カタナ・ヴァーサス・サムライ
真夜中の繁華街、空には妖精が飛び、立体映像広告がむなしく輝く。
表通りから一本入った路地裏の駐車場は静まりかえっていた。
「そうか。来るのかフツヌシ……それも、とびっきりのやつか。そうか……フフッ」
巫女装束の少女は細長い布袋から白木の刀を取り出し、ゆるりと構えた。
繁華街の方から一人の男が路地裏に入ってくる。その足取りに迷いはない。
まっすぐに少女の方に歩いて行き、10mほど開けて止まる。
「伊波片那さんと見受ける。間違いないか?」
静かな声だった。まるで闇から抜け出たような男だ。
褐色の肌に黒コート、黒いバンダナキャップ。
退魔師。それももっとも苛烈と言われる派閥の者「狩人」だ。
ならば少女は退魔師が狩るべき妖魔なのか。
「そうだ、お前は狩人か?」
「ああ、そうだな。俺は久根という。では始めようか。前置きは苦手だ」
「得物は?狩人なら得物をもっているはずだ」
狩人は少し周囲を見渡すと、「大安売り」の旗を手に取る。
いかな技か、触れただけで布地がはらはらと切り裂かれ、余分な長さも切り落とされる。
ただの「大安売り」の旗は今や1mほどの棒となった。
「これでいい」
「ふざけるな……!」
少女が激高しようとしたとき、第三者の声がした。
<落ち着け、我が巫女よ。狩人は己の技を持って得物とする者もいるという。
こやつもその手合いよ。こやつの得物に形はない。その技こそが武器と心得よ>
それは少女の持つ刀から発せられる声だった。少女はその声をうっとりと聞き、自信に満ちた表情で答える。
「おお、フツヌシ……感謝する。冷静に戦えそうだ」
<そうだ、それで良い>
少女は明らかに正気ではなかった。自らの刀を欲情に満ちた目で見て、血に飢えている。
対する狩人は自然体そのものだ。冷静に、しかしゲームを楽しむかのように静かな興奮を保っている。
「話し合いは終わりか?では、行くぞ」
「さあ来い!我がフツヌシが狩人に通じるか試してやる!」
夜の駐車場で時代錯誤な剣戟による決闘が始まった。
■
始まりは偶然の不幸だった。それに尽きるだろう。
怪異に潰されてぐっちゃぐちゃになった死体。片那はその横をたまたまスマホを持って歩いていた。
それだけだ。
「てめえ何撮ってやがるんだよ!」
「へ?違う!私はただメールを見てただけで……!」
「うるせえ!ケータイ貸せよ!」
死体の友人らしき高校生がつかみかかり、片那のケータイは踏みつぶされて壊れた。
「やめて!やめてください!」
「お前が写真撮ってるから悪いんだろ!」
「そうだ!顔貸せよ!」
片那はおびえきっていた。こんな時に竹刀があれば……!剣道を習っているのに!
悔しさと恐怖と悲しみ、心が千々に乱れパニックになったその時、後ろにある質屋のショーウィンドウから一本の刀が飛んできた。
<そこな女子、ワシを使え!か弱き女子によってたかって言いがかりをつけるとは不届きな若造共よ!目に物見せてやるわ!>
「くそっ妖刀かよ!てめえ見てろ……ノウマクサンマンダ・センダマカロシャナ……」
高校生の手に火球が点る。あと何秒もしないうちにこちらに放たれるだろう。
迷いは一瞬だった。
片那は妖刀を手にし、一瞬のうちに高校生の手を切断した。
「ぎゃああ!」
「いい加減にしろ!おとなしくしてれば、調子に乗って……!」
それから先は覚えていない。ただ、血しぶきが舞った気がする。
気がつくと神社の境内で妖刀を持って荒い息をついていた。
「わ、私、人殺しだ……あ、あああ」
人生設計ががらがらと崩れていく。もうだめだ!と絶望に染まったその時、語りかけてきたのは妖刀だった。
<ならば、いっそ法の外の存在になれば良い。我々、怪異へと。
人を辞めてしまえば、生きる道などいくらでもあろうものよ>
その言葉が暖かくしみこんでくる。迷いはある、だが天秤は傾きつつあった。
<いいか、お前は何も間違った事はしておらん。降りかかる火の粉を払っただけ……
それのどこが悪い?いいや、お前は怒らねばならぬ。理不尽に対して。
腹がたたないのか?ああいう奴らが大手を振って、なぜお前が責められねばならぬ?>
「私は……悪くない?でも、私、どうしたらいいか……!」
もはや片那は妖刀の言葉に魅了されている。耳を貸し始めているのだ。
<なあに、今の世の中、悪党を斬ってもおとがめなしよ。すばらしい世になったものだ。獲物も斬り方もわしが導こう。悪党を斬り、金を奪う。おぬしは義賊と言われ賞賛と金を得る。悪くあるまい?>
実際その通りだ。この時代、魔術を使い、人を辞めて殺人を犯した者はもはや人と扱われない。それはもはや怪異なのだ。
怪異の扱いは動物や器物に準じる。つまり、ほぼおとがめなしだ。故にこの妖刀の言葉はあながち間違いでもない。
だが、なけなしの理性が疑問を導いた。
「でも、なぜあなたはそこまでしてくれるの?」
<武器とはそれを使う使い手なしには成立せん。その武器を愛し、使い、血を捧げる……巫女のような使い手がな。
そして、わしは刀の神の末でもある。神もまた、仕える巫女を必要とする物だ>
「私が、巫女……」
片那は確認するようにつぶやく。さあさあと鎮守の森がそよいだ。
すでに心は傾いていた。
<我が名はフツヌシ。我を受け入れるならば、汝の名を名乗れ。要らぬのであれば我を捨てるがよい>
「私の、名は……片那、伊波片那」
決断は成された。何か致命的なつながりが刀と片那にできてしまった。
そうして操られるように神社の中に入ってゆき、出てきたときには巫女装束だった。
心は少女から剣士になっていた。
■
それからは語るべき事は少ない。
悪党を斬って斬って斬って斬って。稼いだ金は強化手術に消えた。
全ては愛しい
そして、愛しい
いくつもの夜を越し、
もはや付け焼き刃ではない。彼女の全てだ。
血の匂いを嗅ぎつけ、血に濡れる。純白の巫女衣装は小豆色に変った。
そうして今宵も、血の匂いに引きつけられた獣同士が相見える。
■
幾つもの剣閃がひらめいた。
どちらも身体強化手術を受け、さらに片や気功、片や妖力で身体能力を上げ、その上で実戦という炎で叩きのめされ、血で焼き入れを行った冴え渡る技。
二人の剣鬼の攻防で駐車場は鏖殺空間と化す。
「くふっ、くふふふふ、楽しい、ああ楽しいな。たまらない。
これこそが我らの生きるよすが、そうは思わないか?」
先に口を開いたのは狩人だった。その顔は強敵との戦いに酔っている。
楽しくてたまらない、そういう笑顔だ。
「思わないな。私の生きるよすがは
「くふ、くふふ、妬けるな。俺は眼中に無しか。
貴女は相手とではなく、それと踊っているのだな。
さながら俺は場を盛り上げる奏者か?」
「そうだ。
「そうか。相手への敬意は剣に必要なことだ。それが解る相手で良かった。ではもう一段上げるとしようか」
「舐めるな!」
ただのプラスチックの旗竿が鋭利な刀と張り合っている。異様な光景だ。
だがそれも狩人の技によるもの。正面から張り合わず相手の刀の腹をはじき返している。
旗竿を覆う気の刃はただのプラスチックを鉄よりも硬く、鋼よりも鋭利にする。
「貴様こそ、何か。相手と競い合うのが趣味か?俺が一番強い、そう言えるために戦う類いか?」
「くふっ、異な事を。我らはここにしか生きられん。ここでこそ、輝ける。
なにより、俺はこれしか知らんし、これだけでいい。これが楽しい、好きだ!それだけだ。余分は要らん」
「血狂いか」
「そうだ」
しかし楽しい時間はいつか終わりが来る。
徐々に片那の方は手傷が増えていき、押され始めた。両者の血で路面が染まる。
一太刀、二太刀、傷は浅いが徐々にダメージが片那に蓄積していく。
改造手術を加算してもなお追いつけない体力差、技量差が現れはじめているのだ。
そして狩人は一発ももらわないのを前提とした動きで慎重に差を広げていく。まるで詰め将棋だ。
「なぜだ……なぜ!」
「優劣ではないが、スタンスの違いだ。そこを利用させて貰った。
俺にとって武器は手段だ。振り回すものであって振り回される物ではない。
加えて、貴女は武器をかばった動きをしている」
やがて、狩人の一閃で片那の両手が斬り飛ばされ、落される刀と共に血がしぶく。
狩人はそこで旗竿を振るのを止めた。
「情けのつもりか。恥をかかせたかったのか?」
「違う。貴女が武器をかばっていたように、俺もまた貴女を斬らず保護する必要があった」
「なぜだ」
「貴女の家族から保護依頼が来ている。これでも、仕事なんでな。好きを仕事にするとはそういうことだ」
「くっ……」
すでに再生している両手で片那は刀をつかもうとした。死ぬのは覚悟の上、いいや死んでしまいたい。
そう思ったが、刀はあっさりと掴め、そして自分は動けなくなった。
刀が闘うことを拒否しているのだ。
「なぜ!?」
<もうよい、ワシは十分に楽しんだ。共に罪を償い、そして縁があればまた共にいようではないか>
「私は……要らないのか?!」
<違う。おぬしを大切に思うからこそだ。生きよ>
「あなたがいない生など意味はない!どのみち死刑だ……」
狩人は苦笑すると静かに言った。
「あー、盛り上がっている所悪いが。あなた達の斬った相手は皆「獣」だ。すでに人権のない相手ばかりだ。
最初の事件でも死者は出ていない。故にたいした罪にはならん。それよりも、もし罪を償い、その上でなおその力を振るいたいのであれば、我々は歓迎する。
というか、野放しに出来ん。今度はおとがめなしでそれを振るえる機会(チャンス)が巡ってくるだろう」
狩人は彼女の処遇を考える。まあ、警察に行って罰金を払うかせいぜい半年くらいムショに行くだけだろう。
その後、更正施設でカウンセリングを受けて、社会復帰するか、さもなくば狩人になっている。
多分、狩人になるだろうな……と勘が囁く。
「というかフツヌシ殿ははじめからそのつもりだったのだろう?
ちょっと悪党相手に鍛えてやるつもりが、思ったより依存された。そんなところか?」
<お見通しか。狩人殿には……そういうことだ。
その年で全てなどと言うでない。色々なものを見てなおワシの元に来るなら、その時はワシも覚悟を決めよう>
片那はしばらく黙ってうつむいていたが、やがてうなずいた。
「……解った。それが
手錠をかけながら、狩人は笑った。
「やはり、妬けるな。それほどの相棒がいるというのは」
静かになった月夜にほう、と鳥が鳴いた。
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