3.アッシュフィールド邸

 ノエの立てた作戦は、魔術家系が三派閥に分かれているところを利用するものだ。

 現在、民主主義派の意見を主導に魔術協会は動いている。その為、血統主義派は水面下で支配勢力を逆転させるべく、様々な家柄を派閥側に取り込もうとしている。

 例えば、その家にとっては有用な、魔力の溜まりやすい霊地を渡す。あるいは、魔術研究の費用の三割を負担する。などなどの条件を付与して引き入れようとしている。

 ウェルズリー家も、血統主義の家系である。つまり、引き込みを行なうことは不思議では無い。

 そして、アリステラの疑うアッシュフィールド家は、どの派閥にも属していない、第四勢力の無所属。ウェルズリーが唾を付けに来ても、おかしくは無い。

 アッシュフィールド家は、イギリスに来てからの家系としては一代目。しかし、本家のあるイタリアは、連綿と続く錬金術を修める魔術家系であった。アリステラとノエは、これを使うことにしたのだ。

 更に、公的な交渉の場に、ノエが赴くこと自体は問題ない。ノエの立場は、アリステラの義妹だ。

 現ウェルズリー家の第一継承者。

 交渉の場に立つ身分としては、低くはない。充分に相手を信用させられる立ち位置だ。

 ウェルズリー家が動いていることを相手に目で分からせるために、市井の乗合馬車オムニバスではなく、ウェルズリーの個人馬車キャリッジを使う。

 そうして、二人で潜入捜査を行なうのだ。


 ウェルズリー邸からアッシュフィールド邸の距離は、さほど遠くは無い。

 ノエの寝起きの悪さも加味し、到着十分前頃からベディは彼女を揺すり起こした。

 その甲斐あってか、アッシュフィールド邸に到着する頃には、ノエはきちんとハッキリした状態で、近付いてくる屋敷の様子を、車窓から見ていた。

 ウェルズリー邸よりも規模は小さいものの、ホワイトチャペル地区に建っている建物の中では、かなりの大きさの物である。

 だが、建物自体を清掃するような家女中ハウスメイドや専属の使用人を雇っていないのか、外観だけでは幽霊屋敷のようにも見える。

 余程家に困った浮浪者や子どもでなければ、この家に寄り付かないだろう。そのような雰囲気を漂わせていた。

 馬車はどんどんと低速して、やがて屋敷の黒門の前で留まる。

 御者がドアを開け、二人はアッシュフィールド邸の敷地に足を付けた。

 馬車の留まった先に両開きの扉があり、その脇に二人の人間が立っていた。いずれも顔を隠すほど長いヴェールを付け、スーツを身に付けていた。

 量産型の磁器人形ビスクドールのようで、ノエはやや眉を寄せた。

 ウェルズリーの個人馬車キャリッジを見送り、段差の低い階段を数段上って、玄関前へと辿り着いた。

 ヴェールの二人は、黙ったまま頭を下げる。だが、そのまま扉が開くことはなく、痺れを切らしたノエが口を開いた。


「話を聞いていないかな。自分はノエ・ブランジェット。ウェルズリー家から交渉を頼まれてここに来た。その、不法侵入とかではないから、開けてくれると」


 ノエの言葉を遮るように、こんこんと扉の向こう側からノック音が鳴った。すると、扉はゆっくりと歯車の音を鳴らしながら開いて行く。

 ヴェールを付けた二人は、まるで機械仕掛けの人形オートマタのようにノエとベディに、中へ入るように手で合図を送った。

 ノエはベディに目配せし、ベディはそれを小さく顎を引いて返し、二人は玄関ホールへと足を踏み入れた。

 飾り気のない簡素なホールだ。ウェルズリー邸の屋敷の中や時計塔取締局などのホールを見慣れていると、どうにも味気なく思えてしまう。だが、一般の魔術師にとっては、この程度のホールで充分であるし、そもそも飾り立てる必要性はない。

 飾り立てたところで、世界の原初へは至れないのだから。


「すみません、お待たせしました」


 二階から降って来た声に、ノエとベディは声の方を見上げる。

 燕尾服の上着に腕を通しながら降りて来たのは、三十代半ばと思しき男だ。

 外に立っていた人間と同じく、赤みがかった茶髪をしており、目の下の深い隈が目を引いた。もう少し背筋を伸ばして目の下の隈が無くなれば、更に若々しく見えることだろう。

 ノエは静かに頭を下げ、ベディも彼女に続いて頭を下ろした。


「貴方が、ノエ・ブランジェットさんですね。ウェルズリー様からの手紙を拝見しました。僕が、ヴィクター・アルトマンです」

「アルトマン……。えと」

「えぇ、アッシュフィールドではありません。……メリーアンの婚約者です」

「そう、ですか。……その、メリーアン様は」

「彼女は今、出ています。その間の家に関することは僕が責任を負っています。今日の話も、僕が承ります。それでは、ブランジェット様、こちらへどうぞ」


 ヴィクターはそう言って、二階へとノエとベティを導いて行く。二人はヴィクターの後ろを追いながら、周囲に置いてある調度品を眺めて歩く。

 二人がヴィクターに案内されたのは、応接室であった。長いソファにノエは座り、ベディはその後ろへ控える。

 その部屋へ遅れて入って来たのは、玄関外にいた彼らと同じ装束を身に纏った人物だ。

 紅茶とちょっとした菓子類が乗ったサービスワゴンを運んで、ソファの間に挟まれているテーブルの上へ、次々と手際よく置いて行く。


「彼らは、ホムンクルスですか」

「えぇ」

「あの、どうして彼らはヴェールを?」

「だって、。若い頃の自分と同じ顔をしている人間が、たくさん動いているんですから」

「……まぁ、その感覚は、分からなくはないですけど」


 二人の会話を聞きながら、ベディは扉の傍に控えたヴェールのホムンクルスを見る。

 ヴィクターの「気持ち悪い」という発言を聞いて尚、彼らは憤る態度を見せることもなく、言葉さえも荒らげはしない。

 その姿が、ベディには不気味に思えた。


「それでは、簡単に説明してもらってもいいですか。僕も、こういう交渉の場は初めてでして……」

「自分も、初めてですよ。……えと、それでは」


 ノエは少しだけ頭を掻いて、それからすっと瞳を変えた。ベディはその目を知っている。

 交戦中に相手の手を見る時の目。否。

 敵を観察している時の目。否。

――解体の時の瞳だ。


「もしアッシュフィールド家が血統主義派に属するのであれば、ウェルズリー家からはバースの霊地を二つほど、アッシュフィールド家へ譲り渡す所存です。面積などについては、この話をそちら側が受け入れるといえば、アリステラ様との直接交渉で詳細を明かすとのことです。……正直、破格であると思いますよ。この場所よりはずっと良いでしょうから」


 にこりと、ノエは貼り付けたような笑みを浮かべる。


 魔術師の工房は、その土地の中でも特に魔素が集中しやすい場所に建てられる。体内にある有限の魔力だけでは魔術研究の円滑な作業に支障を来すため、大気中にある魔素を多く利用しようという思惑だ。

 ここホワイトチャペル地区は、死者や事故死、自死が多いからか、淀んだ魔素が溜まりやすい場所である。したがって魔素の利用という点では、この地に工房を置くこと自体は誤りではない。

 だが、アッシュフィールド家の研究対象である音楽系統の魔術と、この地から溢れる魔素とでは相性が悪い。

 死や怨念によって汚れた魔素は、幽霊や異形を呼び寄せるという特性がある。そのため工房の多くは、黒魔術や死霊魔術ネクロマンスを収める魔術師ばかりだ。この地は音楽魔術を行なうには、少々適していない。

 アリステラが交渉に提示したバースの霊地は、いずれも優良な魔素を生み出す土地である。土地の大きさこそ小さいものの、アッシュフィールド家の家格を鑑みれば、破格の条件である。


 ヴィクターはノエの話を静かに聞き続け、そして口を開いた。


「確かに、その条件は魅力的です。ですが、どうして我がアッシュフィールド家なのでしょうか。メリーアンはイタリアから来た魔術師で、僕は没落貴族といって差し支えないアルトマン家の息子。長く続く魔術師ではありません」

「えぇ、その点は義姉も理解しています。ですが、アルトマン家は没落貴族とは言えども、四百年近く続く名家。アッシュフィールド家もイタリアの黒の協会設立を支えた家柄であると聞きました。血統主義派に勧誘するには充分であると、義姉は判断したのだと思います」

「……流石、取締局の情報員も務めていらっしゃる方ですね。僕達の個人情報は筒抜けですか」

「いえ。貴方もメリーアン様も、ロンドンに在住する魔術師として登録したきりですので、義姉でもそこまで詳しい情報は手に入れていないと思いますよ。貴方がたの弱みになりそうな話は、一切聞いていませんから」


 ノエは目の前に用意されている、ミルクティーの入ったカップを手に取る。金縁に白い花の描かれた、可愛らしいカップを見つつ、ミルクティーを一口飲んだ。


 そして、ヴィクターへ微笑んだまま、


 パリンと磁器製のカップは粉々に砕け、カーペットにミルクティーの濃い染みが広がっていく。

 突然の彼女の行動にベディは目を丸くし、ヴィクターは肩を震わせていた。


「……どうしてって、貴方は二つほど思っているはずです」


 いつもよりもどこか舌足らずに、ノエはヴィクターへ語り掛ける。その口は優しいが、有無を言わせない強さがあった。


「一つ目は、どうして床に叩き付けて割ったんだ、って」

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