夜空のシルシ【テーマ:光】
黄緑色の蛍光は、親愛の印。
誰かから誰かへ、あなたからわたしへ示し合わせる光の呼応。暗闇に漂う淡い蛍光が、一回、二回。一回、二回。
黄緑色の閃光は、命の印。
飛び跳ねるように明滅する光の躍動。がらんどうを照らす目映い閃光が、一回、二回。一回、二回。
明滅は必ず偶数。それが枯れた巨木の洞に住む彼らの友愛のダンスであり、移動手段。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
「空から降り注ぐ銀の光について、教えてください」
両親は厳しい人たちだ。こうして教えを乞う時は、然るべき礼節を弁えなければならない。
「ある特定の時期、空の穴から舞い込む美しい光のことだ」
たとえ父の答えが新たな知識を授けてくれるものではなかったとしても、努めて冷静でいなければならない。
「それは、何が光っているのですか」
「それを見た者は誰もいない」
「穴の先にあるのですか」
「そうかもしれない。だが、穴の先に行くことは叶わない」
「それは、僕が子供だからですか」
「もっと一般的な意味だ。私達は脆弱であるがゆえに高く飛べない」
「仮に行けたとしたら、何がわかりますか」
「何がわからなかったのかがわかるようになるだろう」
「……なぜ、特定の時期だけなのでしょうか」
「長い観測の末に辿り着いた結論だ」
期待を超える答えは得られそうになかった。
「シルシ」
「はい」
「穴の先に興味を持つのは良い。だが、できないこともあるのだとそろそろ知るべきだ」
父の言葉はいつも正しい。それが大人になることなのだと、シルシもわかっていた。
二人は空を見上げた。
視界の円周を、ぐるりと巨木が覆う。巨木は高く高く伸び、やがて木枠となって一つの穴を象る。視線の遥か先に浮かぶ一点の穴。それは正しく穴であり、その色は青から赤へ、そして間もなく黒で塗りつぶされるところだった。
「今日は銀の光が底まで届く日。あなた、楽しみにしてたでしょう」
父の話が終わった頃合いになると、決まって母が話の輪に入ってくる。
「うん、とっても楽しみだよ」
そう言って3人は、黄緑色の光に包まれた。
「おい、おいシルシ! 早く来いよ始まっちゃうぞ」
子供達の中から声が飛ぶ。
「すぐ行く!」
シルシは木皮を鞣していた。丁寧に筋を裂き、解きほぐし、縒り合わせる。そうして幾本もの綱を紡ぐためだ。
「シルシ!」
再び呼ばれたところで、ようやく作業の手が止まった。道具を置き、服についた木皮の切れ端をはたき落とす。線の細い、華奢な体つき。その背中には、薄く黄色がかった4枚の羽が生えている。
シルシは急ぐ風でもなく、ただその羽を少し震わせた。
黄緑色の閃光。
シルシは全身からまばゆい光を発し、薄く跡を残してその場から姿を消した。そして光が尾を引くようにして、子供達の横で再び閃光を伴ってシルシが現れた。
「ごめんごめん」
「お前が一番楽しみにしてただろ。また綱作ってたの?」
「うん」
「何考えてそんなことやってるんだよ。出来っこないって」
「あともう少しなんだ。出来たら見せてあげる」
黄緑色の閃光が周りで次々に瞬き、子供達はどんどん跳んでやってくる。その都度喧騒も高まっていくが、やがて独りでに静まった。子供達が熱い視線を注ぐ先には、長い白髭の老人が一人。
「私のおじいさんのさらにおじいさんは、空から銀の光と共にこの地へやってきた。上をごらん」
おもむろな老人の言葉に、子供達は素直に上を見上げた。形も大きさも変わりない、いつもと同じ穴がそこにある。ただ、その穴からは仄白い光が差し始めていた。
「楽園を求めてさすらい、やがて希望を持ってこの地へと舞い降りた。その当時から枯れ木だったようだが、周囲を囲うこの巨木が、私達を邪悪な常闇から守ってくれる」
「邪悪な常闇って?」
誰かが声を挙げた。
「《
「今は大丈夫なのですか」
今度はシルシが疑問を口にした。
「心配はいらない。奴らは闇の塊であるからして、四方から照らし出せば勝手に霧散する。それに今は立派な戦士も沢山おる。ほれ、シルシの両親のようにな」
子供達の注目を突然を浴びたシルシは恥ずかしそうに俯くが、それが誇らしいことであることは知っていた。
「今夜は銀の光が最も届く日。我々の光と相まって、最も美しく輝く日。みんな、羽目を外しすぎないように。それから《過蝕》にはくれぐれも気を付けるように」
老人が言い終わるのが早いか、子供達は光を発して一斉に空中へと飛び出した。一面が黄緑色の蛍光で溢れ返る。
銀の光を羽に受けて、目一杯のアピールを周囲に振りまく。初めはバラバラだった光の粒も、徐々につがいを生んでまとまっていく。いつしか光は大きなうねりと化して、その場の全てを飲み込んだ。
シルシだけはその場に立ち尽くしていた。その目は身の回りには向かず、穴から差し込む銀色の薄明かりへと、穴の先へと釘付けだった。やがていてもたってもいられなくなって、一目散に駆け出した。
肩で息をするシルシの前に、巨大な布が横たわっている。一息に布を取り払うと、そこには完成間近の一隻の帆船があった。小振りな船体には似つかわしくないほど大きな帆が上方に向けられ、その四方は木皮で編まれた綱で張られている。それは木の皮と繊維でできた粗末な船。長い時間をかけて編み上げた、たった一人で作り上げた船だった。
「これでいつか、あの光の元へ行くんだ」
自分達が持つ羽は薄くて脆く、頭上高くに空いた穴まで飛ぶことはできない。すべてはそのため。あの美しい銀の光の元へ行くため、シルシは孤独な作業に没頭した。
どれくらい時間が経ったか。
外ではまだ煩いくらいに光が舞っているようだった。シルシは一度作業の手を止め軽く羽を伸ばした。見上げた船体はいびつだし、帆は所々ほつれかけている。それでも、一人でここまで作った。
ふと、船体のそば、影になっている部分でチカチカと二つの光が瞬いた。黄緑というよりは茶に近いそれは不規則な間隔で明滅を繰り返し、友愛たるシルシ達の蛍光とは少し異なっていた。
シルシは妙に思いつつも近づく。
それは闇の塊だった。その塊には二つの光が浮いていて、決して発光などではなかった。それは《過蝕》がもつ、ギラついた瞳だった。濁ったような茶色い双眸と目が合うと、シルシは紐で縛りつけられたように身動きができなくなった。闇の輪郭は曖昧で、内部はぐるぐると渦巻いている。
徐々に闇は近づき、一際大きく動いた。口を開けたのだ、とシルシにはわかった。頭から一飲みーー闇の端が触れようとしたそのとき、シルシの顔を黄緑色の閃光が照らした。
「下がれ!」
怒号と共にシルシは突き飛ばされ、そのまま倒れ込む寸前に誰かに受け止められた。
「ごめんね、来るのが遅れてしまって」
母の声だ。
「くそ、闇が絡まる! 母さん急げ!」
母はシルシを抱き締めた。その時、母の背後に《過蝕》が迫っているのをシルシは見た。
「お母さん後ろ!」
その瞬間、目映い閃光と共に2人は部屋の反対側に跳んでいた。
《過蝕》は二人を見失いキョロキョロと目を動かしている。その回りに、いくつもの闇が這いずり集まってくる。そしてすべての瞳孔が、二人を捉えた。
再びの閃光。
閃光、閃光、閃光。
間断なく繰り返される跳躍によって周囲がコマ落としのように入れ替わり続ける。これほど連続で跳べるなど、シルシには想像もつかなかった。
だがそれでもなお、移動の合間で目端に捉える闇が大きくなっていく。
そしてついに、《過蝕》の闇が母に届いた。
「お母さん!」
闇に触れられた母の左腕は焼け爛れ、黒く萎んだ。
「もういい! こっちにきて!」
母が叫ぶ。
続く閃光で、シルシを挟むように父が来ていた。
その瞬間、閃光は断続的どころか常に光に包まれ続けているかのように一層輝いた。
ほんの少し、父と母は黙っていた。
「……すまない。父さんたちは皆を守れなかった」
「せめてあなただけは」
母は残った右腕でシルシの手を強く握りしめた。
「……あの帆船は、お前が作ったのか?」
「うん」
「すごいわ」
「でも、まだ動かないよ」
「いや、今なら動く」
「無理だよ……」
「最初だけ、私たちが引きましょう」
「でも」
「シルシ」
低い父の声に、シルシは押し黙った。
「何があっても、止まるな。何が立ち塞がろうとも、突き進め」
「合図をしたら、船を動かす準備をして。それまで私たちがあなたを守る」
「でも」
「あなたは自慢の息子」
「広い世界でも、お前なら生きていける」
「広い世界って……?」
「行きなさい、シルシ」
シルシの疑問には答えず、息を整える二人。やがて三人を包んでいた光が少しだけ弱まった。その隙間から、闇が染み込んでくる。
「走れ!」
「走って!」
2人の合図に、シルシは走った。跳ぶことなく、ただ走った。何も考えず、ただ帆船が動けるように準備をした。《過蝕》に囲まれた闇の中で暗いはずなのに、シルシの回りはずっと黄緑色に照らされていた。
「できた!」
シルシは叫び回りを見渡すが2人の姿はなく、自分を囲う闇の濃さに一気に不安が増す。
そのとき、帆船が動いた。上を見ると、2人は帆を張っていた木皮の綱を手に、上へ上へ繰り返し跳んでいた。
二人の閃光によって船は上昇し、やがて家を飛び出す。シルシは目の前に広がる光景に息をのむ。
数多の《過蝕》が寄り集まり、さながら内側にもうひとつの巨木が出来たかのような渦を形成していた。よく見ると渦の至るところに茶色に光る点が見える。
そして、さらにその向こう。《過蝕》で出来た壁の先に、赤々と猛る炎が見えた。
巨木に火が放たれていた。枯れた巨木は薪となって真っ黒な黒煙を吹き上げ、《過蝕》と混ざり、さらに深い闇が広がっている。上を見上げると、遥か先に見えた穴すらも覆い尽くそうと、闇は徐々に狭まっていた。
その中を船は、父と母は黄緑色の閃光で貫こうとしている。黒煙に巻かれることも厭わずに、闇に触れられることを避けようともしない。
やがて、四回の閃光は三回に。
二回の瞬きはただ一回の蛍光となった。
「……」
シルシは震えていた。
力なく墜ちた母も、闇に飲まれた父も、シルシにはどうすることもできなかった。
船はゆっくりと下降していく。
頭上は完全に黒煙で塞がり、自分が向かう所は闇の底だと思った。
帆が大きく張り、船体が軋む。なにか途轍もない力が下から吹き上がっていた。その力は熱風を以て帆を強く叩き、船をぐいぐいと上へ押し上げていく。
黒煙を掻き分け、《過蝕》を引き千切り、ひたすら上へ。
黒煙の天蓋が近づいてくる。ぶつかる瞬間、シルシは固く目をつぶった。
叩きつけられるような衝撃。船は軋み跳ね上がり、周りで逆巻く《過蝕》の擦れ合う音が耳障りな金属音を立てた。シルシは目をつぶり、体を抱え、ひたすらに耐えた。
無限に続くかに思えた嵐は、突然終わる。船が軋む音だけが木霊している。その静けさと跫音聞こえなくなり、まるで水のなかに沈んだようだった。
シルシは目を開けた。
それは、広い世界だった。見渡す限りに地平が伸び広がり、果てなどないかのように自由が広がっていた。
その地平線の上。
そこには、白銀の穴が空いていた。
いや、その穴には何ヵ所か山と谷があり、それがなにか巨大なものであることがシルシにはわかった。
それは夜空に浮かぶ、完璧な宝玉。
シルシがこれまでに見てきたどんな宝石よりも美しく、そしてどんな光よりも気高く輝く。
シルシはその光を抱いた。
船はまだ空を駆け上っている。
背中の羽はキラキラと、薄氷のように美しかった。
第4回 #匿名短編コンテスト・光VS闇編 【光サイド】(2019/6/1~7/15)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます