5.人狼を紐解く方程式
ノエはすたすたと、腰のランタンが照らす凸凹の石畳の上を歩いて行く。かつこつというブーツの音が、地下から響く胎動の音と混ざり合う。
「今回の人狼事件において、奇妙な点は主に四つ。
一つ目は、人狼の見た目をしていながらも、それは人狼の触媒として意味をなさなかったということ。
二つ目は、今回の人狼には、感染した形跡がないこと。噛まれた痕が一切ないところだね。
三つ目は、発生状況。山や森から降りて来た形跡もないのに、まるでロンドンが出現の源であるかのように、各地で人狼は発見された。
四つ目は、どうやって人狼が街を移動しているのか。移動している姿は確認されていないのに、気付いたら各地区に姿を現して人を襲っている。
以上の要点を紐解く為に、ウォルター博士の話やベアトリクスの話を受けて、一つずつ解いていこうか。
まずは、一つ目と二つ目。人狼の身体について。
噛み跡が無いのに、人狼が生まれたのにも起因してると思うんだけど、そもそも自分達は、『人狼が噛む』ことに重きを置き過ぎてたんだと思う」
「だって、噛まれないと人狼にならねぇから、だろ?」
「うん。でも、そもそも感染自体は噛まなくても出来てしまうんだよ」
ノエの言葉に、三人は一同に首を横に捻った。その反応に、ノエはくすくすと笑いつつ、答えを口にする。
「簡単な話。注射器だよ。あれを使えば、人狼の体液を、噛み跡もなく混入することが出来る。しかも、噛ませる手間も省けて効率的に生み出せるだろうし」
ノエの出した結論に、三人は目を丸くした。
あくまでも、人間の体内に人狼の体液が混入することが、人間が人狼となってしまう要因なのだ。必ず噛まなければならない、ということでは無い。
だが皆、『人狼になる為には噛まれなければならない』という固定概念に囚われていたのだ。
「……ベアトリクス情報員の情報を呑めば、ここ一週間の間に、ロンドンで大魔術を使用した形跡も無いですし、一応の筋は通ってますかね」
「多分最初の二体や三体くらいは、かなり純血に近い混血人狼なんだと思う。
そして、使い切った純血の人狼の体液から、今度は人間から作り替えた混血種の人狼から採取し、人狼の数を増やした。でも、元々人狼では無い彼らの体液では、人狼にはならない。
それでも人狼が増えることが出来たのは、余程人狼の血液を大量に与えて造られた、限りなく純血に近い混血種だからなのか、あるいは大魔術で魂を改竄して、少しの体液で人狼になるようにしたからか。これはまだ自分の中では結論に達していないけど……。
これが、人狼の反応が出なかったことや噛み跡が無かった理由だよ」
「噛み跡が無いのに通じるのは分かるけど、人狼の反応が出ない原因はなんだよ?混血でも、人狼は人狼じゃねぇの?」
「人狼でありながら、人狼でないということでしょうか」
ベディが、ぽつりと言葉を零す。
「人狼でも、人でもない曖昧な存在……。それが、私達が倒した人狼達なのではないでしょうか」
「自分もそう思ってた。見た目は人狼そのもの、保有する能力もそのままだけど、中身までは完全になり切れなかったんだと思う」
「……中途半端な物を用いて生み出した為に生じた、ある意味一種の弊害、ということでしょうかね」
「ああぁ、そういうことか!」
フォルトゥナートが突然大きな声を上げ、ノエとヴィンセントがびくりと肩を震わせた。ベディも、きょとんと目を丸くする。
ヴィンセントは背伸びして、ぐっとフォルトゥナートの外套の胸倉を掴んで睨む。
「し、心臓が止まるかと思っただろうが!」
「わ、悪かったって。でも、それがそうなら、人狼が無尽蔵に湧いてくる原因も分かって、つい……」
「はい。人間に注射器で体液を入れるだけですから、器である人間さえ調達出来れば、それで人狼が生み出されるわけですね」
ベディが納得したように頷くのに、ノエも首肯した。
魂の改竄式を用いた大魔術などの手間に比べれば、体液を注入するという作業は、随分と効率的だ。
人狼の群れが山から下りて来たのだ、と考えてしまうほどの数を生み出すことなど、恐らく造作もないことだろう。
「……てことは、それってつまり、
フォルトゥナートは、苦々しい顔をする。ヴィンセントも表情を曇らせた。
人狼と同時期に出てきた話でもあったので、被害状況や内容だけは耳にしていた。
「無関係じゃないだろうね。推測だけど。時期が重なり過ぎてる。可能性は高いと思う。
それじゃあ最後、四つ目。どうやって移動していたのか。地上での人狼の目撃情報はなかったなら、このロンドンで人目につかずに通れる場所は一つだけだ」
ノエはそこで言葉を止めて、足も止めた。
四人の目の前にあったのは、旧駅が使われていた際に利用されていた地下への出入口、今ではロンドンの心臓――
黄色いテープで鋼鉄の扉は覆われ、そのテープには『
「成程。地下、ですか」
「うん。点検が行なわれない限りは職員以外誰も入らないし、暗いから人に姿を見られにくい。更に、地響きみたいな音も煩いだろうから、人狼達の遠吠えも鳴き声も、出来る限り抑えられる。
まさに彼らにとっては、最高の条件が揃った巣だと思うよ」
「はぁ……。だから、ランベス地区じゃあ人狼が見られなかったのか……」
まだ地下鉄が使われていた頃は、テムズ川を挟んだランベス地区にも地下鉄は通じているが、
線路の通路が通じていなかったため、川を隔てた地域には人狼の被害がなかったのだろう。そこの地域を襲うには、必ず地上へ出なければならないからだ。目撃情報が出るはずである。
ノエは、かつこつとブーツの音を鳴らしながら階段を降り、鋼鉄の扉を軽くノックする。
「こっから先は、いわゆる立ち入り禁止の場所に足を踏み入れるわけだけど、どうする?」
ノエはいたずらっぽく小さく微笑む。その笑顔に釣られるようにして、ヴィンセントとフォルトゥナートも笑った。
「行くに決まってんだろ、なぁ?」
「後で
「……ノエ、私も、貴方を守る為に行きます」
「……うん。よし、行こうか」
ノエは扉の前に立ち、『関係者以外立ち入り禁止』のテープを簡単に外した。それから扉をぐっと押したが、当然扉は開くことはない。
ノエはランタンの明かりを頼りに鍵穴を探し、そこに指を引っかける。
「
金色の光が鍵穴に吸い込まれると、かちりと小さな音がして扉の鍵が開かれる。ノエは、扉を身体全体を使ってゆっくりと押して開けた。
気圧差の影響か、びゅうっと強い風が外套をはためかせたが、すぐにそれも収まった。
ゴゥンゴゥンという胎動が、常よりも大きく耳に入り、びりびりと肌を震わせる。
明かりの一切見えない暗い道は、ランタンの光さえも飲み込むかのような錯覚を抱かせる。
フォルトゥナートはひゅうっと口笛を吹いて、ぽんとノエの肩を叩いた。
「面白い魔法も覚えてんなー」
「あんまり使うものじゃないからね。それと、人を真面目一辺倒だと思わないことだよ。自分も、悪戯は嫌いじゃないから」
ノエは、そう答えながら目の前の光景を見ていた。人をも飲み込みそうな闇だ。普段渡り歩く夜闇を怖がりはしないが、あまりの闇に思わずごくりと唾を飲み込む。
広がっているそれが、ノエがふと過去を思い出そうとした時に見る、どす黒い闇のように見えた。
「ノエ」
そんなノエにそっと、ベディは声を掛けた。彼女の身体が微かに強張っているのは、背中だけでも分かった。
落ち着かせるように、安心させるように。優しい声音で、ベディはノエへ微笑みかける。
二人が居るのだから、バレないように表情や声音に注意するように、と普段のノエなら口にしそうなものだが、今の彼女はベディの顔をじっと見ていた。
「私が居ます、問題ありません」
「……そうだね、ベディ」
ノエはこくりと頷き、ランタンの光を最大限にまで大きくし、一歩一歩地下へ降りていく。ベディがその後ろへ続き、フォルトゥナートとヴィンセントもその後ろを追った。
四人が中に入ると、厚い鋼鉄の扉はばたんと音を立てて閉じられたのだった。
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