Re:風が紡ぐ詩(1)

日向晴希

起:それは降り注ぐ木漏れ日のように(1)

 薄明かりの差し込む森の中。その暗がりの中でこっそりと周囲の様子をうかがう数人の人影があった。

「状況は?」

 腰に双剣を佩いた青年が訊ねる。

「想定どーーーり。向こうの広場でぐっすり寝てるぜ。まぁ、俺らが殺気ビンビンで近づいたらソッコーで起きるだろうけど」

 静かに斥候の役をこなしてきた別の青年が答える。必要最低限の装備のみを身につけていた青年は、喋りながら胸当てなどを素早く身につけ、万全の状態を整える。最後に身の丈ほどもある大剣を背負おうとし…やめた。代わりに採集用の短剣を佩く。

「そこも想定通りだろう? だからクリスに頑張ってもらう」

「まず相手の翼を潰して、ある程度ダメージを与えて弱らせたらレナの魔法で仕留める……でしょ? 分かってるよ」

 青年たちのいる場所から数歩離れた木の根本でもぞもぞと何かが動く。それは体を丸めて仮眠を取っていた小柄な少年だった。少年は軽く目をこすり、あくびをかみ殺しながら脇に置いていた武器の点検を始める。

「おいおい、ちょっとのんびりしすぎだろ。さすがにびっくりだぜ」

 斥候から帰ってきたばかりの青年が、驚きと呆れに満ちた声を漏らす。彼が出かける前にはこの少年はしっかりと起きていた。つまり、彼が偵察に出ていたほんの二十分、三十分程度の間に少年は眠り、そして起きたことになる。

「大丈夫だよ。カイトみたいに髪の毛のセットが決まらないからって言って、身支度に何十分も時間かけたりなんかしないから」

「俺だってそんな時間かけてねーよ。だいたい、髪の毛なんてちょちょいと水で撫でつければそれで十分だろ」

「うわ……そんなだからモテないんだよ」

「はぁ!? 今そんな話関係ないだろ!?」

 カイトと呼ばれた青年が心外そうに声を荒げたところで、「はい、そこまで」と横合いから制止の声がかかった。

「あんたたちの痴話喧嘩で標的を起こす気? そういうおバカなことをするつもりがないなら、さっさと黙る」

 悪ふざけに興じる二人を眼光鋭くたしなめたのは、足下まですっぽりと覆うタイプのローブを羽織った少女。これから強力な魔術を使うために精神を集中させていた彼女は、普段よりもだいぶ当たりが強めになっていた。使い慣れた補助具フェティシュである飾り付きの杖を握る手も、普段に比べるといささか力が入っているように見える。その普段よりも多く込められた力が、はたして青年たちに対する怒りによるものなのか、それは彼女本人にしか分からない。

「うっ、すまん……」

「レナのケチー」

「は……?」

「ゴメンナサーイ」

 素直に謝った青年――カイト――に対し、怒られたもう一方である少年――クリス――は悪びれた様子もなく唇を尖らせたが、眼光一閃、ドスのきいた少女――レナ――の一声で、あっさりと白旗を振る。

「分かればよろしい」

 眼光の鋭さはそのままに、にっこりと口角をつり上げるレナ。そのせいで逆に表情に凄みが増してしまっているが、はたして気付いているのだろうか。

「……さて、全員準備はいいか?」

 黙って成り行きを見守っていた、腰に双剣を佩いた方の青年が、ようやく口を開いた。

「OK、ばっちり」

「右におなじーく」

「もう少し時間がほしかったけど、まぁ、大丈夫だと思っておくわ」

「えー、肝心なところで燃料切れとかやめてくれよー?」

「むしろ、自分たちだけで終わらせてやるぜ、くらいの気概を見せたら? 男の子でしょ?」

「こういう時だけオトコノコとかオンナノコとか出してくるのは卑怯だと思いまーす」

「まーす」

「準備は、できたのか?」

「あ、はい、できました」

「オフザケガスギテゴメンナサイ」

「レナもたしなめるのかと思ったら悪ノリするのはやめてくれ。二人までならともかく、三人にもなったら俺の手には負えない」

「ごめんごめん、ちょっと気が高ぶってたから、息抜きがしたくて」

「……そういうことなら、まぁ……」

「あー、ずるーい。レナだけヒイキしてーもがっ」

「はい、ストップストップ。これ以上ふざけるとレナとクロードの両方から雷が落ちる。それだけは勘弁だから、な?」

 再びぶーぶーと文句を言いかけたクリスの口を、カイトが後ろから両手で塞いで黙らせた。

 眉間にしわを寄せ、思いっきり唇を尖らせるクリスだったが、それ以上駄々をこねることはなく、静かに標的のいる方向の茂みにしゃがみこんだ。そして人差し指と中指でわっかを作り、綺麗なオレンジ色の瞳でその内側をのぞき込む。

「うん、とりあえず今のおふざけに気付かれた様子はないっぽいね。じゃ、行ってくるよ」

 暗闇の中でも目立つ燃えるような赤髪をすっぽりフードで覆い隠し、クリスは音もなく茂みの向こうへと消えていく。

「さて、では俺たちも今のうちにできる限り近付いておくか。少なくともレナが相手を視認できるくらいの距離までは初手で詰めておきたいしな」

「おっけおっけ、なるべく静かに移動できるルートを案内するぜ」

 言って、カイトはクリスの消えた茂みとは別の道を顎で指し示した。

 森の中を進んでいくと、突如開けた広場に出る。上から見ると綺麗な円形になっているその空間の中心には、大人の背丈ほどもある巨大な岩が鎮座している。

 そして、まるで玉座のような雰囲気を漂わせるその岩の上に、カイトたちが言うところの「標的」がゆったりと身を横たえていた。


 獅子の頭と胴体に、蛇の頭をした尻尾、コウモリのような羽。キマイラである。中級魔獣に分類されるこの獣が、彼らの「標的」。彼らが現在挑戦している試験において、最も獲得できるポイントの高いモンスターである。

 魔獣の中では比較的高い魔力を持ち、強靱な毛皮は斬撃だけでなく打撃もかなり威力が軽減される。尻尾の蛇は牙に猛毒を持ち、うかつに噛まれれば数分と保たずに死に至る。

 武器を持って一日二日程度の素人ではどれだけ束になっても適わない相手。それがキマイラである。まさに卒業を賭けた試験で挑戦するに相応しい登竜門と言えるだろう。

 そして、岩の上に身を丸め、静かに目を閉じていた獣が、不意に鼻を蠢かせる。尻尾の蛇が鎌首をもたげ、周囲の警戒を始める。まだカイトたちの存在に完全に気付いた訳ではないが、自らの安眠を妨げる「何か」が近付いてきていることだけは、敏感に感じ取ったようであった。


 しかし、その時点で既に、獣の対応は致命的なまでに後手に回っていた。


 チロチロと赤い舌を出し、周囲を警戒していた蛇の頭が、何の前触れもなく粉微塵に吹き飛ぶ。クリスによる物陰からの狙撃であった。

 拳銃という、モンスターたちの常識の外にあるものを使っての奇襲。銃自体はここ数年で広く一般にも普及し始めているが、クリスの持つ拳銃は火薬と鉛玉を使う通常のソレとは違い、自らの魔力を弾丸に変えて撃ち出す。

 つまり、通常の銃と比べて、圧倒的に発砲音が小さい。

 音がしないというのは、こと狩りにおいては絶対的なアドバンテージを持つ。故にクリスは一人先行し、狙撃に適した位置までゆっくり時間をかけて静かに移動していたのである。

 そして、激痛に飛び起きたキマイラが反射的に大きく広げたコウモリの翼へと、容赦なく銃弾を浴びせる。羽などはなく薄い皮膜に覆われただけの翼に次々と風穴が開いていき、十全に機能することができない状態へと変えられていく。

 たまらず岩から飛び降りたキマイラが、雄叫びと共に急速に魔力を練り上げ、上空へ巨大な火球を作り出す。見る間に膨張していったその火の玉は、ものの数秒で張力の限界を向かえ、花火のように炸裂した。それでもまだ一抱えもある大きさの火球が周囲へと降り注ぎ、姿の見えぬ襲撃者を攻撃する。

 けれどもカイトたちは、相手がこういった無差別攻撃を取ってくることを予想済みだった。クリスのいる位置とは正反対の場所から、採集用の短剣を逆手に持ったカイトが飛び出す。フードを脱ぎ去ったことで露わになった少しくすんだ色合いの金髪が、火の玉の雨が降る中でキラキラと光を反射する。

 まっすぐに突っ込んでくるカイトに対し、キマイラは連続で火球を吐き出すが、事前にかけられていた火除けの加護がカイトを守る。標的に当たるよりも前に炸裂し、あっという間に消滅してしまう火球を見て、魔獣はさらに混迷の色を深めるが、喉元にまで刃が迫ればさすがにそうも言っていられず、大人の胴体ほどもある前足で薙ぎ払う。けれど、その攻撃は、爪の届くぎりぎりの距離でカイトが急停止、急旋回したことで空振りに終わった。

 ほぼほぼ直角に曲がったカイトの後ろから、彼の背に隠れるようにして後を追っていたクロードが現れる。クロードは左手で太もものポケットから抜いた数本の投げナイフをキマイラの顔面めがけて投げつけ、相手を怯ませると、右手で持っていた短剣をキマイラの肩に深々と突き立てた。

 無論、この程度でやられるようなヤワな相手ではない。「中級」に分類されているのは伊達ではないのだ。キマイラはナイフの刃で肉が裂けるのもかまわず前足を振り回してクロードを吹き飛ばすと、地面を転がる彼めがけて小さな火球を連続で撃ち出す。しかし、カイト同様、事前にレナから火除けの加護を施されていたクロードには通じず、手前で無効化されてしまった。

 火球を撃ち出す時の隙を突いて死角から駆け寄ったカイトが、首筋を狙って短剣を突き出したが、首から先を失った蛇の尻尾に弾かれる。けれど、カイトは転んでもただでは起きない。弾いた蛇の尻尾を反対の手で掴むと、素早く短剣を順手から逆手に持ち替え、根元から尻尾を切り落とした。さらに魔獣の内ももへ短剣を突き刺し、相手の後ろ蹴りが放たれるより前に、剣を残したまま素早く後ろへと跳び退さる。

 着地と同時に地面に転がっていたクロードの投げナイフをつかみ取ると、深呼吸を一つ、心臓から腕を伝い、指先から流し込むイメージで刃へと魔力を浸透させていく。そうして得物に即席の強化を施したカイトは、同じく距離を取ったクロードとアイコンタクトを取る。

 二人は軽くうなずきあい、再び二方向からキマイラに突撃を仕掛ける。対するキマイラも完全に奇襲の動揺から立ち直り、襲撃者の接近を防ぐために大きく息を吸い込み、しかし、炎の代わりに凄まじい音量の雄叫びを上げた。てっきり再び炎を吐き出すと思っていたカイトたちは、その全身を殴りつけるような衝撃に一瞬体がすくんでしまう。

 だが、キマイラがその隙を突こうとしたところで、絶妙なタイミングで森の影の中から銃弾が飛んでくる。飛来した弾丸は正確にキマイラの足を撃ち抜き、カイトたちに向けて飛びかかろうとした機先を制する。

 たまらずうめき声を上げて硬直した魔獣に向けて、カイトが先ほど拾ったナイフを投げた。刃にたっぷりと魔力の乗ったナイフは魔獣の分厚い毛皮を易々と貫き、彼の指笛のタイミングに合わせて内側から爆ぜた。

 事前のアイコンタクトとは違う行動を取ったカイトに舌打ちをしつつ、彼の作り出した好機を逃すまいとクロードはキマイラの腹の下に飛び込み、逆手に持った二本目の短剣でその柔らかな肉を切り裂いた。そのまま股下を滑りぬけ、後ろ蹴りも届かぬ距離まで転げ退いたところで、クロードは広場の外に身を潜めているレナへ向けて、大声で合図を送る。


「今だ!」


 既に詠唱を終え、あとは発動させるのみとなっていたレナの魔術が開放され、練り上げられた魔力が世界の理を一時的にねじ曲げる。

 はらわたが半ば溢れ出て、爆ぜた肉の間から骨が垣間見えて、全身至る所から出血して、それでもなお四つの肢でしかと地面に立っていたキマイラに、頭上から一筋の雷鳴が落ちた。

 それでもこの魔獣が万全の状態であれば、分厚い毛皮が避雷針と断熱材の役割を同時に果たし、体内にはほとんどダメージを出さずに耐えきることができただろう。

 しかし、今の魔獣のコンディションは、到底万全などとは言えない状態だった。電流を受け流し、その熱から内臓などを守るはずの毛皮はぼろぼろに綻び、体内へと電流を誘導するための刃物が突き立てられ、どころか、守られるべきはずの内臓が一部露出してしまってすらいる。そんな状態で雷撃など、耐えられるはずもない。

 おまけに、ただの自然現象によるものならたとえどれだけのエネルギーを秘めていたところで瞬きをするよりも短い間で雲散霧消してしまうのが普通だが、この雷は魔術によって生み出されたもの。自然現象のソレに比べればエネルギーの総量自体は小さいが、ほんの一瞬で消えてしまうということはなく、標的の体内を隈無く指の爪の先に至るまで駆け巡り、細胞の一粒すら逃さぬとでも言うように念入りに焼き尽くした。

 時間にすればほんの一秒程度のことであるが、全身を何十回と雷撃に灼かれたキマイラは、その熱で眼球が弾け飛び、肉の焦げる噎せ返るような臭いを全身から立ち上らせている。数いる魔獣の中でも素人では決して太刀打ちできないクラスである中級に分類され、一人前の戦士として成長しているかを判断するための一種の登竜門のようなものとして認知されていたキマイラは、どこからどう見ても完膚なきまでに死んでいた。

 魔術の痕跡が完全に消滅するのを確認してから、カイトたちは突き立てていた得物を引き抜き、事前に対雷用の加護をかけてもらってはいたが、一応灼けて使い物にならなくなっていないかを確認してから鞘に戻した。その振動でキマイラの遺骸は音を立てて倒れ伏し、すっかり炭化している舌を、牙と牙の隙間からでろりと垂れさせる。

 一度顔を背けて深呼吸したあと、カイトは引き抜いたばかりの採集用の短剣でその牙をえぐり取ると、血拭い用の布で雑にくるんで腰のポーチへと突っ込んだ。同じくクロードも自前の解体用ナイフで魔獣の焦げ付いた毛皮を刈り取り、ポーチに詰め込んでいた。受付できちんと討伐したことを証明するための戦利品である。

「よーし、終わったぞー」

 声をかければ、森の暗闇の中からレナとクリスが姿を現す。

「うわ、やっぱり臭いすごいね」

「提案した本人がそれを言うか」

「やはは、でもちょっとロマンあるじゃない、雷で敵を倒すって」

「……まぁ、それは否定しない」

 魔獣の遺骸に近付いたクリスが露骨に顔をしかめて鼻を押さえれば、発案者のくせに……とカイトが眉根を寄せた。対してレナの方はと言えば、魔術の勉強でこんなのは慣れっこだから、と涼しい表情。

「いや、しかし、知らなかったよ、レナがこんな高度な魔術を使えたなんて」

「最近お師匠様に教えてもらったのよ。今後はこういう難しいのにも挑戦させていくぞって。まだ事前に結構な集中が必要だから、今回みたいに決めの一発くらいにしか使いどころがないけど」

「なるほど。つまりレナには才能があるんだな」

「あら、それは褒めてる? それとも皮肉?」

 クロードの何気ない言葉に、レナの柳眉がわずかに上がる。

「前者だよ。俺も魔術を使いたいと憧れた時期はあったんだが、才能がないと門前払いを食らってしまったことがあったからさ」

「そうなの。それは悪いことを聞いたわね」

「いや、いいさ。君だってその年でその技術だ。色々心ない言葉をぶつけられたことがあったんだろうし、こっちも不躾な質問、悪かった」

「じゃあお互い様ということで」

「いちゃつきは終わった?」

「そろそろ戻るぞって声かけても大丈夫か?」

 レナとクロードがどちらともなく微笑みあったところに割って入るように、二人の会話が途切れるのを待っていたクリスとカイトから声がかけられた。

「い、いちゃ……!?」

「あら、失礼ね。私たちそんな仲じゃないわよ」

「失……!?」

 クリスの言葉に動揺したところで、レナから悪意のない追い打ちを食らう形となったクロード。きっかけとなったクリスは、思わず「南無……」と手のひらを合わせていた。

「じゃ、いい加減帰るぞー」

 心底どうでも良さそうな顔でカイトが告げた。


 そうして四人が去っていったあと、広場の中心にそのまま放置されていたキマイラの潰れたはずの瞳が、暗闇の中でギョロリと赤い光を放った。

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