Case.2 帝国魔狼姫ブラッドレッド

Prologue

Prologue.1889年後期試験合格式

──俺様は、正義感は強い方だと思う。


 正義感。つまり、悪事を働く人間を見過ごせない質だということだ。

 故郷でも、生徒同士の抗争を押しとどめたり、家の中の争いを諌めたり、性格的にどうしても首を突っ込んでしまう。

 魔術師としては、致命的な欠点だった。

 けれど、当時は許された。

 没落一途の家系の息子ではあったものの、家の後光はまだ健在。俺様自身の実力も、同年代の魔術師の中では、頭一つ分は抜けていた。これは自負ではない、師匠のお墨付きだ。だから、言うことを聞かせられるだけの力があった。

 だが、単身で海を渡り。国と言葉が変わり。

 相手の家柄と未知数の実力を気にしなければならなくなってしまうと、持ち前の無鉄砲さがいかんなく発揮出来る訳はなかった。

 俺様は協会の書類を持って、ロンドンの魔術協会に入って三日後。時計塔取締局特務課の後期入局試験を受けた。

 試験参加者は俺様を含め、四人。

 筆記試験・実地試験は共に滞りなく終了したものの、合格通知書が渡される合格式で問題が起こった。

 試験参加者の一人の女が、結果にいちゃもんを付け始めたのだ。

 まだ完全に言語を理解している訳ではなかったが、それが女の勝手な意見と、そのいちゃもんを付けられている男を馬鹿にしている言葉だとは、分からないなりにも分かった。

 第二位合格なら充分だろ。止めろよな。

 そう言いたいのは山々だったが、まだ俺様は言葉が不十分。それに加えて、もしこれがきっかけで合格通知書を剥奪するなんて権力行使をされれば、間違いなく俺様は、二度と夢を叶えられない。

 風の銀符ぎんふで突き飛ばされた細い彼の身体を支え、高飛車に鼻を高くした女を睨むことしか出来なかった。

 だから。

 その日のことは、よく覚えている。


「そんな意味の無いこと、する必要ある?」


 第四位合格者の合格通知書を片手で丸め、『彼女』はそう言った。

 元々、そんなに大して気になった相手ではなかった。

 確かに、戦闘技術は高かった。まるで、ホムンクルスみたいに運動神経が良くて、跳ね回って敵を翻弄する様は、見ていて面白い戦い方だと思った。けど順位は俺様より、下だったし。


「な、なん、ですって」

「意味の無いことに時間を使うのは、非効率的だ。魔術師なら、分かるだろう。この言い争いは根源へ導く手段か。──違うノー。単なる君の我が儘だ」


 パクパクと口を閉口させている女に対し、『彼女』は特に気にせずにスラスラと言葉を重ねていく。

 俺様も、身体を支えられているもう一人も、その周囲にいる式典の参加者も、誰もが二人の様子に釘付けだった。


「そもそも、あの時は彼の冷静な判断能力が無かったら、今回のはゼロだった。だから、彼が一番になるのは、必然だろう」

「必然だとか、必然じゃないとか!そんなの関係ありませんわよ!私を、私を誰と思って?エンペントル家の次女の、」

「家柄に興味無い。……それに加えて、君の扱う文学魔術では、あのオーガは倒せないよ。もう少し強化を身体にも靴にも掛けてやらないと、そもそもの速度も強度も足りない」

「ッ?!」

「君の魔術のモチーフは、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの『赤い靴』だよね?」


 何気なく。朝に使用人に天気を聞いたり、今日の予定を聞いたりするかのように、『彼女』はあっさりと女の魔術を解体バラした。

 魔術は、その発動する方法や魔術式が分かっていても言わない、知っていても触れないのが普通だ。

 特務課に勤めようとする魔術師ならまだしも、大抵の魔術の場合は、親から子へ引き継がれた秘匿の魔術式で発動する魔術なのだ。

 そんな神秘的で秘匿性の高い物を、ズケズケと踏み入って暴くことは、何人たりとも許されない。

 それを防止する為に存在する魔術師間の暗黙のルールを、『彼女』は容易く破ったのだ。

 周囲はざわつく。俺様達も例に漏れず、慄いた。


「イメージは凄く良いと思う。主人公のカーレンは、斧で切り落とされるまで踊ってた筈だから。でも、靴の強度もそれを扱う身体能力も、君の場合は低い。

 だから、落ち着いたモチーフに切り替えるか、そもそもの基礎を組み替えた魔術式を生み出す方が、よっぽど君の強さを引き出せるはずだけどね」


 アドバイスを交えているものの、周囲はすっかり冷え切っている。

 女も、公然の場で「解体」を受けるという羞恥に、肌を真っ赤にして震えていた。

 ちょっぴり俺様は、ざまあみろとか思ってしまった。


「……ミス・エンペントル。別に自分は、君が優秀じゃないとは思ってない。でも、今回は実力も頭脳も、君よりも彼が上回っただけだ。

 彼への暴力と暴言は撤回すべきだと、自分は思うよ。どうかな?彼に謝って欲しいんだけど」

「ノエ・ブランジェット」


 そこでようやく、『彼女』の口を止めるかのように、厳つい顔のお偉いさんが口を開けた。


「……何でしょうか」

「君は、自分がしたことを分かっているのかね?」

「いえ。何か問題でも?自分は、彼が暴言を受ける必要性が全く無いことを証明しただけのことです。……何か、悪いんですか?」

「……少し、来なさい」


 重々しい口振りに、嫌な予感がした。

 俺様の手の中に居る奴が、「待ってください!」というのとほぼ同時に、パンパンと拍手の音が二階から聞こえてきた。

 上を見上げる。俺様だけじゃなく、全員の視線が音の方向へ向く。

 そこにいたのは、黒い兎頭の異形を傍らに置いた、清楚なワンピースドレスに身を包んだ女。手には、赤い本を持っていた。

 栗色の髪を颯爽となびかせて、兎頭に抱き抱えられて一階へと飛び降りる。

 無事に着地すると、兎頭は光の粒子となって本の中に飲み込まれて、消えた。

 栗色の髪の女は、光を飲んだ本を、背中に回してパチリとホルダーに留める。


「アリステラ様……!」

「いやぁ、実に面白い物を見せてもらってたよ!」


 そして開口一番に、そんなことを言った。

 にこりと笑って、それから厳つい顔をしたお偉いさんに顔を向ける。


「第七席候補様」

「アリステラか、ウェルズリーで構わない。その呼び方、面倒臭くて好きじゃないんだ。でその子、どうするの?」

「……然るべき処置を取ります。決められた法律はないですが、この娘は秘匿主義の魔術協会に置いておくのは得策とは言えません」

「ふむ、そうか。ね、君、名前は?」


 栗色髪の女に問われ、『彼女』は面倒臭そうな顔をしつつも名前を答えた。

 ノエ・ブランジェット、と。


「へぇ。聞いたことない名前!フランスか、ドイツから来たのかな?後期試験は、ワケありか、飛び級生のみだから。ところで君、ここを追い出されたら行く宛ては?」

「無い。そもそも、ここに来るまでの記憶があやふやだから。……別に、不合格にされても構わない」

「ふぅん」

「………ウェルズリー様。そろそろよろしいですか」


 長話に飽きたのか、お偉いさんはそう切り出した。

 栗色髪の女は、にんまりと笑って、『彼女』の手を取った。


「良くない。この子は、たった今から私の妹になったから」

「は?」

「はぁ?」

「えッ!?」


 更に周囲がざわつく。

 だが、全く気にした様子は無い。


「あ、アリステラ様?!ど、どういうおつもりで」

「つもりも何も。私は面白い物が好きだから、かな。こんな公然の場で『解体』なんて、面白い以外の何物でもないだろう?だから、この子をウェルズリーに引き入れようと思う」


 このあたりで、俺様はようやく話がとんでもない方向に進んでいることを理解した。

 ウェルズリー。魔術協会でも指折りの実力者に、彼女の身は買い取られようとしているのだ。


「正気ですか?!お兄様や、家の方、エレオーラ様が何と仰られるか!」

「いいよ。父さんは私を当主にする気満々だからね。その他の凡人の発言は、気にしたことないし。……よし、ノエ・ブランジェット。合格式は終わったようだし、私と話し合いといこうか?これからのことを踏まえて」


 アリステラと呼ばれる彼女は、周囲に軽く視線を巡らせた。

 それだけでこの合格式は終了したことになり、異端なる特務課の魔術師となった『彼女』に、誰も手を触れることが出来なくなった。

 これが、権力の力だった。


「………ミーア・エンペントル」

「は、はいっ」

「君が飛び級クラスの、兄に負けず劣らずの優秀ななのは、私も知ってる。だけど、英国淑女レディらしく癇癪を起こさずに振る舞うことも、しっかりと覚えておくんだよ?」


 くすくすと笑いながら放つ言葉に、女はグッと唇を噛み締め、逃げるように去って行った。

 そちらに気を取られていると、不意に視界が陰った。

 『彼女』だ。


「怪我は?」

「……あぁ、どうも。すみませんね、俺はどうも、人に迷惑をかける質みたいで」

「あれはつまんない言いがかりだよ。……これ、どうぞ」

「……魔法薬」


 回復魔術ではなく、いくつかの薬草を煎じた丸薬だ。咄嗟の時の、お守りのようなもの。


「……自分、治癒魔術は使えないから。お大事に」

「ノエー!早く来てよー。お姉ちゃん待ってるよー」

「義理でしょう。あと、まだ認めてないです」


 アリステラの言葉に辛辣に対処しながら、『彼女』はさっさと歩いて行く。

 残ったのは、二人。


「……あんたも、支えてくれて、どうもありがとうございます」

「いいぜ。そういやお前、名前は?俺様は、フォルトゥナート・チェルクェッティってんだ。イタリアから来た!」

「ハァ」


 これが、俺様達の初めての邂逅。

 この後にいくつかの案件を一緒に解決して、よりお互いに深く知り合うことになるんだが、それはまた別の話、だ。

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