短編集

鉄槌の狩人

「畜生、ちくしょう!何が魔法だ!何が真理だ!もううんざりだぁ!」


 雨の路地裏、傘もささずに男がうずくまって慟哭している。

 夜の繁華街の裏の顔だ。そこかしこに卑猥な看板が並んでいたり、ドブネズミがいたりで汚い。


「よう、兄さんずいぶん荒れてんな。雨の中でそんなにしてちゃあ体に毒だ」


 そこに一人の怪人が傘を差しだした。黒皮の中折れ帽にコート。まるで鎧のようだ。

 あるいは、ハードボイルド気取りか。


「ほっといてくれ!あんたに何が解る!」

「解るさ。どうせ荒事だろう?それもオカルト関係の。黒魔術師にでもひどくやられたか?

何にしろ、そんだけ濡れてちゃ風邪を引く。乾かしてやるよ」


 怪人が男の肩に手を置くと、一瞬で濡れていた服から蒸気が出て乾いた。

 しかもそれで火傷することもない。まったく不思議な現象だった。


「……あんたは、一体?俺に何をした?」

「オカルト専門の荒事屋さ。魔法使いのクズ共に泣かされたんなら、力になるぜ」

「……いくらくらいで?」


 荒事屋が言った金額は男に十分払える金額だった。



 繁華街の素っ気ない廃墟みたいな事務所。

 味気ないフローリングの床に、そっけなくジュークボックスが置かれている。

 そのへんの喫茶店からかっぱらってきたような不似合いにおしゃれな軽く小さいテーブル。


 いろいろと雑なセンスの事務所だった。

 ただ流れているBGMだけは依頼人の心を落ち着かせるに十分なすばらしいジャズだ。


「つまり要約するとだ。烏丸さん、あんたの親父さんは黒魔術師。

あんたの母親を食うほどのクソ外道。

逃げてきたあんたにひさびさに電話がかかったと思ったら児童相談所で……

その親父がまた新しい女つかまえて孕ませて食って、その子供も虐待してると」


 入間(いるま)と名乗った荒事屋はのんびりとエスプレッソのコーヒーを入れながら依頼人の烏丸に尋ねた。


「そうです……父は怪しい宗教団体を組織していて、その信者から金や女を巻き上げて暮らしています」


 入間は2つのコーヒーカップを置いて、自分のコーヒーを一口飲む間をあけてから鷹揚にたずねた。


「それで?どんな解決がお好みだ?」

「それは……あれがこれ以上誰にも迷惑をかけずに、そして子供達や騙された人たちが解放されるように……」

「つまり対象を無力化して、信者共の目を覚ませと。それ俺に任せたらあんたの親父さんを殺すことになるよ。

金はあれでいい。クズを殴って金もらうんだからな。

だけど、人一人始末するってことは、あんたは俺に想像以上の借りができることになる。

あんたが想像してる以上の、だ。それでもいいのか?」

「それは……」


 しばらく、暗い怒りに包まれたまま無言でコーヒーを飲む時間が続く。

 ぽつり、ぽつりと依頼人が話し始めた。


「その、最初に父の宗教団体に調査に入った児童相談所の職員は……

俺の、友達でした。今ではあいつの信者やってます。

妻子まであいつに捧げて、やれ神に会うだの真理がどうだの……

馬鹿ですよ、あいつ。妻子をカタにしてまで見たいもんなんですか?神秘って」


 依頼人の言葉にはわずかにトゲがあった。

 お前も同じ穴の狢なのかと。

 だが入間はあっけらかんと笑い飛ばした。


「そんなわけないじゃん。そりゃあ、信仰してる奴はそうだろうよ。死にものぐるいさ。

でもな、この業界いたらなんとなくわかんのよ。

真理だの神だのは、基本ろくなもんじゃないって」


 依頼人はしばらくあっけに取られていた表情をした。そして、救われたように弱々しく笑った。


「ええ、そうですね。ろくなもんじゃない。やっぱりそうですよね」

「そりゃそうだ。だって神様が良い奴だったらこの世はこんなんなってるか?なってないだろ?

……あんたは帰ってゆっくりしててくれ。なあに明日起きる頃には全て解決してる」


 入間はゆっくりと立ち上がり、コートと帽子を着る。

 クローゼットから異形の物体が出てきた。ウォーハンマーである。

 1mくらいある金槌だ。表面は血にまみれ呪文が刻まれ尋常ならざる鬼気を放っている。


「よろしくお願いします……」


 依頼人はその闇のような背中をいつまでも見送っていた。



 魔術名・烏丸黒瓜には野望がある。

 それは永遠の命だ。

 最初は偉大なる魔術を極めて世を良くするつもりだった。

だが知れば知るほど魔の深淵は深かった。

 実用化できたのはわずかなものだった。もっと知りたい、もっと知らなくては……

 そうでなければ、最初に生け贄にした妻に申し訳が立たない。

 それには人の寿命では短すぎる。故に永遠の命を……


 最初はそうだった。だが延命用の生け贄を集めるために宗教を立ち上げてみたらこれが面白い。

 手品レベルの魔術を教えるだけで何百万も転がってくる。

 金、女、名声。そして権力。全て自分のモノだ。


 そうして、黒瓜は堕ちた。

 もはや真理も世直しもどうでもいい。妻など何人もいる。

 命だって生け贄を捧げ続ければいくらでも伸びるだろう。すばらしい、この世の春だ。

 老いて後にこんな世界があったとは、いやまったく魔術師とあろうものが魔に魅入られたか。


 だが悪くない。

 さて、今夜の女はどれにするかな?一桁の幼女から熟れきった女までよりどりみどりだ。


「さあて、お楽しみと行くかのう」


 その姿はハゲ散らかった狒々爺と言うにふさわしい醜悪なものだった。

 今や埃を被った魔術書の並ぶ書斎から、おぞましいプレイルームへと電話をかける。


「わしだ。今夜は美織と百花を頼む」

『いいえ、それはできません』

「なんじゃと!貴様ただですむと思っておるのか!わしの呪いが怖くないのか!」

『それにもノーだ。お前程度の呪いが効く俺かよ』

「貴様、誰だ?」

「メリーさんだよあんたの後ろにいるの!」


 その瞬間、すさまじい衝撃が黒瓜の頭蓋に響き、世界が回った。

 下手人の姿は黒帽子に黒コート、ウォーハンマーを振り抜いている。

 こっそりと侵入を果たした入間である。


「あんたさあ」


 はあ、とため息をつき入間が静かに怒りを込めてしゃべる。


「神様だの真理だのろくなもんじゃないって知ってるだろ?知っててそれを飯の種にするとかさ。

それともそんな程度のこともわかんないアホなら魔術師辞めなよ。

困るんだよね。っていうかムカつくんだよ。お前みたいなのが魔術師名乗ってるの。

そりゃ俺だって暴力密教者だけどさ。お前みたいな馬鹿が魔術師やってたら全体がアホに見られるわけ。

一緒にされたくないんだよねお前みたいな馬鹿と」


 頭から血を流し、へこんだ頭蓋をそのおぞましい魔術による再生能力で直し、立ち上がる黒瓜。


「貴様何者だ!どうやって入った!」


 入間は影のように暗い書斎にじっと立っている。黒瓜の反撃を待つように。


「狩人って言えば解る?」


 狩人と聞いて黒瓜は鼻で笑った。そういえばそんな組織もあったと。


「自警団気取りの魔術師崩れのチンピラ共が……」

「ああそうだよ、あんたも魔術師崩れの詐欺師じゃねえか」


 そうして入間と黒瓜が同時に呪文を唱える。


『波切不動が護法に誓願いたす!不動が尊き金剛杵、今一時わが槌にやどらせたまえとの本願なり、ウン!』


 それは殴ってでも人を改心させる不動明王の力を借り受ける呪術。

 入間のハンマーに金色の槌の幻影がまとわりつき、巨大な一つの金槌となった。


『我は汝を召喚す、アルベ、サールアーム、ハルゴール、ハーガーブ、メセクとトバルの大君、ヤペテの子。

汝は災厄、汝はすべてを食らい尽くす者、汝、我に耳傾けよ!』


 地面から闇を纏って蝗が何匹も、何百匹も顔を出す。人食い蝗だ。

 だが入間の金槌の方がずっと早かった。


「ホームランだ!」


 入間が巨大な金槌ごと風車のように回転して本棚や壁をぶちこわしながら黒瓜を吹っ飛ばした。

 壁を何枚も壊し抜けて黒瓜が飛んでいく。

 しかし黒瓜の召喚した虫もまた入間を喰らおうとする。


『閻魔不動に誓願いたす!虫の障り、御身が火世三昧の炎にて滅尽に滅尽せよ!成就あれ!』


 入間が真言を唱えて印を切ると人食い虫たちが同時に内側から炎に焼き尽くされて爆発する。

 汚いホットチョコレートだった。


「オラッ!クソ信者共も出てこいよ!お前らの教祖様これからぶちのめす所見とけ!」


 どかんどかんとそこら中の壁を壊しながら黒瓜に近づく入間。

 黒瓜が逃げ込んだ先は普段は儀式に使っているであろう聖堂だった。

 教室1個分くらいはある広いホールに信者に囲まれて黒瓜はいた。


『峻厳、曲屈、黒き逆巻く深淵よ!我が敵を砕け!無形にして光放たぬ闇よ!』


 巨大な闇の弾が放たれた。2mはあるだろうか。


「良い弾だ!返すぞ!」


 入間の金槌に宿った力の残滓が光り輝く。大きく振りかぶって入間は迫る闇の弾を上に撃ち返した。

 天井を突き破って月が見える。闇の弾は人知れず花火のように空中で爆散する。

 だが入間の攻めはまだ終わらない。


『波切不動が護法に誓願いたす!我が槌に宿りし金剛杵、伸びろ、砕けとの本願なり!カン!』


 打ち返した勢いそのままに槌を伸ばして、しゃがみながらぐるりと回転する。

 つまり、信者たちのすねのあたりに打撃面が来ることとなる。


「あ、足が!」

「痛い!折れた!」

「黒瓜様お助けを!」


 なぎ払う一撃でほぼ全員の足があさっての方向を向いてへし折れる。

 骨が見えている開放骨折をした者もいた。


「馬鹿な……」


 黒瓜は信者全員を使った渾身の一撃を返された上、一発で信者を倒された。

 もう馬鹿なとつぶやくしかなかった。


「あんたらさあ」


 はあ、とため息をついて入間が静かにドスの効いた声を出す。


「たしか魔法できれば偉いんだっけ?そんでもって妻子をカタに入れても神様に会いたいとか。

そんなに神秘が見たいか?魔法っていう暴力が欲しいのか?その果てにあるのが俺のコレだぞ?

で、俺の方が魔法が強い。偉いわけだ。あんたらの主張だと」


 ゆっくりと入間が痛みにわめく信者と黒瓜たちに近づく。


「いい加減にしろ目を覚ませ。こんな暴力、家族に迷惑かけてまで追求する価値なんてある訳ないだろ!

神様?そんな奴クソそのものだ!世の中クソで!だからお前ら夢みたいな戯言に逃げてきたんだろうが!

そのクソみたいな人間を作った神様とやらが正気なわけねえだろうが!」


 そして入間は印を切って真言を唱える。


『波切不動よ。迷える衆生に我、仏法にて導かん。なれば不動羂索にて縛りたまえ』


 地面から黒い縄が生えてまだ動ける信者たちを縛り上げる。


「いい年こいて夢みたいなもん追いかけんな!いい加減目を覚ましやがれ!」


 入間は初めて大音声で真言を唱えた。それは叫びだった。


『不動明王に伏して誓願つかまつる!殺生邪淫に耽りし邪宗が綺語、妄語、離間語による呪法からこの衆生を解き放ち給えとの大誓願なり!』


 それはカルト宗教による洗脳をどうか説いてくれと神仏に頼み込む呪術。

 信者の内何人もがはっと目を覚ましたような顔になり、

そして自分のやってきたことかえりみて絶望した。


「馬鹿な!儂の洗脳がとけるだと!?そんな短い密教呪術で!?」


 黒瓜が慌てる。それはそうだ。忠実な手駒が今まさに敵の手に渡ったようなものだからだ。


「インスタントに洗脳された奴はインスタントに洗脳が解けるんだよ。とくにこういう魔術で洗脳したのはな」

「待て、皆の衆!こやつは上書きしただけだ!洗脳しておるのはこやつだ!」

「上書きって事は最初に書き込んだのを認めるんだな?」

「なっ……!」


 洗脳の解けた信者たちは慟哭し、ある者は迷い、ある者はすでに憎しみの目を黒瓜に向けていた。


『孔雀明王よ。彼らの病毒、怪我の一切を癒やしたまえとの大誓願なり』


 骨折したものたちの傷口に炎がともった。だがこれは痛みを与え傷つけるものではない。

 暖かな、回復の呪術だ。事実として彼らの怪我はあっというまに治った。

 そして残されたのは妻子を既にささげてしまった洗脳の解けた信者たちだ。


「さてと、このまま戦うか?それとも、信者たちになぶり殺しにされるか?

ああ、あとはこの場で金も女も帰すから勘弁してくれと泣きを入れる手もあるな。

その場合命だけは助けてやるがどうする?」


 ううむ、と黒瓜は脂汗を滝のように流しながらうなり、そして叫んだ。


「解った!儂が悪かった!金も女も何もかも返そう!だから命ばかりは助けてくれ!」

「教団も解散しろ」

「解った!解った!勘弁してくれ!」


 なおも怒る元信者たちに入間はがつん、と鉄槌を地面に打ち付けて怒鳴る。


「元々はお前らがこんなろくでもねえもんにすがったからだろうが!

さあ帰れ!解散だ解散!この教団はこれで終わりだ!

それより妻子をさっさと取り戻して家に帰れ!」


 恨めしそうに入間と黒瓜を見て不平をつぶやいていた者達も妻子を思い出して慌てて帰って行った。

 これにてこの夜の狂騒は一端の落ち着きを見せることとなる。



 黒瓜は隠し財産を持って路地裏を逃げていた。

 彼の心にあったのは反省と後悔ではない。


「おのれ、おのれ……!だが所詮は若造よ。この儂は生きてる限り再起してみせる!

なあに10年も海外に逃げておればほとぼりが冷めるじゃろうて。

その時はあの若造に思い知らせてやらねばのう」


 その心にあるのは逆恨みだった。だがそうは問屋が下ろさない。


「こんばんは、黒瓜さん。お久しぶりですね」


 青いフェドーラハットにスーツ。銀の杖。

 まるで深海か星空を身に纏ったかのような老人がそこにいた。


「貴様は、ハルマン!神祇局を離れた貴様がなぜここに!」


 パトリック・R・ハルマン。黒瓜と同じく100年以上の時を生き、そして黒瓜と違って堕ちなかった男である。


「そんなこと本気で信じていたんですか?今でもコネくらいはありますよ。狩人達と役所をつなぐ裏口が私ということですな。

まあ、そんなことはどうでもいいんです。あなた110才の時に異種診断を受けるのを断られておりますね?

困りますねえ。110を超えた者は人間を辞めていないかどうか診断が必要なんですよ。我々のような老害を国家が認識するためにね」


 ぱし、ぱし、と杖を手で弄びながらハルマンは嗜虐的に笑う。


「そうじゃ!貴様と違ってわしはまだ法律的には人間じゃ!貴様には殺せまい!法の番人を気取る貴様には!」

「ああ、それなんですけどね。実は先ほど神祇局に動画投稿があったようでして……あなたが頭を吹きとばされて再生するところがね。

めでたく今夜12時を持ってあなたは異種認定されました。そして役所が開く明日の10時まであなたは人間宣言を申請できませんね?」


 ハルマンはにやにやと早口でしゃべり、ここで一拍間を置きはっきりゆっくりとしゃべった。


「つまりこの夜が明けるまであなたは野生動物扱いです」


 黒瓜はおびえて後ずさった。


「わ、わしを殺すのか!同じ時代を駆けた同志を!」

「かつては同志でした。ですがあなたは堕ちた。残念ですよとても。

とてもとても残念で、それ故に怒りを感じています」


 かつん、と銀の杖が地面に突き立てられた。


「私に出来て、なぜあなたはできないのですか」


 ふわりと雨のようにタングステンカーバイト製の弾丸が数千は空中に浮いた。


「貴様は狂っている!貴様こそあの戦争を見てなぜ未だに人間を信じられる!この世に救う価値などあるものか!」

「ああそれはね、私がこの間違った世の中を変えたいからですよ。何なら種の本能すら遺伝子すら変えてでもね」

「貴様、すでに狂って……」


 それが黒瓜の最後の言葉だった。ハルマンが杖を振り下ろすと数万の弾丸が黒瓜を血の雨にした。


「狂っていなければ救世などできないでしょう?」


 泣きそうに、寂しそうにハルマンが笑った。



「ってえのが事の顛末さ。満足かい?」


 朝の川べり。静かに缶コーヒーを伸びながら入間は依頼人と空を眺めていた。


「……ええ、なんだか、自分でも意外です。てっきりあいつが死んだら笑えるものかと思ったんです。

だけど、なんだかむなしいのとほっとしたのと……よくわかならない気分です。

ですが、お礼は言います。ありがとうございました」


 さらさら、さらさらと川が流れ、草が揺れる。


「これから、どうなるんでしょうか。友人や、元信者たちは……」


 よっこいせ、と入間が立ち上がる。


「さあな。懲りずに自分で教団を立ち上げる奴もいるだろうし、懲りて日常に戻る奴もいるさ。

失ったもんは戻ってこないし、傷もあるだろうよ。でも人生そんなもんじゃねえか」


 狩人は朝日に消えていく。さみしく薄汚れた背中だった。

 返す言葉を持たず依頼人はそれをいつまでもぼうっと見ていた。

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