと感じる部分はありませんか、なんて医者に聞かれた私は、ふと考えてから、そう言えば、と切り出した。

「何かに全身まとわりつかれているような、何かの中にどっぷり浸かっているような、妙な感じがします」

 それを聞いた医者は考え込むようにして、調べてみますと回答した。そんなことがあった少し後で、呪いだ悪霊だなどと噂されるものだから、全くもって縁起でもない。

 今になって言えることといえば、少なくとも、そのまとわりついているような何かとは、まさしくマナと呼ばれるものにそっくりだった、ということだろうか。だからだろうか、私は未だにマナに対するイメージはあまり良いものを持っていない。

 別に気に入らないのを我慢してまでこの温泉を利用しているつもりはないが、疲れと汗を流しきるには、ここまでの行程とこれから起こりうるであろう行程が、いささかハードじゃなかろうか。

 宿へと戻った私は、指示された部屋に入って中を見渡した。十坪あるかないかほどの空間に、十数人が腰を休めている。ざっと数えると私が入って十七人。なかなかに窮屈だ。

 仲良く休めと言ったからかは知らないが、オルカとカインは隣り合って場所を陣取り座っている。二人のそばには空けてあるのか一畳ほどのスペースがあった。

 中に入った私は、それを無視して入り口近くに空いていた場所へと移動した。何か私に言い分が与えられるならば、そちらの方が開放的であったと言おう。

 離れた位置に腰を落ち着けた私を発見したオルカは残念そうに驚いた。そばのスペースに視線を移してから、空けといたのに!と言いたげにこちらを見る。

 私は脚を伸ばしてこちらの広さをアピールしてから、手を横にひらひらさせてここが良いと目で訴えた。普通に声を上げて会話するには、寝て休んでしまった人が多すぎて心苦しい。

 そんなこんなで私たちがそわそわしていると、なんと私の近くにいた夫婦らしき人たちが見かねて場所を空けてくれたのである。オルカとカインの方を見ながら、こっちにおいで、場所を交換しようと身ぶり手振りで示している。そして私の方を向いてにこりと優しく微笑んだ。

 私はあわてて頭と手を横に振った。「そんな申し訳ないです、結構です」と小声で言ったが遅かった。こうなったらあとは礼以外に言える言葉がない。

 そのままオルカを眺めていると、彼はかったるそうなカインを無理矢理引っ張ってこちら側へやって来た。せっかく良心で場所を空けてもらった手前、来るなとは言えない。

「今の私の心境とかけまして、この部屋の人数と解きます」

 その心は?と問いかけながら、私はやって来た二人を見た。オルカは何を突然言い出すのだといった珍妙なものを見る目で私を眺めている。割りきれない。

 髪が乾ききっていなかった私を見るなり、オルカはずるいと言い出した。私が公衆浴場の場所を教えると、先に行くなんて水くさいとか言いながら、立ち上がってカインの羽織ったマントの裾を引っ張った。私以上に水くさいカインは、うつ向き加減のまま見向きもせずにその手を払う。そりゃそうだ、マントを被ったまま湯を浴びるわけにもいかないだろう。

 人に見られたくないと言うのなら、一体彼はいつどこでその体を洗うというのだ。その辺の川かどこかで暗いうちにこっそり洗っているのだろうか、この季節には考えただけで寒い。まさか洗っていないなんてことは無いだろうと思いたい。

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