35話「星降る夜の荒野にて」
「ノイ、その…… 少し、じゃなくて。かなり、痛いです」
その声でようやく僕は、抱き締めたダイムの熱に縋ってしまっていたことに気が付いた。実際かなり両腕に力が入っているし、何よりも年下の彼女に文字通りしがみついて甘えていた事実がどうしようもなく恥ずかしい。
「ごめん」
どうにかそう返して、ダイムを抱いたままでいたいなんて我儘を抑えながら。僕は両腕からゆっくりと力を抜いて彼女を地面に降ろせば、荒野を染めていく闇と共に、僕らの間を夜の風が通り抜けていく。
「さっき、剣を抜こうとして。止めました?」
意外と、平坦な声で告げられた質問に僕はパッと答えることが出来ない。
「割と、あの人は無礼でしたよ?」
それも理解している。それこそ今後の事を考えるなら、メンツの為に片腕を切り落とす程度なら穏当で。その結果、彼が死んだとしても特に問題はない事も。それが都市の外側に広がる社会なのだと刻まれた知識では知っていて。
それでもなお、僕が剣を止めたのは。振るえば殺せてしまえるという実感。地球の日本で培われた比較的真っ当な倫理観。そして――
「僕は師匠に、逃げろって教わったから」
師匠から教わった言葉だった。襲われた時はとりあえず物を投げて、逃げて、逃げて。それでもダメなら
あれは生半可な実力で戦えば怪我をする的な意味合いだと思っていたのだけど。
けれど、ようやく剣を抜こうとして気が付いた。今の僕が圧倒的な強者で、それこそ荒野の倫理のまま振る舞い動けば、良くも悪くも人は変わってしまう。そんな当たり前の事実に。
絶対に人を殺せてしまうという確信はちょっと僕には重すぎて、あの時何も考えないまま剣を振う前に止まることが出来た。それは有難い事だと感じる。
「私には、ノイがどうしてそうするのか良く分かりません」
「そう、かな? いや、そうなのかも……」
それこそこの世界で生まれて生きて来た人間の価値観なら。迷うことなく剣を抜く場面だったのだと思う。
その上で僕はもう既に相手が死ぬかもしれないと理解した上で槍を振った事がある。初めてライズルースターを駆った戦い。アレで人が死ななかったのは、僕が多少気を使って運が良かっただけ。
それこそさっきだって、剣を相手が死なない様に振るえば―― そこまで考えて、とても間が抜けた真実に自嘲する。
「ああ、そうか」
「何にですか、ノイ?」
「そもそも僕は生身の人間を殺さないで、手加減する剣の振り方を知らないんだ」
余りにも下らない事実に笑ってしまう。そもそも僕は対竜か、対機兵向け。人に向ければ確実に相手を殺してしまう。そんな振い方しか師匠から刻まれていない。
殺してしまうかもしれないと剣を振るのと、殺すことしか剣を振う事には大きな差がある。
他の誰もが気にしていなくとも、最低でも僕にとっては。
「つまり、手加減の仕方が分からないんですか?」
「そうだね、うん。ああ、そりゃ下手に手加減しようとしたら焦っちゃうよ」
殺す気も無いのに、けれど生身で剣を振えば相手を殺す事しか出来ない。本来なら訓練の合間に身に着ける加減の仕方を、僕は全く理解出来ていない。だから、そんな自分の心と無意識の不一致でこうも混乱してしまう。
最低限の最適解だけ刻み込んだ癖に、それを適当に振るう事は戒める。
そこで丁寧に手加減まで教えてくれない辺りが、めんどくさがりな師匠らしいと。自然に笑みがこぼれた。
「じゃあ、何度か人を斬って学べばよいのでは?」
余りにも自然にそう口にしてしまうダイムを、恐ろしいとは思わない。彼女と僕に大きな考え方の違いはあるのは分かっている。そもそも異世界人でなくとも、命に対する考え方には差があるのだから。
「それはちょっと、やりたくないかなぁ」
「私から見たら、貴方が甘すぎますけれど……」
ゆっくりと昇る月を背に、彼女は両手を抱きしめて。僕を真っ直ぐ見つめた。
「それでも、必要な時は守ってくれるのでしょう? 人を殺す事になっても」
「それは、間違いなく。約束もしたし」
今この瞬間、確かに僕はダイムという少女を守りたいと思ってしまった。師匠へのあこがれが混じった所有欲とはまた違う。彼女から感じる庇護欲と、こうやって互いに少しずつ互いの価値観に歩み寄っていく感覚。
この甘くて苦い感情をあえて形にするなら、恋だろうか? いやけれど、師匠に向ける強い感情と比べてそれはとても弱く。ひとまず答えを決めない事にした。
「そういえば、一人きりだったらどうしてたの?」
「一応私は、多少の魔術は使えても。文字通りの箱入り娘な訳ですし」
「つまり?」
「基本的に一緒に居て守ってください。私の
ああ、僕の行いの責任が自分で止まるなら深く考えなくても良いのだけれど。彼女を巻き込むのなら少しは考えなきゃいけない。それこそもっとスマートにああいった状況を解決しないといけないと、新たな目標を星空の下で組み上げて。
今度はゆっくりと30分くらいかけて谷底を目指した。手を握ろうともせず。けれど引っ込めようともせず、適度な距離を保った無言の時間は。ほんの少しの気まずさとそれ以上の安らかさに満ちていた。
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