57話「素通り問答」

 

 リヴァディの夜はとても静かだ。虫の声すら聞こえない。そりゃこの世界にそもそも虫は居ないのだかから。


 魔導の明かりで照らして開くは、師匠が隠し持っていた魔導書。つまりナイ神父の手製聖書であった。攻めて家の中に手掛かりがないかと探してみた結果出てきたこれは、どこからどう見ても邪法の類。


 あの人が何故、殺し屋から命を狙われたのか理解出来てしまう。


 読むだけで吐き気がする。街も人も竜も、存在する全て纏めて生贄都市を形成。たった数人を異世界に、即ち僕がノイジィと呼ばれる前に住んでいた世界、地球に送り込む術式。


 おぞましい。文字通りこの街に住まう人々の意志と体と魂は。リヴァディの竜炉に取り込まれ純粋な魔力に生成される。


 100万人を犠牲にして、たったひとり、あるいは二人が成功するかもか分からない異世界への跳躍に挑めるという地獄。ダイムや支部長はこれを知っているのだろうか?


 いや、知らない可能性がある以上伝えに行く必要がある。ギルドの建屋内なら通信線で一発だけれども。ここはちょっと離れた高級住宅地。本気で走って15分くらいはかかる距離。


 とりあえず、ドアを開いて鍵を閉め。たたたと階段を下りたらあっという間に入り口に到着した。


 改めて身なりを確かめる。プレートアーマーとバスターレイピア大丈夫。小物のバックを忘れたかと心配するけれど。問題なく引っ付いていて胸をなでおろす。



「まったく、今夜はこんなに落ち着かないというのに……」



 改めて見上げた夜空は余りにも綺麗でぞっとする。知りもしない星座が並んで、何より月を中心に流れ星の様に何かが動くのだ。それは彗星にしては大きく、衛星にしては小さく、隕石としては自由で――


 それがぎろりとこちらに目を向けた事に気が付いてしまった。


 エントランスで後ずさって、バスターレイピアに手をかける。その程度で何かが変わる程の戦力差ではないけれど。何もないよりもずっと心強い。



(あれも、竜…… 上位のさらに上? 最上位……? 大気圏の外へ?)



 生き物としての格が違い過ぎる。僕らは竜殺機兵を駆ってなお。大気圏を突破することが出来ない。正確には、大気と共に循環する魔力無しに竜炉を稼働させることが出来ないのだ。


 文字通り、彼らと自分たちの間には陸に上がった両生類と、魚と同じくらいの壁があるのだと……


(いや、エネルギーの規模から考えて。届くなら・・・・ライズルースターで)


 所詮はカエルと魚の差、もし水中で戦えればひっくり返るだろうし。つまり僕らをそれに当てはめれば、それこそ大気圏内で戦うことが出来たのならば。相手を倒せない通道理りなどありはしない。


 上位竜より更に強力な竜を狩れるのか? と問われるとさすがに悩ましいけれど。


 それでも無理と一言で片づける事は難しい。条件をさえ整えれば今宇宙から僕を見ているアレですら、ダイムが作り上げたライズルースターならばいける。


 無論それは万に一つとかそういう話になるのだけれど。



「白銀竜を見て、それでも恐れず。なお猛りますか」


「……っ!?」



 一歩下がって腰に付けたバスターレイピアの柄を握る。それは銀髪の女だった。どこかダイムと似た雰囲気があるかもしれない。


 だが、彼女よりも圧倒的に強い。どちらかと言えば、師匠やレイダム騎士団長の側に踏み込んだ強さを感じてしまう。


 それがシンプルな白い服を着こんで、ゆるりと道の真ん中に立っている。明らかに異常、明らかな非日常。それこそ街中に竜が降り立つ程度の理不尽が目の前にある事を理解した。



「どうも、異邦人。良い夜ですね」


「それで貴女は、なんなんです?」



 柔らかな物腰に対して、警戒は怠らない。1年間この街と荒野で戦い抜いて磨かれた直感が叫んでいる。目の前の相手は素手だけでこちらをバラバラに出来ると。



「ああ、別に。戦う気はありません」


「……そうですか、じゃあなんなんです? 貴女みたいな強者が僕に何の用で?」



 汗がつぅとシャツの下を流れる。顔に緊張は出していないと信じる。余裕があるようにふるまえるかどうかが強者としての資質だと師匠は言っていた。



「私と番いませんか?」


「いや、ないです」



 返事を返してから。意味を吟味する。番う、即ち結婚して子を作れと言う事だろうか? 論外である、師匠のことが無茶苦茶ややこしくなっていて。その上でダイムのことだってあるのだ。余計なものを抱え込める余裕など一欠けらもない。



「即断即決ですね」


「人を口説くときはムードと場面を考えてください。後は、名乗ってください」



 言い放って、その場を後にする。後ろから襲われるかとも思ったけれど、どうやらそれは過剰な心配だったようで。



「そうか、口説くには名前が必要と。今度会う時までに考えておこう」



 いきなり告白してきた痴女は訳の分からない言葉で僕を見送ってくれた。


 遠くで、音が聞こえる。街の中で、何かが戦う音が。





 機兵乗り組合ライダーズギルドの近くで、知っている顔とすれ違った。ナー=マックラー。普段よりゆったりとした服、手首と首元からジャラジャラという貴金属の音と、普段よりも派手な武器が印象的で。


 何となく、師匠から刻まれた知識を思い出す。あれは旅装束だ。


 そもそも竜殺機兵無しでは荒野は渡れない。だから旅だからといってマントを羽織ったりはしない。むしろスラムで眠る人が布団兼普段着として使っていることの方が多い印象すらあって。



「あー、お久しぶりです。ノイ君」


「ナーちゃん、どうしたんです? なんて聞く必要もないですよね」



 ここ数日でリバディの治安は悪化している。それこそ辺境の安定した街を目指した方が賢明なのかもしれない。いや、どうなのだろうか? 辺境の町は辺境で中位竜が来ただけで滅びかねないのだけれども。


 周囲を上位竜がうろちょろして、あるいはそれ以上が来るかもしれないこの街よりはまだ相対的に安全なのだろうか?



「ん~ ああ、一応無駄だと思うんですけど聞きますね?」


「何をですか?」



 何を聞かれるか理解した上で、それを断るつもりで続きを促す。ナーちゃんにはそれなりにお世話になっているのだからちゃんと会話位はしておきたい。



「一緒に逃げませんか? 南方第13開拓区画。あそこならそこそこ安全ですよ?」



 ああ、それは確かに。安全かもしれない。ライズルースターを維持するのはむりだけども。それこそ機兵殺しならどうにかなる。ダイムをかっさらってナーちゃんと一緒に逃げれば、まぁそこそこ生きられるとも思う。



「ごめんなさい、僕にはこの街でやらなくちゃいけない事があるんです」


「あら、やっぱり。駄目だとは思ってましたけど」



 ただもしも、師匠と出会って無ければ。もしナーちゃんともっと時間を過ごしていればその選択肢を選ぶくらいには魅力的な話だった。


 それこそあの辺境の町なら、僕は間違いなく最強で。そこそこの平和と、そこそこの責任を背負って生きていくのもたぶん悪くない。



「……あー本当に、手を出しておけばよかったなぁ」


「無理やり迫られたら逃げますよ?」


「そりゃそうだけど、ボブさんから良い子がいるって聞いていたからその時なら」



 確かに、師匠と出会う前なら割とナーちゃんに迫られてたら普通に押し切られてしまった気がして。妙に意識してしまい彼女から目をそらした。



「あー、こっちをちょっと意識した?」


「してません。したとしても、してませんって言います」



 バレバレであっても、やっぱり張らなきゃいけない見栄はあると思う。



「それじゃあ…… うん、またいつかね?」


「はい、それじゃあまた今度。僕は意外と早いと思いますけど」



 全部うまくいったらこの街で、上手くいかなかったらまぁあの世で。


 分かれ道でギルドの格納庫に向かうナーちゃんの背中を見ながら、ほんのちょっとだけ体が震えてしまう。


 僕が死ぬとか生きるとかではなく、僕のやることで他人の生死が決まってしまうことを改めて目の前にすると本当に怖い。


 それこそ宇宙で蠢く最上位竜エンシェントドラゴンよりも、あるいは先ほどの白い女の人よりも、勿論師匠よりもずっとずっと恐ろしいなんて事を考えつつ。


 それでも足は前に進むのだから、武者震いなのだと心の中で呟きながら。僕は機兵乗り組合の扉をくぐった。





「ふん、久しい。という間柄でもないか。ノイジィ」



 今夜は妙に人と会う、そんな風に感じてはいたのだけれど。


 ただ、ギルドでゴート支部長にナイ神父の魔導書を見せた後。急いで機兵殺しが置いてある格納庫に向かった先で出会った相手は妙というレベルではなかった。


 『機兵殺し』のウェン=アークライト、目前に立つスタリオンの元搭乗者。


 つまり僕が一番初めに戦い、ナイ神父暗殺未遂事件の時は剣を向け合った相手。こんなに因縁が積み重ねれば、僕だって二つ名だけでなく名前程度は調べる。


 たぶん相手もそうだろう。


 アサシンめいた黒い革の装飾をアクセントにした服装は、とても印象深く。正直職業暗殺者としてどうなのかと思わなくもない。


 いや、そもそも彼はナイ神父の心臓をあっさり貫ける相手な訳であり。流石に体がぎゅっと緊張に包まれる。



「随分と、俺の機体を大切に乗り回しているようだな」



 そんな僕の様子を知ってか知らずか、先ほどから意外なほど気さくな雰囲気で話しかけてくる。



「そんな雑談をする間柄でしたっけ、僕らは?」

 

「じゃねぇな。だが、こっちからちょいとばかり頼みごとがあってな」



 カツカツと、機兵殺しのウェンが距離を詰めてくる。多少身構えるけれど、僕に対する敵愾心はあっても殺気の類は感じない。


 ウェンは、僕が一足で狙える間合いギリギリのラインで止まって話を再開する。



「ちょいとばかり、こいつを貸して欲しい」


「返せ、ではない辺り。良くわからないんですけど?」


「馬鹿言え、そんな無作法、たとえ無法者であろうと矜持が許さねぇよ」



 正直、貸して帰ってくる保証は冷静に考えればないのだけれど。それでも何となく彼が口にした矜持という言葉で話を聞く気にはなって。


 いや、そもそも矜持といった訳では無く。師匠の翻訳術式がその単語を選んだだけなのだけれども。だからこそ、より深く信じられる気はする。



「一応、持ち逃げしない保証を提示できますか?」


「正直、ここまで綺麗に乗られてるのは想定外でな。多少足りんが前払いだ」



 ウェンは懐から取り出したものを、放物線上に指で弾いた。一応、それに気を取られて奇襲してくる可能性は考慮しつつも。丁寧に放り投げられたその塊を空中でキャッチするが仕掛けてこなかった。


 今ここで仕掛けてこないのなら、本気で機体を借りたいのだと信じられる。


 改めて受け取ったものを掌で転がしてみたら、それは竜水晶クォーツだった。師匠に貰った時計に組み込まれているものより小さいけれど金貨100枚以上、500枚未満程度の価値はありそうだ。



「ざっと市場価値は金貨300枚。その上で無事に帰れば追加で金貨200枚は出す」


「……まぁ、貸し賃としては常識的な範囲ですけど。一つ聞いても?」


「答えられる範囲なら、答える」



 僕は彼が投げてよこした竜水晶クォーツを握りしめ、問いを投げかける。



「ターゲットは、師匠ですね?」


「……今、赤い悪魔の隣に居ない以上。お前にも理がある話だ」



 それを僕に言ってしまえるのなら、もうなんだって話せるのではないかと突っ込みたくなって笑ってしまう。いや、ただ直接殺すと言わない程度には気を使っているのだろうか?


 あるいは、師匠の殺害を依頼した人間については駄目とか。そういった守秘義務の問題だというのなら分からなくもないのだけれど。



「冗談としても、質が悪すぎません?」



 僕はため息を付きながら竜水晶クォーツをウェンに投げ返す。



「己の師を狙われて、道具を貸す輩も居ない。理屈ではあるがな」


「貴方じゃ、逆立ちしても赤い悪夢には勝てませんよ」



 勝ち目があるなら貸すのかと言われたら、たぶん貸さないけれどそれはそれ。


 実際に彼が挑んでも絶対に勝てない以上。そもそも彼に対して無駄に財産を目減りさせる義理なんてこれっぽっちもありはしない。



「……だからと言って、世界が終わるのを指をくわえて」


「僕が止めます」



 機兵殺しのウェン=アークライトの眉が吊り上がった。



「殺す事になってもか?」


「そもそも、命懸けで戦うんです。死ぬも殺すも生かすも生きるも保証出来ません」



 別に、やれるなら師匠を殺そうだなんて思ってはいないけど。師匠相手に生かす殺すを考えて勝てるほどの実力なんて僕にはないのだから。



「……どういうつもりだ? 戦った結果、お前の師が死んでも構わないと?」



 実際に戦った結果、もしも師匠が死んでしまったらどう思うのだろうか? 勝ちを譲られたのならそれは最大の屈辱と傷になるかもしれない。


 けれどあの師匠が、赤い悪夢が、リーナさんが。そんな真似をする理由は何処にも無くて。だから、あの人が僕との戦いで死ぬなら、真剣勝負の結果以外にあり得ないと確信できる。



「その時はシンプルに、弟子が師を超えたって。それだけでしょう?」


「一つ聞かせて貰おうか?」


「ええ、応えられる範囲なら」



 先ほどの意趣返しといこう。ナイ神父にあんなことをしたのだ、多少揶揄っても良いだろう。



「お前は正気か?」



 ……一瞬返しに困ってしまう。実際僕は正気なのだろうか?



「さぁ? ちょっと分かりませんけど――」



 幾つか自分が正気であるか証明しようとして、けれどそのどれもに失敗してしまって苦笑する。本当にダイムに恋をしているのは確かなのだと思うのだけれど。


 師匠に感じているこの気持ちが何なのか、本当に分からない。



「ただ、シンプルに。あの背中に手を伸ばしたい。それだけです」



 だから、今胸の中で確かに言葉に出来るものだけを。ウェン=アークライトに叩き付ける事にした。

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