51話「夜鷹が見た夢」


「ああくそ、目が霞んで来やがった……」



 夜はまだ明けない。ボブと上位飛竜アークワイバーンの戦闘は既に半日近く続いている。深夜を超えすでに未明、辛うじて彼の駆るC級竜殺機兵ドラグーンクライスターは原形を保ち、飛行能力を保っていた。


 だが既に魔導警報マギアラートは赤とオレンジで埋め尽くされ。致命的な物以外すべて切っているというのに、竜化水銀ドラグラムの窓を朱色に染め上げてしまっている。


 もう、次の瞬間スクロールの読み込みエラーで、魔導推進器マギスラスターが制止し。まだ暗い赤茶けた荒野に墜落しても意外だとは思えない状況。


 ダメージは内部的な物だけではなく、3つあるライトアイのうち2つが破損し。右腕はほぼ動作を受け付けず引っ付いているだけ、左手も中指と人差し指が死んでいて、中十字弓ミドルクロスボウの射撃時にブレを補正しなければ狙った場所に届かない有様で。



(その上で、敵がほぼ無傷ってのもまた。きつい)



 対する銀色の上位飛竜アークワイバーン四肢つばさとあしに欠けは無く、精々多少鱗を削りその血を失わせた程度。2~3日もあれば、あるいはボブが今守っている足元の町に住む人々を喰らえばそれで十分回復出来るだろう。



(後何分、いや。何秒飛んでいられる?)



 今こうして飛び続け、戦いを止めない事にどれほどの意味があるのか。そう問いかけてくる理性から無理やり意識をそらす。逃げるのならばもうずいぶん前に分水嶺ぶんすいれいは過ぎた後。


 既に愛機の状況は限界に迫り、逆転を狙いを仕掛けても返り討ちに合うだけで。


 ただ、来るはずもない援軍を待ちながら時間を稼ぐことしか許されない。



(ああくそ、じゃあどうすれば良かった。どこで逃げていれば良かった?)



 理屈で考えれば、ナー=マックラーを離脱させてから。その後、ある程度時間を稼いだ後で全力の攻勢を行い逃げるのが正しいのだけれど。



(けどよ、それで……)



 幾つかの記憶が過る。焼け落ちた故郷。虚無感に包まれ腑抜けてしまった自分を迎え入れてくれたこの街。今は亡き師と、まだ生きている兄弟子。


 そしてボブ=ボーンズと同じように故郷を失い。南方第13開拓区画を第二の故郷のようだと語ったナー=マックラーの笑みと、通信線コールワイヤが切れる前に届いた生きてくださいという言葉。



「またっ! また、故郷を失ってたまるかよぉ!」



 だが、そんな感傷に浸る余地などなかった。銀色の上位飛竜アークワイバーンが大きく身を翻しクライスターに対し顎門アギトを向ける。


 ボブは反応の鈍い操縦桿を捻り、中十字弓ミドルクロスボウを向けて牽制。残弾は3発、安易に撃つわけにはいかないが。幸いなことに数発の有効打を与えた実績から敵は余裕をもった機動で距離を取る。


 だがそれはこちらが無力と侮ってはいないが、完全に虫の息であることを理解した動きであって。


 無理に撃破を狙わず、じわじわと戦闘機動でクライスターの限界が訪れるのを待っている様子から、一般的な竜と比べて知恵があるのが見て取れた。



(こりゃ、噂通り狂ってるわけじゃねぇ。何か明確に意図がある)



 基本的に、竜は本能で行動する。縄張りを守る。成長するために獲物を狩る。怪我を癒すために休む。そして成長できる限界を迎えた個体同士が交配し、子を産みそして死んでいく。


 少なくとも、ボブの記憶する範囲で。こうも狡猾に竜殺機兵ドラグーンの性能を予測して行動する個体は初めてで。



(そんな頭の良い竜が求めるものがこの街にあるのか……?)



 確かにこの場所には相応の資源が眠っている。例えば希少金属、上位地竜アークケロス以外では人間にしか生成することが出来ない。それを狙っている可能性は考えられる。


 あるいは大量の竜炉。C級竜殺機兵ドラグーンに換算して20機相当の魔導機関は相応のエネルギーとして上位竜から見ても狙う価値があるのだろうか?



「くそ、違う。いま必要なのは力だってのに!」



 意味のない悪態が口をついて出る。B級竜殺機兵ドラグーンのスタリオンならまだやれる事は多かった。あるいはA級ならば一矢報いるどころか撃退すらありえただろう。


 ボブ=ボーンズにとって、それらの機体は決して手に入らないものではなく。



(畜生、だけどそんなものじゃ。そもそも俺はこの場所に届いてねぇ!)



 だがそういった強力な機体を愛機としていたなら。今この瞬間、この場所に居る事は出来なかった。竜殺機兵の戦闘力は、整備性や運用性、航続距離とのトレードオフが基本なのだから。


 それこそ、その全てを満足する性能を持つのは一部の王侯貴族が駆るS級竜殺機兵ドラグーン位で。そして彼等のような存在にとって、それは自らの領地を守るためのものでしかなく、いつ滅びるかも分からない辺境の町を守る為には使われない。


 それはある意味正しい理屈で、規格外と謳われるS級竜殺機兵ドラグーンですら一部の例外を除いて無敵という訳ではなく。リスク管理を考えれば軽々しく動かす事は出来ない。



(じゃあ、どうすれば良かった?)



 分からない。分からない。分からない。ボブ=ボーンズの中で走馬灯のように流れる記憶を見返しても。この街を救う方法は何処にもない。


 たとえ悪夢に縋ったとしても無駄で、一見自由に見える彼女ですらその力はリヴァディを守る事に費やされている。彼女が居なければあの大都市メガシティは成り立たず、何より赤い悪夢は夜を飛ばない。



(どう、すれば……っ!)



 可能性はゼロではない。あるいはライズルースターとノイジィならば――


 あるいは届くかもしれないと夢想して、けれどそれはあり得ないと切り捨てる。


 確かにノイジィの実力はこの半年で大きく伸びた。たとえ自分が策を弄して有利な状況を作り上げられて互角。名実ともに機兵乗り組合東支部のエースと言っても過言ではないところまで成長している。


 だが、それでも機体が歪過ぎる。自分で調整したからこそ理解出来る。あんなものでこの夜空を飛ぶのは、上位竜アークドラグの餌になるようなものだ。


 速度は兎も角、静かに飛ぶことが出来ず。


 竜に支配された夜空を飛ぶには、あまりにも竜殺機兵ドラグーンは弱く儚いのだから。



(ああ、くそ。最初から希望も何もなかったって事じゃないか)



 文字通り限界寸前まで追い詰められて。ようやくボブ=ボーンズは己の愚かさを認めた。操縦桿を握りしめる手が緩み、それと連動してクライスターは中十字弓ミドルクロスボウの先を下に向ける。


 それを何かの誘いだと警戒したのか、銀の上位飛竜は即座に襲ってこなかった。



(もう少し早く気づけば、一矢報いれたかもしれないのになぁ)



 逃げる選択肢はあり得ない。二度と辺境の街を見捨てる/見殺しにする。そんな選択肢を取らないためにこれまで戦い続けて来たのだから。


 けれど、そうだとしても。援軍があり得ないのなら、最初から決死の覚悟で突っ込んでいれば。あるいは奇跡が起こったかもしれないのに。


 だが、もう遅い。


 彼の体力は尽き果て、クライスターも飛んでいるのが異常と呼べるところまで追い詰められている。ここから何をやったとしても銀竜の命には届かないのだ。



「足掻いて、足掻いて。やっと届いたと思ったらこんなオチかよ」



 だが、それでも。眼下の荒野に広がる裂け目、その内側に広がる街。そこで震えている人々の事を思えばまだ飛び続けねばならない。たとえそれがありえないとしても、訪れるかもしれない希望を見せ続ける為に。



 どうにか気を取り直し、操縦桿を握り直そうとした瞬間。銀色の竜が嗤う。



 クライスターの上空を旋回する竜の瞼が喜悦で歪み、甲高い咆哮を上げて。何事かと周囲を見渡して気が付いた。魔導探知機マギレーダーに新たな反応。


 炉の出力は上位、これまで一晩かけて抵抗し続けた銀の上位飛竜アークワイバーンと同規模。既に3割が死んだモニターに、大地から舞い上がる金の上位飛竜アークワイバーンの姿が映った。



「……なんだよ、そりゃ」



 本当に何をしたとしても意味は無く、最初から運命は決まっていた。どう足掻いても結末は変わりなかったと。そんな真実を叩きつけられて、ポキリとボブ=ボーンズは心の底で大切な何かが折れてしまった音を聞く。


 指先から力が抜ける、視界が歪む、何より心臓と魂が急速に冷えていく。


 余りにも悪辣な仕打ちは、今目の前で舞う金と銀の上位飛竜に邪悪な知性が息づいていることを否応なく理解する。


 それでもなお、体に刻まれた経験が墜落寸前の機体を安定させるのを。彼の意識は何処か他人事のように見つめていて――


 

 ふと、耳が雑音を捉えた。



 空耳か、幻聴かと思うがその直後。魔導探知機マギレーダーにノイズが走る。


 それは最初は微かで。けれど徐々に大きく、騒がしくまだ明けぬ夜に広がって。

無視することが出来ないほどに、騒がしく大きな音として響き渡る。大気に満ちる魔力マギが震えて、遂には二匹の竜もその音を聞き取り頭を向け――



 そして赤い光が三度、遥か彼方で瞬いた。



 両肩に張り出した巨大な魔導推進器マギスラスター、人型と呼ぶには歪な体躯。実戦で傷つき、砕け、その度に張りなおされ、純白とは呼べずともなお白く輝く装甲。


 背面に追加で装備した魔導推進器マギスラスターは赤熱し、吐き出す魔力が大気をかき乱しながら。重突撃槍の穂先を構え、ただ真っすぐに突き進む。


 それはボブ=ボーンズが欠陥機と断じた機体。ダイム=ニーサッツが組み上げた夢みたいな希望。あるいは赤い悪夢の弟子であるノイジィの愛機。即ち――


 

ライズ・・・ルースター・・・・・!?」



 ボブの胸に、熱いものが広がっていく。


 竜化水銀ドラグラムが流れるモニターの向こうで、ライズルースターが背面に追加した推進器を切り離し、更に加速。


 それに応じて、後から現れた黄の上位飛竜アークワイバーンがその翼をはためかせ正面から迎撃を開始する。恐らく、そのままぶつかれば勝つのはライズルースター。


 だが、竜は2匹いる。


 銀の飛竜もボブとクライスターに背を向けて、金の竜を援護しようとライズルースターに向かっていく。



「ははは…… はははははっ! おい、俺を――」



 ぽきりと折れた魂を、ライズルースターから、ノイジィから受け取った熱で強引に打ち付け継ぎ直す。絶望に震える腕に力を込めて、まだ動く愛機の左手に握った中十字弓ミドルクロスボウを銀色の背中に向け。



「無視してるんじゃねぇ!」




 引き金を引き絞る瞬間、歪んだフレームの分操縦桿を捻って補正。


 ただ、長く飛ぶことだけに特化したポンコツなボブの愛機C級クライスターは見事にその操作に応えて狙い通りに鉄矢ボルトを放つ。


 

 会心の一撃、ボロボロの機体から放たれたとは思えない。ボブ=ボーンズにとって理想に近い最高の狙撃は――


 しかし、それでもなお。銀の上位飛竜アークワイバーンは身を翻してその一撃を回避した。



「はは、はははっ!」



 笑い声がボブ=ボーンズの口から零れる。必死の一撃を避けられて、それでもなお誇らしく高らかに笑う。姿勢は崩れたが、立て直すまでに数秒とかからない。けれどその僅かな時間が今の彼らにとっては金貨1000枚を超える価値を持つ。



「行け、ノイジィ!」



 届かないと分かった上で、全力で叫ぶ。


 

 ノイジィの駆るライズルースターは彼に目を向けず、けれど銀色の上位飛竜がバランスを崩したのを確認し更に加速。黄金竜の動きに焦りの色が浮かぶ。


 予定外の状況に動揺する上位飛竜アークワイバーン、全力で直進するB級竜殺機兵ライズルースター。その二つがぶつかればどうなるか語るまでもなく。


 超音速を超えた白き竜殺機兵ドラグーンが構えた得物は身の丈を超える重突撃槍。黄金の竜もそこから逃れようと強引に身を捻るが一拍遅い。


 穂先が黄金の鱗に突き刺さり、肉を穿ち、骨を砕き、その半身を吹き飛ばす。


 確認をするまでもなく、無尽蔵の魔力を誇る上位飛竜アークワイバーンであれど確実な致命傷。


 ボブ=ボーンズはそれを確かめ、笑いながらボロボロの機体を操作して。


 朝焼けよりも早く、未だ明けぬ夜に現れた。自分でも信じていなかった希望を眩しそうに見上げ、自分の足掻きには意味があったと目頭を熱くしながら。墜落するように街へと降りて行く。

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