2.ドレス姿の貴方

「うん、なかなか似合うじゃん。流石、元が良いと何着ても映えるなぁ」

「……どうも、ありがとうございます」


 時計塔研究機関に足を運んだ次の日。ノエとベディは、ウェルズリー邸へ立っていた。

 巡回後、夜明け前に帰ってきた二人が休んでいるところへ、朝早くに押しかけて来たアリステラとマーチが部屋にやって来た。そして彼らに、半ば連れ去られるような形で、再びこの家へ訪れていた。

 アリステラの赤目に熱烈に見つめられているベディは、いつもの恰好とは違う衣装を身に纏っている。

 この家に着いた途端、ノエとベディはそれぞれ分けられて部屋に投げ入れられ、そこでこの服一式を、無理やりに近い形で着させられた。

 高級そうな布地で織られた黒い燕尾服。その下のシャツは、ベディの瞳の色にも近いエメラルドグリーン。普段の髪結いに使う紐よりも幾分か太い紐で、さらりと靡く銀髪は結い上げられている。靴も、ランプの光を照り返すほど磨かれていた。

 アリステラに導かれるまま、押し込まれた個室から玄関ホールへとベディは来ていた。


「あの、アリステラ様」

「うん?………うん、当ててあげよう。どうしてここまでするのかって話かな?」

「はい。その、いつもの服でも構わないのではないか、と思うのですが」

「まぁ、交渉に行くっていうていだから、普段の服でも構わないけど。でも、相手の本質が完全に分かってないからこそ、準備は大事だ。それに、欺く為にはある程度、芝居も必要だろうし。こういう裏でコソコソするのは、魔術師の基本だよ。ちなみに、その衣装も魔術の一種なんだからね。魔術装束って知らない?」


 アリステラの問いかけに、ベディはふるふると首を振るう。彼女は小さく肩を竦めた。


「その服はね、魔力と魔術式が組み込まれた特殊な糸で織られた服なんだよ。生身のままよりも魔素を取り込みやすかったり、魔素が逃げにくくなってたりしてる。ま、それの一番のメリットは、外からの魔術の影響力を弱体化することが出来る」


 アリステラはつうっと、ベディの胸の中心を指の腹で撫でた。


「魔術師というのは臆病な生き物なんだよ。固有結界を張って、その中に呪いを振り撒いておく。やって来た人間は入った瞬間から、魔術師の手中だ。これは、そういうのに対抗する為に生み出された装束なんだよ」

「凄いですね」


 ベディは身に着けている燕尾服を見ながら、アリステラへそう言った。

 彼女は「そうだね。だから高いけど」と言ってベディから離れ、二階にある部屋の扉の一つを見る。ベディもそちらを向いた。

 そこは先程、アリステラが無理やりノエを押し込められた部屋である。


「……あの、ノエは」

「レディの準備には時間がかかるものだよ。……普段のあの子が、どれくらい身支度に時間をかけてるのかは知らないけど」


 ベディは普段のノエのことを思い出す。

 化粧でその身を着飾ることもなく、髪も短い為に手櫛で済ませていることが多い。ささっと片手で整える程度のものである。ベディの記憶する限り、待つということをしたことがほとんどない。

 少しの間考え込んでいたベディであったが、彼の思考を覚ますように、勢いよく例の扉が開かれた。


「おぉー!」

「……!」


 アリステラは感嘆の声を上げ、ベディは目を丸くする。

 扉を開けて出て来たノエは、すたすたと足早に階段を降りてきて、アリステラの目の前へ立った。


「んー、それ選ぶかぁ。もうちょっと可愛い、フリルましましのだってあったでしょー」

「誰が着るか。っていうか、なんで、どれもこれも、スカートしかないんだよ」

「あれ、私のお古だからね。君の体型に合わせたら、お古くらいしか貸せなくてさ」


 体型と口にしたところで、明らかにノエの胸元へアリステラは視線を注ぐ。ノエはむすっとした顔で、ニヤついているアリステラを睨んだ。

 そういったノエの態度は変わらない。だがその見た目は、普段の雰囲気とはがらりと変わっていた。

 いつものノエはボーイッシュな――どちらかと言えば、男装にも近い恰好を好んで着ている。いざというときに動けるようにというのが、彼女のスタイルだ。美少年にも見える中性的な容姿をしているからこそ、その服装はよく似合っている。

 だが、今の彼女はとても少女らしい。

 きらきらと光を受けて輝く、夜空色のワンピースドレス。その下には白色のペチコートのフリルの先が見えている。長袖の手首には、青いリボンが揺れていた。

 それらの衣装は、白い肌や灰色の髪に、良く映えていた。


「しっかも、それさぁ、一番安物のドレスじゃない?」

「他が高すぎる。何かあった時に弁償しようと思ったら、あの金額は無理。自分の貯蓄がすっからかんになる」

「もー、気にしなくていいのに。私と君の仲でしょう?あれは大体もう着られないから、捨てるだけのものだし」

「……金持ちの嫌な考え方だな。寄付しなよ」


 ノエはハァと思い切り溜息を吐いて、ちらりとベディの方を向いて目を見開いていた。

 アリステラに文句を言う方に夢中で、ベディには気付いていなかったのだ。

 ノエはベディの頭の先から靴の先まで見て、「 凄い」と口からぽろりと感想を零した。

 アリステラはにんまりと笑って、ベディの腰をトンと叩く。


「何、ノエ?従者くんがかっこよくて、惚れちゃいそう?」

「何言ってるの、アリス。ベディは元々かっこいいでしょ。……服装が変わるだけでこんなにも白馬の王子様に近付くんだなって」


 ノエは恥ずかしがることなく、あっさりとそう言った。アリステラはひゅうっと口笛を吹き、ベディは嬉しいと恥ずかしいと、もっと様々な感情を混ぜ込んだ表情をしてから、ふいっと視線を反らした。


「ノエも、良く似合っています。可憐で、美しいです」


 それから、ベディもノエに賛美の言葉を送る。ノエは小さく笑って、スカートの先を摘まんだ。


「こういうひらひらは、アリスとかミーアが似合うものだと思うんだけど」

「まぁ、確かに私は何でも似合う美少女だけど。まま、従者くんの素直な意見を受け入れてあげなよ、ノエ」


 アリステラにそう言われ、ノエは少しの間顎に手を当ててから、ベディの方へ視線を上げる。


「ありがとう、ベディ」

「いえ。事実ですから」

「はい、それじゃあ外に馬車を待たせてるから、それに乗って行きな。あとは、作戦通りにね」

「うん」


 ノエはこくりと頷き、さっさと歩いて行こうとする。その前にベディが立ち、そっと腕を彼女へ差し出した。

 ノエはきょとんと目を丸くして、ベディを見上げる。


「どうぞ、ノエ。あった方が歩きやすいでしょうし」

「………ありがとう」


 ノエはベディの腕に恐る恐る手を伸ばし、その腕を取った。

 玄関の外に留められている馬車には、既にマーチが待っていた。玄関扉が開くと同時に彼は静かに頭を下げ、マーチ自身の黒ネクタイをくっと締める。


「行くぞ、ノエ・ブランジェット」

「うん」


 ノエとベディは馬車に腰を下ろし、マーチは乗り込まずに御者に住所を告げてから、馬車から離れた。

 ほどなくして馬車はがらがらと音を立てて走り出し、ウェルズリー家から出てホワイトチャペル地区へ向けて走り出した。

 ベディは、隣に座るノエへ視線を向ける。彼女の手は、少しだけ震えていた。

 アリステラやマーチには強がって見せていたが、やはり一人でやるには不安なのだろう。

 交渉という場において、人形ドールたるベディでは役不足だ。変われるものであれば変わりたいが、ノエでなくてはならない。


「……ノエ、寝ていても良いですよ」

「へっ」

「朝、そんなに寝ていないでしょう。着いたら、私が起こしますから」

「っでも」

「私が最大限の力を発揮する為には、貴方には元気でいてもらう必要がありますから」


 ベディはノエを寝かし付けるように、優しくゆっくりと髪の毛を撫でる。普段は香らない甘い香水の匂いが、ふわりとキャビンの中に広がっていく。

 馬車の揺れも相まって、ノエはうとうととし始める。


「ベディ、君、上手いなぁ……」

「これでも娘と息子が居ましたから。……少しの間ですが、休んでください。良い夢を、ノエ」

「ぅん」


 ノエはベディの肩へもたれ掛かり、それから規則的な寝息を立て始めた。ベディはそっと頭から手を離し、これから向かう戦地へ思いを馳せる。

 ホワイトチャペル地区のアッシュフィールド邸には、刻一刻と近付いていた。

 ベディは、ノエとアリステラがウェルズリー邸に辿り着くまでの車内で話していた「作戦」について、再び頭の中で反芻させた。

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