10.シーン1-9(森)

 てかてかといびつな体を光らせながら、狼が私を目掛けて飛びかかる。体育少女アリエちゃんを、甘く見ないでいただこう。

 どこかぎこちない動きの狼を横へとかわした私は、体勢低く狙いを定めた。拳を握り、踏み込む。あばらの浮き出た胴体に拳が触れたわずかな一瞬、接点からぴしゃりと光がほとばしった、ような気がする。

 突然、腹に加わった衝撃に耐えきれなかったらしい狼の口から、血と呼ぶにはあまりにどす黒いヘドロか何かが吹きこぼれた。

 飛沫に当たらぬように位置をかえつつ、飛びかかってきた狼の勢いにまかせて、思いきり弾き飛ばす。

 僅か数秒、窮鼠だって猫を噛む。

 飛びかかってきた狼は、かすかな放物線を描きながら茂みの奥へと消えていった。

「うおっと」

 オルカが小さく悲鳴をあげた。こちらに気をとられた隙を、リーダー狼に突かれてしまったらしい。何とか剣で狼の攻撃を防いだ彼は、そのまま弾いて押し返すと、素早く体勢を立て直した。

 弾かれてしまったリーダー格の狼は、どこかぎこちない様子で地面に着地した。そのまますぐに次の一手を仕掛けてくるかと思いきや、なかなかどうして、動きが鈍い。こうしてみれば襲撃の仕方もどこかお粗末に思えてくるし、彼らの様子はやはり何かおかしいようだ。

 先の特攻を剣により防がれ、さらに剣によりもう一撃、が入るかと思われたところへ、再びカインの光弾が直撃した。

「うわ、ビックリした! もう、危ないじゃないか、カインってば!」

 抗議をしながらも、オルカは「ふう、助かった」と言って胸を撫で下ろす。

 カインのはなった光弾により後ろへ弾かれたリーダー格の狼は、またもや数メートルほどゴロゴロと転がった後、ピタリと動かなくなった。どうにも暴力的な感じが拭い切れない吹き飛ばされ方である。

「死んだ、のかな」

 オルカが恐る恐る様子を確認する。

 最初に弾き飛ばされた狼もあれから起き上がる気配がないし、私の近くにヘドロか何かを置き土産した狼も、茂みの奥から戻って来ないようだ。まず、事切れたと見て間違いはない。

 安堵と喜びの深呼吸とともに私の方を振り向いたオルカは、アリエも意外となんたらと言いかけてから口を止め、代わりに少し顔をしかめた。

「くさっ」

 乙女に向かってそれは失礼である。

 私は先ほどの狼が地面に残したヘドロをのぞき込むようにしゃがんではみたものの、すぐさまその正体を察して立ち上がった。酷い腐臭だ。

 恐らくは、はらわたからして腐りかけていたのだろう。どこかカビ臭い気がしないでもない。なるほどつまり、外にキノコが生えていたくらいなのだから、中もそれはそれは悲惨な有り様だったに違いない。こんな状態でよく生きていたなというよりは、こんな状態だとどの道もうすぐ死んでいただろう。

 これは憶測に過ぎないが、この狼たちは、元々は外部の生き物だったのではなかろうか。はじめどのような格好をしていたのかは分かりかねるが、おそらく迷い込んでしまった中でグロテスクな姿へと変わり果ててしまったのだ。

「うーん、なるほど、死の森か」

 この森に外敵はいないものの、部外者は長くいると何の作用かこうなってしまうらしい。それはそれで恐ろしい。今更感も甚だしいが、下手に植物に触るのはやめておこう。私がしゃがんでいたのを見て、同じくヘドロを確認していたオルカも、同じ結論に至ったようだ。

 恐ろしいかな、どうやらこの森では菌類までもが魔物化してしまうのかもしれない。王家の墓の呪いと名高いカビの力を甘く見てはいけない。どれだけの命がキノコとカビの餌食になってしまったのだろう。これでは呪いだ祟りだと言われても冗談に聞こえない。

「なんかうすら寒くなってきた」

 私は背中を丸めて両腕をさすった。一応、三人のなかでは一番着込んでいると言って良い。まだまだ朝晩の冷え込む季節であるため、上衣の上に薄手のジャケットを羽織り、さらにマントという重ね具合である。下はショートパンツだが長めの防脚具をはいているし、どちらかと言えば、軽く動くと暑いくらいだ。それだというのに、なぜかひんやりした空気が漂ってこないでもない。あまり考えたくはないが、それを言うなら細菌だって魔物化しないと言い切れない。

「旅の半ばにしてカビに喰われ、どろどろに溶けて行き倒れた人々の魂が、愚かにも踏み入ってくる生きた人間を求」

「いやいやいやいや」

 薄気味悪さを茶化そうと私が語り始めたところ、オルカがものすごい剣幕で割り込んできた。

「ないないないない、さすがにないよ、いやだなあもう。幽霊なんているわけないじゃないか」

 弾幕のようにオルカが喋る。

「いやだなあ、そっちこそ。何言ってるんだよ、マナは人の心に反応する。精神的な作用がある」

 そう、だから、呪いなんていう魔術も存在したりするのだ。

 それは魔力の高い君の方が、よおーくわかっているんじゃないか、とかなんとか言いながら、私はもう一度彼の横に並んでしゃがみこんだ。

「この森にねっとりと満ちあふれたマナに、死に逝く者たちの遺志が宿ったとしても、なんら、不思議はないではないか」

 ふと視線を上げると、薄暗く靄のかかった茂みの向こうに、ぼんやりと大きな丸い光が浮かんでいるではないか。思わずどきりと跳ねてしまった私に気が付いたオルカも、私の視線の先を追ってそれを目撃してしまう。

 オルカはぴしりと固まった。

「コンナトコロデ、死ニタクナカッタ……痛イヨ、苦シイヨ……暗イヨ、寒イヨ、寂シイヨ」

 はたから見れば、私たちはさぞ馬鹿馬鹿しいことであろう。しかしオルカときたら、血の気の失せた顔のまま、茂みの向こうの光に釘付けだ。多分あと一息である。

「オニイサン、ドウシタノ……コッチヘオイデヨ、一緒二オイデヨ……寂シイヨ、オイデヨ……」

 オルカは石膏像のように固まったまま、ぴくりとも動かない。

 私は静かに、オルカの首筋にふぅっと息を吹きかけた。

「おぎゃあああああ!」

 おめでとうございます。元気な男の子ですよ。

 なんと、オルカは尻に火がついたかの勢いで、走っていってしまった!

「あっ、私の保護魔術……」

 離れると解けてしまうのではなかったか。

 しんと静まり返る霞の奥から、怒号にも似た悲鳴がほとばしる。

「さようならオルカ。君のことは忘れない」

 私は厳かに合掌した。

「あれはそのようなものではない」

「ぴぎゃ」

 驚いた!

 普段訊ねられても答えないのに、なぜ今この状況下このタイミングで突然声を出すのだ。思わず私まで跳びはねてしまったでないか。

 声のした方を振り向けば、あれからずっとそばで黙って控えたままだったカインも、丸い光の方を見ていた。

「ああ、はい、さっき見ました」

 カインは興味がないからなのか何なのか、私が奇声とともにかるく跳び退いたことに関して何も触れてこようとしない。それはそれで非常に気まずい。

 私は無言で立ち上がると、皺になった服をぽんぽん叩いた。

「すごく大きなキノコでした、あれ」

 伊達に、茂みをかき分けてまではしゃいだわけではないのだよ。それでもやはり、暗がりの中にぬらりと現れて出れば驚いてしまうというものだ。

 二、三回ほど見かけたが、一際鮮やかに青白く発光するキノコだったはずである。またもやキノコ。早くこの森から出たい。

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