7.ベディヴィエール

 魔力切れを起こし、倒れゆくノエの身体を素早く支える。そのベディの右腕にも──正しくは右腕の付け根部分に、鋭い痛みが走った。

 膨大な魔力を扱った弊害だ。

 義手と右腕の接着箇所から、肉の焦げた匂いが漂ってくる。黒い燕尾服を更に濃く染めていることから、魔力を円滑に通すための魔銀髄液ミスリル・リコールが傷口から僅かに漏れている。

 だが、彼はそんなことに構っている暇は無かった。

 ゆっくりとノエを床に寝かせ、彼女の左手の甲を手に取る。契約紋が微かに、力なく明滅している。

 ベディはそこへ唇を近付けて、今しがた魔素から変換した魔力を、彼女に与える。注ぎ込む。

 彼女とに会ったあの日と同じように。

 時間にして、十数秒か。

 明滅していた契約紋は、仄かな光を放つ程度にまで戻る。そして、彼女の甲から消えていった。

 ひとまずはこれで、彼女の死は免れた。

 すぅすぅと眠る彼女に微笑みかけ、ベディはヴィクターの方へと視線を向ける。

 彼は、愕然としていた。


「ベディヴィエール……」

「はい」


 過去の自分オリジナルの名前に、ベディはこくりと頷いた。ヴィクターは身体を震わせる。


 ベディヴィエール。

 トマス・マロリーが書き上げた中世の騎士道物語の大作『アーサー王物語』に登場する円卓の騎士の一人。

 アーサー王に古くから仕え、数多の戦を共にし、一介の騎士から円卓の騎士まで上り詰めた隻腕の勇士。

 そして、アーサー王の最期まで共にした、忠節の騎士。


「君は、人形ドール……なんですね。だから、魔術経路の動きを抑制する技が、効かなかったのか。君達は、魔術経路を持たないから……」

「はい。黙っていて申し訳ありません」


 ベディは静かに頭を垂れた。ヴィクターは、ただただ首を振るった。


「頭を下げないでください。僕がきちんと彼女に訊ねていれば、良かった。ただそれだけの話です。僕の詰めが甘かったのです。ですからその時点で、この結果は当然なのでしょうね」


 ヴィクターは後ろを振り向く。

 彼女との思い出の一つ、彼女を宿す筈だった器たるパイプオルガンは、粉々になって見る影もない。

 だがそれを見て、ノエが伝えようとしていたことが伝わってくる。

 あのオルガンは、直せる。年月はかかるだろうけれど、そっくりそのまま再現できるだろう。

 しかし、それは「メリーアンとの思い出が詰まった」オルガンか。

 自身より二回りも若いノエが伝えようとしていたことは、きっと──。


「ヴィクター様。今の私は人形ドールではありますが、貴方の気持ち、分かります。過去の私には、妻も子も、そして彼らと同じくらい大切な王や仲間が居ましたから。生かしたいという思いは、理解出来ます。故に貴方の持つ深い愛情へ、私は敬意を表します」


 ベディヴィエールもまた、偉大なるアーサー王を生かそうと、聖剣エクスカリバーの返還を二度も躊躇った男。

 ヴィクターの行動は常軌を逸したものではあったものの、その心や考えにはベディも似たような感情を持っていた。


「……その日は、本当に、たまたま、喧嘩したんです。僕と彼女、普段はそんなに喧嘩はしないんですけど、その日は本当に、二人共虫の居所が悪かったんでしょうね」


 ぽつり、ぽつりとヴィクターは言葉を零した。

 ベディの言葉に触発されたからか、あるいは誰かに聞いて欲しかったのか。それは、ヴィクター本人ですら分かっていない。


「次の日の朝も、口を利かなくて。こんなこと、初めてで……。どうしようって、僕も思ってたんです。でもあの時、何も言えなかった。そして、彼女は……死んだ。魔術研究の実験で必要だった、異形を狩りに行って――殺されました」


 ヴィクターは、カーペットの敷かれた床を、ぎゅっと握った。

 あの日だけだった。お互いに何も話さず、お互いが居ない存在だとして扱って、お互いに解決策を見出すことが出来なかった。

 ヴィクターの時間は、その日を境に止まってしまった。


「あの時勇気を出して謝っていれば……、こんな後悔することも、なかったんですかね」

「……ヴィクター様。貴方はきっと、お優しい方です。それを感じ取ったからこそ、ノエは解体したのだと思います」

「え……」

「ノエは、解体を好みません。それでも自分から進んで行ないました。……それは、貴方を説得して、何とか武力に頼らずに収めたかったからかもしれません。私の切り札を使うことにも、少し躊躇っているようでしたし」


 ベディは、ノエを見る。

 言葉を紡げなかった彼女の目から、ベディは固有能力スキルの使用許可と同時に、ヴィクターを死なせないようにという意志を汲み取った。

 きっと彼女の聡明な瞳は、ヴィクターの心の内まできちんと見据えていたのだろう。

 ヴィクターは、柔らかな瞳をノエへ注ぐベディに、問いかけた。


「どうして貴方は、生きていられるんですか?……人形ドールは一週間で…自殺するのでしょう。貴方はその、一週間以上経っている気がします。ノエさんに向ける眼差しや呼吸の合わせ方が。ぼ、僕の推測違いだったら、ごめんなさいッ!」

「いえ。……私は、二ヵ月前に目を覚ましました。ノエが偶然私に触れて魔力が流れたので、休眠状態スリーブ・モードが解除されて、そこで彼女と契約を交わしたんです。それから、共に行動しています」

「そう、だったんですか。……その、」

「はい、質問には答えましょう。……私も、起きたばかりの頃は、自分の存在が良く分かりませんでした。

 眠ったと思った次の瞬間には、文明の進んだ世界にいて、周りは知らない人間ばかり。自分の姿は、生きていた頃とは違う見目をしていて、魔力が切れたら動かなくなる異形の身体になっていたんですから。自分が自分ではないような感覚に、ぞっとしました。かつて倒していたあの怪物達に近しい存在に、自分も堕ちたのかと。

 だから、過去の私オリジナルと今の私は同一なのか。悩みました。内側が軋むような音を鳴らしていたのを、覚えています。それを止めてくれたのが、小さな彼女なんです」

「小さな、彼女……?」


 ヴィクターはその言葉を繰り返す。

 ベディは、ただノエを見つめ、眠る彼女の柔らかな灰色の髪を梳くように撫でる。


「彼女は、私を受け入れてくれました。かつての私が仕えた王のような、輝きのある笑顔で、優しく勇ましい心で。どんな私も、私だと。生身の肉体の私も、異形の身体で動くこの私も、彼女は恐れずに受け入れてくれたのです。

 あの日、あの瞬間。私の内側の軋みは終わり、私は強く想い、願いました。過去の私は王を守る為に生きた。今の私は、あの子を守る為に生きようと。

 ……貴方は優しい人です。きっとメリーアンさんも優しい人だったでしょう。その人は、喜ぶでしょうか。沢山の犠牲で作られた自身の身体を」


 ヴィクターは黙ったまま、静かに首を横に振った。

 メリーアンは、魔術研究に必要な犠牲以外の殺生は好まない。優しく、それ故に魔術師としては出世の見込めない魔術師だった。だが、そんな優しいメリーアンが、ヴィクターは好きだった。


「……ありがとうございました。僕の人生で、貴方達に出会えて良かった……」

「………ヴィクター様」

「やぁ!随分早く問題を片付けたようだね!」


 バンッとホールの扉が開かれ、中に入って来たのはアリステラと黒服の警官達だった。ロンドン警視庁スコットランドヤードの警官達である。

 アリステラは軽やかな足取りで、座ったままの三人の元へやって来た。

 眠っているノエの柔らかな頬をつつき、にこにこと楽しそうに笑っている。そこでようやく、ベディは口を動かした。


「……アリステラ様、どうしてここが」

「うん?……あぁ。これだよ」


 アリステラは、ノエの身に着けている夜空色のワンピースドレスの裾を、ぴらぴらと摘まんで振った。


「ちょっとしたダウジングだね。私の所有物だから、そういう機能も付いてるの。誘拐された時の対策の一つだよ。ここに入って数十分後にぷつっと切れたから、心配になって来たんだ」


 アリステラはウインクを一つして、それからノエから離れてヴィクターの目の前へ立った。


「私は、十席会合グランド・ローグの第七席、アリステラ・ロザリンド・ウェルズリー。君が、心臓泥棒ハート・スナッチャーってことでいいかな?」

「はい、ウェルズリー様。僕が、心臓泥棒ハート・スナッチャーです」


 ヴィクターは淀むことなく、しっかりとアリステラへ頷いた。彼女は周囲に視線を配り、それからくるりと後ろを振り返った。


「私達の仕事の領域は人ならざる存在モノ、人の範囲外の存在モノに関する事件だ。心臓泥棒ハート・スナッチャーは、異形でも都市伝説の怪物でも、幽霊ですらなかった。彼の裁きは君達の領域だ。好きにすると良い」


 アリステラの言葉を聞き、警官隊の中で一番上の身分であるらしい無精髭を生やした男が、ヴィクターへ近づいて行く。


「すみません、警察の方。僕は、逃げも隠れも、抵抗の一切を行ないません。ですから、この屋敷の整理をしてもいいですか。……ここには、帰って来れないでしょうから。誰か、三人ほど手伝いと見張りを兼ねてついて来て頂けると有難いのですが。我が儘を承知で、お願い致します」


 しおらしい彼の態度と、彼の真摯な言葉に、無精髭の男は警官隊の数人へ目で合図を出す。

 それをきっかけに、ヴィクターの周囲に三人の警官が集まった。ヴィクターは立ち上がり、ベディへ小さく微笑んでから、彼らと共に工房を出て行く。

 他の警官は、ずかずかと土足で工房の中を探索し始めた。


「お疲れ様、ベディ」

「……いえ」

「私はこれから彼らが変な触媒モノに触れないように、きっちりと監視する義務があるからさ。君達は先に帰ってもいいよ。帰れそう?」

「帰れます……。ただ今日は室内移動ということで、外套をこちらへは持ってきていないのですが」

「私、君達に歩いて帰れって言ってると思ったの。ちゃんと馬車を用意してるよ。今日は私の家の客室に泊まって行きなよ。どうせ、ノエは休ませないといけないしさ」


 アリステラは微笑んだ。ベディは静かに彼女へ頭を下げて、ノエを片腕で抱き上げた。

 アッシュフィールド邸から出てすぐ、警察車両と共に玄関に留められたウェルズリー家の個人馬車キャリッジに乗り込む。


 ベディは、その屋敷のくすんだ色の屋根が見えなくなるまで、ぼうっと見送っていた。

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