Summer Edge, Into The Ridge

嶋幸夫

前編

 思ったよりも強かったCPUとの対戦が終わって、ゲーム機をぱたんと閉じた。電車が停まってから30分ぐらい、ずっと暇潰ししてる。車掌さんはもう何回も同じアナウンスを繰り返してる。変電所のトラブルで停電があり、しばらく電車が動く見通しは立たないのだそうだ。

 これは僕の体型のせいでもあるけれど、シートにかがみこんでゲーム機をいじっているとすぐに身体が硬くなる。身体でも伸ばそうと立ってみたら、となりの号車にあずき色の人影が見えた。ガラ空きの車内だとほかに目をひくものもなくて、柔軟体操しながら見ていると、それが高校時代のジャージらしいことに気づく。

 でもって、それを着ている子もどこか見覚えがある。でも、このあたりは母校から少し離れているし、この辺ずいぶん田舎だし……なにか目的がないと来るようなところじゃない。だから、ちょっと気になった。


 車両のつなぎ目をまたぐと、じろり。彼女の目つきは「なんだおまえ、もの珍しそうに」と言いたそうに見えた。だから人違いかとも思ったけど、ぱっとなにかを思い出したような顔に変わった。お互いに気付いてはいる……けれど声をかけようにも、困ったことに名前がでてこない。


「それって、富中高校のジャージだよね。同級生だと思うんだけど……」


 小さく、あー、えーっと、とか言いながら、お互いに思い出せない時間がしばらく続く。


「えーっと、ごめん、顔は知ってるんだけど。あだ名しかわかんなくて」

「あー、それは……ちょっと声に出しては言えないかもね、ひどかったから!」


 そう、ひどいあだ名だった。最初は“フンコロ”だったけど、気付いたら“ゴキブリ”に呼び名が変わってた。ほんと、ひどくない? そういうのが高校生のノリだけど、少なくとも女の子の口からさらっと出ていいような言葉じゃない。


「そう、面と向かってはちょっとね……」


 彼女はもともと困り気味だった眉毛を、さらに曲げてそう言った。横目で睨まれるとびくっとする目線も、正面から見られるとなんともいえない安心感がある。


「ほんとは羽田野っていうんだけど、誰もそう呼ばないからなあ」

「うーん、見事に聞いたことない。まあクラス違いじゃ、知る機会もないしね。逆にだけどあたしの名前、難波って言ってピンとくる? 」

「うん、えっと、あるよ。ほら、学年一画数が多いとかって言われてた?」

「そんなウワサ立ってたの知らないんだけど……」

 彼女はなんかの部活で、なんかの表彰を受けてた。そのときに先生から読み上げられてた。苗字もそこそこ画数あるし、名前もかなりごちゃごちゃしてたよう気がする。


 会話の間を埋めるようにアナウンスが流れてきて、どうやらやっと動きがあるみたいだった。聞くところによると、最後に通過した駅まで一旦逆走するとのこと。停電してるはずなのに走れるだなんて、どういうしくみなんだろうか。


「ホント、参るわ。ハタノくん?も災難だったね」苗字で呼ばれるのにあまり慣れてないせいで、ちょっと恥ずかしい。

「僕は大したことないよ、ちょっと歩く距離が増えるだけで。それなに?」


 難波さんの脇に積まれた大荷物が目にとまった。それと一緒に、なんでジャージ姿なのかっていう疑問ももう一度浮かんできた。


「野外で絵を描く道具ってとこ。キャンバスを置くイーゼル、折り畳み椅子とか、あとこん中に入ってるのは全部画材」

「じゃあ美術部だった?」

「もしかして初耳?」

「知らなかった」

「正直ね……」

「でも部長なのは知ってたよ」

「ヘンなの」


 なにかの部長かキャプテンを務めていたという記憶はあったけど、難波さん、美術部の部長だったか。種あかしの後で荷物一式をながめてみると、たしかに画材にしか見えなくなるから不思議だ。とくに木製の大きな三脚なんて一目瞭然のはずなのに……イーゼルっていうのがコレの名前かな?


「写経大会にでも参加するの?」

「それ違う、お坊さんがやるやつ。正しくは写生ね」


 けっこう当たり前だと思うけど。難波さんの苦笑にふと「もう高校生じゃない」という一言がふっと頭に浮かぶ。こういう間違いをするのはいつものことだけど、それは誰かに正してもらうのに慣れているから。けれど、そろそろ自立しなきゃいけないなと思う。


「行き先は?」

「八重歯山、なんだけど知ってる? まあ、あと一駅ってところで止まっちゃったんだけど」

「あっ、一緒」


すごい偶然だ。

同じ高校っていうことで軽く話しかけたつもりが、まさか目的地まで一緒だったなんて。


「あ、ほんと。珍しいこともあるもんね……何しに?」


 前々から八重歯山に来たいとは思っていたけど、いざ目的を聞かれると説明に困った。登山なんていつも何となくやっていることだ。これといった目的はないけど「せっかくならやっておきたい」事ならある。


「あんま目的とかはないけど、ぶらぶら旅するのが好きなんだ。あとは位置情報ゲームね。自分の足でいろんな所に行って、いろいろ収集して回るんだ」


 「位置情報」って言葉を頭につけるとちょっと高度なゲームみたいに思えるけど、実際はそんなことない。単純にキャラクターを集めて戦わせるだけ。今回の八重歯山みたいに、現実の場所とリンクしてるのが面白いところだ。プレイヤーはちょっと少ないけど……


「位置情報ゲーム、ふうん。スタンプラリーみたいな?」

「そうそう、スタンプの代わりにキャラクターがもらえる」

「ヘンなの。今どきガチャひかないのね」

「それでね、たとえば山だったら必要な高度が設定されてて、実際に頂上まで行かないと……」


 話が前のめりになりかけたところで、電車が減速しているのに気づいた。難波さんとの目線を一旦解いて、降りる支度をする。そこでふと思うのは、目的地は同じだけど、このまま付いていってもいいんだろうかってこと。せっかく絵に集中したいのに、もしかするとうざいかもしれない。けれど、二駅ぶん歩くにはちょっと荷物も多いし、せめてロープウェー乗り場までは手伝おうと思った。

 難波さんはすっと立ち上がり、荷物棚からデニム生地のリュックを降ろした。先回りして自動ドアの開ボタンを押すと、梅雨明けのからっとした陽気が出迎えてくれた。

 僕は爽やかな心持ちになって、ホームの彼方に広がる青空を、胸いっぱいに吸い込んだ。


◆  ◆  ◆


「あーもー、無茶苦茶歩かされんじゃん……」


 ホームの自販機に寄って戻ってくると、ルート検索をしていた難波さんがぼそっと不平をこぼしたのが聞こえた。ロープウェイ乗り場までの距離は、3.5キロ。確かにこの荷物の量だと2時間ぐらいはかかりそうだ。


「いいのに。ハタノくんの分も結構あるでしょ」


僕はもう、一番重量のありそうな荷物に手を触れていた。イーゼル(これは覚えたぞ)と、それに付属する画材ケースだ。台車をコンパクトにしたようなカートに、ずり落ちないようにしっかりくくりつけられている。


「いいや、大丈夫。とにかく体力だけはあるから」


 そう、こんなときのために有り余る体力があるってもんだ。むしろそれぐらいしか取り柄がないし、それで人の役に立てるなら本望だ。リュックだって膨らんでいるように見えるけど、ほとんど着替えしか入ってない。難波さんのを肩代わりするぐらい平気だ。


「ハタノくん……登山部だったりした?」

「当たり! どうして分かったの?」

「そうね、ユニフォームとか着てるの見たことなかったから。っていうのと、なんかスポーツっていうよりアウトドアっぽいなって」

「僕がアウトドアっぽい?」たしかに、チーム戦は要領がつかめなくて苦手だった。それに体力はあっても運動神経は壊滅的で、動きが超にぶいんだ。歩みに任せて、景色を楽しんでるほうが僕の性に合ってる。

 さて、荷物の重さがどんなものか、小手調べにキャリーカート(難波さんにまた教えてもらった)を歩道橋まで引き上げてみた。意外にずしっと来たけど、ちょっと焦ったけど、なんて事はない。しかも「おお、やるー」だなんておだてられると、無限に馬力が上がる。「階段じゃなくてスロープ使ったら」なんて聞かれたけど、勢いに任せて階段を全部登りきってしまった。


「これなら二駅先まで余裕だよ」

「そんな急いで行かなくてもいいのに……」

「大丈夫、任せて!」


 ────それから到着までは、いろんな話をさせてもらった。さっきの位置情報ゲームのこと、親が居酒屋をやってて「目利きになれ」と漁港巡りをさせられていること、その居酒屋が改装中でちょっと暇ができたこと。その他もろもろ。

 難波さんは聞き上手で、もし僕の個人情報を狙うスパイかなにかだったら、致命的だ。夢中になって、すでにいろんなことを教えてしまったから。知らないことでもとりあえず興味を持ってくれて、もっと話したくなる質問をしてくれる。

「このゲーム機とも連動するようになってて、スマホからデータを転送できるんだよ」

「一昔前の流行りだと思ってたけど、進化してるんだね」

「自分が行ったことのある場所には、塔のマークがつくんだ。塔をたくさん建てていくと、いろんなボーナスがもらえて……」

「やったことないのに、そんな細かいとこまでわかんないって」

 自転車来てるよ、後ろから。難波さんはそう言って一旦僕の後ろについた。喋るのに夢中で、うっかり歩道をふさいでいたみたいだ。

 ────それにしても高校三年のあいだ、一対一でここまで話すことなんてあったっけ。仲間内でのじゃれ合いは楽しかったけど、なにを言ってもまともに取り合われなかった。そんなに大事なことじゃないからだろうな、と思ってた。けれど、まともに話を聞いてもらうっていうのは想像以上にうれしくなる。


 それから僕らは交通量の多い海沿いの道をそれて、住宅地に入っていった。山肌の合間から少しずつケーブルが見えるようになってきて、ロープウェーが近いことがわかった。視界の中心には積乱雲がいい感じに立ち昇っていて、いよいよこれからっていう期待感を高めてくれる。

 後ろについた難波さんが「ハァーやっと……」とつぶやいたのを察するに、どうやら着いたみたいだ。

 ロープウェイ乗り場は赤青のストライプが入ったちょっとレトロな外見で、駐車場はかなりの広さがあった。中に入ってみると肝心のゴンドラはところどころ錆れていたけど、不自然にピカピカなほうよりはいいと思った。そのほうが景色になじむからだ。ゴンドラには僕らのほかに、ハイキングに来たおばあちゃんグループや金髪外国人のファミリーがいた。

 にぎやかなロープウェーの中で、難波さんは自分のこともぽつぽつと話しはじめた。

 美大に行くための学校に通っていること、ずっと白黒の絵ばかり描かされていること、田舎育ちには都会は息苦しいこと、その他もろもろ。ちなみに、富中高校のジャージを着ているのは「汚れてもいい服装ってだけで、こんな田舎じゃ誰とも会わないから」ということらしい。

「なんかごめんね、ハタノくんみたいな話できなくて」

 つい愚痴になってしまうことを、難波さんは悪く思っているようだった。でも、それだけ本気で向き合っていれば愚痴も出てくるものだと思う。少なくとも、僕は自分の本気なんて知らない。


◆  ◆  ◆


 頂上駅についてロープウェイを降りると、直射日光を遮るものはなにもなかった。銀の手すりのむこうには、ぎらつく海と港町が見える。目線を少しずらしてみれば、今度はラクダのように果てしなく山がつづく。

 僕はよく理由もなく、インターネットでマップを見漁る。なにか調べるでもなく、山の稜線をひたすらスクロールして追っていったりとか、変な形の湖を探したりとか。八重歯山もそうやって見つけた場所で、山と海が隣り合わせになってるのがよさそうだと思って調べたら、案の定絶景スポットだった。


「電車ガラガラなくせに観光客多すぎ」

「みんな車で来てるんだよ、多分」

「にしても、でしょ……」


 降りてから難波さんと落ち着ける場所をしばらく探していたけど、なかなか見つからない。腰を落ち着けて写生するならもちろん景色は選びたいけれど、そういう所に限って、入れ替わり立ち代わりいろんな人が自撮りしにやってくる。


「あそことかどう?」

「あ、いいかも。じゃ、さっさと場所とらないと」


 どこも混み混みだったけど、根気よく探せば穴場もあるもんだ。そこはあずま屋と展望台を一緒にしたような石造りの建物で、下でひと休みもできて、上に登れば景色も見れる構造になっている。難波さんはさっそく階段を上がり、秘密基地を建てはじめた。同じような考えの人がぽつぽつと居て写真を撮っているけど、はじっこにキャンバスを置けばひとまず文句は言われないだろう。


「タブレットで描ける時代に、とんだ酔狂だけど……でも、知ーらない、っと……」


 難波さんは手慣れた感じで折りたたみ椅子を置いた。イーゼルを開いた。その上にスケッチブックが載って、絵の具のついたデニム生地のリュックからどんどん小物が出てきた。そして、頭に被っていたキャップ帽をぐるっと後ろ向きにした。銀色のパレットにちょんちょんっと絵の具をつけると、難波さんはミネラルウォーターのキャップを空けた。

「飲まないに決まってるでしょ」

 僕の目線の動きを感じとって、難波さんはすぐにつっこんだ。本当に人をよく見てる。

 スケッチブックを切り裂くかのように、鮮やかに筆を振るう──なんていうと少し大げさだけど、剣の達人みたいに、下書きもしないでどんどん描き進めていく。日の光にさらされた絵の具がキラキラしながら形を変えていくのを見ながら、僕は「自分がもし文化部を選んでいたら」という考えに想いをはせていた。

 

「……青って好きなんだ」

 現実の空と水彩で描かれた空を一緒に見ながら、思わずつぶやいてしまった。

「なんて?」

「青色だよ。落ち着くんだ」

「あはは、青色、ね。うん、私も好きだけど……」 

────トンチンカンなことを言っても突っ込まれたり、どつかれたりしないからってつい甘えて、難波さんの筆を動かす手を止めてしまった。

「描くの、見ててもいいけど。そのままだと、日差しきつくない?」

 そのとおりだった。やや天パぎみの僕のてっぺんに、じわじわと熱が集まってきているのがわかる。

 “7月上旬でも、日射病を起こすには十分な日差しですので注意してください”、天気予報でそう聞いた気もする。

「たしかに、少しぼうっとするね」

「やだちょっと勘弁してよ、下でゲームでもしてて」


 なぜか手の甲で背中を押される感触がして、階段にまで連行された。そうか、手の平に絵の具がついてたからか。ほんの小さな心遣いを心地よく思いつつ、僕は言われるがままそこを降りた。

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