Monkey Fly 

近衛源二郎

第1話 猿

時は、戦国・西暦1580年代。

近江の国、六角家の領地、

六角氏は、清和源氏の流れをくむ名門。

源頼朝や義経の末裔、近江佐々木源氏である。

近江の国、琵琶湖の東側、湖東平野から鈴鹿山脈を望む土山郷辺りまで。

土山郷田村神社の前から京の都へ向かう東海道。

田村神社の南。二里と少しの辺りに、三雲と呼ばれる村で、小僧が川遊びに興じていた。

長い時間。日光を浴びて、日焼けした顔が、猿のようになっている。

しかし、岩から岩へと飛び跳ねて、なんとも身が軽い小僧だった。

川は野洲川と呼ばれる。

この川を渡る東海道の橋に、若い武将が通りかかった時、この小僧に興味を持った。

『小僧・・・

 そなた、名は何と言う。』

『三雲佐助でございます。』

『ほう・・・

 名字があるのか・・・。』

この時代、なかなか名字は無い。

『へぇ・・・

 この辺りを治める地頭の子

 でございますから。』

『儂は、信州上田の真田佐衛

 門亮である。

 大きゅうなって、世に何か

 為したいと思ったら、訪ねて

 来るがよい。』

後の真田幸村である。

そして、この小僧、後の真田十勇士筆頭、猿飛佐助である。

このすぐ後、三雲佐助は、山中の白髪白髭の老忍者に預けられた。

甲賀忍法最大の名手と言われる、戸澤白雲斎である。

当時、すでに忍術道場として龍門館が存在していた。

この道場の筆頭師範が戸澤白雲斎であった。

この道場での同期生に、穴山小助・筧十蔵・霧隠才蔵がいた。

10年ほどの後、織田・豊臣により、戦国は、ほぼ平定されようとしていた。

『これからの世に、忍びの技

 は必要なくなるのではない

 のか。』

三雲佐助の心配は、あながち外れてはいなかった。

『儂は、信州上田の真田佐衛

 門亮様の家来になる。』

佐助は、そう宣言して、信州上田に向かった。

なぜか、穴山小助・筧十蔵・霧隠才蔵が連れ立っていた。

途中、甲斐国の恵林寺の焼け跡で、三好晴海入道と三好伊佐入道という2人の僧兵と合流することになった。

恵林寺といえば、1582年武田勝頼を匿って織田信長の焼き討ちにあい、当時の住職、快川奘喜が『心頭を滅却すれば、火もまた涼し。』と嘯いて焼け死んだと言われる寺である。

この時の戦に、真田一族が間に合っていたなら、甲斐の武田は滅亡していなかったかもしれない。

翌年、由利鎌の介、海野六郎、根津甚八、望月六郎の4名が佐助達を頼って龍門館からやってきた。

これにより、世に名高い真田十勇士の揃い踏みとなった。

だが、彼等の活躍は、まだ十年以上先のこと。

この頃、まだ豊臣秀吉が亡くなってほどもなく。

徳川家康が、石田三成といがみ合いもしていなかった。

戦国最末期、大きな戦は、関ヶ原の戦、大阪冬の陣と夏の陣ぐらいを残すのみになっていた。

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