第5話 『眼』

【───√A−3】


 普通ってなんですか。当たり前ってなんですか。


 辞書を引いてもわからない。誰かに問いかけても正しい答えは返ってこない。

 みんながしているようにするのが正しいんですか? 個性を潰してなにになるんですか?

 夢を抱くのが悪なんでしょうか。なんで大人たちは、普通を強要するんでしょうか。


『ダメよ。貴女は立派な大人にならなくちゃいけないの』


 立派な大人ってなんなんですか。子供の夢を踏みにじるのが立派なんですか。


 普通ってなに。普通がそんなに良いの? 秀でているのが異常なわけがないのに。この集団心理の獣が────憎らしい。


 足並み揃えているのが正義か。みんな一緒に歩くのが正しいか。

 憎い。憎い。憎くて仕方がない。普通を謳って生きてる連中も、特殊を許されている連中も、みんな、みんな。


「あ゛、づ、」


 思考が熱い。胸から湧き上がる感情に吐き気がする。

 背中が、痛い。思わず電柱に手をついて、ゆるく頭を横に振るった。

 彼の拳を受けてから何かがおかしい。自分がおかしくなっていることを、ようやく自覚できたような。そんな違和感。

 独りでに回る思考。ありもしないはずの溢れ出る殺意。思い浮かぶのは自分の中に覚えのない、殺害現場の数々。あの少年の顔には見覚えがあるはずなのに、自分の思考がハッキリしない。わたしは、わたしは、


「……わたしは」


 わたしは一体、何をしていたんだろう。


 ◇◆◇


「とまあ、とりあえず。色々あったけど……」


 話が終わる頃には、家の目の前にたどり着いていた。

 鷲が台と呼ばれる集合団地の一角。四号棟と名されるそこの最上階。『星川ほしかわ』と札がかかった四○二号室が成海の家で、その隣の四○一号室が俺の家となっている。


「今日起きたことは忘れた方がいいだろ。別に、成海も巻き込まれたわけじゃないし」

「でも……」


 それぞれ、家のドアノブに手をかけながらの会話だ。鍵は既に解錠済みで、いつでも家の中に入れる。

 けれど。何かを言いづらそうに口籠る成海が、そうさせなかった。

 成海の視線はドアノブに。俺に向けられることは決してなく、言葉をまとめるような沈黙の中。何秒かに一回口を開閉するだけで、言葉はその口から出てきてくれないようだった。

 何十秒かの時間が経過して、諦めたような大きな溜息を吐き出す成海。挙句、投げかけられた問いかけは、


「……夕飯は?」

「良いなら、そっちで食べたい。できたら連絡してくれ」

「わかった。母さんと父さんに伝えておく」


 いつも通りの、何度と無くそうしてきた短いやりとり。

 その言葉を最後に、成海は自分の家へと入っていく。それを見送ってから俺も自宅の扉を開けた。

 玄関に入ると、向かいには居間に続く襖が見える。右手側には、あまり使っていない、お世辞にも広いとは言えない台所と冷蔵庫。そして、俺の身長ほどの大きさはあるであろう姿見。

 スクールバッグを玄関に無造作に転がし、靴を脱いで。そのまま姿見の目の前に立ち、自身の胸に────そこに埋め込まれた球体に、意識を向けた。

 瞬間、すっかり暗くなった廊下を照らすのは白い光。光が晴れた頃には左手には大きな、両開きの扉のバックルと、右手にはウォードキーの冷たい感覚がある。

 そのバックルを自らの腰に当て、ベルト部分が腰に自動的に巻きつけられたのを確認したところで、ようやく右手の違和感に気がついた。


「……あれ」


 鍵が一本増えている。

 中央公園での変身に使った金色のウォードキー以外にも、もう一本。真っ黒な鍵が一本増えているのだ。

 途端に流れ込んでくる鍵の情報。……この感覚にはまだ慣れない。まあ、こういう話にはありがちなものなのだが。


《────UN Lock》

「変身」

《────TYPE:Zero》


 手早く変身を完了。鏡の中の自分が移り変わっていくのを見ながら、思わず感嘆の声を上げた。

 ……本当に変身してる。一度目は必死だったからイマイチ実感が湧かなかったものだけど、こうして改めて見てみると嫌でも自覚するというもの。

 なんと言うか、やっぱり全体的に黒い。全体としてイメージに近いのは、『創造』の仮面ヒーローの暴走フォームが近いだろうか。ソレに複眼部分を紫色に差し替え、同じく紫色のマフラーを巻きつけてやった感じだ。

 そして、右手の甲には変身にも使ったものと同じようなウォードキーの装飾。目立つものといえば、これくらい。


「……まだわからないコトだらけだけど」


 考えたって仕方がない。実戦で試していくか、あの大人に深く聞いてやるくらいしか理解を深める方法はないんだから。

 思考を放棄して、武装を解く。ベルトと鍵をもう一度胸の球体にしまい込んでから、居間へ続く襖を開けた。すると、


「やあ、おかえりなさい。待ってましたよ」

「────は?」


 そこに居るはずのない男が、我が物顔でテレビを眺めて寛いでいた。

 俺のベッドの上には黒いジャケットとハットが脱ぎ捨ててあり、部屋の中央を陣取って居る机の上には貯蔵してあったはずのアイスの残骸。ゴミ箱に視線をやると覚えのないスナック菓子のゴミが覗いており、なんというか。なんだ。何処から突っ込めば良いのかわからないぞ。


 端的に言う。黒服の男が〝不審者のような怪しいやつ〟から〝不法侵入をしやがった不審者〟にランクアップして、俺の部屋に居やがった。


「なかなか良い部屋ですね。趣味も出ていてわかりやすい」

「……なんで自分の部屋のように寛いでんだ」

「お邪魔してます」

「喧しい」


 思わず冷たく吐き捨てる。とりあえず、この男に何を言っても無駄な事だけはわかった。今もヘラヘラと笑い飛ばして居るし、机の下から取り出したスナック菓子の封を新しく開いたあたり、反省の色も感じられないし。諦めも時には肝心である。

 ともあれ、何か用があってここに現れたんだろうし。とりあえず、そのまま机を挟んで男の目の前に腰を下ろした。


「話が早くて助かります。ご理解いただけましたか?」

「まあな。こっちが大人になるしかないんだなって思った」

「ははは」


 笑って流された。なんか無性に腹が立つ。ぶん殴ってやろうかと思ったけど、謎の力を使うあたり返り討ちに遭う未来が垣間見えたんで、構えかけた拳をそっと下ろす。

 ……なんだろうな。コイツと話してるとすこぶる疲れる。その疲労感すら、この男を楽しませる要因になっている感はあるけれど。

 そんな俺を他所に、男は「さて、」なんて前置きをして、横になって寛いでいた体を起こす。そのまま机に両手をついて、やっと真面目に話を開始した。


「僕にたくさん聞きたいこと、あるでしょう? どうぞ色々聞いてください」


 正直助かる。急にあんなことに巻き込まれて、何も説明されないまま放って置かれても困るって話だ。

 とりあえず、言葉を纏めるための沈黙。その間も男はニコニコと笑顔を浮かべたまま、俺のことを見つめてくる。


「……とりあえず、名前。アンタの名前から聞かせてくれ」

「ああ、成る程名前。そう来ましたか」


 いつまでもこの男、とか……黒服、とか呼び続けるのは正直アレだ。せめて名前くらいは聞いておきたかった。


「僕は伊達だてです。伊達 あさひ

「……伊達さん。わかった、覚えておく」


 散々な言いようではあったが、一応相手は目上だ。敬称をつけて呼んでおくことに。

 これで一旦気になっていたことは解決。ここからが、本来投げかけたかった問いだ。


「……まず、俺は一体何に巻き込まれてるんだ? 俺の置かれている状況は?」


 第一。現状の解析。

 今鞠ヶ崎で何かが起きているのは確かだ。それがわかっている以上、〝ソレ〟に関わらないという選択肢は俺の中では存在しない。

 ただ、首を突っ込んでいくにあたってしっかりと何がおきているのかを把握していく必要はあるだろう、と。

 伊達さんはこの問いは予測していたらしい。大して間を空けることもなく、口を開いてみせた。


「何に巻き込まれているのか……そうですねえ。貴方はこの街で行われているバトルロワイヤルに巻き込まれました」


 ……巻き込んだのは僕ですが、なんてふざけた笑いもおまけについてきやがった。



「バトル、ロワイヤル」

「そう。謂わばひとつの景品をかけた殺し合い────ふふ、胸が踊りますね」


 本当にふざけた男だ。あんな光景を見せられて、心が躍るわけがない。

 ただ、この際伊達さんの狂言には触れないでおく。このまま触れてしまえば、話が横道に逸れていく気がして。……ほんの少しこの人の扱いがわかって来た気がする。


「……景品ってのは?」

「ありきたりですが願いを叶える権利ですね。そういうの好きでしょう? 男の子ですし」

「願いを叶える権利────」


 思わず納得。成る程、確かにありがちではあるし、それならバトルロワイヤルとやらに参加してる連中も死に物狂いで戦うだろう。

 納得はした。けれど、それでもいくつか新しく疑問は浮上する。


「……じゃあなんで俺がその戦いに呼ばれたんだ? 俺には願いなんてもんはない。それなら、他の連中を呼んだ方が良かったんじゃないのか」


 本当に願いを叶えるだけの力があるのか、だとか色々と疑問は尽きないが。それでも、俺の中での一番の疑問がソレ。

 願いを叶える権利。なら、叶えたい大きな願いがある人間が呼ばれるべきだろう。俺みたいな、無欲な人間ではなく。

 この手のバトルロワイヤルを起こす連中は、その理由としては『戦う姿を見たい』だの、『人の生き死にが快楽だ』だとかがありがちだし。俺みたいに願いのないヤツを呼んだところで、伊達さんたちに何も提供できるものはないと思う。


「そうですね、今この瞬間が貴方の願いなわけですから」

「────なにを」

「だってそうでしょう? 悪を淘汰する正義になりたい。正しいことをする人になりたい。誰も彼もを助けたい……その欲望は、日常生活で掲げるには些か歪みすぎている。現に今、たくさんの人が死に、この力を悪用する連中が出てきているわけですから────この戦い自体が願い、というのは間違いではない」


 思わず、目を見開く。

 ────読まれている。思考か、記憶か、何かしらが。

 それか元から知っていた。俺の内側に抱え込むものを。何故か。

 そんな俺を他所に、伊達さんの口はひたすらに回る。まるで、俺の奥底に潜む何かを撫で回して楽しんでいるようだった。


「……とまあ、アレです。貴方のような人が必要だったからですよ。だからこの戦いに巻き込みました」

「必要って、何に」

「それはまだ言えませんね」


 伊達さんの言葉はそれっきり。こちらから新しく問いを投げない限り、何も答えない姿勢に見えた。

 これ以上追求したところで無駄か。

 ……とりあえず、この街で放って置くわけには行かない戦いが起こっていることだけは理解ができた。それだけでも収穫はあったというもの。前向きに捉えて、次に。


「……じゃあ、あのけん玉や俺が持ってる変身ベルトはなんなんだ。俺の胸に埋め込まれた球体は?」


 二つ目。自分の力の把握。

 こういった力や異能に、デメリットなんかは付き物だろうし。無闇矢鱈に使い続けられるモノなのかの把握だとか、詳細の確認はしておくべきだ。あと、知らぬ間に俺の体の一部となった球体も。


「変身ベルトやけん玉。これはまあ……玩具、というのが一番最適でしょうね。あの球体は戦いへの参加権のようなものです」

「なんで玩具なんだ? 別の武器でも良いだろうに」

「玩具だからこそ、だと思いますね。子供の頃によく遊んだはずですし、使い方はよくわかるはず。別に怪しいものでもないですよ」

「怪しいだろ。あのけん玉の子は何かと異常すぎた。なにが起きてるんだ、あの子に」

「はて、そうですかねぇ? なにが起きてるか、というのはお教えできません。ええ」


 何処までも戯けた様子に腹が立つ。思わず眉間にしわを寄せ、若干むくれたところで。伊達さんは可笑しそうに吹き出した。


「不満ですか?」

「不満だよ。色々聞いてくれっていったのに、応えてくれない質問がそこそこあるし」

「そりゃあそうですよ。聞いてくれ、とは言いましたが全部応えるとは言ってませんから」


 ……それでいて、ぐうの音も出ない正論をぶつけてくるものだから余計に腹が立つ。伊達さんは不満げな俺をひと通り笑い倒したあと、


「けどまあ……言った通り怪しいものではないのは確かです。動力源も、貴方のモノは『命』なんて大それたモノではない。好きなだけ使っていただいて結構です」


 言い終えるや否や、机の上に置かれたスナック菓子をひと口摘んだ。……どうやらお気に召す味ではなかったらしく、封の口が俺の方へと向けられる。いや、元々俺のなんだけど。


「……じゃあ。バトルロワイヤルって言ってたけど、敗北条件とかはあるのか? 勝敗を決する方法は」

「ありますね。でなければ勝負として成り立たない」


 言いながら、伊達さんが机の上に取り出したのは俺の胸に埋め込まれた球体と同じもの。球体は静かに、何も写しこむことはなく、その場に佇んでいる。


「玩具の出現時にコレが発光するでしょう? アレは謂わば弱点露見の合図のようなモノ。玩具を使用しているうちは左胸にコレが露出し、攻撃が可能になるわけです。……相手に球体を破壊されるか、玩具を破壊するか……命を奪われれば、その時点で敗北とされていますね」

「……この戦いの参加人数は」

「それは内緒です。たくさんいる、ということだけは言っておきましょう」


 また黙秘権。案外話せないことは多いようだ。

 ……でもとりあえず、知りたかったことは軒並み聞けたか。とりあえずは満足と言ったところ。

 これ以上質問は無い旨を伝え、向けられた封から菓子を取り出すなり口に頬張る。別にひと口で飽きるような味では無いだろうに、なんて思っていたところで、


「ああ、そうだ」


 立ち上がり俺の側を通りかかった伊達さんが、ぽん、と。俺の肩を柔く叩く。


「自分の身体を注視してみてください」

「……?」


 思わず首をかしげる。言われた通りに自分の身体に視線を向けて、見つめてみる。

 同時に視界が一瞬白く発光し、そこに変化が生まれた。


「うわ、なんだよこれ」


 写り込んだのは無数の白い粒子。俺の身体にそれはこびりついていて、埃を払うように手のひらで擦っても落ちることは決して無い。その様子をまたもや伊達さんは楽しそうに笑い飛ばしてから、


「球体から与えられる力のひとつ、『痕跡を視認する眼』です。変身能力者はそれを使う度に力の元である粒子が身体にこびりつくので、注意してくださいね。他の参加者も見ることができるので」

「う、うわあ……なんだよそれ。すこぶる厄介……どれくらいで消える、とかあるのか?」

「モノによります。力を使えば使うほど濃くまとわりつきますし……まあ平均八時間くらいでしょうか。頑張ってくださいね」


 困惑する俺を置いて、伊達さんは玄関に向かって歩いていく。出るときは玄関口からなんだな、なんてぼんやりと間抜けなことを考えていたところで。


「────戦わなければ、生き残れない。しっかり戦ってくださいね」


 そんな意味深な言葉を残して、俺の視界から一瞬で消え去った。


 ────────────


 あとがき

 ちょっと投稿を忘れてて一日遅れになる男。なんやかんや忙しいんです。たぶん。恐らく。

 少しずつお話は動き始めました。バトルロワイヤルらしくなってきたと思ってくれれば幸い……。

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