6.メリーアンへの鎮魂歌

「……貴方には、それが出来ると」

「えぇ」


 ヴィクターの問いかけに、ノエは小さく頷いた。


「まず、今集めている心臓は、これからメリーアンさんを器に宿した時からの魂の維持の為に使う用の物でしょう。運よく君が、魂の流れに干渉してメリーアンさんの魂を引っ張って、そこのオルガンに宿して、一ヶ月は維持出来るかもしれない。けど、心臓にだって魔力炉としては限界がある。そうなったら、また君は心臓を調達しなければならない。

 それを、君は繰り返し続けるんだ。生涯が終わるまで、君は心臓泥棒ハート・スナッチャーとして生きていかなくちゃならない」

「……それは、そうかもしれないですが。けれど、それがメリーアンを起こす為に必要なら仕方ないです。僕は、もう、止まれないですから」

「そう……、それじゃあ次に」


 ノエは少しだけ寂しそうな顔をして、しかしその顔はすぐに切り替わる。


「仮に君がメリーアンさんの魂をそれに宿したとする。でもそれは、

「………え」


 ヴィクターが零したのは、その一音だった。


「あくまでも人形ドールに宿されるのは、霊魂だから。人形ドールには、魂というものは宿らない。……その人の魂をオリジナルと呼ぶのなら、その魂オリジナルの持つ詳細な記憶を全て写し取った完璧な複製本のようなものが、人形ドールだ。決してオリジナルそのものじゃない」


 ヴィクターは、かたかたと手を震わせ始めていた。

 この事実を、彼に交渉を持ち掛けた人形師は伝えていなかったのだと、すぐに分かる。

 ノエは目を見開いているヴィクターを見ても尚、眉一つ動かさない。


「そのことに、人形ドール自身も気付く。賢いから。そして、過去の自分と今の自分のギャップに耐えられなくなって、……だから、人形ドールは、一週間以内に自殺する。自ら魔力供給を断つんだ。それがどれほど残酷なのか。君には分からないかな」


 一度死んだ記憶を持つ者が、もう一度死を選ぶ。今度は、自らが決断してその命を絶つ。

 その時の彼らの気持ちを想像し、ノエは顔を歪める。

 だからこそ、ノエはその技術を持ち合わせていながらも、人形ドール作りに手が伸ばせなかった。


「……だから、無意味なんだ。メリーアンさんともう一度会いたいという君の気持ちは汲むけれど、君が会おうとしているメリーアンさんは、ただの人形だ。本人じゃない。本人にそっくりな、偽物だ」

「あ、ああ……」


 ノエの優しい声音の言葉に、ヴィクターの身体が、喉が、手が、震えている。


「……ノエ」

「ベディ、ヴィクター・アルトマンの捕縛。及び、この場所の破壊を行なう。この魔術装置自体が、心臓泥棒ハート・スナッチャーそのものと言ってもいいだろうから」


 ノエは溜息を吐き出して空気を切り替えると、ベディに声を掛ける。彼はこくりと頷いて、ヴィクターへ近付いていく。

 彼は、その震えを止めた。


「駄目だ。もう、駄目なんだ」

「……ヴィクター?」


 彼はオルガンの前に立った。そして、バンと勢いよく鍵盤を叩いた。重厚ある音色がホール全体に響く。


「駄目だ、駄目だ!僕は、僕はもう一度メリーアンに……!その為に僕は努力した、心を砕いた……!彼女に会う為に!こんなところで、止まれないんだ!」

「ッ説得じゃ無理か!」


 ノエは銀符ぎんふを取り出し、ベディは彼女の盾になれるようノエの前へ立つ。


演曲開始ミュージック・スタートッ!」


 金を纏った彼の指が、鍵盤を滑らかな所作で鳴らした。

 パイプオルガンが動く。真っ直ぐにホールの天井に向いていたパイプが、ぐぐっと斜めに傾いた。その先は、ホールの中心――つまり、ノエ達の方向へと傾いた。


「いかがしますか、ノエ。ちなみに、私の持っている武器は、この義手くらいなものですが」


 ここに来るまでのホムンクルスとの戦闘で、運悪く武器そのものを彼は持っていなかった。

 しかし、ベディは人形ドールだ。膂力だけならば、ベディにあの男を絞め上げることは容易であろう。

 だが、その方法も、全ては彼女の言葉のままに行なうことである。

 ノエは、すぐには答えられなかった。


烈炎の円舞曲フィアンマ・ワルツ!」


 三段の鍵盤を、次々と奏でていく。傾けられたパイプの先から、炎の塊が降り注ぎ始める。


「ッベディ、後ろに!」

「はいっ」

Nent Filum糸を紡ごうHenmo es tu Henmo編もう、編もう!」


 ベディがノエの後ろに回ってすぐ、ノエが床に手を当てながら魔術を発動する。

 金色の光はノエの手の周囲を照らし、それから鋼鉄の強度を誇るノエの黒い糸が、格子状の壁となって火球を防ぐ。

 ノエは網目状の向こう側で、一心不乱に鍵盤を叩くヴィクターの背中を、ただ静観していた。

 爆音が響く中、ノエは声を張り上げた。


「ヴィクター・アルトマン!このままだと、この工房も壊れてしまう!」

「ッ……。それは、良くない。ここは、メリーアンの工房。彼女の、聖域。彼女に贄を捧げる場所――神聖な場所」


 ノエの言葉に、荒々しくかき鳴らされていた曲が止まる。すると、まるで幻であったかのように火球はなくなっていた。

 ノエは、するすると黒い糸を解いていく。

 今のヴィクターに、鍵盤を激しく叩いていたあの荒々しさはない。静かに、しかし彼は立ち上がろうとしていない。

 指が、動く。


メリーアンへの鎮魂歌レクイエム・フォー・メリーアンッ!」


 いくつもの音が重なる。

 頭蓋骨が震える。脳が震える。身体が、肌が、眼球が震える。魂も、もびりびりと震えている。

 それは、ヴィクターがメリーアンへ捧げる彼女の魂に向けた叫び。咆哮そのものだ。

 ノエは瞬時に、自身の身体が凍り付くのが分かる。たった一小節、あるいは二小節程度を聞いただけで、既に手の動きは制限されている。

 数日前に耳にしたホムンクルス達の合唱と同等か、あるいはそれ以上の経路への干渉力を持っている。

 今はまだ影響力は低いが、どんどんと身体を侵食している。このままではベディへ意志を伝える声すら、出すことすら出来なくなるかもしれない。

 ノエは、悟った。


 切り札。

 ノエが持つ最高にして最大の、彼女の魔力では三日に一回だけしか使えないほどの大技。

 使いどころは、今しかない。


「ベディ!」

「はい、ノエ」

「今だ、今しか、な……ッ、ッゥ……」


 声が制御された。ベディに言葉で伝えられない。

 ノエが突然言葉を止め、喉を擦り出したのをベディは見た。そして数日前ホムンクルス達に襲われた時のことを思い出して、彼はすぐにノエと目を合わせた。

 ノエのアイスブルーの瞳と、ベディのエメラルドグリーンの瞳の視線が交わる。


「えぇ、今しかないでしょう。私の出番ですね、ノエ」

「ッ……!」


 こくこくと、ノエは頷いた。

 そして、光を放つ左手の甲を――一本の剣と、大きく羽根を広げた天使の両翼の契約紋を、ベディに向けた。

 それが、合図だった。


 ベディは立ち上がり、ふうっと短く息を吐き出した。

 すると、白銀の機関義手エンジン・アームに、自身の蓄積していた魔力と、ノエから供給される膨大な魔力、そして魔術装束の影響によって周囲の魔素が取り込まれ、ただ一つの魔銀ミスリルで作られた義手へと収束していく。

 熱を持つ。

 光が生まれ、集まる。

 光は、一つの形となる。


 三角状の刃が先端に付いた、長柄の武器。

 槍。

 それに銘は無いものの、過去の彼オリジナルの伝説の一つに語られる武器である。


 光を放つ右腕で得物を強く握り、一気にパイプオルガンへと走り出す。

 チャンスは一度きり。絶対に外すことは許されない。

 これは、ベディの持ち得る中で最大で最強の、固有能力スキルだ。

 ベディの足音を聞いたのだろう、ヴィクターはメリーアンへ捧ぐレクエイムを弾きながら後ろを振り向き、そして驚愕した表情をしていた。


「何で、君は、止まらない……ッ!?」


 人間なら、魔術師なら、使い魔なら。

 この曲を聞けば、曲の素晴らしさのあまり、感動し、すべての身体の機関の動作が停止される。それは、曲が止んだ後、一定時間持続する。

 この場に居るヴィクター以外、動けないのがなのだ。

 だが、背後から迫り来る少女を守る勇敢な騎士は、動き続ける。手に持つ、光を放つ一槍をオルガンへと向けていた。


「ひ」


 恐怖のあまり、ヴィクターの身体が止まる。音が消えた。それでも、ベディは止まらない。


我が魂よ、勝利をもたらす槍と成れランス・オブ・ベディヴィエールッ!」


 光る己の槍を、オルガンへと穿つ。

 常人の瞳には、たった一突きにしか見えない。

 だが、人形ドールとして向上されている膂力で放つ彼の槍の絶技は、刹那に九突きを叩き込む。

 真鍮と魔銀ミスリルの合成金属で出来たパイプオルガンなど、この槍の攻撃を受けて無事な筈もなく。

 粉々に砕け、ホールに散らばる。木枠の支えを失ったパイプが、ヴィクターの方へと傾き落ちてくる。

 ベディはそれを左腕で掬うようにして担ぎ上げ、すぐにノエの元へと退避した。と同時に、パイプは倒れた。

 あの下に居れば、ヴィクターは間違いなく四肢を数ヶ所も折り、内腑を床に零して、死んでいただろう。

 ベディは彼を下ろし、ノエの肩に触れる。


「ノエ」


 そして、名を呼んだ。

 ノエは安心したかのように口元を綻ばせ、そしてぷつりと、糸が切れた人形のように身体を傾がせた。

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