Ⅰ.霧に潜むカイブツ

1.褐色の彼と白雪の彼

 それは、一つの特訓なのだと彼女は言う。

 魔術を発動させるに当たり大事な要素に挙げられるのは、瞬時の集中力と魔術へのイメージ力。これが不確定で曖昧な魔力に形を与え、固定化して発動する。魔術を使役することが出来るようになるのだ。

 故にこの作業は、それを培う為の、一種の訓練なのだと言う。


「ノエ」


 オイル・ランプの光を受けてキラキラと輝く白銀の髪プラチナブロンドを束ね直しながら、眉目秀麗という言葉の似合う顔立ちの美青年──ベディは、ソファで黙々と刺繍をする主人へ、柔らかく声を掛けた。


 彼の主の名は、ノエ・ブランジェット。

 ノエは、イギリス魔術協会――通称・時計塔の三機関の一つ、時計塔取締局特務課という致死率の高い役職に所属し、人ならざる者達の起こす事件の対処に当たる、十八歳の若き魔術師にして新米人形師だ。

 ベディはそんな彼女を守るべく仕える、人形ドールと呼ばれる存在である。


 刺繍針の行く末に注がれていたアイスブルーの瞳が、ゆるりとベディに向けられる。

 絶世の美少年。

 ノエを表す言葉は、これがぴったりだとベディは思う。

 顔立ちが中性的であるのに加え、本人がその顔に似合うボーイッシュな服装を好む為、一瞬見ただけでは男の子に見間違われるということはよく起こることだった。

 ベディもどちらかと言えば中性的な顔立ちであるのだが、身長の高さや肩幅から見間違われたことは無い。

 いずれにせよ、目の前のノエがいつだって愛らしい主人であることに変わりない、とベディは思っている。


「どうしたの、ベディ」

「そろそろ切り上げて、アフタヌーン・ティーにしませんか?ブランチを食べてからずっとその作業をされてますから」

「あー……。そんなに集中してたか。気付かなかった。うん、そうだね、休もうか」


 ノエはテキパキと、テーブルに広げていた裁縫箱を片付け出す。

 ベディはその間に、ある程度用意していたティーセットの準備を続ける。今日の紅茶のお供は、ストロベリージャム・スコーンだ。

 ノエは、裁縫箱を本棚の空いているスペースに置いたり、テーブルを拭いたり、用意している皿を並べたりと、二人でティータイムセットを用意する。

 本来は従者であるベディの役割だが、ノエがベディ一人に任せることを良しとせず、こうして二人で行なうのは日常茶飯事だった。

 穏やかな時間。ゆったりと紅茶を楽しむ時間がさぁ始まる、といった時だった。


 こんこんこん、とそれを邪魔をするかのように、ノック音が鳴らされた。


「……自分がちょっと出て」

「いえ、私が行きます」


 簡易キッチンからすぐに離れ、ベディが扉を開けに向かう。

 訪問者は、アリステラではない。彼女は元ここの部屋主であることを利用して、勝手に魔術鍵マジック・ロックを開けて入ってくるからだ。

 ベディは、ドアノブをぐるりと回した。

 その先に立っていたのは、二人。

 一人は、褐色の肌が目を引く青年。そしてもう一人は、対照的に雪のように白い肌の青年。

 褐色の青年の方は、ベディも知っている魔術師だった。


「フォルトゥナート様」

「よぉ、久し振り、ベディ!」


 彼——フォルトゥナート・チェルクェッティは、にかりと鋭い八重歯を見せて快活に笑い、ひらりと片手を挙げた。最初に会った時に感じた通り、太陽の下が似合う男だ。


「お久し振りです。お元気そうで何よりです。……そちらの方は?」

「どうも、ヴィンセント・スペンドラヴです。あんたが、ベディですか」

「はい、ベディです。初めまして、ヴィンセント様」


 ベディはゆっくりと頭を下げ、右眼を黒い眼帯で隠している彼へ微笑みかける。こちらはフォルトゥナートとは対照的に月明かりの下が似合う、静かな男だった。


「ヴィンスに、フォルか。情報員が自分の病み上がりに、遠慮容赦なく依頼を持ってきたのかと思った」


 声で見知った二人だと分かったのか、ノエがひょこりと顔を見せる。

 フォルトゥナートは、目的の人物を見つけて、にかりとまた笑った。


「よっす、ノエ」「どうも、お邪魔しますよ」

「はいはい、どーも、いらっしゃい。とりあえず、座って。すぐに準備するから」


 ノエは増えた二人分をさっさと足しながら、空いているソファへ顎をしゃくって促した。

 二人は揃って部屋へ入り、ソファに腰を下ろす。

 ベディもノエの作業を手伝い、四人の前には琥珀色の紅茶が入ったティーカップとストロベリージャム・スコーンが置かれた。


「どうも、ありがとうございます」

「いっただきまーす!」

「ゆっくりね。君、急ぎ過ぎて喉に詰まらせるの、ざらなんだから」

「あー、この前もやってましたよ、それ」

「学習しないなー……。頭は悪くないはずなんだけど」


 もぐもぐと美味しそうに食べ進めるフォルトゥナートを見ながら、ヴィンセントとノエが世間話に近い会話を交わす。

 アリステラとはまた違う、柔らかな話し方だ。

 ベディはそんな三人の様子を、胸温まる光景だと思いながら眺めていた。

 それにノエが気付き、ベディの名を呼んだ。


「はい、ノエっんぐ」

「ベディ、紅茶しか飲んでないんだもん。斜め前の奴に食われる前に、食べとかないとさ」

「すみませんね、隣の奴が節操のねぇ奴で」

「いえ……」


 ノエがベディの口にスコーンを突っ込み、ベディはそれをもぐもぐと食べる。ノエは小さく口元を緩ませて、紅茶を飲んだ。

 それから、ヴィンセントへ視線を合わせる。


「それで、ヴィンス。用事は何?」

「単刀直入に言うと、ノエに俺達の依頼を手伝って欲しいんですよ」

「内容による」


 ノエは、最後の二個のスコーンの内の一つを取り、小さな口で齧り付いた。口角に付いたジャムを指で取り、舌先で舐め取る。


「……人狼の討伐です」

「それはまた。……面倒な依頼に首を突っ込んだね」

「それ、俺じゃなくてこいつに言ってください。新米情報員に泣きつかれて、相談もなく勝手に引き受けやがったんですから」

「しょーがねぇじゃん。あの子、困ってたんだからさ!」

「まぁ、幻獣種の依頼なんて、どれもこれも楽なもんじゃないからね。引き受け手がいないのはまあ、分からなくもないけど」


 幻獣種。

 それは、異形や魔獣の中でも、古くから様々な国で確認されている種だ。

 しかし、人間の生活圏が広がるにつれて住処を追われ、殆どが帝都ロンドンから姿を消している。

 だが時折街にふらりと訪れては、事件を引き起こすことがある。

 幻獣種は総じて強力な魔物であるので、生き延びたい魔術師は、特に幻獣種これ絡みの依頼は引き受けたがらない。


 人狼も、古くからヨーロッパ各国でみられる幻獣種の一種だ。

 彼らは、幻獣種の中でも頭が良く、ずる賢い性格だ。また、人間の姿と二息歩行する狼との姿を切り替えられるという特性を持つ。

 かつてはその特性を利用して、人の生活の中に紛れながら暮らしていた。その牙で人を喰らい、仲間を増やして生き永らえる為に。

 だが魔女狩りの際に、彼らの多くが処刑の炎で焼き殺されたため、現在ではその個体数は著しく減っている。

 したがって、イギリスの魔術協会では、山に逃げた人狼は出来る限り殺さずに保護するという制約が作られている。魔術の際に必要となる、貴重な触媒を減らさないようにする為だ。

 街中で発見されたとしても、山の群れからはぐれた一頭のみであったり、果敢にも人を喰らいに降りて来たりしている者であり、彼らの殺害や死骸の利用は認められている。


「でも、ヴィンスだって報酬金が良いから、引き受けてもまぁ、って感じだっただろ」

「金はあって困りません。人狼討伐も危険な部類でしょうが、俺達二人ならまぁ、問題ねぇとは思いましたから」

「……ヴィンス!」

「ッ止めろ!離れろ!暑苦しいッ!」


 がばりと、ヴィンセントの言葉に感動したフォルトゥナートが抱きつく。

 フォルトゥナートに比べると、ヴィンセントの方が一回りほど体格が小さい。バタバタと激しく藻掻くものの、彼の強い抱擁は解けないようだった。

 ノエは、特に気にした様子もなく、紅茶を啜っていた。


「で、二人では解決出来ない問題が生じたから、自分のところに?」

「……まぁ、はい」


 ヴィンセントはこくりと頷く。フォルトゥナートを突き放すことは諦めたらしい。そもそも、フォルトゥナートの力を振り解けるくらいならば、誰も彼の悪癖を指摘しないのだ。

 ノエも、恐らく解く労力と放っておく労力を計算した上で、フォルトゥナートの癖を放置しておくことを選択しているのだろう。


「……回収した人狼の死骸が、触媒として使えなかったんですよ」

「それに、群れで降りて来たのかってくらい、異常に人狼があちこちでうようよいやがるんだよ」

「……それは」


 ノエは、そこで言葉を止めた。表情が曇る。


「……問題あり、なのですか、ノエ?」

「……まぁ、あるね。両方とも異常だ」


 ノエは、眉間に皺を寄せ、溜息交じりに声を零した。


「面倒な気がするなぁ……」


 そう呟いた。

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