本編
永田町事件あるいは全てのはじまり1
「いいかよく聞け、えらいことになった」
畳敷きの大広間で鬼の姫が沈痛な表情で言った。
それを聞くのは角や尻尾のある獣人みたいな姿をした数十人の妖怪だ。
「アメリカの
「えっでも姫さん、アメリカの事でしょ?」
「黙って聞け。悪いことにその場にマスコミが居合わせて民間人虐殺だとすっぱ抜いた」
この時点で何人かが天を仰いだ。
「当然、政府は説明をすることになった。
つまり、その魚人がしていた悪行も含めて人外の存在を世間に公表しおった」
一人の妖怪がぎりぎりとその乱杭歯をきしませて吠えた。
「なんでだ!
向こうの政府もオカルト機関も今まで最低限そこは秘密にしていたはずじゃねえのか!
退魔師は俺たちを狩る。だが俺たちも人を狩る。それは世間には秘密にする……
そういう暗黙の了解ってもんがあったじゃねえか!」
鬼の姫は眉間を揉んで溜息をついた。
「正確には我々といくつかの国で結んだ条約じゃ。暗黙の了解ではない。
どうも、アメリカ国内で政変があったようじゃな」
びょう、と一陣の風が吹いた。するといつのまにかドレス姿の美女が現れる。
誰もが目を奪われるほどの美しい存在感を持ちながら誰もいつ彼女が現れたのかわからなかった。
「私ならばその情報をもっと詳しく知っていますわ。どうも、あの魔術師が手を引いた様子」
畳敷きの部屋で会議を行う妖怪たちは口々に好き勝手なことを言い始める。
「魔術師?どの魔術師だ」
「馬鹿わからんのか、魔術師といえばあいつだ」
美女がその艶めいた唇がその名を紡ぐ。物語の始まりを告げるかのように。
「そう、パトック・R・ハルマン。この世でただ一人『魔術師』の称号を持つ男」
■東京・霞ヶ関
「前置きはいい。どうするのかねハルマン君」
ここは都内のある会議室。木目が美しい机にスーツの男たちが並ぶ。
「さて、どうするもこうするも……
いつもの通りアメリカに追従するしかないんじゃないですかね」
ハルマンと言われて答えたのは枯れ木のような老人だ。だがその目は鷹のように鋭い。
「そのアメリカの尻を蹴っ飛ばしたのが君だとしてもか」
その発言をした者は、世間一般で内閣総理大臣といわれる男だった。
「そもそも、不健全な状態だったんですよ。
たしかに存在する魔術を法律上無視し、
確実に犯罪を働く妖怪どもをいないものとして扱っているのがです」
総理はぼやくようにつぶやいた。
「正義では世の中は回らんのだよ……」
総理のぼやきを皮切りに次々と野次が飛ぶ。
「これでどれほどの経済的打撃があったと思っている!?」
「いや、そもそも今まで隠していた事が公になれば我々はどうなる!?」
「いっそ無視して今まで通り隠し通せばどうだ?」
ふーっというため息がハルマンのかさついた唇から漏れた。
「ではお聞きしますがね。
魔術関係の研究を発表させず、その経済効果を腐らせておくのが経済政策だと。
そして魔術や妖怪による犯罪を黙殺し無視し続ける現状が良いとそうおっしゃるのですね?」
魔を扱う術を極めた男による積年の怒りのこもった言霊は野次を行う議員たちを黙らせた。
「……しばらく、冷静になる時間を置こう、ハルマン君。我々には時間が必要だ」
総理から弱弱しく言葉が絞られる。
「わかりました。ええそうでしょうとも。もうあまり時間がないでしょうからね」
ちっとも
■東北・妖怪の隠れ里
同時刻、妖怪の里の会議もまた陰鬱なものとなりつつあった。
「あの魔術師は今すぐにでも国会で喚き散らすぞ。
我々が今まで日常的にやっていた神隠しを誘拐だといってな。
もちろん、我々の隠れ里も国内に無法地帯を作ったと叩き散らすじゃろう」
妖怪たちの怨嗟の声が上がる。手足のあるものは握り、歯のあるものは軋ませる。
「おのれ、おのれハルマン!」
「一体、一体どうすればいいでしょう、姫」
黒髪を姫のように伸ばした鬼は眉根を寄せて愚痴るように言う。
「どうもこうもないわ。神隠しでさらった人間はほとんどが人食用じゃろ?
ならばもはやすべての証拠を隠滅して知らぬ存ぜぬ、ただの田舎者でござい。
そうすっとぼけて時間を稼ぐしかないじゃろう」
鬼の姫「
「なんたる屈辱!人間どもに隠れ里に踏み入れられるばかりか、媚へつらうなど……!」
「それしか、それしかねえんですか!?そんなはずはない!
俺たちは人間なんか蹴散らせる力がある!」
事実だ。人がその兵器によって比類なき力を得たように、
妖怪もまた世界を灰にして余りある魔の力を持っている。
「そう、ほかに方法はありますわ。
こちらから打って出るのです。戦いもせず人に下る妖怪などいません。
どうせ今頃、永田町で会議をしている頃でしょう。
ご心配なく、「修羅」がハルマン暗殺に動いています」
ドレス姿の美女が余裕を持った笑みで言う。さきほど唐突に現れ訳知り顔をしていた女だ。
「鬼院、貴様……なるほど、あの条約の立役者である貴様が動いていないはずがないとは思っていたが」
「
そう、彼女こそ『人外や魔術の存在を秘密のものとする』という各国間の暗黙の了解となっている『条約』の絵図を描いたもの。
ただの妖怪の集団、隠れ里を国連と交渉する組織に叩き上げた政治的怪物だ。
「やってくれるのう……暗殺とは」
鬼の姫ラゴウは心底困ったという表情で鬼院を睨みつける。
事後承諾の上、頭越しに軍を動かすという明らかな越権行為に姫は腹が煮えくり返る思いだった。
「この意味が解っておるのか?一度戦端を開けばどうなるかくらい解らんはずがないじゃろうに」
「だからこそ、ですわ。もしここでハルマン暗殺に成功したとしましょう。
あっというまに政治の力学は黙殺に傾きますわ」
人外の存在を公表するという運動はハルマンが中心となって無理矢理動かしてきたものだ。
故にこの運動は彼を失えばたちまち空中分解してしまうだろう。
「失敗すれば?」
「暗殺せずあの男を生かしておけばどの道こちらをつぶしに来るでしょうね。
ならば手を出して損はありませんわ」
ラゴウは苦虫を口いっぱいに頬張ったような顔で決定を下した。
「……いいじゃろう。思う様動かしてみるがいい」
「そう言ってくれると思っておりましたわ」
鬼院は悪びれもせず微笑んだ。面の皮の厚い女である、実に政治家であった。
■東京・霞ヶ関
議長が汗をかきながら書類をめくる。
「ええ、では民間の方の意見を聞きましょう。どうですか?あなた方からはハルマン氏の主張に意見などは」
ヘリの音がバタバタ、バタバタとうるさく聞こえる。
上品な老婆がひなたぼっこをするかのような気安さで答えた。
「悪鬼外道の脅威を説くことは、まあもはや仕方ないでしょう。
ですが、今の段階で事をかまえるべきではありません。
我々の本懐は牙なき市井の方をお守りすることですから」
議員達はとりあえず聞いているような雰囲気だ。
「えーでは次は……」
ぱっと目を引くような美女が立ち上がった。まだ20か30ほどだろう。
スリムなスーツ姿が似合う。
「妖怪ソーシャルネットワーク
我々の組織は人間に友好的な妖怪の互助会と思ってください」
白髪と額の角が目立つ妖艶な美女は淡々と、しかし真剣に答える。
「八百万では意見が割れています。
公的な保証は欲しいのは本音ですが、差別や偏見と闘うのは難色を示す者が多いです。政府の手厚い保障が必要でしょう」
他にも長々とあったが、まあ同じような事だ。
だれもが慎重にしろ、内戦はごめんだ、というような事を言った。
議場の空気がややトーンダウンする。プロがこれだけ慎重論を唱えるのだ、冷静に考えよう。
そんな空気が漂った。
「うむ、そうだな……この件はやはり時間をかけて慎重に考える必要が……」
バタバタ、バタバタとヘリの音が鳴る。やけにうるさいと何人かが顔をしかめる。
『よう、俺たちには聞かないのかい?!当事者だぜ!』
それは拡声器を通した外からの声だった。
「何!?誰だ!何事だ!」
「ブラインドを開けろ、いや窓に近づくな伏せろ!」
誰かがブラインドを開けた。
するとそこに見えるのは丸っこいロシア製攻撃ヘリ「Mi-25」の改造機だった。
機首にある鬼の顔に炎のマーク。誰かがつぶやく。
「
その答えに満足したのかヘリパイロットはさらに続ける。
『そうだ、俺たちの返答はこいつだ。クソ食らえ、日本政府!』
その数秒後窓ガラスが一瞬にしてすべて割れ、猛烈な勢いで風と弾丸が入ってくる。
「撃ってきた!撃ってきたぞ!なんて奴らだ」
だが人をたやすく血の霧に変えてしまう弾丸は空中で止まっている。
誰がそれを成したのか。それはもちろんこの男の仕業だった。
「ハルマン!?」
ただ一睨み。目線を動かすだけで凶悪な殺傷力を持った弾丸が宙に止まっている。
この世でただ一人『
「久しぶりですね、『修羅道』のギュンター。バトル・オブ・ブリテン以来ですか」
ヘリパイロットもそれに答える。
『ああ、あのときはウェルシュ・ドラゴンが出てきて死ぬ思いをしたな!
懐かしいな積もる話も沢山あるが、あいにく今お前をぶっ殺すのに忙しくてな!』
ハルマンが老婆に目線で合図を送る。
「頼めますかな?」
「ええ、このくらいはいたしましょう」
老婆が上品な仕草で扇子を取り出し一降りすると、議員団は瞬きする間にこの場から消えた。
空間転移である。
「ですが、そちらの因縁はそちらでご精算なさいませ」
そう言うと、すうっと霧のように老婆の姿も消える。
「ええ、感謝を。東の長。これで遠慮無くできるというものですな。そろそろこちらからも攻めさせてもらいますよ」
ハルマンが腕を一振りすると空中で止まった弾丸が逆にヘリに向かって放たれる。
だがその弾丸はすべて致命的でない部位に当たる。ヘリは未だ健在だ。
いかなる魔技が使われたのだろう。精妙な操縦技術?いや、それだけではない。
『それだけか?もっといろいろあるだろ?
待ってやるよ。お前との決着がこんなもんじゃつまらねえ』
「ふむ、では遠慮無く」
ゆるりと腕を垂らすと袖から無数の金属球が出てくる。パチンコ玉のようなやつだ。
とん、と足を鳴らせば一斉に金属球が空中に浮き、ゆっくりとハルマンの周りを衛星のように回る。
「では、始めますかね」
そしてハルマンは数万はある金属球を従えてふわりと空中に浮く。
恐ろしく精密かつ強力な念力だ。
『ドッグファイトだ!ついてこれるか?』
「さてね、あなたも身体をアップデートしてるでしょうしね」
そこから始まった戦いはまさに航空機の戦い。金属球がヘリに当たるたびに巨大な爆発が起こる。
『爆裂術式刻んだタングステンカーバイト球か。腕は落ちてないみたいだな』
ヘリの方も弾丸を、ミサイルを、時に無茶な改造でつけた火炎放射器を撃ち放つ。
「やりますね。相変わらずのようだ」
ギュンターは機を読み、間合いを把握し、緩急をつけた熟練のセンスが時折ハルマンの念力をも超えて弾丸を当てていく。
何度も爆裂に包まれてもはやガラクタといっていいヘリでだ。どちらも人のできる範疇の技ではない。
『やっぱ俺たちだと飛び道具じゃあ決着つかないな。
まあ、まだまだ序盤だ。楽しもうぜ。戦争はこれからなんだからな』
「では、小手調べはこのへんにしますかね」
ソニックブームの爆音を鳴らしながら二人の魔人は東京の空で弾丸をばらまいて踊る。
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