君が忘れた小説のタイトルを僕は今も探している

無為憂

君が忘れた小説のタイトルを僕は今も探している

「愛だっけ? そんな言葉、入ってなかったかなあ。青とかも入っていたような気がする。ううん……どーなんだろ、忘れちゃったなあ。私、もうこんなんだからね。ごめんね、あおい

「そんなことない。僕のわがままなんだ。無理に思い出させてごめん」

 彼女は、悲しそうに、申し訳なさそうに笑った。彼女は、口元を持っている本で隠した。その時、つけていた紙製のブックカバーに彼女の爪痕がはっきりと残った。僕は、そんな彼女にマフラーをかけてやる。ロングの髪が、うまくそれと絡まる。それは、先日彼女から貰ったものだった。


 高校時代のそんな会話を僕は今も鮮明に、狂いそうなほど鮮明に覚えている。これだけはいつまでも褪せない。十年経った今でも、僕は、自分のクリスマスの誕生日に彼女との約束を果たせていない。

 十年と少し前、僕と彼女は、市の図書館で知り合った。お互い好きな作家が一緒で、そこから意気投合した。彼女は、割と大人っぽく見えるところがあって、僕は彼女と学校で会うまで同年代ということに気づかなかった。

 彼女は、少し不思議な子で、格好よく言えば、超能力、もうちょっと現実的でましな言い方をすれば、想像力がすごい、特異な能力を持っていた。普通、本当に超能力を持っていたら隠すか、その能力を有効利用するかのどちらかだと思うのだが、彼女は僕と共有して見せた。ここでこんなことを言うとヤバい女にかき乱された男の妄言にしか聞こえないだろう。実際、彼女はその能力を僕にしか話していなかったようだし、そう思ってもらって大いに構わない。

 彼女は、勿論ヤバい女などではなかった。常識というものをちゃんと弁えていたし、人が聞いて恥ずかしくなるような、そんな夢見がちな話はしなかった。これは、単純に僕と彼女との約束の話だ。


高校二年の時、彼女は僕にある話をしてくれた。その日は、秋なのにずいぶん冬が出しゃばった日で、僕は厚手のコートに身を包んで、図書館に出かけた。彼女はよく直で、学校から図書館に顔を出していた。

「これは、秘密にしておいて欲しいなんだけどね、碧君」

「わかった」

 さっきまで、熱っぽく好きな作家の二作目のことを語っていたのに、すうっと火照りが解けたように涼まし顔で、彼女は話し始めた。

「絶対に秘密にしてよね」

 僕が無言で頷くと、彼女もそれに答えるように、微笑した。

「私、超能力をもっているの」

 僕が急な発言に固まると、再度、ちょ、う、の、う、りょ、く、と大きく唇を動かして示した。

 そうなんだ、と僕は彼女なりの冗談かと思って受け流すと、「私、平行世界にいけるの」と自信ありげに言った。彼女と僕がさっきまで話していた、好きな作家の話も「平行世界」をテーマにした作品だった。

「ほんと?」 

 僕は、このタイミングで冗談を仕掛けるとは到底思えなくて、嘘でしょからホントかもに重心を預けていった。

「本当だよ。碧君にだけしか言わない秘密」

「わかった、信じるよ」

「自分は超能力なんて持ってる、なんて誰も信じないこと、よく碧君は信じてくれるね」

「だって僕のこと信じてるからこんな話を出すんでしょ? そろそろ僕も七瀬さんのこと、詳しくなってきたよ」

「えへへ、嬉しいなあ。私、別の世界では、ひじりって名前なんだよ。おかしいよね」

 彼女はそう言うとふふっと笑う。

「別の世界って、平行世界?」

 僕がそう聞くと、彼女は長い睫毛をぱちぱちさせて、「行ってみる?」と手を差し出した。司書さんがカーテンを開けたのと同時に秋の弱い日差しが、彼女の睫毛を照らした。きゅ、とカーブのかかった一本一本が、彼女の瞬きと同時に動く。


次の瞬きの間に、それは起こった。場所は図書館で間違いない。だけど、その一瞬で空が紅く染まっていた。

「ここが平行世界?」

 疑心暗鬼で僕がそう尋ねると、彼女は、満足そうに頷いた。

「これも見て」

 彼女は、二作目と一緒に持ってきた「三作目」を僕に見せた。それは、僕の知らない三作目だった。

「すごい、すごいよ、七瀬さん」

「秘密だよ?」

「わかってる。それより、これ読んでも良いかな?」

 僕は、彼女の手から本を奪い取り、半狂乱的に最終ページの奥付を開いた。確かに、僕の記憶している三作目の出版日と一緒だった。タイトルは勿論、装丁の違いにも一瞬で見て取れる。だが、まじまじと見ているよこれが本当の三作目の様に思えてくる。僕が、読んだのはこの本で間違いない、と。

「今、記憶の不一致が起きてるんだよ」

「え?」

「この平行世界と元の世界は、二作目で分岐したみたいだね。だから、脳が今までの辻褄を合わせようとしているんだよ。それにこの世界の時間の流れは、私たちの世界より早いから、こういうこともある」

 彼女は窓の外の夕焼けを指した。雲間から覗き込む光が妙に綺麗だと思った。平行世界のビジュアル補正でもあるのか、と思った。

「へえ、面白いな」

「でしょでしょ」

「とこで、七瀬さんはこの本よんだことあるの?」

「うん、あるよ。二週間前に」

 彼女が、この作家について熱く語れるのはこの能力のお陰だな、と僕は気づいた。


 平行世界のものは持ってこられないということで、閉館ギリギリまで彼女に付き合って貰って読み終えた。

 彼女は僕が読み終わるのを見ると、嬉しそうに僕を伺った。だが「どう?」とは、はっきりと聞かず、僕から言うのを待っているようだった。

「良かったよ」

 僕が一言、照れながら言うと彼女はほっとし、顔の緊張を解した。

「違う世界だから、合わなかったらどうしようって思ってたんだ」

「そんなことなかった」

 世界が変わっても、僕の好きな先生は、先生だった。


 十年も経つと、記憶のどうでも良い部分はたいていカットされ、自分の再生しやすいように、したいように美化される。でも、僕の彼女との約束は、いつまでも醜い部分はそぎ落とされない。僕のクリスマスの誕生日まで一ヶ月を切った。今年もどうやら、彼女との約束を果たせそうにない。いつか絶対に果たすと誓った十年前を今日もまた思い出す。


 酷く荒れた夜だった。彼女の記憶の忘却が進んでいたことを彼女以上に僕は苛立っていたと思う。もう、彼女の記憶も頼りにならないのか。落胆しながら、僕は彼女が忘れたタイトルを探していた。

 あの日、彼女から能力のことについて教わった時から、数週間が経っていた。それ以来、何回も彼女に平行世界に連れてって貰った。

 この世界を0としたとき、1世界が離れるごとに、元の世界に戻るのに時間が掛かった。この世界と遠い世界では、時間の進み方が、大分違った。遠くなるほど、時間の乖離が進み、未来のことも知れるようになるという。が、未来も遠い世界の一部なので、それがここの世界で起きるかはわからない、ということだったけれど。

 三つぐらい離れた世界に僕は、彼女と来ていた。僕は、その世界の先生の第一作目を読んでいた。タイトルも装丁も変わらないが、文章の一部分、変わっている可能性があると彼女は言うのだ。

 僕が本を読んでいる間、彼女はちょっと遠い世界に行ってくると言って消えた。ここ最近、彼女がどこか遠い世界へ一人で行く機会が多くなった。僕も行く、と言うと頑なに一人で行きたいと言って譲らなかった。心配にもなったが、元々彼女の能力、彼女の時間を僕は貰っているということもあって、僕は中継地点である世界で一人待つことになった。あまり遠い距離を移動すると疲れてしまう、と彼女は言った。

 勿論、その間僕は先生の違う作品を読めるから美味しい話であることにはかわらないのだけれど。

 五時きっかりに彼女は戻る、という約束を破って十分。酷く怯えた様子で彼女は、僕の元に戻ってきた。これから元の世界に戻るには、彼女は疲れすぎていた。

「どうしたの」と訊くと、「私、殺されるかもしれない」と肩で息をしながら言った。

「何があったの」

 随分と物騒なことを言う彼女に、僕は唾を飲み込んだ。殺すなんて言葉を安易に使わない彼女の言葉には、信用がおけたし、何より彼女はついさっきまで遠い世界にいた。不確定要素は多いものの未来を知ることができる。如実に、彼女の言葉は現実のものとなる可能性があった。

「私、殺される」

「うん」

「死ぬかも、しれない……」

 彼女自身が一番ショックを受けていた。僕は、その重い事実を少しの間上手く受け止め切れていなかった。だけど。

「しっかりして」

 僕は、彼女を励まし、奮いたたせた。そんなことをしても、彼女の力になり得ないことは分かっていた。

「うん、うん」とばかり返す彼女に僕は耐えきれなくなって、

「何があったの。何されたの。何を見たの」

 僕は思いつく限りの状況をあげた。それに彼女が答えやすくなれば、なにか状況をつかめるかも知れないと思った。

「良く覚えていないの。確か、あの世界の私と合ったんだけど、なぜ私がふたりいるのか分かってなかった」

 どういうことだ? どの世界に行っても、彼女は「平行世界にいける能力をもっている」という認識を持っていた。

「そしてものの数分で、あの世界の私は、殺されていた」

「確かに、確かに死んでいたんだな?」

「うん、間違いない」

「ねえ、君に伝えておかないといけないことがあるの。本の、タイトル」

「えっ?」

「本の……タイトル」

 荒い息をしていた彼女は、時間が経つにつれ、落ち着きを取り戻していった。

「とりあえず、元の世界に戻ろ」

 うん、と僅かに首を縦に振ると、彼女は能力を使った。

 戻ってすぐに、彼女は気を失った。僕は彼女の家を知らなかったため、迷ったが

図書館を出てすぐのところで、救急車を呼んだ。それから……忙しなく時は流れて……。


 彼女は、過度のストレスで、記憶を失った。

「おはよ」

「おはよ。もう夕方だし、せめてこんちにわじゃないのか?」

「今日初めて会ったから、おはよう。なの」

「そう、なのか」

 季節は冬になって、病衣を着ても彼女は綺麗だった。

「それにしても馴れないよね」と彼女は笑う。

救急車を呼んだあの時、勢いと流れで彼女の両親に会ったとき、僕は何故か彼氏認定されてしまった。

「いじるのやめて」

「いいじゃん、いいじゃん」

 あの日以来、彼女は良く笑うようになった。ちょっとしたものでも、本当に面白いみたいで笑っている。朗らかになった、というのかもしれない。

「ねえ、あの時のことを訊いてもいい?」

 ベッドの側にあった椅子に腰掛けると、彼女は笑顔で「いいよ」と言ったが、彼女の表情が一瞬曇ったのを僕は見逃さなかった。

「あの時、本のタイトルを伝えないといけないって言ってたじゃん? 何のタイトルなの?」

「ごめん、思い出せない」

 彼女の忘れた記憶、というのはけっこうはっきりしていて、あの時見た「自分が死ぬ未来」というのは、すっかり忘れきっていた。それに付随した記憶も日を追うごとに忘れていっている。

「ううん、いいんだ」

 タイトルを訊くのもこれで三回目になる。本のタイトルの記憶も付随されるものらしく、一回目よりも二回目、そして三回目に訊いた時のほうが情報量が少なく、三回目の情報はゼロ。これまでに得られた情報は、「愛」、「青」、という文字がタイトルに入っているかも知れない。本の初版発行は、今から一ヶ月後、もしくは一ヶ月前。たったこれだけだった。

「明日退院だってのに、こんな話するべきじゃないよな。ごめんな」

 僕がそう言うと、彼女は、

「いいよ。それより、能力は使えるようになったの?」

 僕は言葉を濁して返す。

「もう、せっかく君にあげたのに」と彼女は頬を膨らます。

「ごめんて」

 彼女の世界を渡る能力は、僕に引き継がれた、らしい。僕はその能力をいまいちど認識できた例しがない。そんなんじゃ、五年はかかるよ、と彼女は言うも僕には扱い方どころか、存在すらわからないのだ。

「僕の誕生日には、出来るようになるよ。約束する」

「ホントに? わかった、指切りしよう」

 彼女と僕は指切りをする。これが、彼女との初めての約束だった。

 僕は、誕生日までの数日間、彼女に頼み込んで、使い方を教わっていた。

「だーかーらー、力むんじゃなくて願うの。強く。わかる?」

「う、うん」

 そういうやりとりを何度かして、僕は約束の前日に使えるようになった。

 

 二十五日、当日の夜は彼女と街の中心にあるイルミネーションが素敵な広場で待ち合わせた。一八時に待ち合わせ場所に着いてから、一時間経っても、二時間経っても、彼女は来なかった。LINEも未読のまま。

 やけに救急車のサイレンの音だけが耳について離れなかった。縦長に『不在着信』の文字だけが増えていく。

「雪だ」

 どこかのカップルが、そんなことを言った。上を見ると、雪が降っていた。ただそれだけだった。

 彼女の両親から連絡があったのは、翌日の朝だった。

「即死……ですか?」

「うん、碧くんも心配させてごめんね。お通夜は今日の夜からあるけど、来る?」

「ええ。行かせて頂きます」


 それから僕は、僕の誕生日に彼女のもとを訪れ、「約束」を遂げられたか報告をする。約束は、僕が能力を使えるかどうかではなく、、彼女が教えてくれなかった「本のタイトル」だ。

 彼女が伝えたかったタイトルを僕は十年が経っても探している。唯一、探す手がかりになり得るのは、彼女の能力だけだった。彼女が死んだこの能力で、僕は彼女が死んだ理由を探すのだ。

 一年目は、彼女が死んでいない世界線を探しに行った。だが、彼女は、生きて話をするどころか、死んでしまっていた。僕は、高校三年生になっていた。

二年目は、僕と関わらなかった世界線を見に行った。僕の関わっていない世界では、大半の彼女が生きていた。やはり、彼女は僕が殺したも同然なんだと思った。悲しかった。僕は、大学生になっていた。僕だけが、年を取っていた。

三年目、僕は、僕は何もしなかった。どうでもよかった。

四年目、ただ年を取っていた。

五年目、いつの間にか、お酒が楽しめるようになっていた。

六年目、やっと彼女が死んだことを受け入れられた。

七年目、古びた墓石を前に、僕は泣いた。

八年目、僕は、僕の好きな先生の本が、彼女の伝えたかったものだと知った。

九年目、僕は初めて、先生に会った。近いうちに約束を果たすことを誓った。

十年目。


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