護兵の日常

 夏はまだ過ぎず、それゆえに朝の空気は爽快であった。冬の静謐な朝とはまた違った趣がある。


 双眸家の間取りは結構な大きさだった。母屋に離れ、そして道場と内弟子の家屋があるのだ。しかし、神秘の開示以前からの対魔の家系……“旧家”としては当然のことだ。

 双眸家当主である双眸護兵の友人である符木津博光。彼の家など広さだけなら双眸の家とは比べものにならないほどだ。勿論、家格が上であることも原因ではあるが。


 そもそも双眸家もとい双眸流は古臭く、こじんまりとした家風である。開祖である双眼斎が半分、世捨て人めいていたのに端を発している。

 こじんまりはそれが原因であるが……長男相続に毎朝の儀礼などなど。現代人の護兵にとってはピンと来ない事を数多く決めたのは後々の代の当主達で、双眼斎に文句を言うところでもない。


 ……凡百の術士であった前当主から「双眸家を継ぐのは男子で無くてはならん」と言われたときなど、護兵は怒りを通り越して何を言っているのか良く分からない有様だった。双眸護兵よりも彼の姉のほうが腕前は上であったから、彼は当然姉が継ぐと思っていたのだ。


 そのあたりは自分の代で変えるつもりである、と護兵は決意していた。より正確に言えば、自分の次の当主になんと言ってしきたりを説明すればいいのかさっぱり理解できていない。


 まぁ護兵自身は面白みのある性格でもない。基本はそのままに、多少ゆるくする程度に収まるだろう。


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 そんな護兵が行ったことで、多少画期的だったことがある。基本の気功術を他者に教えることにしたのだ。


 双眸流は気功術の中で操気の法に重きを置く流派だ。派手さは無いが堅実な身体能力の向上が見込める。

 世界の危険度は増す一方である以上は、自衛の手段として広めるのは世にとっても良いことだろう……という考えからであった。


 操気法は自分の器を弁えていれば・・・・・・デメリットはほぼ無い。いわば習得して損のない技術なのだからして、護兵の発想は概ね正道で尊いものだった、と言えなくもない。


 結果から語れば、操気法は全く流行らなかった。理由は単純に地味だったからだ。手軽に力が手に入るのではなく、堅実に己を鍛えてそこに上乗せする……要は時間がかかり、鍛錬も面倒くさかった。


 そんなこんなで時は流れ、表向きの双眸流への入門者はただ1人という有様だった。


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 板張りならぬ石張りの道場で、師弟は真っ当な鍛錬の光景を行っていた。ちょっとだけ変わっているのは、教えている方が若いということぐらいだろう。



「はい、もう一度。気を丹田に練り上げて、少し落とす。そこから背骨を通して……頭へと。底から今度は腹まで伝わせて……そうです。それを維持しながら、動きを加えて行きます。ゆっくりと足を上げ、次は腕を突き出す。体勢を戻す。これを30分続けましょう」



 軽く言うがかなり面倒くさい鍛錬であった。外と中のそれぞれに別の動きを要求するマルチタスクめいていた。

 その声に、初老の男が頷き。言われたとおりに堅実に動いている。

 それなりに体格は良いものの、穏やかそうな顔つきは誰が見ても戦闘に向いている質ではなかった。顔のシワも威厳ではなく、くたびれた風に見える。実際、この初老の門下生は実に穏やかな性格である。


 しかし、目が真剣だ。余人はともかく、双眸護兵はこの年上の弟子を軽く見るつもりは微塵もない。もうこの男……三木三郎が門を叩いて、5年になる。

 当時まだ幼さを残していた護兵にも、礼を払って地道な鍛錬を続けていた。

 才はない、伸びは遅かった。職が警察官であるということで、武道の心得があった事を加味してようやく凡才というところが三木の才能への評価である。


 しかし、そんなところに三木の価値は無かった。どのように世が変わろうとも、やれることをやる男。そして、先入観に囚われない。三木三郎は簡単に言えば人格者なのだ。

 

 護兵は全く同じ動きをしながら汗を掻いていない。三木は高齢の域でありながら汗に塗れている。才も力量の差も一目瞭然だったが、自分は得難い弟子を得たように護兵は思う。

 太陽の様な輝きではないが、穏やかに人を照らす……そんな弟子を、師の側が眩しく感じていた。


/


 朝の鍛錬は終わり、互いに礼をする。

 三木は未だに汗が引いていないが、護兵の側は全く消耗していない。

 護兵は別に鍛錬の場に限らず、それこそ寝ているときにまで体内の気を一定の速度まで加速させた状態で循環させている。そんな護兵からすれば先程までのは鍛錬の内にも入らない。



「格段の上達です、三木さん。ひょっとして家でも鍛錬を?」

「いやぁ、お恥ずかしい。最近の世相などを見ていると、こんな私でも落ち着きませんで……寝る前に少し」



 格段の上達というのは世辞では無い。

 双眸流という目を強化する流派を継ぐ護兵には、三木が会う度に確実に腕前を上げているのが分かる。……しかしながら前に「年齢の割には」が付いてしまうのは致し方ない。若さとは力であるというのも、世の無情な流れなのだから。


 顔を引き締めた三木が改まって、護兵に問いかけてきた。



「失礼を承知で聞きますが……私が双眸流を学ぶには後何年かかるでしょうか?」



 三木が言っているのは表看板の気功術ではない、双眸流の内弟子になれるまでのことだ。護兵はしばし迷った。三木を傷つけないように、当たり障りのない言葉を選ぶべきか……



「……現在のまま成長されたとしても……後5年ほどでしょう」



 結局、生真面目な護兵は真実を告げた。

 双眸流は基本を昇華した流派である。逆に言えば基本を一定まで修めなければ話にもならない。しかも三木の年齢を考えれば内弟子になっても最下位の“瞼”の位で終わってしまうだろう。

 

 ……随分と残酷な事を言っている。護兵は自身を恥じた。

 護兵はその域に至るまでに幼少期に一年ほどで到達した。……彼の身内には最初から余裕でこなした規格外もいるが、流石にそれを基準に考えてはいけない。

 そういった例外中の例外と、歴代最強の当主という肩書を持つ符木津博光との親交から忘れがちになるが……護兵も十分に天才の範疇に入るのだ。成人したてという若さで、開祖と中興の祖を除いた歴代当主と比べても遜色ない力量を持っていた。


 ともあれ、三木が10年以上かかる域に護兵は1年で済ましたことに変わりはない。才能というのは現実にあり、残酷な壁となって只人に立ちはだかるのだ。


 しかし……



「5年! いやぁありがたい! 定年前に間に合います! 心が晴れたような気分です……今後は一層のご指導を願いたいものです!」

「……はぁ?」



 三木はその現実をむしろ喜んでいた。困惑する護兵を前に三木は恥ずかしそうに続けた。



「この歳まで平々凡々な人生を歩んでまいりましたが……息子や孫に自慢できることが作れそうです。息子が漫画を見せてくれましてね……あんな風に一度言ってみたいんですよ」



 先程よりも恥ずかしげに、しかし朗々と芝居がかった仕草で。



「敵を前にして……“少々気功術を嗜む、ただの警官さ”なんて言えたら格好いいじゃありませんか?」

 

 その後すぐに三木は柄にもないことを言ったという風に、身を縮めた。それを見た護兵は己の小ささを見せられた気になって、苦笑する。



「なるほど……それは良いですね。全く、三木さんには敵いませんね」


/


共に休日……三木は非番という形だが。というわけで自然と茶飲み話と相成る。



「お仕事は大変そうですね? 最近は何かと物騒ですし」

「まぁそうですね。しかし、色んな組織が台頭するようになってからはずっとですよ。切った張ったは私のような下っ端にはあまり関わりありませんが、それでもね……まぁそれで先生との間にも縁が出来たわけですが」



 自分の倍以上生きている人間から先生と呼ばれることだけは、慣れそうもない。護兵としてはそう思うのだが、教えている側なのは確かなのでずっとむず痒さに耐えている。



「っと、それで思い出しました。署長からコレを預かってきましたよ。依頼とかでしょうかね?」



 スイと差し出される封書。しかしながら見なくても、おおよそ見当は付くものだ。



「ああ……署長さんから。卒業後とかそういう話の類でしょう。後は時々、オブザーバーの話とかも来ますがね……っと半分ハズレですね。新装備の審議会への招致です」

「おおっと、そういう上絡みの話はご勘弁を。……とまぁ普通なら言うんでしょうがソレなら噂は私なんかにも届いてます。最近は異種族だから何でも敵ってわけじゃないから、強力な銃ならいいってものじゃない。なので……とお茶を濁した新しいゴム弾のことでしょうねぇ」



 既存の警察機構と親しい退魔師となると限られてくる。ついでに言えば公の場で砕けた感じで無いのが望ましい、ということで護兵も審議役として誘われているのだ。

 


「資料を見る限りは……まぁそれなりには有効でしょうね。コストに見合うかはともかく」



 銃自体は既存のゴム銃を使用できるよう、仕様を整えたようだが……肝心の新しい弾が半分手作りである。符やルーンのような“刻んで”効果を発揮する術を弾に付与するようだ。日常的にパンパンつかうには些か勿体無いものだが……



「しかし、先生に教わるようになってからというもの、時々お偉いさんに話しかけられて不思議な気分ですよ。まぁこの歳ですから出世したりはしませんが」

「ソレはなんとも……どう申してよいやら」



 警察と懇意にしている退魔師に、そこそこの強さの者程度しかいないということでは無いだろうか? そう思ったが、これから内に入ろうとしてる三木に言うことでもない。

 小一時間世間話に花を咲かせた後、三木は帰っていった。


/


 三木が帰った後、護兵は道場内部にて届けられたゴム弾の資料に目を通していた。……審議会自体、あまり気乗りはしないが、コレはコレで正式な仕事であった。



「他の審議員は……ああ、やっぱり俺と同じ“そこそこ”って感じか」



 人格を考慮しなければまだ上もいるのだろうが……気軽に使える層が非常に薄いということだ。お上も大変だ、素朴に考えた護兵だったが地味に気になることもあった。



「この弾自体は……良い出来だな」



 力尽くでどうにかする流派とも言える双眸流は、いわゆる“術”に関してはおざなりなところがある。その双眸流から見ても、出来が良いと分かる。

 製作者は誰なのか? ……こんな人材を警察庁が抱えていたのか? そのようには思えない。



「少し興味が湧いてくるなぁ。まさか噂のハルマン氏でもあるまいが」



 噂に聞く、神祇局長官を思い浮かべる。

 神祇局は政府側の神秘関係を司る省庁だ。もっとも、神秘の開示にも関わったとされるハルマン氏によるワンマン部署とも噂されている。


 ともあれ、警察庁とは表向き別の機構なのだから可能性はあまりない。

 それに、護兵には面識は無いが……話を聞く限りの人物像であるならば、こうした人道に配慮した物よりもっとえげつない代物を出してくる気がするのだ。もしくは法自体を変化させるか。



「……ココのところ少し忙しいな」



 まぁ世情的には仕方あるまい。

 大学に通えるだけ良しとしておこう、と考えて護兵は自分の鍛錬に移った。

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