2.星屑の幻想図書館

 ベディはノエの後ろをついて歩きながら、並べられている本の背のタイトルを読める範囲で読んでいた。そして、ぽつりと呟く。


「……全てが、魔術書というわけではないのですね」

「あぁ、うん。文学作品はないけど、哲学書とか歴史書なんかは、魔術に転用できる可能性もあるから、最近出版されたのも含めて置かれてるね。……もう少し幅広く置けばいいと思うけど。気になるのがあったの?自分の作業は時間がかかるから、読んでてもいいよ」

「いえ、ノエについて行きます」

「そう?」


 ノエは、歩きながらベディの様子をちらりと見る。

 二ヵ月前、彼が初めてこのロンドンに足を踏み入れた時と同じ顔をしているのを見て、つい口元を綻ばせてしまう。

 ノエは上階の廊下を支えている柱に貼られている案内板を見ながら、ベディの目が本の背のタイトルを目で追う時間も考えながら、ゆっくりと足を進めていた。


「本当、迷子になりそうですね……」

「柱とか本棚に案内板は貼ってあるけどね。ベディは道覚えるの苦手?」

「………複雑なものは、少々。一度通れば覚えられますが」

「ははは、自分もそうかな。似た者同士だね。ん、ここだ」


 そして迷宮にも感じられた研究機関内で、ようやく目的の音楽魔術のことが書かれた書物のあるエリアへ着き、ノエは奥の方へと進んでいく。そこには空いた席が二つ、置かれている。


「ベディ、座っててもいいけど」

「いえ。ノエ、貴方が座ってください。私が本を持って来ましょう。基本や入門編といったものがいいでしょうか?」

「いや、総論や応用論の方がいい。入門の概説は、さっきのアリスの簡単なレポートである程度分かったから。じゃあ、お願い」

「任せてください」


 ベディは小さく一礼し、まず背後にあった本棚の一架目から数冊ほど選び取って、ノエへ手渡した。彼女はそれらを受け取り、その中の一冊を取って、空いていた椅子に座ってパラパラと読み始める。残りの本はその隣の椅子に積んだ。

 ノエは、数分程本に目を通してから、次の本へと移る。ベディは読み終えたと思しき本を片付け、次の本を選んで積んでおく。

 ベディからすれば読んでいるのかと疑うほどのスピードで、ひょいひょいと本を読み終えていくノエを見て、目を丸くしていた。そして、改めてノエという少女の凄さに一人、感嘆していた。

 一方のノエにとってみれば、渡された書物から「心臓を用いる音楽魔術についての記載があるかどうか」だけを確認しているだけに過ぎない。したがって、そこまで真剣に読んでいない。

 微妙な意識の食い違いはあるものの、二人は静かに時を過ごしていた。

 ベディが本を積み、ノエがそれを読んで積まれている本とは別に置き、それをベディが回収してから、また新しい本を積んで置く。それをただひたすらに繰り返し続けた。

 この場所には時計がないため、この場所に来てどれくらいの時間が経っているのかも分からない。

 ベディは、一番奥にあった書架から廊下側の手前の方まで移動し、そしてタイトルを確認してから、まだ目を通しているノエへ声を掛ける。


「ノエ、言われた通り、応用や総論とタイトルの入った書物は選び終えました」

「了解。……うーん、他のタイトルにも手を出すべきかな」

「目ぼしい情報はなかったのですか?」

「今の所は」

「でも、これ以上読むのは身体に支障を来すかもしれません。……夜の巡回も、行なうのでしょう?」


 ノエは、こくりと頷く。

 あのホムンクルス達を討伐したとして、心臓泥棒ハート・スナッチャーが別のホムンクルス達を用意する可能性もある。ノエはそう考えて、あの日から一日も欠かさずに夜のホワイトチャペル地区の巡回を行なっていた。


「だとすれば、これ以上読むのは……。お疲れでしょうし」

「まあ、目は疲れてるけど」


 ノエは目頭を指先で押さえ、肩や首をぐるぐると回す。ゴキゴキと骨同士の音が体内で鳴ったのを、ノエの耳は捉える。かなり凝っているようである。

 一連の動作を行なった後、椅子の近くに付けられていた、半球体のカバーに収められた剥き出しの星屑鉱石に触れた。

 それに魔術経路から魔力を流せば、より一層神秘的な輝きが増した。

 夜空の輝きが詰め込まれたその鉱石は、この研究機関唯一の光源物質である。そして、現代においては唯一「星空」を感じることが出来る道具だ。

 灰色に汚れたこのロンドンでは、星空を望むことすら叶わない。

 ノエは強い輝くを放ち始めた鉱石を指先で軽く突き、ぐっと伸びをする。


「無い、と断定するのが正しいのか、否か。これ以上読み漁って、何らかの成果が得られるのか……。うーん……」

「ノエ」


 少し咎めるようなベディの口調に、ノエは少しだけ口を尖らせて見せた。


「もうちょい、駄目かな?」

「ただでさえ貴方は、無茶苦茶する質なんですから。私が止められる限りは、全力で止めますよ」

「………分かった。今日は引き上げる」


 キッパリとしたベディの口調で、ようやくノエは重い腰を上げて、ベディが持って来た本を廊下側の書架へと戻しに行く。


「また明日来れば良いのでは?」

「アリスが、今日中に色々手を回してたら、明日来る暇が無いかもしれない。だから、今日中に済ませたかったんだけど……。これだけ探しても見つからないってことは、使のかも……」

「あら?あらあらあら!もしかして、解体者様ではごさいませんこと?」


 ノエとベディが話している横から、鈴のように愛らしい声が掛けられる。

 その声の聞こえて来た方向に顔を向けると、高い位置で金髪を二つ結いにした翠眼の少女が、ゆっくりと二人の方へ近付いて来ていた。

 白いワンピースドレスを纏う姿は、可憐で気高い貴族の姫君のよう。元の素材が良い彼女を、更に飾り立てて見せている。

 そんな彼女を見るノエは、明らかに顔を顰めていた。


「ッ……、ミーア」

「お知り合いですか」

「一応。……ミーア・エンペントル。メルヴィルの妹だよ。で、自分と同時期にここの局の試験を受けた同期生……。最悪なことに」

「聞こえてましてよ!」


 ミーアは苛立った声を上げて、それから大きく息を吐き出した。そして、結っている髪の一房を軽く払い、両方の手を下腹部辺りで組んで当てる。品のある所作だった。


「先程から見目麗しい殿方がいらっしゃるから、つい声を掛けてみようかと思えば。……貴方の使い魔でしたのね」

「あぁ、うん」

「初めまして、ミーア様。私はベディ。ノエの従者です」


 ノエの後ろに立っていたベディは前に進み出て、深々とミーアへ頭を下げた。

 ミーアの磁器人形ビスクドールのように白い頬にぽっと朱が差し、それから視線を彷徨わせたあと、「あ、あのですわね!」とベディの前に立って胸を反らし、ふふんと鼻を鳴らした。


「わ、私の使い魔にしても良くてよ!顔の造形美や所作の繊細さは、魔術貴族たる我がエンペントル家に置いていても差し支えないでしょうし。ブランジェット家の作品だからといって、私は無下な扱いは致しませんわ」

「すみませんが、私の主はノエだけなので」


 ミーアからの申し出を、ベディは即座にきっぱりと断った。ミーアは一瞬彼の言った言葉を理解できず、それからカッと、今度は先程とは別の意味で顔を赤くした。

 形の良いピンク色の唇が、フツフツと湧き上がる怒りで震えていた。


「な、な……っ。わ、私が、そこの、試験順位最下位の女よりも優秀な成績で、家柄も良い才能ある魔術師だと理解していまして?その誘いを、そんな、あっさりと!」

「……貴方が優秀であるのは、確かでしょう。ですが、今の私が仕えるのは、ノエただ一人です。貴方ではありません」


 しっかりとした芯のあるベディの言葉に、ノエは目を丸くして、大きな彼の背中を見ていた。


「ッ解体者の作り出した使い魔なんて、やはりろくでもないですわ!頭がおかしいのですわね!貴方をそこそこの魔術師と思い、そんな貴方が作り出した使い魔だから優秀である、と勘違いした私が阿呆でしたわ!」

「訂正して。ベディは、自分なんかには勿体ないくらい優秀なんだ」


 メルヴィルと相対した時と同じように、ノエは厳しい口調でミーアに告げる。

 だが、彼女にも名家の娘としてのプライドがある。そう簡単に意見を折るわけもない。

 ノエのアイスブルーの瞳は、一切反れることなくミーアのエメラルドグリーンの瞳を見ていた。

 ピリッとし始めた空気の中、


「よぉよぉ、なーにしてんだお前ら?こんな公共の場所でよぉ」

「っうぁわ!?」

「ノエ!」


 突如背後から、にゅっと現れた小麦色の腕にノエは首を抱き寄せられ、頭の上に顎をとんと乗せられる。

 ノエは驚きのあまり情けない声を上げて、慌てて顔を上に向けた。ベディもノエの声を聞き、すぐに後ろを振り返る。

 そこに居たのは、陽に焼けた浅黒い肌が目を引く、いかにも快活そうな性格をしているように見える、魔術師らしくない青年だった。

 ノエを見下ろすオーシャンブルーの双眸は、楽しげな色をしている。にこにこと人懐っこく笑う口元から、先の鋭い八重歯が覗いていた。


「……フォル」


 ノエが、ぽつりと言葉を零した。

 彼はにこにこと笑ったまま、「おぅ」と応えた。


「お前がカンタベリーに小旅行に行っちまう前以来だな、ノエ」

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