4.霧の中のストランド・ストリート

 深夜十二時頃。

 外へ行く準備を済ませたノエとベディは、ノエの個人研究室の反対側の通路へと向かっていた。

 フォルトゥナートとヴィンセントの個人研究室は、二人が過ごす研究室とは反対側にあるのだ。

 ノエは迷うことなく、フォルトゥナートが普段過ごしている三階の角部屋の個人研究室へ向かって歩く。


「ノエ、ヴィンセント様の部屋を見なくてよいのですか?」

「あぁ。二人一緒に依頼を受けた時とかは、フォルがヴィンスを自分の部屋に連行して、お菓子とか料理とか食べさせるんだよ。ほら、ヴィンスって細いでしょう」

「えぇ、それは……」


 ベディはノエにそう言われ、ヴィンセントの背格好を思い浮かべる。

 ノエの言う通り、ヴィンセントはかなり細い部類に入る。

 隣に並ぶフォルトゥナートは体格がよい分、余計に彼の細身が際立つ。

 骨と皮だけではないが、それに肉を少ししか足していないような身体つきは、ぽきりと折れてしまいそうな印象を抱かせる。


「だから、フォルの部屋に二人でいることが多いんだ。今日も多分そこだろうね。案外フォルって世話焼きなんだよ」

「成程……」

「いい奴なんだよ。でも、だからこそ角部屋なんだよね」


 フォルトゥナートの底抜けの快活さや世話焼きといった性格は、一般人にとってみれば利点や美点に分類されるものだ。しかし、中年以降の陰鬱な性格をした魔術師らしい魔術師にとっては、彼の明るい性格はかなり苦手なもので、出来る限り関わり合いたくない人種なのだ。

 そう二人が話していると、フォルトゥナートの角部屋の前に辿り着いた。

 こんこんと扉をノックすれば、十数秒後にドアノブが勢いよく回る。


「悪い!」


 バンと扉が開かれると、自身のシャツのボタンを留めているフォルトゥナートが出て来た。

 まだ着替え途中――準備中であったらしい。

 ノエはきょとんと目を丸くしたものの、すぐに横を首を振った。


「いや、いいよ。その、今日は結局どこを巡るの?」

「ストランドにしようかと思います」


 部屋の中から、ヴィンセントの声が聞こえて来た。

 フォルトゥナートの身体の合間から覗くと、ヴィンセントは白のポーンを指先で触りながら、そう答えていた。

 二人でチェスでもしていたのか、テーブルの上にはチェス盤と駒が置かれている。


「なに、ストリップ・チェス?」

「えぇ。なかなか刺激的な遊びゲームでしょう」

「悪趣味の間違いでしょ」


 くつくつと笑うヴィンセントに、ノエは小さく溜息を吐き出した。

 ストリップ・チェスとは、娼婦街や貧民街などで行なわれている、チェスの特殊ルールの一つだ。ルールは簡単、負けた方が衣服を脱ぐというものだ。下世話な賭け事ではあるものの、盛り上がる遊びゲームであることは確かだった。

 ノエは絶対にしようとは思わないが。


「ヴィンスの勝ち?」

「まぁ、滞りなく勝ちましたけど。実直に愚直に攻めるのでね、こいつ」


 ヴィンセントは既に着替えを終えており、ふわふわと欠伸をしながらソファの背もたれにもたれかかった。


「いいだろ!さっきのは、もうちょっとで勝てたんだっての!」

「結果下手を打ったでしょうが。ほら、いいから早く支度なさい。いつまでその恰好でいるんですか。置いてきますよ」


 ヴィンセントの無慈悲な通告に、フォルトゥナートは慌ててシャツのボタンを全て留めて、クローゼットの方へと走って行った。

 ノエとベディは、そのままフォルトゥナートの部屋の中へと入る。

 彼の部屋は、男の一人暮らしでありながらも、綺麗に整理整頓されていた。

 ノエの研究用テーブルのように、本を塔のように高く積んでいる形跡も無い。全てきちんと本棚に収められている。

 部屋の造りは画一化され、同じであるはずなのに、使う人間が違うだけでこうも変わるのかと、ベディは目だけ動かしながら部屋を見ていた。

 そんな部屋でベディの目に止まったのは、様々なテーブルゲームの盤や駒、カードなどだ。英国デザインのものだけではなく、イタリアやアラブ地域のデザインの物も見られる。


「……色々なゲームが、お好きなんですね」

「まぁな!楽しいし、面白いだろ?」


 ウエストポーチに銀製のナイフや魔法薬を補充しながら、フォルトゥナートはベディの呟きに答えた。


「こっちで出来た友達みんなで、それで遊ぼうと思ってたんだ。今のところ、ヴィンスとノエだけだけどな」


 フォルトゥナートはそれだけを言って、すぐにクローゼットの中を漁り始めた。

 そんな彼の様子にノエは、小さく口元を緩める。


「ほんと、魔術師らしくない奴だなぁ」

「ですね」


 ノエの言葉に、ヴィンセントも相槌を返す。

 どこか羨むようにも聞こえる二人の声を消すように、フォルトゥナートは勢いよくクローゼットの扉を閉めた。


「うっし、準備完了だ」

「はいはい。それじゃあ行きますか」

「ん。行くよ、ベディ」

「はい、ノエ」

「じゃ、俺先に降りて馬車停めとくな!」

「っフォル!」


 ヴィンセントの「待て」の声も聞かず、フォルトゥナートはコート掛けから外套をひったくるように取った。そして、それに袖を通す前に部屋の扉をばたりと閉める。

 フォルトゥナートの個人研究室に、彼以外の三人が残るという奇妙な状態に、ノエとベディはきょとんと目を丸くした。

 ヴィンセントは溜息を吐いてから、フォルトゥナートの部屋の照明全てを切る。


「ああいう感じですよ、いつも」

「……相変わらず激しいなぁ、彼」


 ノエは外套のフードをかぶり、ヴィンセントが部屋の扉を閉めて、三人で玄関ホールを出ることとなった。


 協会本部から出てすぐ、フォルトゥナートが停めた乗合馬車オムニバスに乗ったかと思うと、目の前に座ったノエの両肩を勢いよく掴んだ。


「んで、ノエの頭ン中ではどれくらい組み上がってんだよ?」


 何が、とは聞かれずとも分かる。

 昼間にノエが口にした「ある程度汲み上がっている」といった今回の事件に関する発言内容を、フォルトゥナートは耐え切れなくなって聞きたいのだろうと。

 あまりにも直球な彼の問いかけに、ノエはぱちぱちと目を瞬かせた。

 フォルトゥナートの隣に座っていたヴィンセントが、軽く彼の脇腹を小突く。「いてっ」と、フォルトゥナートが声を上げた。


「そうストレートに聞かないんですよ、普通は」

「でも、気になるだろ?ヴィンスだって、二人でチェスしてる時にそう言ってただろ」

「まぁ、言いましたけど」

「……夜には教えるって約束だったからね。でも、ストランド・ストリートに降りてから」


 ノエは小さく口元を綻ばせて、それから動く車窓の方へ顔を向けた。

 その視線はとても鋭く、彼女の頭の中の状況を表しているようだった。


 協会の本部からものの十数分ほどで、ストランド・ストリートへ辿り着いた。御者に代金を払って、四人は舗装された歩道に降り立つ。

 フリート・ストリートに負けず劣らずのロンドンでも指折りの繁華街、それがこのストランド・ストリートである。ここに立ち寄れば生活に必要な物が一通り揃うとも言われる、大規模な商業地区だ。

 昼間は、沢山の通行人と馬車と機関式自動四輪エンジン・ガーニーが往来する通りも、夜になると打って変わって静かな街になっていた。

 大通りには、仕事が遅く終わった人間や、酒場パブを渡り歩く中流階級以下の家柄の男達の姿が、ちらほらとオレンジ色の光の下に照らされるばかりである。

 一定間隔で設置されている街灯が、ゆらゆらと暗い夜道を照らす。三人が腰に提げている吊りランタンを使わずとも、周囲の様子を見ることが出来るほど明るい。


「とりあえず、大通りから軽く探索しますか?」

「いや、自分について来て欲しい」


 進み出そうとしていたヴィンセントとフォルトゥナートを押さえ、ノエが小さく手を挙げてそう言った。


「行く場所でも?」

「まぁ、ちょっとね。……話しながら、教えるって言ったでしょ。ほら、こっち」


 ノエは小さく手招きして、三人を近くの路地道へと招く。

 そこへ入ると、先程の人通りの多い大通りとは打って変わって、暗闇の世界になっていた。軒先にランタンが吊ってあるものの、殆どが閉店と共にガスの供給が切られるため、どこの小道も真っ暗なのだ。


「どこ行くんだよ」

「まぁ、すぐに分かるよ。……先に言っとくけど、ウォルター博士の研究成果や話の内容を材料にしてるから、それが違ってたらこの推論は成立しない。だから、自分でもあんまり確信は持ってない」

「間違っていても、気にしませんよ。また、一から考え出せば良いですから」

「そうそう!」


 にこにこと笑うフォルトゥナートと静かに微笑むヴィンセントに、ノエは僅かに目を瞬かせる。そんな彼女の手を、ベディはそっと取った。


「大丈夫ですよ、ノエ」

「……ん」


 ノエはこくりと頷き、それから軽く頬を叩いて気合いを入れる。


「よし、それじゃあ……簡単な解体を、始めようか」


 そう言って美しく微笑んだノエに、フォルトゥナートもヴィンセントも、ベディも、身の内から溢れる好奇心という強い感情を抑え込むべく、自らの拳を強く握った。

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