第17話


 遠くで、声が聴こえる。


 ……ディ、ミンディ。


 体中が重い。眠い。両肩を揺さぶられている。


「……ディ! ミンディ!」

 

 ミンディはうっすらと目を開ける。

 白い背景の中に、黒い人影。ミンディがよく知る彼は、見たこともない必死な顔で叫んでいた。

「ミンディ、しっかりして!」

「……ハーディ」

 弱々しい声で、ミンディが答える。

「ミンディ、大丈夫?」

 ミンディの手が、弱々しくハーディのコートの裾をつかむ。

「ミンディ?」

「ハーディ、ちがうの……」

 いまにも消え入りそうな声で、ミンディは言った。

「違う? 違うって何が?」

 ミンディの青い瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。

「女王様は……悲しい人なの……」

 ミンディの首が、がくんと折れた。

「ミンディ、ミンディ!」

 ミンディの両肩を揺さぶるハーディの肩を、白い手がそっと抑える。

 エリーは優しく言った。

「ミンディは、もう大丈夫。暖かなベッドで過ごせば、二、三日で元気になると思うよ」

「ありがとう、エリー」

 ハーディは、ほっと胸をなで下ろす。

「かけられた魔術がじっくり効くタイプなのが、幸いしたね」

 ダーティの手の中、ぐったりしているグラッセが言った。

「グラッセ、お前、大丈夫か?」

「大丈夫じゃないよ。まったく、最近の若い者は……」

 悪態にも、いつもの精彩がない。相当つらそうな様子で、しかし、グラッセは自分のすべきことを忘れない。

「ミンディのことはともかく、こっちはあまり時間がないよ」

 疲れ切った様子で、グラッセは氷柱を見上げる。

「マックが風をまとうことで、かろうじて完全な氷漬けを避けてる。けど、あまり時間がない」

 ダーティの手の中で、グラッセはゆっくりと身を起こす。

「おい、大丈夫か?」

 不安と焦りを露にしているダーティに、毅然と彼は言った。

「大丈夫」

 手の平の上でよろよろと立ち上がり、グラッセはエリーに尋ねる。

「どうだい? エリー」

「……うん」

 エリーは静かに目を閉じる。

 

 感じる。速い。そして、大きい。

 まだ、広がっている。

 いま、ヨールカ村を飲み込んだ。

 

 エリーはゆっくりと目を開いた。

「うん。よくないね。広がり続けている」

「そうかい」

「ど、どういうことだよ?」

 ダーティの問いかけに、エリーは振り返った。

「うん。あのスクラップ・ブックを見たときは、あんまりよく分からなかったけど、これ、想念実現魔法だね」

「想念実現魔法?」

「うん」

 エリーは、状況にそぐわない、のんびりとした解説を始める。

「病は気から――って言葉があるとおり、病気だ、病気だって思っていると、本当に病気になっちゃうことってあるでしょ? 逆に、治らないって言われてる病気が治ったり。でも反対に、いくら自分は元気って思ってても、病気になっちゃったりすることもあるよね。精神が肉体をつくるのか、肉体が精神をつくるのか、この世界でははっきりしてないけど、それがはっきりしている世界もある。彼らの世界ではまちがいなく、思いが形を造るんだ。そんな魔術・魔法のかけかたが他の世界には存在しているんだよ。つまり、君たちの言う聖霊とは、想念実現魔法によって存在している存在ということになる」

「――いわゆる、呪いとかおまじないってやつか?」

「うん。まあ、それに近いものだね。でも、これは呪いより、もっと強力。想念系の魔術と魔法はもともとこの世界には存在しないはずなんだけど……。少なくとも、あのスクラップ・ブックを造った人は、この世界の魔法論式より一段高い魔法論式を行使し、実行できる人ってことになる」

ふと、虚空を見上げて、エリーは呟いた。


「この世界、変。本当に、変。?」


 ハーディとダーティは、互いに顔を見合わせる。同時に尋ねた。

「それで? これからどうなるの?」

「うん。これはね、死にたいって思うと、その思いが結晶化し、氷になって、その人を包む。で、眠るように安らかに死んでいく。そういう魔法なんだよ」

「……つまり?」

「本当に死にたいって思っている人は、救えない」

 ダーティとハーディは互いに顔を見合わせる。

「時間さえあれば何とか……」

 考え込んだ様子のエリーは、しかし、すぐ首を横に振った。

「いや、やっぱり女王様に会いに行かないと。この二人にかけられた魔術はとにかく、ヨールカを覆っているあれは、ぼくだけじゃ止めるのは難しい」

「ヨールカ?」

「そんなところまで?!」

 同時に叫んだ二人に向かって、グラッセが言った。

「当然だよ。大体、人間に生まれた以上、安らかに死にたくない人間がいるとでも思っているのかい?」

「……」

 二人は互いに顔を見合わせる。


「――こうしよう」

 

 グラッセがてきぱきと指示を出す。

「まず、エリー。君はぼくとミンディを連れて、ヨールカに向かって。時間はかかるかもしれないけど、とにかく村を覆っている魔法だけでも解いてほしい」

「わかった」

「次に、ダーティ。君はここに残ること」

「何で?」

 八割の驚きと二割の非難のまじった声で、ダーティは叫んだ。

「この魔術が解けたら、マックとバルバザンは氷の中から解放される。でも、マックがそのとき戦える状態でなかったら? バルバザンにまた逃げられてしまうよ」

ぐっ、とダーティは言葉に詰まる。グラッセは、さらにダメを押す。

「ダートハルト・ハリオット、君の任務は?」

「け、けど……」

「何があっても、命令は命令。兵になるとは、そう言うことだよ」

 ダーティは押し黙る。

「ハーディ」

「はい?」

 グラッセのオレンジの瞳が、ハーディをじっと見つめる。

「君には、一番大事なことをお願いしたい。――いいかい?」

 ハーディは真剣なまなざしで、言った。


「何をすればいいの?」

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