Ⅲ.ホワイダニットを求めて

1.時計塔研究機関

 二日後。ノエの個人研究室を、マーチが再び訪れて来た。その手に、しっかりとアリステラが調べた内容の記された書類を持って。


「これが、我が姫からの預かりものだ」


 マーチは持ってきた束の資料を、テーブルの上へ置いた。

 まず、ノエは手近にあった資料をぱらぱらとめくり、顔を思いきり顰めた。


「これ、音楽魔術の理論をまとめたやつだ……」

「勉強しろ、ということだろうな。まぁ、受け取ってやってくれ」


 にやにやと笑うアリステラの顔を思い浮かべながら、ノエは一通り目を通してから、次の束へと移る。

 こちらは、先程束よりは随分と枚数が少なかった。

 ノエは、太字で書かれた名前を読む。


「メリーアン・アッシュフィールド……」


 ノエは、その先に書かれている簡単な個人情報に目を通した。

 だが、そこに記されているのは、ホワイトチャペル地区にある居宅兼魔術工房の地図や、夫の名前、音楽魔術を研究対象にしていることだけが書かれていた。

 魔術協会の運営している魔術学校や研究機関、取締局に一度でも所属していれば、詳しい個人情報が分かるが、魔術協会に所属しない魔術師も一定数存在している。

 このアッシュフィールド家は、魔術協会に所属はしているものの、どの機関にも所属していなかったため、アリステラの力をもってしてもここまでが限界であったのだろう。

 ノエは頭を掻きながら、うーんと唸り出す。


「どうした?」

「……いや、音楽を扱う魔術が、何のために盗った心臓を使うんだろうって。これを読んだ感じ、特に使えそうな魔術もなかったし」

「私もそれを書いているところは見ていないから、何とも言えないな。心臓を扱うものがないのか、そもそも必要ないと思って省いたのか。我が姫にとっては、どうでも良いことなのだろう。重要なのは心臓泥棒ハート・スナッチャーか否か。それだけだ」

「そりゃ、そうかもしれないけど……。気になることは、気になるな」


 ノエは、口を尖らせたまま、頭を必死に動かしていた。

 ベディは、そんな彼女へそっとティーカップの紅茶を足しておく。ノエはすぐに「ありがとう」と口にして、注がれた紅茶に口を付けた。


「どうする、ノエ・ブランジェット。我が姫に伝えることがあれば、私が伝言を持ち帰るが」

「そう、だねぇ……。じゃあ、ちょっと待ってて」


 ノエはソファから立ち上がろうとしたが、彼女が動くよりも早くベディが素早く羽ペンとインク、羊皮紙を差し出した。


「よく分かったね」

「これくらいは」


 ノエはそれを受け取り、さささっと文章を書き記して、それをマーチへ渡した。


「それを、アリスに渡して。で、連絡は機械仕掛けの蟲エンジン・コクーンを使ってして欲しい、っていうのも言ってくれると助かる」

「分かった、必ず」


 マーチはしっかりと頷き、さっさと部屋の扉の方へ歩いて行った。


「健闘を祈っている、ノエ・ブランジェット、ベディ」

「うん、ありがとう」


 マーチはシルクハットを脱いで一礼し、優雅な身のこなしで部屋から出て行った。

 ノエはそれを見送ってから、ソファから立ち上がって身支度を整え始めた。


「どこに行かれるのですか?それと、アリステラ様に何を送ったのですか?」

「音楽魔術の本を見に行く。アリスが意図的に省いたのか、元から無いのか、自分が調べないといけないみたいだから。さっきマーチに渡した文書には、アッシュフィールドがどこかの派閥に属しているかどうかを調べて、属してなかったら、それを使って中に潜入しようと思うっていう旨を書いた」

「派閥、ですか」

「ベディには教えてなかったね。……歩きながら話すよ、君も準備して」


 ノエが使っていたティーカップを片付けようとしているベディの手を止め、彼女はにこやかな笑顔でベディにそう言った。

 男の準備であるため、準備時間にはさほど時間はかからない。

 ノエはその間にティーカップとティーポットを両方とも洗い終え、布巾で拭いて食器棚に戻そうとしている頃には、ベディの準備は完了していた。


「外套は?」

「外には出ない。地下に降りるよ」

「地下……、時計塔研究機関ですか」

「うん」


 ノエは、こくりと頷いた。

 魔術協会にある三つの機関の一つ――時計塔研究機関は、別名魔術図書館とも呼ばれている。

 時計塔取締局の地下にその入口があり、地下五階にまで広がる巨大な空間に、膨大な魔術書や魔術具が収められている。貸し出しは行なわれていないものの、それらを活用して魔術研究を進める家もあったり、学生が課題を終わらせるために使っていたりと、様々な階層の魔術師が利用している。

 ノエはベディと共に個人研究室を出て、昇降機リフトで地下へと降りていく。

 ガラガラと歯車が音を立て、三階から地下へと降りていく。

 一階を過ぎたところで、視界は一気に暗くなった。昇降機リフト内に付けられているオイルランプの柔らかな光だけが、周囲を照らしていた。

 二人きりの空間内で、ノエが会話を切り出す。


「それじゃあ、部屋で言ってた通り、派閥について説明しようか、ベディ」

「お願いします」

「この魔術協会には、純血主義、民主主義、中立派の三つの派閥がある」


 ノエは、ベディに分かりやすいように解説していく。


 第一席のフィッツロイ家を筆頭とする、純血主義派閥。

 第六席のレヴィアンテ家を中心とする、民主主義派閥。

 その他に、どっちつかずの中立派。


 これらの考え方は、これからの魔術協会を担っていく魔術師を教育する魔術学校には、百年以上の歴史ある血筋の魔術師だけを受け入れるべきだという者と、突然変異的に人間の間に生まれた、歴史の浅い魔術師も皆等しく受け入れ、魔術師の数を増やして研究を盛んにしていくべきだという者とで大きく分かれている。

 ちなみに、ウェルズリー家一門は純血主義に属している。


「これも、自分が家の人達に嫌われてる理由にも繋がるかもね」


 ブランジェット家は、他の家に比べると「歴史ある」家柄ではない。純血主義であるウェルズリー家にとってみれば、同じ派閥の家に対する裏切り行為にも近い。本家の使用人が、抗議するのも分かる。

 魔術協会一番の権力者である第一席のフィッツロイ家がその気になれば、ウェルズリー家などいくらでも取り潰せる。今の所その動きはないものの、アリステラは警戒しているだろう。


「……それを、どう使うのですか?」

「まぁ、使えるかどうかは、アリス次第だ。……ん、着いたよ」


 がたがたと大きく揺れてから昇降機リフトは止まり、転落防止用の安全柵が端へと折り畳まれていく。

 昇降機リフトから降りたノエは、目の前のドアノブを捻って扉を開けた。

 びゅうっと風が吹き込み、髪の毛が乱れる。ベディは前髪を押さえながら、ノエの後ろをついて扉の向こう側へと足を踏み入れる。

 そして、


「うわぁ……」


 目の前に広がる幻想図書館の光景に、感嘆の声を上げた。


 本。本。本。本。本。本。本。本。本。本。本。

 薄っすらとした青紫色の光源が照らしている空間のどこを見ても、色とりどりの装丁に身を包んだ書物が、ベディの身長を優に越す巨大な本棚に収められている。目の前だけではない。視線を上げれば、遥か頭上にも本が収められていることが分かる。これら本棚は、ぐるりと全ての壁に合わせた重層のように設置されており、千年以上の歴史を持つ魔術師の書き残した魔術書の膨大さを感じさせる。

 二人が降り立ったのは、中央にある太い柱だ。この部分がちょうど昇降機リフトの通り道になっている。だが、この柱も取り囲むように本棚として使われており、ドアのある部分だけが何もない。

 テーブルや椅子が置かれているのは、二人が立っている階だけだ。あとは中央の柱から伸びている四方に伸びた通路と、本棚に沿うように造られている廊下、各階へ移る階段だけで人の立てる場所が構成されている。

 置かれているテーブルでは、学生数人が集まって勉強をしていたり、魔術研究に活用できる書物を積んで研究活動に勤しんでいる魔術師が居たりと、殆どの席が埋まっている。そのため、立ち読みをしている魔術師の姿もちらほらと見られる。

 ブゥンブゥンと小さな羽音を鳴らして飛んでいるのは、機械仕掛けの蟲エンジン・コクーンだ。大きい本でも重い本でも運べるよう、ノエがアリステラとの連絡用に使っている機体よりは大きく、しっかりとした節の足を持っている。

 彼らは、司書室に運ばれる様々な本を、体内の記録媒体の中に記載されている通りの場所へ戻していく。


「いい反応だね」


 立ち止まって、目の前の光景から得た情報を整理していたベディへ、くるりと振り返ってノエは笑いかける。その声にハッとして、ベディは慌ててノエへ頭を下げる。


「も、申し訳ありません、ノエ」

「ううん、全然いいよ。自分もここに来た時は、君みたいな反応だったから、懐かしいなって思ってた」


 ノエはベディの手を取り、階段のある方向へと誘導した。


「ぼうっと立ってたら、日が暮れるからね。行こう、ベディ」

「……はい、ノエ」


 ベディはしっかりと握っている手に力を込め、彼女の導くままに足を進めた。

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