第35話 同情

「では、食事を終え次第レヴィンへ向かいましょう」


「レヴィン……って、サヴォナローラとの国境の町……だよな」


食事を進めるうちに、アサレラの気持ちはいくらか凪いでいた。


「ええ。砂漠を越えるために必要なものは、ドナウよりもあちらのほうが揃っていますから」


エルマーの提案に賛同したのもつかの間、アサレラはすぐにおのれの意見を翻すこととなった。

というのも、他ならぬエルマーが父王オトマーに無断で城を出たことが、出発の直前に発覚したためだ。


「問題ありません。書き置きを残しましたから」


さあ早く行きましょう、と言い張るエルマーを一瞥し、ロモロは重いため息を一つ落とした。


「一国の王位継承者を無断で連れ回したとあっては、わたしたちは王子を拐かした罪で処されるかもしれない。殿下、それを承知でわたしたちに同行されるのですか?」


穏やかな声色で覆いきれないほどの棘を感じ取り、アサレラは思わずロモロを見た。


「ですが、ぼくは聖王国の王子です。聖王の末裔として、アサレラ……聖者だけに魔王討伐の使命を担わせるわけにはいきません」


おのれが同行を許したエルマーを弁護することも忘れ、アサレラはまじまじとロモロを見続ける。蒼い影の落ちる緑色の目は冷ややかで鋭く、エルマーを蔑んでいるようにも哀れんでいるようにも見える。


「聖王国の王子だからこそです。殿下、ご自分のことだけでなく周囲のこともお考えになったらどうか」


アサレラに凝視されていることに気づいたのか、ロモロはさっと視線を逸らした。


「……決まりだな。そいつを置いてオレたちだけで行くぞ」


「あたしはどっちでもいいけど。聖者さん、どうする?」


自身が旅路をともにすることを歓迎する者はいないのだと察知したらしいエルマーが、すがるようにアサレラへ視線を向けた。

アサレラは困惑した。魔術士の地位を確立するために王子であるエルマーの存在が重要だと判断したからこそ、アサレラはエルマーの同行を許可したのだ。


「エルマー、とりあえず今日は城に戻れ。今日一日はおれたち、ドナウで待ってるから」


だがロモロの言うように、王子誘拐の罪を被る可能性がある以上、このまま出発するわけにはいかない。一度嫌疑をかけられれば、聖剣の継承者であるアサレラはともかく、フィロとロモロ、そしてリューディアの立場はかなり危うくなるだろう。


「待つ必要もないだろう」


「あのなあ、フィロ! これは……」


きみのためでもあるんだぞ、と言いかけて、アサレラは口をつぐんだ。こんなところでおのれの打算を明かすわけにはいかず、とにかく、と周囲の面々を見渡した。


「今日のあいだは待つ、これは決まりだ。エルマー、早く城に戻ったほうがいい。王を説得するのに時間がかかるかもしれないぞ」


「ですが、父は……ぼくが旅に出ることを許さないかもしれません」


エルマーが困ったようにおずおずとこちらを見上げる。


「アサレラ、ともに王宮へ行きませんか? あなたが来てくだされば、父からの許しも下りるでしょう」


「……誰かに同伴してもらわないと父親に旅立ちの許可も得られないようでは、この先が思いやられるな」


「なっ……なんですって!? あなたこそ、お父上に同伴されないと旅ができないのではありませんか!?」


「フィロ! いちいちけんか腰になるな! エルマーもむきになるな!」


フィロとエルマーのあいだに割って入りながら、アサレラは周囲に視線を巡らせる。出入り口で言い合う一行を客たちは好奇の目で眺め、給仕は迷惑そうにちらちら見ている。


「エルマー。もしきみがオトマー王に止められて王宮にとどまることになっても、おれたちは必ず魔王を倒す」


少し考えた末、それと、と、アサレラは声を潜めた。


「たとえどんな結果になったって、きみがなにもしなかった王子なんて、誰にも言わせないさ」


エルマーがアサレラを見上げる。水面に映る月へ波紋が起こるように、金色の瞳が大きく揺らぐ。

泣くかもしれない、とアサレラの胸の内が冷える。だが、エルマーは曇りなく笑った。


「ありがとう、アサレラ。……確かにあなたがたの言うとおりですね。まずは自分のなすべきことをします」


王宮へ戻るエルマーの背を見送ったところで、リューディアがこちらへくるりと振り返った。


「じゃ、装備とか見てこよっかな。聖者さんも一緒に行こうぜ」


「えっ? あ、ああ……いいけど」


「…………オレも行く」


「わたしは宿にいるから、三人で見てきたらどうだ?」


こちらを見るロモロの目には、さきほどの冷たさも鋭さも見当たらない。


「ロモロさん……」


「アサレラ、行くぞ」


思わず呼びかけたそのとき、表へ出ようとしていたフィロが立ち止まってアサレラを促した。リューディアの姿はすでにない。


「……また後で」


と一言残し、アサレラもフィロに続いた。




太陽は天頂を過ぎ、西へ傾き始めている。

大通りの左右に整然と立ち並ぶ露店から、人々の賑わう声が風に乗って流れてくる。

店主の呼び込みもそれに応える客の問答も、ウルティアの王都パレルモほど荒々しくはない。コーデリアの王都オールバニーに雰囲気が少し似ているかもしれない、とアサレラは露店を眺めた。

今にも飛び出しそうにそわそわしていたリューディアが、とうとう待ちかねたようにアサレラへ振り返った。


「あたし、あっちのほう見てくるな!」


アサレラが止める間もなく、リューディアは人々のあいだを跳ねるように駆けていく。

アサレラは隣をちらっと見る。フィロはいつのまに買ったのか、串に刺した細長いなにかをかじっている。香ばしい匂いを漂わせる黄金色のそれは、揚げたパンのようだった。


「……ま、一言残してから行くだけ、まだいいか」


ひとまずアサレラは肘下まで覆う革のグローブと、剣を磨く研磨石を購入した。そのあいだもフィロはアサレラの後をついてきている。


「おれの買い物は終わったけど、きみは?」


「……特に、必要なものはない」


「じゃあなんで一緒に来るって言ったんだ?」


そう尋ねれば、フィロがじっとこちらを見つめる。その意味ありげな眼差しに、アサレラはリューディアの駆けていった方向へ声を張り上げた。


「……リューディア! おれたち、そこの広間で待ってるから! 買い物が終わったら来てくれ!」


「ん、わかった!」


背の低いリューディアの姿は人だかりにまぎれて見えなかったが、その高い声はすぐそばにいるかのように明瞭に響いた。




広間の中央には黄金色の葉を揺らす大きな木と、その手前には白い石造りの噴水があった。

噴水の飛沫が、西へ傾き始めた日射しを反射して金色に光っている。

フィロが噴水の縁に腰掛けたため、アサレラもそれに続く。


「フィロ、どうかしたのか?」


揺れる水面へ葉が落ちて、噴水の底に影を落とす。

フィロはなにも言わないまま、パンに刺さっていた串を手元で弄んでいる。

なにか言いたそうにしていると思ったのはアサレラの勘違いだったのだろうか。仕方なくアサレラは、ふと疑問に思っていたことを口に出した。


「フィロ、どうしてリューディアに一緒に来ていいって言ったんだ?」


エルマーのことはあんなに嫌がってたのに、とアサレラが言えば、串をいじっていたフィロの手が止まる。


「……あいつは、家族を探していると。そう言ったからな」


「ああ、なるほどな」


思い返せば、アサレラとフィロがセイレムで出逢ったのも、フィロが父親であるロモロを探すためにさまよっていたためだ。生き別れの家族を求めてたった一人で旅立った少女に自身を重ね、同情したのだろう。


「けっこういい奴なんだな、きみって」


青みを帯びた緑色の双眸がようやくアサレラに向いた。褒められたことへの照れや喜びはなく、なぜか怪訝そうな色を浮かべている。


「なんだ?」


「……おまえこそ、よくエルマーの同行を許したな。……オレがおまえなら、断固断るがな」


「……そう、だよな。おれも正直、気まずいけどさ。エルマーの気持ちがわからないわけでもなかったし」


それに、とアサレラは小声で付け加える。


「旅が終わったとき、聖王国の王子が一緒にいれば、魔術士への差別撤廃もやりやすいかな……って」


フィロは何度か目を瞬かせた。


「…………まさかそのためにエルマーを連れて行くのか」


「そうだけど……」


「………………おまえ」


「おーい、お待たせっ!」


声のしたほうを見れば、真新しい矢筒と矢の束を両手に抱えてリューディアがこちらへ駆け寄ってくるところだった。


「聖者さんさ、さっき、あたしのこと心配してくれたんだよな?」


アサレラの右隣――フィロの反対側に腰掛けたリューディアが、紫色の大きな瞳でアサレラを見上げる。


「だって、あたしが母親に置いてかれたのかって聞いてきたじゃん。あれってそういう意味なんだろ?」


「そう……なのかな。よくわからないな……」


あのとき感じた気持ちがどこから生じたのか、実のところアサレラ自身にも測りかねていた。


「……リューディア。きみは、なんのために母親と兄に会いたいんだ?」


「なんでって?」


「たとえば、復讐……とか」


さああ、と、背後で水の噴き上がる清らかな音がする。


「おれも……、きみと同じような立場に置かれたことがあるんだ。おれは結局いろいろあって、復讐はできなかった。そのことへの後悔は、今はもうないけど……」


時は流れる。記憶は薄れる。

なにも知らなかったころは激情に目が曇っていたが、真実が明かされた今なら、アデリスやロビンの振る舞いもコートニーの仕打ちも、少しはわかる。

だが、この胸に残り続けるものはなんなのだろう。


「きみが復讐をしたいなら止めないけど」


小首をかしげたリューディアの肩先で、括られた金髪が揺れる。


「復讐ってなんかやり返すってことだろ? 考えたこともないよ。する理由もねえし」


「だったらいいけど……」


いい、という言葉が自身から出てきたことにアサレラは驚いた。

リューディアの目的が肉親への復讐ではなかったことを、おのれはなぜ肯定的にとらえたのだろう?


「それよりさ。聖者さんと兄ちゃんとあのおっちゃんって、なんで一緒に旅してんだ?」


本当になんでもないことのように話を流したリューディアに、アサレラはおのれの気持ちをようやく悟った。

家族に置いて行かれて一人きりになった少女に同情を寄せたのはフィロだけではなかったのだ、と。


「アサレラでいい。そうだな……フィロとはコーデリアの南西の、魔物に滅ぼされた村で偶然出会ったんだ。おれはドナウへ向かう途中で、フィロは父親……ロモロさんを探してるところだったから、ひとまず一緒に行動することになったんだ。それで、まあ……いろいろあって、魔王討伐のために一緒に旅することになったんだけど」


「ふーん、そうなんだ」


頷いたリューディアが、身を乗り出してフィロを見る。


「フィロ……は、親父さんと再会できたんだよな。あたしもさ、兄貴と母ちゃんにまた会えるかな?」


アサレラは固唾を呑んでフィロを見守った。

パレルモでリューディアと初めて出会ったときのことを思い返せば、フィロがなにを言い出すのか、気が気でない。

だが。


「ローゼンハイムは滅びた。…………だが……魔王の襲撃から逃れていれば、生きているかもな」


存外やわらかな声でリューディアに応えたフィロを、アサレラはまじまじと見つめてしまう。

アサレラの視線に気づいたのか、フィロはふいっと顔を背けた。


「……オレは可能性の話をしただけだ」


立ち上がった勢いでフィロは大通りのほうへすたすたと引き返す。長い髪に覆われた背中が遠ざかっていく。


「フィロ、どこ行くんだよ? 宿はそっちじゃねえぞ?」


それを追ってリューディアが駆け出す。フィロは立ち止まる素振りを見せない。

なぜフィロが急に立ち去ったのか、答えはすぐに出た。


「素直じゃない奴だな……」


ようやくアサレラも立ち上がって、二人の背を追いかけた。

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